第九十四話 うううるさあああああああいっ!! ~暴虐の魔王・エンゾガルデ!~
「久し振りだな、もう一方の獣の魔王。獣の魔王はどうした?」
左手を天に、右手を地に。
右の腕に少女を抱えたまま独特で大仰の構えを見せるクロイツに、エンゾガルデは長い首を振って骨を鳴らす。濡れそぼっていた毛髪は鬣となって自身から発せられる熱気に揺らぎ、対して大気は冷え凍る。クロイツの仮面から息吹くそれも白く染まる中で、エンゾガルデは身に纏うボロとなった衣切れを引き千切った。
「戦る気マンマンだな。しかしだ、ここらでは被害も増える。どうだろう、何処か適当な所で――」
クロイツの言葉も途中で、巨躯が走る。
目にも留まらぬ速さとは正にこのこと、反応すら出来ずにエンゾガルデの体当たりを受けたクロイツはその腕に抱えていたトバリを取り落とし、背に受けた壁も破って店外へと吹き飛ぶ。叩き上げられたその体は翼を開いたエンゾガルデと共に対面の店へと突っ込んだ。
轟音と共に瓦礫と化すそれが、一瞬にして凍り付く。崩れるはずのそれが氷となって繋ぎ止められた瞬間に、事態を把握し切れぬ道行く人々が唖然とした表情を浮かべていた。
「……あっ……か……」
氷の中から歩み出る男。霜に塗れたその者は、上半身の殆どを欠損しているにも関わらず生きていた。しかし、それもやがては凍りに覆われて動きを止める。
その体を、廃墟の中から現れた鍵爪が抉り取った。現れた異形は、爪に突き刺さった男の頭部を噛み砕き燃える瞳で人々を睥睨する。
咆哮。
凄まじい圧力と悪意を撒き散らす魔王の声は、瞬時に周囲のあらゆるものを凍結させ、大気に煌く細氷を発生させた。
「ま、ま、魔王だぁーっ!」
誰かが出し抜けに叫ぶ。魔法陣を発生させるでも無く特異な現象を引き起こすその存在。悪意しか読み取れぬ、モンスターとは異なる暴力的なもの。
人はそれを指して、魔王と呼ぶのだ。
人々の絶叫に端を発して逃げ惑うそれらに対し、エンゾガルデが翼を広げる。同時に石畳が脈打ち、彼らの動きを阻害した。隆起するそれらからは巨大の氷柱が生じ、人々の体を貫く。
その凄惨たる光景を、地に伏していたトバリは歯を食い縛って見ていた。力の入らぬ手足は感情だけで無く、言葉で命じても動きを見せない。
「トバリ様!」
そんな少女を呼ぶ声は、あのメイド共だ。町の異常事態を察して、衛兵らよりも早く駆けつけたのだろう。
少女の無事に一先ずの安堵の色を見せたメイド長は、エンゾガルデの存在に驚きを見せた。
何だ、この化け物は。
凍りついた男に噛り付く怪物をから視線を逸らさずに、ミズ・コーポラルが少女を抱き上げて建物の影へと隠れる。
「メイド長、さん……う、動けないの……」
「ああ、ご安心を。ミズ・キャプテン!」
「イエス・メイド!」
赤く染まった少女の腹部を調べていたメイド長は、既に傷が塞がっていることを知る。少女が動けない原因としては武闘祭での体力の消耗は勿論であるが、その様子から致命傷を負ったであろう箇所を回復薬の治癒により、大量の体力を消費したのだろう。
ここで呼ばれたミズ・キャプテンが大きな岩の様な手をかざすと黒い魔法陣が形成され、それを介して少女と女を光の筋が繋ぐ。
にわかに活力を得て起き上がった少女が驚いていると、ミズ・キャプテンは疲弊した様子で笑みを浮かべた。自らの活力の一部をトバリへ移したのだろう。
「ようし、これなら」
「トバリ様? 何を!」
ミズ・メイジャーが拾い上げていた大剣を受け取り、背へと納める少女。今にも駆け出さんとするその小柄な体を引き止めるメイド長だが、トバリはそれを煩わしそうに振り払う。
危険な場だ。だからこそ、他の者の避難誘導をして欲しいと少女は言う。
「ならば共に行きましょう。あれは、あれは普通ではありません!」
「デンジロウさんが魔王って言ってたよ。凄く強い亜人なんだろうね」
何を呑気な。
少女の言葉に驚愕するメイド長だが、続き焦りデンジロウの救出をと崩れた建物の外を指差すトバリ。メイド長の指示によりミズ・コーポラルが敬礼してその場を離れるが、残る面々は少女から離れる様子を見せない。
力尽くしでもここから連れて行く、その意気だ。
「トバリ様、今すぐ避難して頂きます。もしあれが、デンジロウ様の言う彼の者であるならば、この町の衛兵で足りる事態ではありません」
「じゃあ、余計に行かなきゃじゃん!」
力に力で対抗する少女の予想を上回る膂力にメイド長は慌ててミズ・メイジャーにも手伝わせる。
彼は必死の形相で異形を睨む少女を押し止めようとする。
「トバリ様! 忘れたのですが、試合ですら完膚無きまでに負けてしまわれたんですよ。何故、死に急がれるのですか。無益な死など、私が許しません!」
「…………っ! うううるさあああああああいっ!!
無駄かどうか決めるのはあんたじゃないっ!」
怒りに任せて振り解く。尻餅をついたメイド長はその様に驚いていた。少女の激高は、尋常では無かった。武闘祭では見せぬ怒り一色に染まったその顔は、何故か、少女に対して怒りを爆発させたフューとそっくりだった。
しかし、その顔も長くは続かず、呆気に取られる面々に悲しげな、申し訳無さそうな色を顔に浮かべてトバリは静かに言う。
「ごめんね、皆。だけどあたし、行かなきゃ。絶対に死なないからさ、皆は他の人の避難を手伝ってよ。メイドなんだから、ご主人様の言うことを聞いて。ね?」
「……トバリ様……」
メイド長はがっくりと肩を落とし、ミズ・メイジャーに助け起こされる。
彼は短く、ご無事で、とだけ述べる。少女もそれにお礼を言って頭を下げた。微笑む少女に敬礼して去って行く彼らを見送り、トバリは振り返る。魔王、エンゾガルデへと。
「う、うへ、うへへへへ」
凍り付き、体の殆どを欠損し。
それでも尚、光に還らず生きているプレイヤー。エンゾガルデは氷となったその臓腑を夢中で食らっている。
少女らがやり取りをしている間に辿り着いたのだろう、衛兵らの鎧や体が散乱している有様だ。
腹が減っていたのだろう、文字通り。それでも我慢していたのだろう、あれは。
(あたしのせいで、我慢出来なくなったの? ……だったら、あたしは……)
腰に提げる盾、その裏に収まる剣を引き抜いて炎を灯す。放たれた火球はエンゾガルデの背に直撃して炸裂するが、周囲の氷を溶かすだけだ。
「エンジィイーッ! こっち向けーっ!」
トバリの叫びに、ようやくとエンゾガルデが長い首を巡らせる。
その瞳に感情らしきものは見えなかったが、少女を視界に収めると同時に、悪意の炎が燃え上がるのをトバリは感じた。背筋を駆ける悪寒に白い息を漏らし、少女は剣を納め、代わりとばかりに背の大剣を抜き放った。
恐れを知らぬその動き。否、恐れを知るからこそ、それを拭い去る為に。
腰を開き、重心を低く、順手を回して剣を盾とするが如き少女の構えにエンゾガルデは目を細めた。
「……お前、……クロイツさんも……食べたのかっ……」
ともすれば上ずる声に歯を食い縛る。
エンゾガルデは体を少女に向き直し、胸から上だけしかない男の頭を踏み砕いた。不快な笑い声が消え、遠くで木霊する悲鳴が、やけに耳に衝く。
魔王は、現れた小さき英雄を見下す様に鼻を鳴らした。早鐘と化した心臓の暴れ狂った音を耳でなく、体全身で感じながらも、少女は動けない。全身の脂汗が小さな氷となる中で、エンゾガルデが一歩、足を前に出した。
慌ててトバリも摺り足で前進。剣の間合いに捉えるべく向かうが、少女の膂力でこの異形を倒す事は出来ないと、その自覚はあった。
試合での打ち込み。それに対する防御力。唯一、その防御を上回ると感じたのは少女の持つ大剣による一撃であったが、今、その手に収まる剣に光は無い。
(なんでこれ、光らないのっ)
焦りつつも、エンゾガルデの一歩に対して少女は更に踏み込むだけだ。
例え発動の条件を知らぬ魔法であろうと剣は剣、叶わぬならばただ打ち込めばいい。そう、少女は心に決めた。
あと一歩。
剣の間合いに入るか否か、といった所で少女の歩みが止まる。意識が大剣から、正面の〝敵〟へと集中してしまったのだ。燃え盛る双眸に飲み込まれる様にして、少女の体から力が抜けた。
ああ、そうだと、己の小ささを自覚する。少女にとって〝敵〟であるエンゾガルデだが、彼の者にとってはトバリなど〝餌〟に過ぎないのだ。
圧倒的悪意と感じていたのは、その強大さ故だろう。別個の種として考えとってしまった故だろう。それはただ、食欲を満たしたいだけだ。少女ら、プレイヤーを喰らって。
エンゾガルデの顔が鼻先にまで来た時、トバリは既に剣を構えていなかった。腐臭が立ち込める中、震えるのは冷気故か恐怖故か。
強大な顎が開き、おぞましい粘液を滴らせるそれに、覚悟も出来ぬ死を考えた時、視界の隅から現れた男が、裏拳をその顎にぶち当てた。
生じる閃光。
強烈な光に悲鳴を上げて倒れた少女、その上を黒い人影が跳び越していく。
「炸裂! クロイツ式垂直ロケットキック!」
火薬が炸裂したのかと思わんばかりの爆発音。
魔王の顎を跳ね上げて、クロイツは着地と同時にトバリを抱えて間合いを離す。遅れて間合いからの離脱を図るのはエンゾガルデに不意の一撃を放ったデンジロウだ。
左腕は無いものの、その顔に浮かぶ闘志に衰えは無い。
「ふ、二人とも、無事だったんだね!」
「無事と言える様なのか?」
喜ぶ少女に仮面の下で苦笑する。
所持する回復薬の入った瓶が魔王の突撃により砕けたことで、致死の一撃から奇跡的に生還できた。並び立つデンジロウの仔細を彼は知らないが、似た様なものなのだろうと結論付ける。
実際、彼もメイド共に助けられたのでは無く、自らの所持していた回復薬を用いて戦線に復帰したのだ。その腕を治癒させる程の効力ある代物では無かった為に隻腕であるが。
そんな彼らの後ろに、衛兵の後続部隊が到着する。唸る魔王の姿に恐れ慄く者も多かったが、退かぬと立つ二人の男、遅れて立ち上がる小柄な少女の姿に感化されて、その場に留まった。
強大な力に対して希望と呼ぶべき団結の力。目を輝かせる少女に対し、クロイツは不味いことになったと焦りを見せた。
「逃げろ、トバリ。我ら全員、殺されるぞ」
「…………、えっ?」
クロイツの言葉に思わずそちらへと顔を向けると同時に、風が吹いた。
余りの強さによろけた少女を気遣うでも無く、焦り後方を振り返るクロイツ。その視線の先で、三人程の衛兵がまとめて潰されているのを視認する。
エンゾガルデが下敷きにした男の首を捥ぐと、それは自らの体を求めて何事か呟いていたが、巨大な手の中で次第に凍り付き、動きが止まると同時に強靭な顎に噛み砕かれた。
「な、なんだあ、こりゃ……こ、こいつ……まさか……!」
「それ以上喋るな! 罰則を受けるぞ!」
「そんなことを言ってる場合か! クソ、こんな時に紫輪様はどうしたんだ! あの武闘祭の優勝者だっていい!」
一気に混乱に陥った衛兵らをクロイツは治めようとせず、それを囮にする様にトバリを引いて建物の陰へと身を隠した。
その様子に非難の声を上げる少女だったが、クロイツはむしろその様を叱咤する。
「逃げろと言っているのだ。トバリ、我らが助けに来る前に、死を覚悟したこと、忘れてはいないだろう」
それは、少女の心を深く抉る言葉だった。
確かに少女は、彼らの救出が入る前に、自らの命を諦め、戦うことすらも諦めてしまったのだ。
そう、それは、ごく自然のことだろう。強大なる力、壁を前に誰もが感じること、受け入れるべき真実。意志を、心を折られ、諦めを受け入れる。それを少女は行ったのだ。
「奴があそこまで高ぶるのも珍しい。この町は終わりだ。だから、今の間に逃げるのだ」
「……そんな……」
「いいか、急げよ!」
クロイツは少女の肩を押してエンゾガルデから離れるべく指示を出すと、再び彼らの元へと走り出した。
その言葉は、少女の逃避を認めてくれる言葉であり、優しさそのものだったろう。この事態を引き起こしたのは自分では無いか、そう思い至る少女の体を、恐怖で竦んだ少女の心を許容するものだったろう。
だが、それでも。
「……それでも……あたしは……!」
握る拳から赤い滴が垂れた時、少女の目には強い光が灯っていた。




