第八十五話 実力で認めさせてやるんだからね ~暴食的偏食者?~
「まさか、お前が負けるとはな」
「まあ、予想外だったよ」
運び出された少女を尻目に、それよりも軽微な傷ですんだストライカー・ケイジは客席からの罵倒に軽薄な笑みで応えていた。
次戦を分かっていて手を抜くなどと。
紫輪のソウベはケイジを睨みつけるが、これもまた薄く笑みを浮かべるのみだ。溜息ひとつ、その間にも顔を怒りに染めたデンジロウが彼へ向かうのを見て、最早捨て置けとソウベは少女の元へ歩む。
食卓の前に寝かされるトバリの首筋へ指を当てて脈拍を確認する。安定した動きと寝息に問題は無さそうだと思わず微笑んでその額を撫でた。
良く、頑張った。
言葉はなく、さりとて表れる労いの念を所作に滲ませたソウベ。彼は自らの懐より紫色のカードを取り出して、少女の背の鞄へ差し込んだ。
「楽しませて貰ったぜい」
最後にと気絶するトバリの頭を撫で、特設席を見上げる。目を丸くしてこちらを見ているフューへ太い笑みを浮かべたソウベ、渡したカードを少女に教えてくれるよう指示を出す。
本来ならば、自分よりも先に駆けつけるべきだろう。ソウベは彼女の人としての意識の低さを感じたようだ。
「行くぞ、ケイジよ」
だとさ。
呼び掛けられたケイジは、食って掛かるデンジロウに不敵な笑みを向ける。デンジロウはその様子に怒りを示したが、やがて忌々しげに舌打ちした。
顔を背けるデンジロウを横目に、彼は自らを呼んだ男の下へ向かう。
「おいらの想いを無下にしやがって」
「その割りには嬉しそうだ。まあ、早く離れるとしよう。長居しても良いことないさ」
ケイジの言葉。それも最もだとソウベは笑い、彼と共に会場を後にすべく通路に向かう。目立たぬようにソウベが料理を運んだ場所からだ。
見送りを申し出た衛兵を断り、わざわざ自分らより弱きを頼るかと談笑しながら通路を抜けた先で不穏な空気を感じ取った。
「…………」
目を細めて動きを止めたソウベに対し、ケイジは歩みを止めるでもなく、曲がり角へ姿を晒す。
待ちかねたぞ、と、その姿を認めて嬉しそうな女の声が響いた。
警戒していない訳では無いのだろうが。
無防備に見えるケイジに続きソウベが顔を覗かせると、壁に背持たれていた白外套が姿勢を正す所であった。
その服装、モーデルという武闘祭参加者に似ているか。否、服装よりもその纏う好戦的な雰囲気こそが。
ソウベは女の足下に倒れ伏す三名の兵を認めて顔を歪めた。
「そいつらは無事なのか?」
「眠って貰っただけだ。祭りなんだから、無粋はしない」
祭り。
女の言葉にソウベは並び立つケイジを見る。察する所にこの女、狙いはケイジだろう。どうすべきかとこちらを見返す男に、手短かつ目立たず済ませろとソウベは命じた。
ケイジが顔を正面に向けると、話が分かると女の笑みが濃くなる。
「覚えがあるぞ、あんた、予選でモーデルとかに負けた人だな。名前はクサカと言ったか」
「ああ、覚えていてくれて――」
その言葉、答えようとしたクサカ。
ケイジは、それと同時に彼女へと踏み出す。通路に深い足跡を残し、その一歩でもって跳躍しクサカへ接敵したケイジ。
彼の掌がクサカの腹部へ触れた時には既に、彼女の手は腰に差した刀の柄を握っていた。
速いな、と、その手の動きにケイジは舌を巻く。だが、それでも勝っているのは彼だろう。連動する肉体に解放された力はクサカを弾き飛ばす。
通路を粉砕した彼女の体は一瞬にして視界から消えた。
続く音に更なる破壊があったのだろうと、ソウベは巻き上がる粉塵を手で払う。遅れてひびを生じた床に溜め息を残し、目立たずと言ったはずだと不満を漏らした。
「負け続きは嫌なんでね。しかし危ない、もう少し加減していたら、腕を持っていかれる所だ。刀を抜いていたら殺すつもりで打たんと、無傷とはいかなかったな」
「ほう、あれで生きているのか」
大きく開いた通路の穴に、外の景色に続く破壊の跡。クサカという大玉を食らって倒壊した露店に頭を掻くと、あれは亜人であろうとケイジは所見を述べた。
打撃の際に膨張した筋肉で裂けたシャツをそのまま破り捨てる。無駄な脂を一切感じさせない筋肉質かつ精巧なな体が露となった。
「衛兵の対応は任せる」
「ふん。まあ、良いだろう。そういやお前、赤棺から話は聞いてるのかい?」
「時期が早いとは言ったが、ソウベよ。乗る気はあるまいな?」
「まさかな、黒旗が乗るならあるいは、と言ったさ。行けよストライカー・ケイジ」
悪いな。
ソウベの言葉に片手を挙げて背を向ける男。それに続くようにあらぬ方向から駆け付ける靴音。
この町の衛兵だ。騒動に気付き慌てた様子の三名が、反抗勢力かと色めき立っている。
「ソウベ様、やはり警護をつけるべきです!」
「そこに転がっている奴らを見てからその台詞は言えい。あと、あの奥に女が倒れているだろうし、拘束でもしておけば良いだろう」
迫る兵を煩わしそうに押し返す。また呼び方も改めるように兵に伝え、同じ十器によっては厳罰ものだと笑うのだ。
「しかし、まあ……とりあえずは、女を捕らえて、おいらはどうするか……」
ソウベの言葉を受けて兵の一人が大穴を覗き、動きを止める。
慌てて武器を構えたそれに続く二名に眉を潜め、ソウベは前に立つ二人を手で押し退ける。視線の先に、壊れた露店と、血塗れの女を見上げて呆然とへこたれる、おそらくその店の持ち主の姿。
ソウベは面白いと唸り、口から血を零しながらも腰に差した刀を抜くクサカに手を叩いた。
「こりゃあ、まっとうな人間とは、思えんな」
「……どっちの、台詞だ……何者だ、あれは……」
「知っているだろう、ストライカー・ケイジ。数ある武芸大会で名を残し、だから相手を甘く見て今日は一試合目で敗退した愚か者だ」
叩き込まれた拳により破壊された胴当てを引き千切る。赤く染まる体を引き摺りながらも笑みを消さないその顔に、怖気を感じる兵も或る。それでもその職務を全うするに曇りはないのだろう、歩む女を取り囲んだ。
が、手負いとは言え戦力差を考えたソウベは三人に離れるよう命じ、刀を抜いても構えぬクサカに戦うつもりはないのだろうと断じた。
「何が目的か知らんが、大人しく退けば捨て置いてやる。無粋は無しといこうぜい、祭りなんだろう」
ソウベの言葉に目を鋭く細める女。笑みは引き、これ程されて引き下がれと言うのかと、そう語っているようだ。相手が十器であれば不足無しと今にも噛み付きそうな姿にはソウベも思わず苦笑する。
この女、畜生と同等だ。自らの状況も省みず、ただただ目の前の関心にしか執着しない。それが闘争に関わることとなると、なるほどそれは確かに〝亜人らしい〟ものだと彼は考えたのだ。
亜人とはプレイヤーの欠陥品だ。衝動として闘争心を引き上げられている存在、否、自制の効かない存在。だからこそ、危険な存在とされているのだ。
「…………、良いだろう、退こう。ここで問題を起こして、祭りが止められると、私としても、困る」
言葉を区切り区切り、クサカは述べて赤く染まった口元を拭う。
汚れを落としたその顔には再び笑みが浮かんでいたが、その目は依然、厳しいものだった。刀を納める頃には呼吸も落ち着いたか、しっかりとした足取りでこの場を去るクサカ。その後姿に、本当に良いのかと迷いの視線を兵は向けるが、修理費用はこの紫輪のソウベ個人に回せとだけ、彼は述べるに留めた。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「いひゃあ!」
顔に冷水を落とされた少女は悲鳴を上げて飛び起きた。珍妙な悲鳴に腹を抱えるモーデルの手にはグラスが握られている。
何をするのかと、抗議の為に立ち上がったトバリはゆらりと揺れて、そのまま尻餅をついた。
陰りの現る視界に、瞼の上から眼球を揉むトバリ。
「ストライカー・ケイジに続いてエンジーとも戦えるとはなぁ。羨ましい奴だ」
嘲るような言葉をどこか遠くに感じながら、少女は慎重に立ち上がる。今度は転ぶこともなく、視界に陰りも無い。
しかし、握る両の手に五分の力も込められない事に気付き、その頬を冷たい汗が伝う。
「どうした、早く行かないと始まるぜ。それとも、棄権でもするつもりかあ?」
トバリの様子に察しはついているのだろう、色濃い嘲笑をそのままに肩越しの選手の集まる通路を指す。
「棄権なんてするワケないじゃん。ちゃちゃー、と勝っちゃうから、びっくりしないでよね!」
そうかい。
少女の言を小馬鹿にする男であったが、トバリとしては自らの決意表明に他ならない。彼の態度など意にも介さず、転ばぬようにと床を睨み付けてしっかりと踏みつける。
他者から見てもその様には不安を覚えるものだ。客席からの呼び声にトバリが振り向くと、そこには先程まで少女の応援を行っていたメイド長の姿があった。
「トバリ様、次の試合は棄権して下さい」
「ええ? なんでさ。ヤだよ、そんなの」
沈痛な面持ちのメイド長に頬を膨らませるトバリ、肩越しに振り向けば興味は無しと、モーデルが机に並ぶ肉に向かう姿が見える。
戻した視線の先ではメイド長だけでなく、いつの間にか勢揃いしていたメイド部隊に思わず仰け反っていた。
「トバリ様、私の言葉をお聞き下さい。貴方の体はもう限界を迎えています。次の試合の相手は、対盤を破壊したあのエンジーです。
試合中にそれを再現されたら、まともに回復の魔法が機能するか分かりません。それどころか試合中、衰弱死する怖れすらあるのです。
別に武闘祭は今回だけではありません、辞退してください。ワンダーランドであろうと現実世界であろうと、無理をしないのは常識です。無理をなさってはいけません」
強い口調で嗜める。言葉通り、少女を心配しているからこそのものだろう。彼の述べるように、もし、また対盤を破壊されればどのような結果になるかは分からない。エンジーにより砕かれた対盤は僅かな間も効果を残していた為に、彼女と対戦した者は一命をとりとめた。
しかし、次もそうとは限らない。更にはそのような攻撃力を持つ相手に衰弱したままのトバリでは傷は癒えても力尽き、そのまま死亡する可能性も高いのだ。
無言でメイド長に続き頷く面々にトバリは頬をかき、幾分かは悪いと思いながらも一呼吸、二呼吸置いて舌を出した。
「絶対、ヤ」
「トバリ様!」
「聞こえませ~ん!」
耳を塞いで選手登場口へと向かう後ろ姿へ、メイド長は尚も呼び止めるが、公言通りに聞く気は無いようだ。
モーデルは彼らのやり取りを詰まらなさそうに見やりながら、皿に盛られた肉にフォークを差し込む。未だに香しく、熱を持つそれらを持続させる魔法もまた、紫輪のソウベによるものだ。
料理の腕は素直に認めつつも、〝十器〟たる実力こそ彼の知りたいことだった。
(クサカの奴が見当たらねえ。あの二人にちょっかいでも出しているのか)
連れの不在に、そそくさと退場した優勝候補と帝都よりの者の顔を思い浮かべて笑みを濃くする。
結果が楽しみだと、モーデルは確かにそう思ったのだ。
選手登場口へとやって来たトバリは、肌に痛みを感じるような、静寂の中にたゆたう敵意を感じた。
自分に向けられたものではない、しかしそれを感じてしまう程の重圧を受けたのだ。
一人はフュー。衛兵に囲まれてそっぽを向いているが、隣に並ぶデンジロウと同じく、気配だけで互いに牽制しているようだ。
対して、その後ろに並ぶエンジーは黙して目を閉じるのみ。トバリは固まった足をぎこちなく動かして衛兵の間を抜け、エンジーの隣に並んだ。
そして、思わず言うのだ。この場の空気も省みず。
「次だね、フュー」
一瞬、彼女からの刺々しい気配が掻き消えて、再びそれらしい雰囲気を纏おうと苦心するも、やがて諦める。
溜め息をひとつ転がして、肩越しに少女を見下ろしたフュー。
「まずは目の前の事に集中しなさいよ。君だって、私と同じで楽観視出来る相手じゃないでしょーが」
ちらと視線を向けた先で、デンジロウは黙したままだ。それは言外に彼を高く評価している旨であるのだが、トバリはそれに気付くでもない。
前に向き直ったフューに対しても、やはり次こそ戦うのだと告げるだけだ。彼女はそれに答えず肩を竦めたが、自らの挑戦を受け取ったと少女は解釈した。
(実力で認めさせてやるんだからね、実力で!)
固めた拳で小さくガッツポーズなどを取るトバリ。はたと気付き、恐る恐る隣を盗み見れば先程と同様に目を閉じたままのエンジーの姿。
トバリは女を睨み付けて、また変なことをやれば怒るぞと低く唸った。それでも彼女は黙したまま、に見えたが。
「…………っ!?」
唐突に背筋を駆ける怖気に目を丸くする。毛の逆立つうなじを慌てて押さえると、前の二人にも異変が生じる。
明らかに後方を意識したデンジロウと身を強張らせたフュー。トラブルが起きないようにと彼らを囲んでいた兵までもがたじろぐ中で唯一不動の存在が、その場の空気を変えたのだと少女にも理解できた。
先程と変わらぬ姿で、しかし確かに異質な気配を放っている。
小さな、微かな唸り声が耳に届いて、トバリは思わず生唾を飲み下した。
「……ご、ごめんなさい……怒った……?」
素直に謝罪するトバリへ初めてエンジーは目を向けた。
腹が減ったのだと、それだけを告げて前に向き直る女へ、誰も声をかけることが出来なかった。




