147.勇者選別試験
しんしんと……
粉雪が空から落ちてくる。ジワッと剥き出しの地面に吸い込まれるように消えていく粉雪。雪景色を見るには少し暖か過ぎるようだ。
あるいは、この場に満ちる熱気に晒されての事かもしれないが。
『ただいまより、勇者選別試験の予選を開始致します!』
近隣の町々から集まった好き者たち。初めての試みにも関わらず、この場に集まった人々の熱気は武闘大会にも劣らない。
人を集めるために今回だけ入場無料を押し出したことが功を称したのだろう。
テレビもないこの世界で、このような催しは娯楽としてかなり人気のあるものだ。武闘大会も毎年大賑わいだし、勇者選別試験もこれからそうなっていけば、勇者に対して好印象を持つ者も増えるかもしれない。
セシルの巧みな思想誘導により、今の帝国の全体的な印象としては、勇者に対して同情的というものに変わっているが、それでもまだ好印象と呼べるものではないのだから。
『予選のルールを説明しましょう。予選は4人1組で行い、勝者のみが選別試験に挑むことができます。基本的に相手を殺す以外は何をしても構いません。しかし、故意、事故に関わらず、相手選手を殺してしまったら失格となるので、気を付けて下さいね』
ルールとしては、複数戦である事以外、武闘大会と変わらない。基本的に殺し以外は何でもありだ。会場を破壊してもいい。やれるものならな。
『それでは、予選第1回戦を開始致します!』
司会者の女性──実はマーレシアさんだったりするのだが、彼女の司会に合わせ、東の竜、西の虎に見守られ、選手が入場した。
俺はそこまで見てから観覧席を立った。
俺が今いる場所は、他の観覧席と違い、特別な許可がないと通れない場所になっている。そこには、ルクセリアや春樹達、皇帝もいて、居心地は決して悪くないが、俺はここにいないグールの下へ、向かった。
一度外に出て、選手控え室に通してもらう。一応、コロシアム建設における責任者という立場なので、その辺りの出入りは自由だ。
前もって控え室に俺が様子を見に行く事は言ってあったので、中に入ってすぐにグールの姿を見つけた。周りには、騎士や冒険者をはじめとした腕に覚えのある者が、お互いを威嚇しあっており、グールはその中に埋もれるようにヒッソリと立っていた。
「グール、調子はどうだ?」
「う、うん。わ、悪くはないとは思う」
「そうか。まぁ、そう気負うな。同年代ならお前は敵なしだ。俺が保証してやる」
この1ヶ月。強化合宿と称し、寝る間も削ってグールを鍛えあげた。正直、俺でもここまで厳しい訓練はしたことがないというほどに。
期間は短かかったかもしれない。けど、その内容はとても濃密で、濃厚なものだった。
早朝から始まる基礎訓練。朝食の食材確保と並行した魔物との戦闘。朝食後は、ハクとの模擬戦。昼からは魔法以外禁止の魔物狩り。それを魔力が切れるまで続け、その後は山を舞台にした俺との追いかけっこ。それが終わると、限界まで俺との模擬戦をやってきた。
休む暇などない。ポーションの自然治癒力向上で体を騙し騙し鍛えあげた。
グールはその厳しい訓練をこなし、弱音も吐かず頑張った。だから、言える。同じ9歳で今のグールに勝てる奴はいないと。
「うん、けど……」
グールは伏せ目で周囲に目を流した。そこには、屈強な男達の姿があり、すでに獲物を抜き、酷い奴など刃筋に舌を這わせている。勇者という、肩書きは何処にいってしまったのだろうかと言うほどに、荒くれ者が目立つ。その誰もが、グールよりも遥かに大きい体を持ち、体もガッシリしていて、それにグールは気圧されていたようだった。
初めての試合。誰だって緊張する。特に、短時間に濃縮した鍛錬を積んできたグールは、体と技は身に付いても、心はまだそれに追い付いていないのだろう。
「信じてやれ、自分を。お前はそれだけの事をやってきたんだ」
俺はポンと肩を叩き、試合前でナイーブになっているグールを励ました。グールは顔を上げて、俺の顔を見て、うんと大きく頷いたが、そこに邪魔者が割り込んできた。
「おいおい、ここはガキが来るようなとこじゃねぇぜ。ガキは帰って、ママにいい子いい子してもらってな」
誰が言ったのかはわからなかったが、周りから俺とグールにニヤニヤと馬鹿にするような笑みが投げ掛けられた。
背丈から話にならないとでも判断されたようだ。
「残念ながら、ママは遠いところにいてね。今日は、俺の弟子の応援にきただけなんだ」
「弟子? プッ、ハッハッハ! 聞いたかみんな⁉︎ こんなガキが、弟子だってよ!」
「弟子ごっこなら他でやりな。弱すぎて間違って殺しかねないぜ!」
グールはその嘲笑いを下唇を噛んで耐えていた。
俺だけを馬鹿にするなら、顔を覚えておいて、後で潰すだけだから別にいいのだが、必死に頑張ったグールを馬鹿にするのは頂けない。
「舐めるなよ?」
モワッと体から魔力が漏れる。
「ハッハ……はっ? うぐっ!」
赤い手が俺とグールを馬鹿にした男の首を掴みあげた。男は物質化した魔力を両手で掴み、力を入れるが魔力の腕はピクリとも動かない。
「ガッ、はっ、離せ……ッ!」
「どうした、おっさん。顔が真っ赤じゃないか。あんたこそママのところに帰って、慰めてもらった方がいいんじゃないか?」
なんなら俺がしてやるよと、2本目の魔手が男の頭を鷲掴みにする。男の顔が見る見るうちに悪くなり、顔が恐怖に歪む。
……もう十分だな。
俺はパッと男を離すと、尻餅をついて咳き込む男から視線を外し、腰の剣に手をかけた。
クルッと体を回転させ、振り向きざまに剣を一閃。その剣線はキィンという音を立てて、グールの眼前で止められた。
「れ、レイ兄……?」
グールは咄嗟に抜いた剣の柄の手前で俺の剣を受け止めていた。俺はそれを見て、顔の筋肉を緩めると、
「大丈夫だ。俺の攻撃を止められたお前は、少なくともそこのママが恋しいおっさんよりも強いよ」
と言って剣をしまい、最後にグールの背中を叩いて、控え室を後にした。
これで少なくともグールに対する目は変わるだろう。俺がグールに向けて放った一撃は全力ではなかったが、手加減したものでもなかった。
あの中に見る目がある者がいたのなら、グールの実力は卑下されるものではないとわかっただろう。
しかし、一方でグールがこの戦いを勝ち抜くには、高い壁が立ち塞がってる。
「吹き飛びなさい」
例えば、ピンポイントで相手を空へ打ち上げる魔法をノータイムで撃つ無表情な少女とか。
「ぶっ飛ぶけろぉ!」
身長をよりも大きい両斧を振り回し、コロシアムの壁に相手を叩きつける訛りが酷い青年とか。
「甘い甘い。こっちだよぉ〜」
ヒラヒラと攻撃を躱し、あまつさえ空中三回転を決めながら、矢をピンポイントで相手の手首に当てる活発な少女とか。
「私の恋の邪魔をしないで下さい!」
どうやら大会の趣旨を履き違えている金髪ロリ少女とか。
「グラァァァァ!」
いつの間にか出場が決定していた、もはや人ですらない黒竜とか。
「クククッ、偶には自ら表舞台に立つのも新鮮で面白い」
戦えないとか言ってた癖に、出場してる怪しい情報屋とか。
「いや、まじ何やってんだ、あいつら……」
勇者になる気など皆無な癖に、場を掻き回すためだけに出ているのが、若干2名いるが、グールの目標を叶えるために立ち塞がる壁は多く、高い。
少なくとも、こいつらは全員並みの実力ではないのだから。
だが、それはグールもそうだ。今のあいつは、ひょっとすれば、9歳の頃の俺よりも強い。この1ヶ月、俺が教えられる事は教えたつもりだ。
それを活かすも殺すも、グール次第。
俺はその結果を見ようと、観客席に戻ろうとコロシアムの外周を歩いていた。すると、目の前から、こちらに向かって手を振って走り寄ってくる二人の少女の姿が。
「レイ兄っ!」
「レイ兄ーー!」
俺をその愛称で呼ぶ人間は限られている。グールと同じく盗賊に捕まり売られそうだったソラとノルルだ。
およそ一年ぶりになる再開に俺も思わず、笑顔になる。
「久しぶりだな、二人とも元気そうでよかった」
「うん! 元気だよ!」
「私も、げんき!」
元気に返事する二人は、昔より少し大きくなっていた。見た目の成長はノルルの方が大きいが、ソラもまだノルルには身長が抜かれてはいないようだ。
「グールの応援に来たのか?」
「うん! 勝てるかな? グール」
「勝てるよ! グールは強いんだよぉ?」
ノルルのグールの勝利を信じて疑わない言葉にそうだなと、頬を緩めながら、ふと二人の顔から視線を上げる。
「あなたが、ヒナタ殿でしょうか?」
「ええ、今はそう名乗っています」
ノルルとソラの後ろに立つ男性と女性。身に纏う煌びやかな服装から、貴族だと判断した。
「ずっとお会いしたかったのです。ソラとノルルを助けて頂き、ありがとうございました」
「いや、俺も同じように捕まってた立場だったんで」
女性はソラとノルルを抱き寄せると、一緒に頭を下げた。助けたと言っていいのか微妙だなと思いつつ、俺はポリポリ頭を掻きながら、わざわざ口に出す事でもないかと、それを受け取った。
たぶん、この二人はソラとノルル父親と母親だろう。貴族の家系だと聞いていたし……
「ヒナタ殿は冒険者を生業にしているとか」
「そうですね」
「宜しければ、うちで雇われませんか? この二人も貴方に懐いていますし、何より噂によると実は貴方はあのディクルド・ベルステッドを打ち負かした実力者だとか。その実力をただの冒険者として腐らせてしまうのは、非常に勿体無い。是非、我が家の軍の団長になって頂けませんか?」
二人の父親は、冒険者を卑下するような言い方で俺を勧誘した。少しその物言いには腹が立ったが、ソラ達の父親相手に怒るわけにもいかず、丁重に断りを入れた。
そのまま別れてもよかったのだが、ソラとノルルと会うのは久しぶりだからと、一緒にグールの応援をすることになった。
適当に空いている席に座り、勇者としての名誉と、その給与狙いの冒険者や、一般人達の試合が続く。チラホラと強いと思う人もいたが、武闘大会の本戦には劣る。
やはり教育の有無は、大きいようだ。
『では、予選16回目戦を始めましょう』
予選16試合目。
いよいよグールが出る試合だ。相手は、先ほど俺が締めた冒険者風のおっさんと、まともな装備も持っていない男が一人。あと、あれは帝国兵だろうか? ガッチリとした鎧に身を包んだ男が一人いた。
グールは入場してすぐ、観客席を一望してから相手を見た。若干、緊張しているようだが、少しくらい緊張感がある方が慎重に戦いを進められるからいいだろう。
ふと横を見れば、ソラは両手を祈るように握りしめ、心配そうにグールの姿を見つめていた。一方でノルルは大きな声で、グールを応援していた。
『試合開始です!』
ドーンと銅鑼の音が鳴り、試合が始まった。
試合開始とほぼ同時に動き出したのは、グールと同じ控え室にいた冒険者のおっさんだ。いの一番にグールへと狙いを定めているところから、先程恥をかかされた仕返しでもする気なのだろう。
次に動き出したのは、帝国兵だ。彼の狙いは、碌な装備も持っていないただの男。数を減らすつもりなのだろう。
だだだっと走りよった帝国兵は、型もクソもない下手くそな剣を避け、すれ違いざまに男の首筋を剣の柄で強打した。それだけで、夢の中へと旅立った男は、ぼてっと剣を手放しその場に倒れ込む。
兵士なだけあって、さすがに強い。これは、この人との一騎打ちになるな。
そう予測しながら、グールの様子を見ると、今まさに鍔迫り合いをしている最中だった。ただ、体格で負けているグールの方が不利な体勢で。
と、グールの口が小さく動いた。
「火剣」
その瞬間、グールの剣が火に包まれた。
「おわっ!」
男は一瞬、火から逃げるように体を後ろに流した。その瞬間、グールの体が男の剣の下を潜り抜けるようにスライドした。
右手の剣で男の剣を受け流し、間合いの中に入り込んだグールは、左手の小手に魔力を込めた。
「ハァー!」
下から殴り上げるように男の手を打ったグール。鈍い音が鳴り、苦痛に顔を歪める男に、グールは尚も追撃をかけた。
グールは左足を高く蹴り上げ、同時に飛び上がり体を回転させると、振り下ろすように男の手を蹴った。
「ッテェ!」
2度手首を強打された男は、剣の柄を握る手を緩めた。空中にいるグールの目が、攻め時を見つけたかのように光った。
着地した瞬間、再び飛び上がったグールの体は、気圧された男の顔近くまで上がった。グールは剣を腰から突き出すように真っ直ぐに手を伸ばした。
「ぐぁぁぁぁっ!」
肩に深く突き刺さった剣。その剣はグールの落下に伴い、男の体に傷跡を刻んだ。肩から腹にかけて、切り裂かれた男は、痛みに声をあげながら、倒れた。
「勝った……?」
「まだだ。あと一人残ってる」
「うん……けど、凄い、グール! あんな大きくて強そうな人に勝ったよ!」
ソラはぴょんぴょん飛び跳ねてて、グールの勝利に興奮していた。その横でノルルも一緒になって、飛び跳ねている。
『治療班急いでください』
ササッと試合に乱入してきた兵が、試合の邪魔にならないよう気をつけながら、怪我人を運び出す。その間、グールは動かず、帝国兵も戦いを始めようとしなかった。ただ、少し目を見開いて、グールの勝利に驚いているようだった。
グールは、怪我人が運び出されてすぐ、腰を落とすと剣を鞘へと仕舞う。
抜刀術の構え。帝国兵はそれを見て、少し笑みを浮かべると同じように腰を落とし、剣をしまった。
会場に流れる空気が一変した。二人の真剣な表情に触発されたように、息を飲むように静かに見守る観客達。
「ごくっ」
隣でその空気に飲まれたソラが喉を鳴らした。その目はどこか期待しているように見える。
だが……
「それじゃあ負けるぞ」
「えっ……?」
俺の呟きにソラは間の抜けた顔でこちらを見た。俺はチラリとその顔を見てから、もう一度二人の方へ目を動かした。
「まず体格が違う。スピードも向こうの方が速い。剣の腕も向こうの方が上だ。真正面勝負じゃどうやっても勝てないさ」
真正面からならな。
けど、普通にやったんじゃ勝てない事ぐらいグールもわかってる。そんな事は俺とハクとの模擬戦で嫌というほどわかってるはずだ。わかってなければ後で拳骨だ。
そして、相手の兵もそれを警戒しているから、打ち込めない。警戒に値しない相手なら、すぐに突っ込んでねじ伏せたら終わりだからな。
さて、あいつはどうするつもりかな?
「それじゃあ、グールは負けちゃうの……?」
「さぁ、どうかな。けど、そろそろ頃合いだ」
お互い十分策を練る時間はあったはずだ。
その上で、先に動き出したのは、帝国兵の方だ。地面を強く蹴り一気に接近する様子からは、グールの手の内が読めたというわけではなさそうだ。何かされる前に倒す。そんな気迫が、急迫する彼からは伝わってきた。
一方、グールもまた帝国兵に一瞬遅れて飛び出した。二人はギリギリまで接近して、間合いが重なった瞬間同時に剣を抜き放つ。
激しい激突音と火花が散り、正面から激突した二人。しかし、優勢なのは目に見えて帝国兵の方でグールの剣は、衝突後すぐに押し戻されていく。
だが、グールの手に魔力の輝きが灯り、次の瞬間2度目の激突音。
抜刀のスピードを乗せた1度目の剣戟と、魔力強化した鞘での2度目の剣戟。バラバラに放たれたそれは、相手の抜刀の威力を限りなくゼロに近づけ、ほんの一瞬、拮抗状態を作り出す。
と、その時グールが剣から手を離した。
突然、剣に掛かる圧力が消えた事で、帝国兵の剣はスッと何の抵抗もなく、振り抜かれた。
だが、一方でそれは見え見えの軌跡を辿る剣筋で、グールの体に触れる事はない。
グールは振り抜かれた剣の下を潜り、間合いの内側に入り込むと、抜刀後の姿勢のまま無理に逃げようと上体を後ろに逸らした帝国兵の顔に魔力強化した小手で思いっきり右ストレートを叩き込む。
ここで馬鹿にしてはいけないのはグールのパワーだ。
曲がりなりにも俺やハクと模擬戦を重ねてきた彼のパワーは9歳のそれではない。
バランスを崩した大人一人、軽々吹き飛ばすほどの力が彼の小さな体には秘められているのだ。
バキッと鈍い音を立てながら、頬を歪め殴り飛ばされた帝国兵は、地面で何度かバウンドを繰り返し、最後にはゴロゴロと転がって止まった。
「どうだっ!」
勇ましく叫ぶグールに応えるように観客達が沸き立ち、俺の隣では今にも飛び出さんとするソラとノルルを親達が顔を揉みくちゃにされながら必死に押さえている。
まるで勝負が付いたかのようなノリだ。
「馬鹿たれ」
俺は聞こえないだろうと思いつつ、グールを叱る。
叫ぶより先に剣を拾わないか。
一撃で終わってくれるほどその人は弱くないぞ。
その俺の予想通り、帝国兵は頭をブンブン振りながら、ゆっくりと起き上がった。そこにきてようやくグールはまだ終わっていない事に気が付き、慌てて剣を拾い上げる。
立ち上がった帝国兵の顔は、前にも増して真剣だ。決して油断していたわけではないだろうが、今の接触はグールの勝ちだった。その結果が、彼に火を付けさせてしまったようだ。
帝国兵は先のようにグールの誘いにのる事はなかった。ただただ堅実に、それでいて丁寧な足運びでグールに斬りかかる。
グールは初めそれを剣だけで捌いていたが、次第に余裕がなくなり、魔力で強化した鞘を盾代わりに用いて、慣れない二刀流で対応した。
しかし、それでは逆に一本一本の腕の動きが疎かになり、無駄が生じる。
そして──
キィン!
決着の音を告げる甲高い音色。
グールの右手にあった剣がクルクルと空を舞い、地面に突き刺さる。
『そこまでです』
マーレシアさんのレフリーストップ。それもそうだろう。これ以上ないと言うほどに、首に剣先を突き立てられ、手には刃の形もない。
完全なる負けだ。
「グール……負けちゃった……」
ソラが悲しそうに控え室に戻っていくグールの背中を見守っていた。
「後で励ましてやってくれ」
そう、ソラの頭を撫でてから、俺は観客席を立った。
〜〜〜〜
本日行われた予選が全て終わり、日が傾き始めた。
朝降っていていた粉雪は跡形もなく消え去り、空を流れるオレンジ色の雲がどこか寂しげである。
そんな時分に、街の外れで、剣を振る小さな影。その影は昼からずっと飽きる事なく剣を降り続けている。冬にも関わらず汗でシャツがベットリ肌に付くほどに、一心不乱に剣を降り続けるグールの姿を、俺は一人遠くからずっと見ていた。
グールは試合に負けた後、ずっと一人で剣を降り続けていた。泣きながら。
けど、それを断ち切るように一生懸命になって、腕を振り続けていた。何時間も。
俺はそんなグールに声を掛けられないでいた。何だが邪魔したくなくて。今、失意の中にあるはずの彼の心が、自分の力だけで叩き直せれていくのを見ているような気分で、その小さな影をひっそりと見守り続けた。
お前は、もう立派な人間だよ。
そう声を掛けてやりたい気持ちが確かに俺の中にある。けれど、それは俺が口にするべき言葉じゃない。グールは俺からその言葉を掛けられたいわけじゃない。
だから、こうして一人で自分に向き合っているのだ。一人の男として。
それが俺にはとても眩しく見えた。
自覚しているからかもしれない。
自分の過去と向き合う事を避けていると。
いったい俺は記憶を失う前、春樹達とどんな関係だったのだろう?
俺はどんな人間だったのだろう?
何も俺は知らないと言うのに、それを聞ける相手がいるというのに、口に出そうとしない。
怖い……という気持ちは薄れてきた。知っても、知られても、今の俺は変わらない。そう思うことが出来るようになったからかもしれない。
けど、それとは別のところで俺は恐れている。
それを知る事で俺が、彼らと離れられなくなるのではないかと。
俺の中で何かが変わってしまうのではないかと。
そう思うのは、セルナとの記憶を見たとき、もう一人の俺が目覚めたからか。
あいつとはまた別の人格が俺の中で目覚めるかもしれない。そうして、また俺の心を荒らすのだ。そして最後には、また主導権の取り合いが起こる。
俺はそれを恐れている。
もうそういう自分を消さなきゃ、生き残れないみたいな展開は嫌なんだ。俺は俺だけでいい。違うとわかっていても自分を消すのは、気持ちのいい事ではないのだから。
けど、一つだけ、春樹には聞いておかないといけない事がある。
それを知ることは俺の責任だと思うから。
それを自分の過去と向き合うって事にしよう。
別れる事が決まっているのだから、他の余計な過去は別れと共に捨てよう。
どうせ俺には……もう彼らと過ごした日々を思い出す事など出来ないのだから。
俺は夜遅くまで、剣を振るのを止めなかったグールを見ながら、ずっとそんな事を考えていた。




