第七十一話 夢の世界でトイレに行くわけ無いでしょ! ~夢の世界の特別性?~
朝日を浴びて、橋の町へと戻ってからのフューの動きは早かった。
自らの回収した薬草とトバリの回収した薬草を合わせて依頼主となる店へと提出し、受け取った報酬六千メダルをトバリへ手渡した。二銀貨六枚を揃えて喜ぶ少女にとっととしまえと注意を促して、今度は武闘祭の登録だと外を目指す。
慌てて後をついていく少女に対しては、いつも通っている露店とはまた別の、大通り裏に並ぶ露店の様子を見ておけと言う。
「そこらへんに刺繍してくれるお店があるからさ、どこが良いか選んでおいてよ。そのマントもかっこ良く仕上げないとね」
指し示すフューに、トバリは以前の言葉を思い出して自らの外套を見下ろした。無地の黒いそれは、そのままでも少女にとって格好のついた代物であったのだ。しかし武闘祭といった祭典に出場する以上は、衆目を浴びたい、目立ちたいと思うものだ。
トバリは彼女の言葉にひとつ頷き、いつもの通りとは外れた露店を目指して勢い良く駆け出して行った。ぶつかるのではないぞ、と声を張り上げてそれを見送ったフューは会場へと向かう。
武闘祭会場は、以前あったテイマーズバトルと違いキャンディロードの中央付近に施設として建設されている。規模で言っても比べ物にならず、出場する参加者は軒並み優れたプレイヤーだ。普段ならば数ヶ月も前に開催される予選大会を勝ち抜けての出場となるのだが。
フューは施設内に運ばれる資材をあれやこれやと指示する女へ近づく。ここ、キャンディロードの町長であるベレンディだ。
昨日に行われたこの女とのやりとりは短いものだったが、そこから察したがギルド〝タナトアルの夜明け〟の傀儡であろうと言う事だ。町長である女をただメッセンジャーとして選ぶとも考え辛い。弱みを握られている立場にすらなっているであろう事は明白だった。
恐らくは、権力を握るためにギルドを利用した所で、逆に弱みを握られ町の情報の入手や都合の良い小間使いとして、ライネンらから使い潰しの駒とされているのだろう。
「昨日ぶりですー、町長さん」
「は? ああ、フュー様でしたか」
背後からの言葉に明らかな不快感を示した顔と声とを出したベレンディだったが、相手を見定めてすぐに愛想笑いを浮かべる。テイマーズバトルでも司会をやっていた男に後を任せ、何かご用かとフューを連れ出す彼女に、一緒にいるのを余り見られたくないのだろうとほくそ笑む。
「いや~、三日後の武闘祭、町長様のおコネで何とか出場枠、ふたつ取れないかなーって」
「武闘祭、ですか? ……申し訳ありませんが、それは……」
「なんでよー。町長さんのお顔を立てて、わざわざ私は、あの〝一鉄〟の所まで――」
「あああ、ちょっとちょっと! 何を考えているんですかっ!」
声が大きいと、慌ててフューの口を両手で覆い、辺りを見回すベレンディ。フューはそれすらも予想通りだと意地の悪い笑みなど浮かべながら逃れて、何か不味いことでもあったかと惚けて言う。
睨み付ける女に対して肩を竦め、回りくどいことは止めにしようかと目を細めた。自分の願いを聞いてくれないのであれば、ギルドに告げ口をする。
単刀直入な脅しの言葉を転がすフューに、ベレンディは青ざめ、次いで顔を赤く染めた。彼女の怒りを感じ取るも、それに付き合うつもりはないとフューはその喉元に指を突きつける。
「色々あって急いでるからさあ、お願いね。それにテイマーズバトルの優勝者とその〝お付き〟ってんなら、あんたの一存でも入れ易いでしょ」
どこか棘のある言い方に、前日の言葉を根に持っているのは確実であったがベレンディがそれを知るはずもなく、渋々ながらといった様子で首を縦に振る。
「……承知致しました……、しかし、ギルドの事はどうか、ご内密に。それにこれ以降はもう、そのような脅しを聞き入れる気はありませんよ」
「そりゃ無理ね。あんたがライネンやゲイリックより偉くなったら考えるわ」
見下した笑みを残して踵を返す。ベレンディはその姿を憎々しげに睨みつけ、フューもまたその怒気を背筋に感じながらにやりとした。
御し易い女だ。次は飴を用意せねばなるまい。
この町での大きな情報源となるギルド、タナトアルの夜明けよりも危険度を低く、情報を搾取できる相手としてベレンディを記憶する。恨みを買うだけではどのような行為に及ぶかも分からない浅はかさも彼女から感じ取ったフューは、どうやってその機嫌を直すか、その考えごとすら楽しみつつトバリの下へ向かった。
一方、フューが行っていた事など露知らず、目的となる刺繍屋とやらを見つけた少女は唸っていた。
例として展示される龍や虎、大樹に海などが施された布地を並べたそこに、関心も強く見つめている。品を出していた店主は赤い絨毯の上で、こんなものもありますが、と人の顔や柄だけが描写されたものも提示する。
「やっぱり、ここが一番いい気がする」
「ありがとうございます! どのような刺繍が良いかお教えいただければ、場合によっては私お薦めのお店もご紹介いたしますよ」
トバリはその言葉に、自らの利益よりも客を優先するのかと思わず喜んだ。そのような対応をするからにはきっと、良心的な店であるに違いないと考えたのだ。
実際の所、良心的な店ではあるのだが。
ここ、キャンディロードでは個人が露商を行うには厳しい場所だ。ただでさえ店が多く、場所も取るにも苦労する。なので個人営業を行う者同士が、ギルドとは違う形で協力し合い場所を取る臨時的な提携の形が多く見られた。この場合、この店の者が紹介するのも自分と縁ある店だろうから、紹介料も頂くつもりであろう。
少女がそれを知る由もなく、ここに決めたとばかりに刺繍の内容を考えている所でフューが合流する。
「このお店にしたの?」
「うん。どんなのがいいかなぁ、やっぱり強そうなのが良いよね? ほら、こういうドラゴンとか!」
「…………、えぇ? 趣味悪いよ」
店主の前で何を言うか。
思わず声を荒げた少女に対し、逆にこちらが申し訳なさそうに構いませんと刺繍を並べた男は言う。トバリは場所によってはこういう発言も平気でするフューが許せないようだ。おそらくは普段、失言した直後に修正を受けている恨みもあるのだろうが。
フューは少女の様子に構うでもなく、実はすでに候補があるのだとフューは薄黄色の紙を取り出した。僅かな棒切れに背の鞄から取り出した小瓶、その中身をつけてすらすらと絵を描いていく。
「ほら、この輪っかが月桂冠ね。月桂冠、わかります?」
「ええ、勿論」
「んでさ、その中に鳩を描いて欲しいの。足は月桂冠の下端を掴む感じで……残りの体は……尻尾とかが輪の外にある感じ?
ほら、月桂冠の裏から出ているような感じで、頭は前に出てるような」
輪を避けるようにして、その外側に鳥の尻尾を描く。簡単な書き方ではあるものの、詳細の分かり易い絵だと少女は素直に彼女を褒めた。
フューは勝ち誇ったような笑みを浮かべて、どんなもんだと薄い胸を張る。その様は悔しく感じられたが、トバリとしてはこの絵を嫌いになれなかった。龍のような力を示した厳つい絵よりも、鳩だといつでもどこでも伴えるものだと気に入ってすらいたのだ。
「……なるほど、それならば、こう……羽ばたいているような形が良いのではないでしょうか」
「それは要らないかなぁ、トバリちゃんまだまだひよっこだもんねぇ?
ぽけっと突っ立てる鳩とか良い感じに平和ボケなイメージ出ててさ、君にぴったり」
「なにをう!」
膨らんだ頬を突き、笑うフューの顔に少女もつられて笑う。
気に入って貰えたなら上々だと少女の様子に答えを知り、フューはこの刺繍を大きくトバリの外套に作ってくれるよう依頼する。男は大きさを見て、これならば半時間ほどで仕上がると言う。
「えっ、そんなに早く仕上がるものなの?」
「まあ、魔法も使いますから」
柔らかな笑みを浮かべる男になるほどとばかりの少女。お代として示された七千メダルにフューはトバリの脇腹を肘で小突く。間抜けな声を上げたトバリはようやくその代金に気づいたようで目を丸くしたが、やはり都会は高いものだと納得したのかあっさりとそれに応じる少女に肩を落とす。
作業時間は短かったとは言え、依頼を受けて稼いだ金額、それを上回る料金なのだ。本来はここ、と決める前に自分の持ち金と相談して場所を選択するものだ。それに対してあっさりと銭を出すのは金銭感覚がずれている、というよりも餓死しないというワンダーランドの性質を軽視しているのだろう。
特にこの少女の所有している大食スキルは厄介だ。食事をすることで能力値が向上する反面、食事をしなければ一定時間行動が不可能となる、いわば行き倒れ状態となるのだ。その危険性を正しく把握し、対策を練って欲しいと願っているのだが。
露店の男に促されて椅子にちょこんと座る少女に、これでは先が思いやられるなと軽く頭を抱えた。
(ほんと、私がいなかったらどうすんだろうね)
手の掛かる娘だ。そう考える傍ら、簡単に交友関係を広げている様を思い浮かべる。素直故に率直、だからこそ人当たりも良いのだろうか。
自分の知らない所で簡単に友人作りを勤しむ少女の姿を思い浮かべて、何となく感じる不満に苛立つ。自分も、まだまだ子供なのだろうと稚拙な独占欲を恥じた。
「トバリちゃん、私、そこらへん回ってくるから」
「あ、うん」
片手を挙げて、目的もなく歩みだした彼女の背を見送るトバリ。最初はそれに思うことは無かった。振り返れば自分の背でせっせと作業に励む男が、魔法を使用して多数の針を浮かべている光景にも新鮮味があって面白い。
しかし、その胸には一抹の不安が残る。
どれだけ普段通りの行動であろうと、どれだけ明るく努めようと。昨夜の、否、ずっと以前から感じていたフューの心根が、少女に不安を与えるのだ。
誰も必要としない、自分の内に入ろうとする者を拒絶する冷徹な心。それが、彼女の本性だとトバリは僅かながらも考える。否定したい気持ちはあるが、時折見せるその顔が、関わって来た人間ですらもあっさりと見切りをつけるその行動が、全てを否定させてくれないのだ。
だから今も、このままフューが自分から離れて消えてしまいそうな不安に駆られる。
「…………、おや。トイレですか?」
「えっ」
「いえ、そわそわしてらしたので」
「夢の世界でトイレに行くわけ無いでしょ!」
「ええ?」
少女の言に男は困惑した表情を見せるが、それはどうでも良いのだと腕を組む。再開される作業にしかし、待つだけでは不安が大きくなるだけのトバリは我慢が出来ないと口を開いた。
刺繍を中断させると暇そうに腰の鞄から顔を出していたヤモりんを椅子に乗せ、自らの外套を剥いで符へ戻すと、友の背中にべたりと貼り付ける。
即座に生成された布にヤモりんは驚いて首を回すが、それをがっしと掴んで固定する。
「いい、ヤモりん。動いちゃ駄目だからね。約束!」
「……いえ、あの……これ噛み付きませんか?」
不安を覚える男に大丈夫だと今までのことを省みずに少女は言う。
先程までと違い椅子の下に広がった布地から、やりづらそうに男は手を伸ばす。
トバリが離れて数秒後。
響く悲鳴にやっぱり、などと思いながらも少女は止まることなく走り出した。




