第三十一話 今、決着す! ~VS沈黙のバハムート!②~
右目に受けた短剣。溢れる深緑の煙。
怪物が初めて声を出した。甲高い悲鳴を周囲に撒き散らし、同時に形成した複数の魔法陣から幾重もの水が周囲に射出される。
直撃こそなかったものの、切り裂かれた大地の欠片がトバリに直撃し弾き飛ばされる。
その間も周囲に頭を叩きつけ、苦しみもがく怪物の顔は、短剣を受けたところから溶解を始めていた。だがそれが、致命傷となるのか。
暴れ続けて短剣が抜けた時、バハムートの左目は確かに少女を見ていた。怒りに燃える瞳がトバリの心臓を縮み上がらせる。
頼れる武器のない今、少女の心を守る砦はないも同じだったのだ。
肉どころか骨まで覗かせるに至ったバハムート。口を開き、音なき咆哮が大気を揺らす。
濃霧を従える傷ついた怪物に、トバリは思わず身を震わせた。
今、正に命を奪わんとする者。ただ一個の怒りに身を委ねたその視線が、自らに注がれたことなど少女にはなかった。
他のモンスターと戦った時も、黒ずくめに囲まれた時も、彼らにはなんらかの思慮が感じられた。だがこのバハムートから感じるのはただひとつの怒りだけだ。
憎しみですらない。〝子供のような〟怒り。
(違う、違うぞトバリ。そう感じるのは、相手が大きいからだ。相手が大きく感じるのは、あたしが武器を持っていないからだ!)
自分の心を支えてくれるものがない。だからこそ、敵の感情を感じ取れずにただ巨大と見てとるのだ。それは自分が焦っているからに他ならない。
心を落ち着かせ、迫るバハムートを目前に深呼吸を行う。
相手が怒っているのなら、体当たりや叩き付けが来るのだろう。ならば、それをかわすのだ。
かわしての反撃。武器のない状態で狙える点。それはそう、ひとつしか残っていない左の眼。
拳で穿つ。視界を奪えば、勝機は見える。
左拳に力を込めて、固く、固く握り締める。右腕の痛みは小さくなり、ただただ目前の敵に構えた。
霧を引き裂き天高く聳える巨頭。叩きつけるであろう前動作にトバリは意識を集中させる。
振り下ろされる顎。その一撃を上手くかわしたトバリであったが、地面から襲う衝撃には対処ができなかった。横に飛ぶことでそれをも回避しようとしていたのだが、地揺れは一瞬で止むものではない。
振動に足を取られて転んだ少女の体を、バハムートの残る目玉が捉える。頭部を横薙ぎにして弾き飛ばし転がる体へ向き直り、バハムートは再び首を仰け反らせる。
喉元が蛙のように膨れ上がったその刹那、水没した穴から飛び出したクロイツが宙を舞う。
「クロイツ式――、乱れ昴!」
天に向いたその面へ、クロイツの連打が見舞われた。高速で放たれた無数の拳撃はその顔一面に降り注ぐ。
毒による傷もあってか、悲鳴をあげてそれから逃れるバハムート。喉元に溜めた水が、口や鼻から漏れ出した。
「見せて貰ったぞトバリ! その勇、その決意、その信念! 心が震えた!」
「……いあ……見てないでしょ……」
拳を握る命の恩人に対しても、トバリは傷つく体を地に転がしたままで率直な意見も転がした。
聞こえているのかいないのか、しかしこの男、先程バハムートにより地に沈められた時とは明らかに違う、気迫があった。
「見てはいなくても感じはするさ。この鎧は、その魂の息吹に呼応する。枷の外れたこの俺の、そして、力を発揮したこの鎧、見せてくれよう!」
両の拳を頭上に掲げ、素早く腰元へ。足を開き、腰を沈め、気合を放つ。
黒のタイツに光が生じる。それは鎧から発せられた光というよりも、クロイツ自身から放たれる光のように感じられた。
変身。
彼の言葉と同時に、鎧に変化が起きる。風船が膨らむように、その肉体が隆起し筋肉質なものへと変わり、全身を覆うタイツがその姿を如実に現す。
要所の防具も金色を放つと体の変化に合わせ鋭角的な物へ。タイツ部分にも鎧が増設され、頭の防具にも棘が出現、口元を更に厚い防護板が覆う。
白い光はその首筋からマフラー状になって風に棚たなびく。
「ここまでだな、バハムート。今、決着す!」
びしりと怪物を指差すその姿は、正にヒーローだった。姿形も最初の頃とは打って変わってスタイリッシュなものへと変貌している。
眼前で交差する両手。大型化した手甲が陽の光を照り返し、溢れる力が光りとなって全身から放たれる。
「……スーパー・クロイツ……」
走る。
言葉を置き去りに、一足で跳躍するように、地を疾走するは一筋の光。
「超突、昴!」
真正面から突撃をかけたクロイツの体当たりが、バハムートの巨体をかち上げた。
陽の光さえも届かぬ濃霧からその全身を弾き飛ばされて、物言わぬ怪物は悲鳴を上げる。
それを睨みつけて咆哮する男。地上にその身を屈し、限界まで力を込め。振り上げた右拳は太陽の如く光り輝き、怪物を天の光と挟撃しているようであった。
「――奥義!!」
頭から落下するバハムート。クロイツの両眼から光りが放たれる。
全身のバネを連動させて地を踏みしめ、天を翔る一撃は、陸にそびえる巨塔を思わせた。
ヒーロー。
その光景、その勇姿、その言葉。
地に身を投げ出したままでトバリは、バハムートを粉砕する男の姿を目に焼き付けていた。




