第八十三話 貴様、本当にただのプレイヤーか? ~VSストライカー・ケイジ!②~
これで立ち上がるのは何度目か。ただ顔を天に向けて浅い呼吸を繰り返す少女に対してケイジは、自らの好みではないとしながらも対戦相手たるトバリのリングアウト負けを視野に入れ始めた。
石畳のあらゆる所を血で染めて、腫れ上がった顔に視界も殆ど利かないだろう。これ程に痛め付けても立ち上がるのには衝撃的だが、それ以前に音すら上げないことに彼は驚いていた。
(そろそろ気絶もするもんだと思うが、体力が半端じゃあないな。とは言え、もう死亡圏内だぞ)
骨だけではない、内臓も痛んでいるだろう。攻撃を受けた腹部、胸部、頭部は重症のはずだ。それでも立ち上がる少女の手足を折らないのは、彼が闘う意思を持つ者からその手段を奪うことを嫌っているからだ。
しかし。
「聞こえているか知らんが、お前はもうボロボロだ。これ以上、傷を負っていけば試合終了後に衰弱死するかも知れんよ。続けるのか?」
腰に手を当て、トバリに向けて手で示す。やはり少女の耳には届いていないのか、肩を荒く上下させるのみ。
最早、立ち上がるのも反応しているだけかとケイジは苦笑する。ゆっくりと握り締めた右の拳に力を集中させ、上半身を捻り筋肉を絞る。
トバリを昏倒させる為にその腹に風穴を空けるのだ。
(ここまでやった後だ。試合後にどうなるかは知らないが、耐えてくれよ)
火薬の炸裂したような音をその足から轟かせ、風となって迫り打ち出された拳。
しかし、それを遮るように、少女の左手がその打線上に現れる。即座に反応したケイジは拳を解き、こちらの拳を捕らえようとした手、その手首を逆に握り締め、引くと同時に跳ね上げた左肘でトバリの喉を貫く。
嘔吐き前のめりとなる小柄な体は、倒れる直前に腕を出してそれを拒否する。未だそれ程の気力があったかと驚く司会者に対して、紫輪のソウベはケイジの動きに目を見開いた。
ただ速度で圧倒するだけだった男の動きでは無い、相手の動作に合わせるものを見せたのだ。
ケイジは、倒れずに咳き込む少女の背中に獰猛な笑みを向けた。それは、あのモーデルにも等しい野生的な笑み。
「反応したな、トバリ・レンジョウ!」
「――うっ……?」
振り返ると同時に高々と上げた右足を降り下ろす男、その一撃を辛くも転がりかわした少女。
ケイジは笑みを濃くし、左足をトバリの腹に絡めて打ち上げる。それ自体に威力は無い、しかし空で無防備となり、驚く顔に口を閉じろと忠告する。即座に打ち込まれた五指がトバリの服を貫きその臓腑へ潜り込んだ。
「何をしているか、ケイジ!」
思わず叫んだソウベの目に、血を噴き出し投げ捨てられる少女の体が映った。
ケイジはその声に特設席をちらと見やったが、その目はすぐにトバリへ戻される。傷付き、跪き、されりとて倒れ伏すことを拒否するその姿勢、勝負を諦めぬその闘志。
傷付いてこそ更にその感情が強化されている。否、成長しているのだ。
「ならば叩かねばなるまい、ならば打たねばなるまい。トバリ・レンジョウ、高が小娘とどうして捨て置けようか。
貴様の覚悟、何を持ってか知らんし興味も無いが、この俺を相手に退かぬと言うならば、立って見せろ!
打ち込んで来い! お前の目指すがこの俺で無いと言うならな!」
垂れ落ちる赤い雫。糸引くそれを見つめていたトバリは、耳鳴りの中に確かにケイジの言葉を聞いた。
力無きと思われた四肢が、トバリの叱咤に応えるべく力動する。
(あ、あたしは、こんなんで止まれない、止まらないんだ! あたしは、……ヒーロー……!)
「…………、フュー、に…………! うっ、ぐぅうあああっ!」
立ち上がる。
その咆哮に自らの名を唇から読んだフューは目を丸くし、メイドらはそのガッツに少女と同じく雄叫びを上げた。エンジーの眼もぎらりとした光を見せる中、ソウベやモーデルが驚きと喜びの笑みを浮かべる。
よくぞ立った。
歓声の上がる会場を代表するように優しき笑みすら見せたケイジを、腫れた瞼の下から睨み付け、指を突き付ける。
「い、いい、いつまでも、あんたに構ってらんないんだからっ」
「くっ、くくくっ、ようやく勢いが戻ったな。それで良いんだ、予想外の楽しみをお前には教えて貰えて――」
「だーりゃっ!」
笑い語ろうとする男に向けて回し蹴りを放つ少女。せっかちな奴だと一笑に付し楽々とかわし、反撃とばかりに連続で伸びた拳を身を反らしてこちらもかわすトバリ。
先程まで打たれるだけだったはずの少女の動きに会場すらもざわめく中、ケイジが見せた笑みはトバリを見守ったものでは無い。獲物を見定めた捕食者に通ずるものだ。
「カウンター!」
「阿呆が!」
かわした勢いをそのままに裏拳を叩き込もうとしたトバリ。
直撃した。そう感じたのも無理は無いだろう、確かに触れた拳先、それの動きに合わせて滑るように避けたケイジ。伸びる腕に潜り込むと足を払い面を掴み、後頭部を対盤へ叩き付ける。すんでの所で反応したトバリは片手で頭を守るも、その身を一転させる程の勢いに面食らう。
驚いている場合か。
嘲笑するでもなく上がる顔へ膝を叩き込む。跳ね上がるその体、しかし膝を両手で受け止めた少女の目はしっかりとケイジの両眼に向けられていた。
起き上がらせてくれるとは有難い。
男の繰り出す三連続の左の拳を受け、あるいはかわし、ケイジの襟元にかじりついたトバリが身を反し、一本背負いを放とうとする。しかし男の足は対盤に吸い付いたように持ち上がることは無い。
「う、嘘っ。あたしが上げれないなんて!」
「手本を見せてやろうか?」
呆れた笑みを見せたケイジがあっさりと少女の身を返し、その胸当てと肩とを掴み、引き下げる。
強烈な握力と勢いに身を崩した隙を逃さず、身を返す動作と足払いを重ねてトバリを対盤に叩き付けた。同時にその体へのし掛かるように肘を当て、一撃。
「ううっ、ぐ!」
「よく、俺の動きに付いて来てくれる。だがな!」
腹に穿たれた穴を狙われたトバリ。苦痛に呻く少女の頭部を掴み引き立たせる。
手負いの獣と言うべき狂暴性は無い。だが傷を負う程に漲る闘志、強豪たるケイジをも唸らせる食らい付きには意志の強さとだけで説明出来るものではない。
「トバリ・レンジョウ、貴様、本当にただのプレイヤーか?」
握る拳に力を込めて、少女の悲鳴に眉を潜める。
間違い無くこの少女は成長している。この試合の中で、飛躍的に。数あるプレイヤーの中にも成長の早遅に違いはあるが、このトバリのそれは異常と呼べるものだ。
まともに打ち合えるかと見えたのもその証明だ。実際には叩き込まれた拳の速度をリズムとして体に刻まれ、こちらの攻撃意識に反応して動いているのだろう。今だけの動きとも言えるが、地力の底上げにはなっただろう。
が、ここまでだ。
弾かれたその身、力を込めて幾度目かの再起を行うトバリ。それも最早、限界だ。その四肢に力無く、立ち上がりこそしたものの、重心も定まらないふらつく姿にケイジは憐れみの目を向けた。
「お前の成長ぶりは驚きだったよ。だが、無尽蔵とも思える体力にも限りが無い訳が無い。お前の傷はとっくに並のプレイヤーなら意識を失う程のものだ。
その傷の痛みと体の損傷を抑える為に、対盤の魔法がお前から体力を奪い続けている。根性論でどうにかなるものじゃない、これが結果と言う訳さ」
肩を竦めるその姿をトバリは睨み付けるが、それも先程までの力は無い。
少女を見据えて拳を構える。音をたてて膨れ上がる体に勝負を決する意気込みを感じ、少女は一心に呼吸を整えようと試みた。
最後の一手が、来る。
鈍る意識に渇を入れるも、それだけで抑えられるものでは無い。急速に陰りが入る視界に少女の中にも焦りが見えた。このままでは見えなくなるやも知れぬと。
「安心しろ、トバリ。そこまで待ちはしないさ」
「えっ、な、何のこと?」
その様子を読み取った男にすっとぼけるも効果無く。
これが、今の俺の最速の一撃だ。
ケイジの言葉に唇を横一文字に引き結ぶ。交差した視線は一瞬か、対盤上の石畳を蹴り跳んで、僅かな残光を残しその音すら飛び越えて現れた男が、少女の顎を正確に打ち抜いた。
かに、見えたが。
(――何ぃ!?)
拳に触れた顎の皮膚を残し、ずるりと崩れるようにその拳先から滑り落ちる。
確かに、トバリはケイジの一撃をかわしたのだ。先刻、彼がやってのけたように。力を失った故の偶然か、液体が零れ落ちるようにその一撃をかわしたのだ。
思い起こすは先の一戦。ヒロコの攻撃を見ずにかわしたあの瞬間。
思い起こすは先の一撃。死に体でこちらの拳に反応したあの瞬間。
こいつめ、察知スキルでも持っているのか。
心の臓の高鳴りと共に口角が引き上がる。
打ち抜く為に放たれた拳を戻すには、それまでに時を要する。彼の力であってもだ。しかしそれは常人であらば隙とも言えぬ瞬きひとつすら挟む間も無い時。
それでも、拳の下で睨み上げる少女は、既に体を攻撃へと転じている。それは、トバリが意を持ち、偶然でも無くその拳をかわした事を意味していた。
(なるほど面白い! 打ってみろトバリ・レンジョウ、この俺もかわしてみせよう!)
空でその身を回転し打ち上げたる拳。
体の僅かな硬直に差し込まれたアッパーを、首を反らしてかわす。
が、その顎先を掠めた拳先は。
(……今の掠め方はっ……不味い!)
下手を打った。
揺れる視界に光が狭まり、視界が潰れる。ぐらりと揺れた体に思わず膝を付く。全身が対盤に沈み込むような感覚に寒気を覚える。
たったの一撃。自らの勢いに合わさった、当たり所が悪かった、それだけでは無い、何よりこの少女の一撃の重さは。
「――ケエェイジッ!」
叫ぶと同時に迫るトバリ。最後の力を燃やすかその目に取り戻したであろう輝きを思い浮かべ、ケイジは咄嗟に頬を引き吊らせ、拳を放つ。
届く距離でも無い、ただでさえ立ち上がりもしない死した拳を受けた所で止まるはずの無い少女の体を、触れることすら無く弾き飛ばした。
『な、何だぁ! 今、触れずに――、魔法を発動させたようにも見えませんでしたが、超高速の魔法か、それとも拳圧とでも言うのでしょうか?
迫るトバリ・レンジョウを弾き飛ばし――、ああっ!』
対盤上に倒れまいと堪えるケイジ、その目に弾かれたトバリが倒れること無く堪えた姿を認めて思わず苦笑する。
まさかこれ程までと、誰が思うだろう。
(まさか、ケイジめ〝あれ〟を使うとは。いや、驚くべきは小娘、咄嗟の一撃とは言え、あの体で耐えたのか!)
血で染まった上半身。荒い呼吸を繰り返し、苦笑し見上げるケイジを見下ろすトバリの姿。先の追撃、正真正銘の最後の一撃とすべく追い縋ったにも関わらずそれを止められたのだ。
ケイジからの予想外の反撃を受け、その振り絞った気力も失われたかに思われたが。
「…………、くっ。うぅうううわああああーっ!」
二度目の咆哮。左の拳によりかち上げ、続け様の打ち降ろしの右が無防備な男の顔面に叩き付けられた。
石畳の上を跳ねたその体。急所を打たれ、更なる急所への恐るべきパワーを秘めた拳を受けて、ケイジは完全に沈黙した。
へたりこんだ少女に、対盤外で事の成り行きを見守っていた審判者が駆け寄り、意識を失い戦闘不能となった男の姿を確認してトバリの勝利を高らかに宣言する。
『ア、ア、アンビリーバブル~! 大変な大番狂わせです! まさか、まさかのストライカー・ケイジが! 何と言うことでしょう!
敬愛すべき我らが町の長たるベレンディ! 彼女の招いた人選は本物だーっ!』
自らの勝ちが確定すると、笑みと同時に白目を見せて意識を失った少女へ大歓声が送られた。
戸惑いの声も有るが、ストライカー・ケイジは帝都オレンジエッジで開催される公式大会でも数多くの実績を持つ。そのケイジに食い下がり、ここまでの戦いを繰り広げたのだ、認めない訳にはいかないだろう。
「まさかな、ケイジの奴め、ここに来て加減を間違えてるか。次の相手が分かっててしくじるとは」
ソウベは結果に対して残念そうな口振りであったが、その顔には笑みが浮かんでいる。
確かに番狂わせであるが、楽しめる見物だったとソウベは笑うのだ。
「うっそだー、帝都聖杯祭常連のストライカー・ケイジに勝っちゃうワケぇ?」
素頓狂な声を上げたフューであったが、視界の端にエンジーの姿を収めて嘆息する。
どれだけ低く見積もっても彼を上回る実力を持つであろうエンジー。ただでさえトバリの体の傷、次の試合までに回復する見込みは無い。
(気合と根性で乗り切っちゃえる相手じゃないのよねえ。て、言うか、乗り切って欲しく無いんだけど)
エンジーのトバリに対する執着は目を見張るものがある。あれを前に勝ち上がることは無いとするも。
「まあ、良いわ。次の相手は、割りと楽に落とせそうね」
彼女の視線の先では、ケイジの敗北を、トバリの勝利を信じられぬと見つめるデンジロウの姿がある。
演技で言えば大一番、フューは冷たい笑みを浮かべていた。




