第三十七話 シュヴァリはどうした! ~そして何かが変わりだす!~
薄暗い洞穴を歩く。なにも履いてない裸足だと、足の裏に食い込む岩肌が苦痛で堪らなかった。
どれだけ歩いてきたのか、振り向いた先に光はなく、かと言って進む先にも光はない。
それだと言うのに、まるで導かれるように歩みは止まらない。
「……うう……ううう……」
奥の奥から響く低い呻き声。
それはとても苦しそうで、苦しそうで、助けなければならないと、自分が力にならなければいけないと、そう思うのだ。
暗闇の中を声に向かって、一歩、また一歩と進み続ける。
不意に声が止んだのはなにが切っ掛けか。暗闇の中、自分以外の気配が消えたことの恐怖感。
闇の中に取り残された孤独感。堪えられず呻いていた何者かへ声をかける。だがそれは闇に消えるだけだ。
恐怖に身動きできず、ふと、思い浮かんだ名前。藁にもすがる思いでその名を叫ぶ。
その名もまた、闇に消えるのみ。そう感じるほどの沈黙の後、常闇と静寂の世界に変化が訪れた。
ざわざわというざわめき、粟立つ肌、駆け回る足音、感じる無数の視線。
呻き声の聞こえていた、闇の底のずっと向こうから、それが這いずって来る。
なにも見えないその場所で、音をたてて迫るそれをただ怯えて待ち続ける。
全身を刺すような幾つもの視線が、絡みつく視線が触れる程に感じるまで近づいたその者は、血生臭い臭いを撒き散らした。
ざわめきに感じられたそれは幾つもの絶叫、断末摩となってその身に降り注ぐ。
ぼたり、ぼたりと滴り落ちては地を駆け回る何かが、足を、体を這い回る。
「俺の中を覗くな。道具は道具らしく居ろ」
闇の中に、シュヴァリの左顔が浮かび上がる。それはただ見下して、相手の意思全てを拒絶していた。
べりべりと。
どす黒い血を滴らせシュヴァリの右顔を覆う闇が剥がれていく。中から這い出すそれは、シュヴァリの口内からも、目と言わず耳と言わずシュヴァリの顔を引き裂きながら現れる。
ヨギルはその光景を、ただ絶叫して見続けるしかなかった。
彼女が目を覚ました時、心臓は早鐘のように脈打ち、全身から流れる汗が悪夢の凄まじさを物語っていた。むし暑くすら感じる空気の中で、体の芯だけが底冷えて感じる。
眼ばかりを開いてしばらく。ヨギルがようやくと寝床から身を起こした時も、その動悸は一向に落ち着かなかった。嫌な予感だけが脳裏をかすめて、彼女は右手の人差し指にはめた指輪を見る。赤銅色のそれは、暗がりの中で眩い光を放っていた。
気づいた時、ヨギルは、夢の中と同じく裸足で駆け出していた。
出会い頭の部下を弾き、向かうはシュヴァリが休養しているテントだった。果たして、布を開いたその先には、もぬけの殻の寝台があるだけだ。
「……シュヴァリは……シュヴァリはどうした!」
叫ぶヨギル。歩く黒ずくめを捕まえては同じ問いを繰り返す彼女に、騒ぎを聞きつけたジーンに対しても同様の質問を繰り返すがその行方は知れない。
シュヴァリの消えた寝床を確認して、周囲に彼がいないか人を動かすジーンは、取り乱した様子のヨギルへ歩み寄る。一体、何を見て、何を感じたのか。
ジーンの言葉にヨギルは答えず、右耳に装着するマジックアイテムに触れる。それはザルファロへと繋がる通信機能を有していた。
「ザルファロ、貴様、今どこに居る?」
光り輝くその玉に、ヨギルは縋り付くように叫んでいた。
「……なんだ……ヨギルか、どうした……」
痛む頭を支えてアーグは呻く。
術式を構築し続けた疲労により、日が昇ってもまだ寝床に沈んでいた彼には、切羽詰ったヨギルの声は頭に響いた。
マジックアイテムを用いない魔法は自らが術式の構成を行わなければならない為、非常に神経をすり減らす。その分、彼ら魔術師の扱う魔法は幅広い力を持つのだが。
それで人間関係も解決すれば嬉しい限りだ。
的外れなことを考えていたアーグは、ヨギルの言葉に意識が覚めていくのを感じた。
女の様子とその言葉は、彼から混濁した間を、そして、平静を取り除くに十分だった。
「ヨギル、お前、……それを誰かに……いや、良い。俺がそこに行くまで動くな、ジーンとキバルトを呼んでおけ!
シュヴァリの隊を集めさせろ、今直ぐ一人残らずな!」
アーグの怒りとも感じられる大声に、寝床の下に蹲っていた影が浮かび上がる。
雑音をたてて電光を纏い、その影は上着を羽織るアーグに声をかけた。まるで壊れたテープレコーダーのような声のそれを、アーグは睨み付けた。
「いつからここに居た。あまり意識を飛ばすな」
『…………、フ。デハ、私ハ今、必……ナイ、ト?』
「まだドリームホップか。なのに意識を飛ばせるということは大分、破壊されたようだな」
アーグは仔細を説明しようとした影の言葉を遮り、片手を一閃する。
影はそれと共に散り消えて、男はヨギルの待つ場へ向けて走り出した。




