第六十九話 じゃ、後はゆっくりと地虫の餌になってね ~亜人殺し、その名はフュー!~
「……えっ……」
フューの、その言葉を聞いた時、トバリは我が耳を疑った。激昂するでもなく、ふざけた調子でもなく。
ただ当たり前とでも言うような、平坦な声音で彼女はそう言ったのだ。殺人を、当たり前のように述べる彼女の姿はトバリにとって、見慣れた姿とかけ離れた別人にすら感じられた。
そう、それは亜人を殺すというだけではない。邪魔するならば人と認める少女をも殺すとフューは言ったのだ。
「どうして、フュー。だってこの子、弱ってるし、何にも出来ないよ。殺す事なんてないよ」
「それがあるから、こうやって殺すってんでしょうが。君は知らないだろうけど、亜人ってのはとんでもなく危険なモンなの。今、何も出来ないならそれは殺す好機に他ならないの」
「わかんないよ、フュー。亜人ってこんな、こんな弱ってる子を殺さなきゃいけないぐらい危険なの?
それにあたし、あたしは……、……人を殺してるフューを、見たくないよ」
その願望。それはトバリにとって切実な思いだった。フューは言葉を切り、口を閉じる。
湿り気を帯びた風が周囲を包み、ざわめく木々の枝から覗く月光が、彼女の顔を映し出した。
怒り。少女を睨みつけて柳眉を逆立て、歯を食いしばるその形相は、今までトバリが見たことの無い表情だった。不快感を露にしても、眉間に皺を寄せるだけであったり、ただ見下すような視線であったりしたが、ここまでフューが感情を覗かせるのは初めての事だった。
蛇に睨まれた蛙のように硬直する少女の前で、フューは再び槍を召還する。
「なんにも知らないガキが偉そうにさあ。調子に乗らないでよ」
心臓を鷲掴みにされた。そう感じる程、彼女の言葉が突き刺さる。
風が止み、再び影に隠れたフューの顔。トバリはその目に、少女が案内人と慕う男と同一の鋼の意志を感じ取った。何者にも曲げれず、折れない、生きる上での道標とも取れる明確な意志。
案内人のそれをトバリは知る事が出来なかったが、フューの場合は、この亜人を殺す事に自らの意義があるとでも言うのか。そう、感じ取れたのだ。
ならば、だからこそ。
トバリは亜人を抱き寄せて、それを守るようフューに背を向けた。盾を構えるでもない、それが無意味な事を知っているのだろう。だからこそこれは、フューの意志に対するトバリの精一杯の抵抗だったのだ。
殺すならば殺せ、ただ自分は退かない。
恐怖はあるのだろう、か細く震える体に顔を背ける事しか出来ない少女は、ただその時を待った。
「…………、アホくさ」
やがて。
途方もないとも感じた沈黙の後、あるいは一瞬でしか無かったかも知れない間において、呆れたとばかりにフューは言う。槍を消し、動けずに居る少女を一瞥し、舌打ちする。
「面倒は君が看てよね。私はやーよ」
槍をかき消したフューを驚いたようにトバリが見上げる。鉄帽を剥ぎ、苛立たしげに頭をかくその姿に少女はお礼を述べた。
その言葉。フューが肩越しに振り向けば回復薬を亜人へ飲用させる少女の姿がある。回復薬は体の治癒力や抗体の機能を上げる働きがある為、毒の種類によっては有効だ。特にここにある毒草は毒性の強いものではないので、十分な効果を発揮するだろう。
そんな所で、何故、強者たる亜人が倒れ込んでいたのかは疑問であるが。
(ギルドに追い詰められたか、内輪揉めか、どちらにせよ除くにはトバリちゃんが邪魔ね)
目を閉じたまま、穏やかな呼吸へと変じたその者に心からの笑顔を見せる少女。それが非常に不愉快に感じられた。
さっさと一人で草を踏み倒し、寝床の用意を始めるフューを遠巻きに見ながら、トバリは湖に浸した外套で亜人の血を拭った。こちらも同じく見よう見まねで草を踏み倒し、ヤモりんのスカーフとして使用していたぼろ布の小型化魔法を解除して布団とばかりに敷き詰め、亜人を横たわらせる。
「……今日はもう、寝るね……薬草は明日で全部集めるよ」
「そう」
「……あの……ありがとう。お休み、フュー」
再びの言葉に、何のお礼だと不機嫌にフュー。
こちらに背を向けて寝そべるフューは虫除けの類か、何かの置物を投げて配置する。形成された魔法陣に何事かと面食らった少女であったが、何も言わぬ彼女に倣うように、言葉無く亜人の隣に横たわる。
言葉を返さぬ彼女の背中が無性に寂しくて、再び声をかけようとして止める。また明日になればきっと話せられる、話を聞いてくれるとトバリは思ったのだ。
目を閉じ、この世界では今まで無かった寝苦しさを感じたが、やがてはそれもまどろみに消えた。
それから幾らの時が流れただろうか。
三人が寝ていた場所で、ただ健やかな寝息をたてているのは一人だけとなっていた。
寝床から離れて森の奥、大河シロップストレッチを目指す影があった。その姿形に似合わぬ重い足取りで、時偶に転倒するその者は、先程までトバリの隣で寝ていた亜人であった。移動する体力は戻っても体調は芳しくなく、その衰弱ぶりに目をつけられたか、亜人の姿を見かけたトライワームは鈍足ながらもその後をついて回る。
それらを気にかけながらも森の脱出を目指すであろうその者が、深緑の奥へ誘われている事を気づく様子も無く。
「本当にさあ、理解出来ないんだよねー」
不意に響いた女の声。獣顔の者が月夜に輝く目で声の方向へと振り返った。
同時にその喉笛を、刃先が広がった奇異な形状のナイフで横に切りつける。刃の形に沿って抉られた皮と肉はぱっくりと開き、その毛に包まれた喉元は朱に染まった。
「ありゃま、あっさり切れんのね」
「…………!」
どうでも良さそうな声と、つまらないものでも見るかのような無機質な瞳。亜人がその意味を理解するでもなく、ただ自ら零れ落ちる命を留めようとするように喉元へ両手を伸ばすのを見計らい、フューは鋭い息吹と同時に捩れた刃を持つ短剣をその腹へ突き立てる。
これもまた、あっさりと刃が通るものだ。
感心してでもいるかのような台詞と共に腹の肉へ刃を抉り込み、握りを両手で掴む。その形、開いた動きにそれが鋏を模した二枚の刃を合わせ持つ武器だと知れるが、視認すらできなかった被害者はわからぬままだろうか。
腸を引き裂きながら別つ柄に、鍔部分が新たな握りとして現れる。通常の鋏と違い、内側だけでなく外側にも刃を持つそれは、握りを掴んだままフューが引き抜く事で腹を大きく裂かれた亜人。そこから溢れ出る内臓と狂おしい程の濃密な血の臭いとが周囲に充満した。
崩れ落ちるそれを足で蹴って仰向けにすると、すでに虚ろな目が僅かに動いている。
「……ふぅー……」
息を吐き、鉄帽を脱ぎ、疲労感を露に亜人の頭の隣に座り込む。膝に頬をあてて亜人の顔を覗き込めば、僅かに歪み血を零す口から覗く歯が見えた。常人と違い、鋭い歯の群れを見下ろしてもう一度、溜息を吐く。
そう恨んでくれるなよと、フューは言い訳をするように一人ごちた。
「別にあんたが憎いワケじゃないけどね。駄目なんだよね、亜人だけはさ。殺さなくちゃイケナイの。
まあ今回は運が無かったと観念して、全部キレイさっぱり忘れてさ? 次は前向きにがんばってね」
刃についた血を拭う。本来ならば放って置けば、その者の命と共に光となるのだが、生命力の非常に高い亜人の場合はすぐに消える事は無い。
血を取り除かれ、月光に晒される刃。それは明らかに通常とは一線を画する思想で作られた武器であった。傷口を大きく開く為の短剣、抉り突いた場所を内側から切り捌く鋏。
以前、体に爆弾を植えつけるような魔法を扱うプレイヤーをまともではないとフューは非難していたが、この武器にも同じ事が言えるだろう。
だがそのような武器であっても、そうそう刃が通るような相手ではないのだ、亜人というものは。だからこそ僅かな傷でも出血量を高める為の武器を使用し、彼らを弱らせる必要がある。
「ほんと、なーんでわざわざ自分から、守ってくれる人の下を離れるのかねえ。ねえ、なんか理由あるの?
…………、喋れないか。喉、ごっそりいかれてるもんね。ここらの毒草ごときであんたらが弱るワケもないし、町で亜人撲滅ギルドから毒でも盛られてたりして、ね」
お陰で楽は出来たがと、彼女は嘯く。自分たちの周囲に張った結界は虫を近づかないようにする為だけでなく、深い睡眠へ結界内の者を導いたり、結界の外の音を遮断する効果があるのだ。
それを用いて色々とこの亜人を殺害する為の用意を行おうとしていたのだが、結界の効果もなく目覚めたこの者は自ら外に出てくれた。だからフューは計画を変更し、嘆きの湖から大きく離れたその者を始末しようと考えた。
そして。
高まる死の臭いに誘われて、地べたを這う虫共が、亜人に触手を伸ばす。警戒心は強いが種としての特徴には逆らえないのだろう、伸ばしたそれで相手の様子を窺いながら、続々とその周りに集まり、その大きな目玉をぐるぐると回した。
「じゃ、後はゆっくりと地虫の餌になってね。グロいから私もう帰るわ。チャーオ~」
自分にも触手を伸ばし始めたトライワームを蹴り飛ばし、フューは気楽な声で別れを告げた。
そのまま彼女は振り返る事もなく、欠伸などして寝床へ向かう。群れる虫共の不快にも感じるはずの肉を抉り、啜る音に、胸がすっとするような爽快感を味わいながら。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「いやお前、何で追って来るんだよかっこつけた意味無くなるだろうがこの野郎」
「野郎じゃねえよ」
薪を使って暖を取り、シート荒野の凍える夜を過ごそうとしたアンダルーシカらの前に、薬で回復したランナードラコの黒ちゃんとダイテツが降り立つ。
その顔を見るや早口で捲くし立てるアンダルーシカだったが、ダイテツの傷に気づいて顔を曇らせた。深々と抉り切り開かれた顔は、回復薬を飲むには遅かったか下顎から左目付近まで大きな痕が残る。以前からのものも合わせて十字に裂かれたような傷跡だ。
「ほらよ、こいつは返すからドランに渡してくれ」
回復薬か。受け取った皮袋に、気にする必要もないだろうにとアンダルーシカは嘯く。当のドランはグレンと共に夕飯探しに勤しんでいる。
それで、何の用だ。
薪を継ぎ足しながら睨みを利かせた男に、ダイテツは言うまでもないと彼らの真意を問い質した。何の為にこのシート荒野に居るのか、それも別番隊の者まで集めて。
「別に難しい事じゃあないが、俺ぁドランやグレンとは昔っからの付き合いだからなぁ。今回の任務としては気心の知れた連中で固めた方が、危うくないと思ったのさ」
「その任務の内容を聞かせてくれよ。今は仲間、そうだろう?」
「けっ。ま、いいさ。聞いても俺に切れるんじゃねーぞ。
俺らの任務はお前らヘイズの三番隊を餌にして、黒の集団の頭数を減らすってーもんだ。ちなみに一般のプレイヤーを見殺しにする事も許可は得てるぜ」
男の言葉に目を大きく見開いた。予想をしていなかった訳では無さそうだが、それでも衝撃はあったのだろう。力なく、そうかと言葉を返して地べたに座り込む。
そんな彼女を気まずそうに見つめて、アンダルーシカは言葉を重ねた。これはギルドよりの命令であるが、依頼を出したのは帝都だと。
「……おい待て、帝都だと……? 何でそんなもんに手を貸す算段が出ているんだ。俺たちのギルドの理念は!」
「〝属されず、属しない。ただひとつを以って事に当たるべし。故にギルド、世界の剣と盾を名乗る事〟。だろう?
古臭いって話だぜ、我らがギルドマスターによればな」
「トワが言ったのか!」
「おいこの俺の前でトワを悪く言うんじゃねえぞアバズレ女」
凄む男に、名前を言っただけだろうと唾を吐く。その態度が言わんとしている事を示しているんだと不機嫌そうにアンダルーシカは唸った。
だが今回の作戦、彼も元より乗り気ではなかった。彼の愛するギルドマスターの言葉であれば、何の問題も無く当たったであろうが、ことは帝都よりの依頼だ。ギルドの理念などアンダルーシカにとってはとるに足らぬものであったが、権力に動かされるのは腹立たしい。
特に、今回、この話を持ってきた者達は、彼にとっては仇とも呼べる相手だったのだ。それはおそらく、このギルドに所属する面子の多くに当てはまるだろう。
「とっとと戻った方がいいぜ、ボケテツ。もう会合までは時間がねえんだ、あいつら――十器が一気に話を進めるぞ」
「十器? 話を進める? 何のことだ」
内容が掴めずに問うダイテツに、これ以上は言わぬと口を閉ざすアンダルーシカ。
彼の言葉の意図の全てを理解出来た訳ではないが、会合までの時間はないと彼は言った。そして、事態が一気に進むとも。
(今回の会合、連絡無しに早めてヘイズ抜きで何かやらかそうって話なのか? そこに帝都、いや、十器が絡んでる?)
思案することさえもどかしい。事態の正否を確認する為にもと通信用のマジックアイテムを取り出すが、全く機能しない。
困惑するダイテツに、始まりの町ドリームホップを発つと同時に通信用のマジックアイテムが壊れるよう、妨害系の術式が張り巡らされていたのだとアンダルーシカは笑う。
町に入ると同時に影響を与えるが、町の中では使えるよう魔力の流れを制御している。そのせいで発覚が遅れ、更には通信妨害能力を持った術式を破壊した事で問題はなくなったと彼らに思い込ませていたのだ。
「黒の集団にゃトンでもねえ術式使いがいやあがる。だから俺ぁ、始術士レイトが奴らの頭だって睨んでるのさ。ただの癖の強い複雑な術式だけじゃあねえ、巷に広がってないようなマジックアイテムも使ってんだからよ」
「知るか、そんなンよりもまずはヘイズと合流しないと」
「まあ、待て。聞けよダイテツ。俺らぁ〝ギルド戦争〟で敵同士だったがよ、今は味方だ、だから言うんだぜ?」
帝都と十器、そして黒の集団。そこにワンダーランドを恐らく一番知る人物だと目されるレイトと、更に、更に恐らくは。
魔王だ。アンダルーシカはその言葉を口にする。帝都により戒厳令を敷かれ、口にするだけで罰則の対象となった存在。それすらも今、動き出そうとしているのだと。
ダイテツとしてはそのような陰謀論とも取れる与太話、聞く気は無いという気持ちが強いのだが、アンダルーシカはそんな彼女に指を突きつけた。
「今回の会合で、俺の言いたい事もわかってくれるさ。ヘイズもな。黒ボケどもの騒動の陰でコソコソやってる奴らがいるんだよ。ぜーんぶひっくり返されるぞ、今までのワンダーランド、その全部がぁな。
今の内に自分に協力してくれる奴ら、見極めた方がいいと思うぜぇ?」
「…………、ありがとうよ。忠告は、受け取っておくぜ」
胡散臭い。その考えを拭う事は出来なかったが、彼らの動きに対する不安を知ることが出来た。
どちらにせよ今回の一件に帝都が絡み、また敵を倒すことを主として救うべき者を見殺しにしても構わないとギルドが判断を下したのならば、それはヘイズに報告すべき一件となる。
問題はその連絡手段が無いことだ。アンダルーシカの言葉を勘繰れば、おそらくギルドでも影響力のあるヘイズを蔑ろにし、帝都側の意見を通そうという動きがあるのだろう。このままではドリームホップに戻りヘイズと連絡を取り合った所で会合には間に合うまい。
頼みのカンナの転移アイテムも、再使用に時間がかかるなら一旦ヘイズらと合流しなければならず、これで開始前に着けるかどうかだろう。
疲弊しているであろう黒ちゃんに再び気張るようにと声をかけ、その背に跨がる。
「あばよボケテツ、また奴らと出会さんようになぁ!」
アンダルーシカに取り合えずと手を振って黒ちゃんを走らせる。
その後ろ姿を見送って欠伸をひとつやりながら、アンダルーシカは唇を歪めた。
「ま、俺も会合にゃ出るんだけどなぁ。ワープもしてやれるが、トワの邪魔になる奴らにそこまで親切は出来ねえよなぁ、けっ」
埃っぽい大地に寝そべる。
アンダルーシカは自分達のギルドの会合にヘイズが間に合う事を、出来うるならばいけすかない十器の連中を慌てさせてやりたいと、そう考えていた。




