第九十三話 必殺! クロイツ! スルルゥァーッシュ・キィーック! ~魔王とヒーロー!~
武闘祭が終わり、やる気の無い態度で優勝賞金を得たモーデルは万雷の拍手の中を早々に切り上げた。
これからどうするのか、そう問うのは退場口で待ち構えていたクサカであった。
「なんだぁ、随分と楽しんだみたいじゃねえか」
「まあな」
埃塗れで破れた衣服と、明らかな戦闘痕を見せる彼女はしかし、傷というものは見受けられない。羨む視線に肩を竦め、女は男へ次の行動を再度と問う。
その内にでも、迎えは来るだろう。
モーデルは詰まらなさげに言葉を吐いて、外の空気を肺一杯に吸い込んだ。武闘祭の優勝者として、道行く者は彼の顔に笑顔で勝利を祝福してくれている。
「まるで英雄だな」
「くっだらねえぜ。飯だ、飯にしよう」
クサカの言葉を切り捨てて、モーデルは会場出口にて自らの武器を受け取った。
痛む頭を押さえながら、フューは人ごみを行く。ある程度は彼女と分かる人物でなければ気づかない様な、微弱な認識妨害用の魔法を使用していた。お陰であの振る舞いをしていたにも関わらず、まだ快適に進むことが出来る。
しかし、この町の一大イベント終了後ということもあってどこもかしこも人で溢れて鬱陶しい。フューは強まる頭痛に思わず呻き、大通りを逃れて裏通りに向かった。
ひっそりと溜息を吐いて座り込む彼女は鉄帽を脱ぎ、汗ばむ顔を肩で拭う。
(ああ、くっそー、何でこんなに頭が痛いワケ)
疲労は溜まってはいないはず。だが、体調の変化は魔力の消費による症状でもある。トバリとの試合で自らの感情を制御出来ずに予想外の魔力を消費したのも事実だ。
本来、連続的な魔法や複雑な魔法の行使を好まない彼女は、これも試合の影響かと項垂れた。
「まあ、いいや。とっとと……準備を終わらして……」
「――フュー!」
「はえ?」
唐突の呼び声に思わず反応すれば、息も荒く膝に手をつく少女の姿があった。
何故、ここに。
フューはトバリを認めて思わず硬直したが、すぐさま立ち上がると少女から離れようと表通りへ向かう。
「待ってよっ」
その腕を掴んで引き止める少女。フューは苛立ち紛れに振り返りその腕を振り払おうとするが、少女の力からは簡単に抜け出せない。
彼女は思わず額に青筋を浮かべて、その腕を捻り折ろうかと拘束されていない手を向ける。少女は敵意を察した訳ではないが、その手を離して俯いた。
呼吸を整えている様子に先手をとばかり、口を開く。
「あのさぁ、さっきも言ったよね? 私はもう、君と一緒に居るつもりは無いんだって」
「……聞いたよ、それは……」
顔を上げた少女の目は真っ直ぐにフューの目を見つめている。その目に残る恐怖心が、彼女の心に余裕を持たせた。
もう、この少女は自分と対等でないことを理解している、そう判断したのだ。しかし口を開いた少女から向けられた言葉は意外なものだった。
「フューがあたしを嫌いって言うんだら、いいよ。あたしと一緒に居たくないなら、それでいい。でもね、あたしはフューと一緒に居るし、フューが逃げるんだったらあたしは追っかけるよ」
「はぁ?」
不機嫌に眉を潜めた彼女の威圧的な態度に、思わず身を竦ませるトバリであった。が、その体は後ろでは無く前へと進む。
睨み上げるその顔に逆にフューが半歩引く。トバリはそんな彼女へ右手を差し出した。
何だこれは。目を丸くするフューへ、握手だと少女は言う。
「フューの言ってること、正しいって思う。でもね、だからこそ、あたしの為に言ってくれてるんだって分かっちゃうんだ。
フューのこと、怖いこともあるよ、正直に言って。でも、いつだってあたしの見えない所で、あたしの知らないことを知ってて、あたしの考えているのとは全然、別の所で戦ってる。
だからあたしはフューの足手まといでも、フューが嫌いだったとしても、あたしはフューが好きだから、フューを支えたいから一緒に居ようって思う。フューと対等になりたいんだよ」
だから、この握手は〝仲直り〟の為の握手だ。
それは、一種の儀式とも呼ぶべきものなのだろうか。少女が彼女という恐怖を乗り越える為の。
フューはその様子に呆れて溜息を吐いた。どれだけこの少女が自分に執着しているのか理解できたのだ。確かに少女は心を折られた。対等でない立場も理解した。だが、それでもトバリはフューと共に行くことを選択したのだ。
それこそ彼女が、どれほど辛辣に扱ったとしてもだ。
フューは少女に自分がどれ程までに危険な立場にあるか理解して欲しいとも考えていたが、その様なこと、トバリにとっては二の次ですらない。トバリが求めているものは安全や平和などでは無く、自らの居場所だ。現実世界で否定された自分という人格を残せる場所を求めていたのだ。
その場所をフューの隣にこそ見出したのは、恐らく、本質的な所で似通っているのだと感じたからだろう。
ヒーローという存在を否定した現実的な自分と。それなのに、誰かを守る為に、それこそ英雄的とは言えない手段であっても行動する姿に、少女は依存したのだ。
それは、フューでさえも理解したくない自分の一面であった。
「…………、分かった、分かったわよ、私の負け! 一緒に旅を続けてあげる」
フューは煩わしくトバリの手を払うと、それはもげ落ちて、指を足の如く駆動させた。
足元をちょこまかと走り回るそれに仰け反るフューへ、引っかかったとばかりトバリは笑う。
「それ、ヤモりんの鞍とかと一緒に買ったびっくりアイテムだよ!」
「……あ、……あ、……あんたねぇ~……っ!」
怒りに肩を震わせる彼女に、今度は本物の手でびしりと指を突きつけた。
これで、意地悪の分は返したぞ。
挑発する猫の様な瞳に思わず面食らう。意地悪、それはおそらく、対盤上でのやり取りのことだろう。あの惨事を意地悪程度の言葉で済ませるトバリの感性に驚くが、それと同時に胸の奥から込み上げるものに堪えきれず、大声を上げて笑う。
「君ってさ、本当に私の予想の斜め上というか、下というか、ワケわかんないトコいくよね」
「それ褒めてる? 貶してる?」
彼女の言葉に半眼で睨むトバリであったが、その笑みに思わずこちらも頬を緩める。久しぶりに見た様にも感じるその顔は、少女が待ち望んだもので、陽光にすら勝る暖かさを感じた。
「とりあえずさ、私やることあるからしばらく別行動ね。まあ、もう逃げたりはしないわよ」
「……うん……じゃあ、あたしもちょっと用があるから、行ってくるね」
「はいはい。宿で合流しよっか」
本当に合流する気はあるのか。
言葉はなくともその不安を感じ取ったフューは、とりあえずは信じろと苦笑い。
さっさと行けとばかりに手を振ると、少女は素直にそれを受け取って駆け出した。急ぐ足に何用かと彼女は気を巡らせるがそれも一瞬だけだ。
その目を空に、鋭く向けて、唇を横一文字に引き結ぶ。
選択は成された。ならば、すべきはひとつ。
「おおっぴらにやるでなく、こそこそせこせこやるってね」
こめかみに当てた二本の指から青い火花が弾け、それを地面へと投射する。瞬時に青の魔方陣となって地表を駆け巡るそれと、指に繋がる青き光の筋に全神経を集中させる。
駆け巡る膨大な情報に脂汗を額に並べたフュー。その中から目的となる二人連れを確認し、彼女は凄まじい形相で笑みを成したのだった。
一抹の不安を持ちながらも走る少女の探す者は、フューとの試合前に圧倒的実力差を示した、あのエンジーだった。
トバリはフューを探す道すがら、あの女を見つけていたのだ。
「おかしいなぁ、確かにここらヘンのはずなんだけど」
「誰か探しているのか?」
頭上からの声に驚き見上げれば、そこに立っていたのは少女と同じくフューに敗北したデンジロウの姿があった。
すっかりと角の取れた、柔らかな表情となっているがトバリにその違いは分からないだろう。
「……えっと……デンタロウさん?」
「デンジロウだ」
「あっ、すみません」
目付きが鋭くなり、思わずトバリは頭を下げる。その様は連れであるフューの姿に似ても似つかず、男は苦笑した。
改めて何事か問う男にエンジーを探しているのだと答えれば、先程頃に見かけたと、細い裏路地の入り口を示した。
デンジロウは、お礼を言って離れる少女を呼び止める。
「あの女に会って、どうするのだ?」
「どうってこともないけど、ただ、なんであんなことしたのか聞いてみる」
あんなこと、とはわざと敗北を選んだことだろう。デンジロウはあの女の特異性を肌で感じた一人だ。だからこそ、そんな理由でエンジーを探すという少女に危機感を覚える。
気づいた時には、自らも一緒に探そうと言葉を口にしていた。
トバリは迷惑そうな顔をするも、人手はあるに越したことは無いと考えを改めてデンジロウの申し出を受け入れる。
「トバリ、と言ったか。お前はあのフューを、怖く感じ無いのか?」
エンジーの姿を探しながらも、デンジロウ。
トバリは先の自分の言葉を思い出しながら、そりゃあ怖いと素直に述べた。ならばと男は再び問う。何故、行動を共にするのか。
それは、彼女に自尊心を打ち砕かれ、自身の在り方すらも真っ向から否定された男の疑問である。あの様な存在を、どうして受け入れられるのかという。
「何故、て……そりゃあ……楽しいからだよ。フューにも言われたけどさ、結局、色々なんかあったって、今、こうして笑えればいいんだよ」
に、と底抜けに明るい笑顔を咲かせる少女。見ようによっては間抜けとも言えようが、それでもデンジロウはその言葉に心を動かされた。
どれだけの否定を受けようと、自分の在り方を忘れないことが大事だと、そう言われた気がしたのだ。
「そうか。それもそうだな」
あっさりと解れた心に訝しむ。自分は、こんなにも単純な人間だったかと。
トバリの何も考えていないような、あっけらかんとした笑顔が、男と同じく痛め付けられても尚、笑えるその心がデンジロウの傷を癒したのかも知れない。
「…………、トバリ、居たぞ」
不意に呼び止められて、彼の指差す方向へ首を向ける。確かにそこには、建物の隙間、狭い道で呆けるように空を見上げるコート姿があった。
「エンジーさん!」
少女の呼び掛けに、エンジーはゆっくりと振り返る。その様相には走り掛けたトバリも思わず足を止め、デンジロウも不意の事態に備えて意識を戦闘へ切り替えた。
赤く濡れ光るマスク。未だに溢れる血流は女の足下を汚し、腐臭を漂わせている。そして、その双眸は、右目を歪に細められたそれはぎらぎらと、異様な光を放っていた。
「……警告は……した、はず……だぞ……」
掠れた声。水音を立てて、血泡がマスクの下から吹き出る。
目を見開くトバリとデンジロウ、その前で、エンジーの体に変化が起こる。叩き付けられた虫の如く、ぎこちない動きで体を縮め、だと言うのにその間にも成長している様な。
普通の人間では有り得ない現象。これを変態と言うならば、エンジーは亜人では無かろうかとトバリは思う。だが、そこから吹き出る圧倒的な悪意は、嘆きの湖で出会った亜人のそれでは無い。
否、プレイヤーと呼ぶべきものを、そこに感じない。
「……ま、まさか……魔王……なのかっ……!?」
魔王。
デンジロウの言葉にトバリが反応するよりも早く、皮を引き裂いて伸長するエンジーの首。その姿に後ずさる二人を前に、それは天に向かって吼えた。
まごうことの無き人の声。悲しみ嘆く、あるいは恐怖に憎悪して、そしてまたあるいは喜悦そのもの。
人の声であるにも関わらず、理解が出来ない。それは本当に人なのか、獣でないのか。しかし、これだけは分かる。確かにこれは、人の声であるのだと。人が獣の如く、否、人の内にある野生そのものが露出しているのだと。
湯気立つその姿は、人の形をしていながらも人に非ず。釣り合いの取れない異形と化した女の、女であった者の姿は衣服から覗く体に爬虫類特有の鱗が見え、ずるりと剥がれ落ちる皮膚と共に薄黄色の粘液が滴る。
かろうじて人の形を残していた顔も、音を立てて顎が割れ、犬面の様に前方へと突き出す顎を引き出した。
「……ま、魔王……これが……?」
「!」
思わず呟いた少女へ恐れるべき瞳が向けられる。即座に反応してトバリを突き飛ばしたデンジロウ、その左腕が弾け飛ぶ。
瞬きする間も無く突進したエンジーの手が、彼の腕を切り飛ばしたのだ。
「むおっ!」
間髪入れずに放った掌底が異形と化したエンジーの顎関節を打つも、その粘液により上手く力が伝わらずに手が滑る。
足を開き、腰を落とす。
反撃として放たれたエンジーの掌底はその怪物たる容貌に反し、確かな鍛錬を感じ受ける姿だった。踏みしめられた両の足によって石畳は砕き割れ、一撃を受けたデンジロウは腹部から背骨へ突き抜ける衝撃に悲鳴を上げることも出来ずに倒れた。
これ程の威力であれば木っ端と違わぬ男の体躯。それを弾き飛ばす結果とならなかったのは、全ての威力がそこに集中したからであろうか。
静かに血を吐き出す男の姿に、トバリは雄叫びを上げて背の剣を抜き放った。刀身は力強い光を湛え、少女の意志を後押しする様だ。
「ッ!」
しかし、攻撃為らず。
背後からの奇襲に対しても、コートを引き裂いて伸びる薄紅色の肉の尾が少女の腹を打ち、それを防いだのだ。
強烈な一撃に弾き飛ばされたトバリは建物の壁を貫通して転がり落ちた。
「……うっ……くっ……あ、ぐ、う……」
全身に力を込め、起き上がろうとするが腹を襲う激しい痛みから再び床に転がった。何事かと建物の中に居た者らが少女の様子を伺っている。
レストランだろうか、食事を止める彼らに危険を伝えようとしたトバリは、自らの腹を見て目を見開いた。
赤く染まるそこは、複数の鱗が突き刺さり、ずたずたに引き裂かれている。医学に疎い少女でもあっさりと理解出来てしまう程の重傷だ。
そう、それはいともあっさりと、理解出来てしまう程の。
(な、なに、これ……これって……もしかして、死……)
異様な痛みはその威力だけでない、少女が体を動かしたことで突き刺さった鱗がその肉を、臓腑を引き裂いたのだろう。
そう遠くない自らの未来を予期させられた少女に、絶望という感情が心に生ずる。その少女の前に、ずるり、と歩み寄るエンジーの姿があった。
砕けた壁の穴から這い出るそれは、既に元の彼女の身長では無い。彼女、という言葉は最早、不要だろうか。エンジーという存在に性別は無く、ただ女の如き姿形を取っていただけなのだから。
そこに居る者達はエンジーの存在を知らない。その名を口にしたのはフュー唯一人。
〝もう一方の獣の魔王〟、エンゾガルデ。それが、その者の名だ。
誰もが、悲鳴すら上げられずに沈黙する中で、エンゾガルデから発せられる冷気がその者を中心に床を、壁を凍てつかせる。霜柱すら形成するそれを踏み砕いて、エンゾガルデは力無く見上げる少女の虚ろな瞳に、燃え盛る欲情を顕にした。
食べたい。
エンゾガルデが、エンジーとして、幾度も見せた感情。顎を開き、滴る液体と腐臭とを撒き散らし、その巨体を跳躍させた時。
「必殺! クロイツ! スルルゥァーッシュ・キィーック!」
突如現れた黒い人影が、その巨体を迎撃した。
不意の一撃を受けて床に転がるそれに、店内は蜂の巣を突いた様な大騒ぎとなった。店を出て行く者らを避けながら、黒い人影が倒れたままの少女に近寄る。
「まさか、まだこんな無茶をやっているとはな」
優しい言葉が懐かしく、少女は顔を上げる。実際にはそれ程、久しい訳では無いのだが。
そこにはキャンディロードに入る前に分かれた、少女が思わず憧れたヒーローが居た。手早く少女の体の中に残るエンゾガルデの鱗を取り除き、回復薬をたっぷりと振り掛けてやる。
引いていく痛みと同時に強まる倦怠感に呻いて崩れ落ちた少女を抱え、ヒーロー、クロイツは立ち上がる魔王を見据えた。




