第三十六話 ぐふっ、ああ、失礼 ~ハジける前の前夜譚?~
一人、円卓に座って頬杖をつく。
会議前のいつもの光景だ。予定された集合時間よりいつも早くこの場に現れる彼は、沈黙の時間に思案を広げ、今回話すべきことがらとともすれば喧嘩が始まるであろう面々を抑える言葉を考えるのだ。
本来ならば喧嘩も起きないはずのこの場で、なぜそのようなことが起きるのか。男は小さく息を吐く。理由自体は明白であったのだが。
「……暗いな……」
なに、いつものことだ。
アーグは笑いもせずにそう言った。最初に姿を見せたのはヨギルだった。手に持つ刀を自分の席に立て掛けて、見るからに機嫌の悪そうな顔で出入り口を睨みつける。
その視線に引き込まれるようにして、ジーンと黒いマフラーで口許を隠した男が現れる。二人はそれぞれ、本来ならばシュヴァリとザルファロが着くべき席に座った。
まだ、シュヴァリの容態は安定しないか。
アーグの問いにジーンは黙って頷く。
「傷ならばとっくに治っているはずだが?」
「ならばそれは、私ではなくヨギル様に聞くべきことでしょう」
挑発するように晒う。
即座に机を叩きつけたヨギル。それを制すアーグに対しても噛みつくように彼女は毒づいた。
その様を見て勘に触る笑い声をあげた男を睨み、報告を求める。
「失敬。ザルファロ様の代理で来ました、レンジです。
ザルファロ様は現在離れておいでですが、アーグ様に伝言として、カラスの足取りを掴んだとのことです。仔細は後程にでも」
「今、話せない訳でもあるのか?」
「ぐふっ、ああ、失礼。目の前に手柄を取り逃した人がいるもので」
ヨギルの問いに答えたレンジ。ジーンは即座に抜剣するかと思うほどの怒りを見せたが、アーグの一喝で黙りこむ。
彼女に失敗を詰られて怒る権利などない。そうアーグが断言するほど、彼女らの犯した失敗は大きかった。
そもそも何故取り逃すという事態に陥ったのか。
アーグの追究にジーンは口を閉ざそうとしたが、そうもしてはいられない。もう一度、呼ばれた名前にしかたなく言葉を紡ぐ。
「……〝あの〟カラスかも知れないと、シュヴァリ様には報告しました。しかし、知らん、と……」
「……貴様……務めを果たせんのなら、そこに居座る意味など欠片もないんだぞ!
ヨギル、どうなっている! シュヴァリは安定していたのではないのか」
頭から怒鳴り付けたアーグは、続いてヨギルを睨みつける。
安定してはいたさ、とはヨギルの言葉だ。しかし、しかしだ。彼女は続ける。あの少女が現れてから変わってしまったと。
あの少女、トバリが現れてから、シュヴァリの精神状態は変わった。ともすれば安定しているとすら思えるほどの落ち着きから、前触れもない変動をヨギルは感じ取っていた。
それを指して不安定と言うのだ。アーグは言葉を返しながらも、シュヴァリの変化に戸惑いを隠せないのは同じようだった。
「仕方あるまい、今はシュヴァリの落ち着きを待とう。ヨギルは隊を待機させておいてくれ、後々、シュヴァリの隊と合わせて行動してもらう」
「了解」
お目付け役か。
ジーンは内心でほぞを噛む。シュヴァリに関して失態を続ければ、別の隊に移動させられることもあるだろう。それだけはどうしても避けたい。
ならばこれ以上の失敗を行わないようにせねばなるまい。アーグはジーンの考えを読んでいたが、それは問題ではないのだ。ちらとヨギルへ視線を向けた後、自分からの報告だと沈む気持ちに息を吐く。
「〝魔王〟が動き出した。追跡者は全て撒かれている」
「それが、私の隊を合同させる理由か。
分散させて捜索させないのは、もう一方の獣だからか? それとも?」
「ああ。先代、いや、〝先々代〟の方だ」
アーグの言葉にヨギルは思わず頭を抱えた。あの下品な笑い声を上げていたレンジでさえもげんなりとした表情だ。
ジーンはと言えば、シュヴァリの変化はこれが原因かと問うが、おそらくは関係が無いとアーグは語る。関係がないというよりも、ひとつの原因に対してそれぞれに影響が出ているのだと。
「魔王がなにをどこまで知っているのかが問題だ、シュヴァリの時とは訳が違う。どうにか身柄を抑えねば、ワンダーランドを潰されるぞ。
ザルファロ隊はカラスの足取りを追え。手が空いた者から順次魔王の探索へ向かわせる。
シュヴァリ隊、ヨギル隊は待機。シュヴァリが安定次第、魔王の探索と〝クラン〟への攻撃部隊とで別けて行動させよう」
「ギルド共はどうする? 手が空いている間でも攻撃を続けた方が良いんじゃないか?
最近は剣盾の頭領に影響されてる正義馬鹿が増えているぞ」
捨て置け。
アーグは煩わしそうに吐き捨てて、まだ見ぬ初心者支援ギルドの設立者に苛立ちを覚えた。
こちらもこちらで無視できない問題ではある。だが、それ以前に状況が悪いのだ。アーグはクランと呼ぶ存在への攻撃と魔王、そしてカラスの対策に重点を置いた。
本当ならばもうひとつ、要素を抜きたいものだと嘆息する。
「私からは以上だ。他に、なにかあるか?」
アーグの問いに沈黙する面々。彼はそれらの顔を順次見回して、解散を宣言した。その際、ヨギルだけは残るように言う。
疑問もなく退出するジーン、レンジに対し仏頂面のヨギル。
言われることを察しているのだろうが、アーグはその顔を見つめて、静かに言った。
契約を破棄しろと。
「…………!」
苦虫を噛み潰したような顔から、やがて怒りか羞恥か、頬を紅潮させた。
しばらく震えた後、それも治まるとようやく、否定の言葉を口にする。想定内のことだ。アーグはこの場だけで何度目かも分からぬ溜息を吐いて、部下のジーンに対して言ったことと、同じことを言わせるのかとヨギルに問う。
それを受けても口を閉ざす彼女へ、アーグは厳しい目を向けた。
「ヨギル、無意味なことをさせるつもりはない。契約を破棄し、責務を果たせ」
「……断る……」
「お前が心配なんだ」
頑なな態度に思わず口を滑らせる。慌てて閉口するが、後の祭りだ。
目を丸くする彼女に対し、アーグは肩の力を抜いた。ただ、ただ単に心配であることを口にする。そして、シュヴァリの影響を受けて不安定になっていく彼女を、見てはいられないことも。
責務を果たせ、随分な言葉であったがと皮肉に口元を歪めた彼女に対して、自身の感情は大局と無関係だと主張する。
「ありがとう、アーグ。けれど、無理なんだ」
我等の目には、常にシュヴァリが映っている。
自嘲して言う女は、そう告げた。彼女を心配しているとするアーグにも、今、口論していた相手にも。否、ここに居る全ての人の目に彼は居る。
忘れることなど出来やしないし、離れることも出来はすまい。ヨギルはもう一度、お礼だけを残して先刻の二人と同じく部屋を出る。
一人、部屋の中に取り残されて、アーグは苛立ちに強く舌打ちした。




