第38話 現実を取り戻す声
銀騎詮充郎の保管する、悪趣味なバケモノ達。二つとも、かつて銀騎家が対峙した「当時の鵺」だという遺骸であった。
そんな事より、もっと悪趣味で残酷な事実が告げられた。
目の前の、黒ずんで朽ちかけたバケモノは、「かつて蕾生だった」モノ。
「……」
詮充郎の放った言葉に、蕾生は反応できないでいた。
「黙れ、詮充郎!」
先に動いたのは永だった。詮充郎に掴みかからんとする勢いで向かっていったが、その側に控えていた皓矢が軽く手を上げて制する。
「うああっ!」
雷に打たれたように永の体は硬直した後、その手は詮充郎まで届かずその場で倒れた。
「永!?」
永が傷つけられたことでようやく蕾生は意識を戻す。が、相変わらずそこから動けない。混乱している脳内は、永の痛ましい姿を見て更に混沌としていく。
「やめて、兄さん!」
星弥の金切り声が部屋に響いた。だが、皓矢は顔をしかめながらもきっぱりと妹に言う。
「すまない……だけどお祖父様に触れることは許されない」
そのやり取りの隙をついて、鈴心が永に駆け寄った。
「ハル様! しっかり、息を大きく吸ってください」
「だい、じょぶ、大丈夫だ、リン……」
己の体に浴びた衝撃に息を荒げて、永はその小さな体に縋るように鈴心を抱きしめた。
——ああ、もう。こうなっては全てが終わってしまう。
意識が混濁していく蕾生に、永の声が響いたような気がした。
——けれどまだ、あきらめたくない。
絶望しかける自分を奮い立たせる永。
その様が、蕾生にはとても遠くにいるように感じていた。
「ライ!」
永はぐっと床を踏み締めて立ち上がり、蕾生に駆け寄った。鈴心もそれに続く。
強く肩を掴まれて、蕾生はようやく永の存在をそこに感じる。
永の存在があれば何も怖くなかったはずなのに。
今は、もっと怖い何かが、蕾生の精神を支配しようとしていた。
「は、るか……? あいつ、なんて言った?」
「ライくん、大丈夫だ、気をしっかり持つんだ」
永は優しく、力強く語りかける。
声は届いている。その姿もすぐ側に見えている。だけど、蕾生にはそれが幻のように思えていた。
現実が幻に。
そして、得体の知れない幻が現実に成り変わりそうな恐怖。
「ライ、落ち着いてください、ね?」
鈴心も蕾生の手を握る。さすりながら子どもをあやすように。
だが、詮充郎は更に止めを刺すように残酷な事実を言い放つ。
「お前達三人は何度も生まれ変わり、その度に鵺と化したお前に殺される——そういう呪いを受けたのだよ」
「!!」
はっきりと提示された運命に、蕾生の体は強張った。
何かがざわめく。それは決して呼び覚ましてはならないもの。
わかっているのに、蕾生にはそれを抑えつける術がわからない。
その体を守るように、永も鈴心も必死で蕾生を抱き締めた。
二人の自分に対する想いは確かに感じられる。
こんなに温かい想いを、俺は何度も踏み躙っていた……?
部屋全体が静まりかえった。
緊張を高めた皓矢は右手で構えてから、低い声で言う。
「星弥、こちらへ」
「え?」
お互いを固く抱きしめ合う三人の側で、星弥が皓矢に視線を移す。それと同時に詮充郎が静かな口調で付け足した。
「古い文献に残っている。ライ、という者が鵺になる運命を知った途端に変化して、その場の人間を皆殺しにしたことがな」
「!」
それを聞いて、星弥は思わず一歩後ずさる。
「星弥! こっちに来なさい!」
「でも……」
星弥にはそれがあまり納得出来なかった。
目の前の三人はお互いを思い合って必死に抗っている。理不尽な運命を負わされても肩を寄せ合って耐えている。
「ライ……」
「ライッ!」
蕾生に呼びかける永と鈴心の姿はとても健気で、蕾生を心から愛しているのだと思えた。
そんな二人の心を、星弥の知る蕾生なら裏切るようなことは、しない。
「星弥!!」
焦って声を荒らげる皓矢を無視した星弥は、蕾生を見つめて呟いた。
「唯くんは、強いから、大丈夫……だよね?」
「——!」
星弥の言葉が、蕾生の胸の中、奥深くまで落ちた。
そこにいた得体の知れない幻を掻き消していく。
今の俺は、唯蕾生。
それ以外の何者でもない。蕾生しか知らない星弥がそれを教えてくれた。
糸が張り詰めたような緊張から少しの静寂の後、蕾生の瞳に緩やかに光が戻っていく。
「は、るか。すず、ね……」
たどたどしい、けれどその声には、蕾生の意志が通っていた。
「ライくん?」
「ライ……?」
永も鈴心も、抱きついたままその顔を見上げる。
二人と目を合わせると、蕾生はまた現実を感じられるようになっていた。
俺は、唯蕾生。
ただそれだけだ。
「大丈夫、俺は、大丈夫だ。何ともない」
しっかりとした言葉に、永も鈴心もようやく安心して抱きしめていた手を緩めた。
「良かった……」
永が漏らした言葉に微笑んだ後、蕾生は少し後ろの星弥に目を向ける。すると星弥はにっこり笑って頷いた。
蕾生も頷き返すが、少し照れ臭かった。
彼女の言葉で、我に返ることができた。それは、何故だったのだろう。
パンパンと、部屋中に乾いた拍手の音が響く。
「素晴らしい。第一関門突破、おめでとう」
大仰に言う詮充郎に、永は怒りをこめた目で睨みつけた。
「テメエ……ッ」
それを受けてサッと前に立ちはだかる皓矢を特に気にもせずに、詮充郎は事務的な態度で別のボタンを押した。
「さて、次はこれを見ていただこう」
すると詮充郎の座る机の後方に棚が現れる。そこには一振りの日本刀が鞘に入った状態で掛けてあった。橙色の飾り紐がその場の全員の目をひいた。
「それは……!」
永が思わず身を乗り出すと、詮充郎は満足げに笑う。
「お前が懸命に探し回っているのはこれだろう?」
「萱獅子刀……そんなところに」
鈴心の言葉に蕾生も日本刀を見やる。だが、鵺の遺骸ほどの、心を揺さぶられるような気持ちは湧かなかった。
「これも私が丁寧に保管しておいてやったのだ。謝辞くらいは述べるべきでは?」
「誰が!」
永が吐き捨てると、詮充郎は片眉を上げて挑発するように返す。
「……これをくれてやると言ったら?」
「なんだと?」
「萱獅子刀を渡す見返りに、唯蕾生をしばらく預からせて欲しい」
「ふざけるな!」
取り付く島もない永の態度にも、余裕の笑みで詮充郎は続けた。
「まあ聞きなさい。私の望みが叶ったら、代わりに皓矢を貸してやろう」
「ハ?」
「皓矢の力と萱獅子刀をもって、鵺化の呪いを解く方法を教えてやろう。破格の条件だとは思わないかね?」
永は開いた口が塞がらなかった。そんなことが可能だとは到底思えなかったからだ。
「本当ですか?」
だが、鈴心は光明を見たような顔をして聞き返す。それに気を良くした詮充郎はニヤリと笑って蕾生に問いかけた。
「どうする? ケモノの王よ」
「……」
蕾生には答えが出せずにいた。まだそこまでの判断ができるほど自分の状況が飲み込めていない。頭ごなしに否定し続ける永と、少し信じ始めている鈴心の間で、蕾生の心は揺れ動いていた。
「お前なんかに呪いが解ける訳がない! 帰るぞ、ライ、リン!」
怒り心頭に発する永の言葉は、蕾生と鈴心に有無を言わせない迫力があった。
それで蕾生は思い直す。
まだ気持ちの整理もついていない。今日はもう、何かを決める気になれない。
それなら永の判断を優先するのが一番だ。
だから、蕾生は永に倣って詮充郎に背を向けた。
「いいだろう、今日はここまでだ。よく考えなさい。良い返事を期待している」
意外にも詮充郎はあっさり引き下がった。だがその言葉は永ではなく蕾生に向けたものだった。
ぶりぶり怒って部屋を出ていく永に従って、鈴心も部屋を出ようとしていた。蕾生もそれに続くが、詮充郎の視線が気になってもう一度振り返る。
詮充郎は蕾生を見つめて薄く笑っていた。
蕾生の、未だ定まらない心を見透かしているかのように。




