148.3人の幼馴染
それは前触れもなく、突然起きた。
──勇者選別試験最終日。シルビアの優勝が決まった瞬間。
それを祝福するように光の柱が天を貫いた。
「何だ、あれは……?」
険しい視線を投げかけ、すぐに警戒を強めるルクセリア。一部の者は彼同様、警戒を強めるが、ほとんどの者は呆然と空を見上げている。
俺は、そのどちらでもなかったが、敢えて言うなら前者だろうか。
光が上がった先は、ライクベルクの方角。しっかりとした位置まではわからない。少なくともこの帝国領土内から上がったものではない。
それほどまでに光の線は細く、見え辛いのに、ハッキリと認識できるそんな光だった。
その光が何を意味しているのか。何かの魔法か、あるいは何かの予兆なのかは、わからない。だが、千里眼の使用限界を超えたはるか遠方で、それも生まれ故郷の方角から上がったそれを見て、不安に駆られない奴はいないだろう。
俺もそれに違わず、呆然とその光の柱を見詰めていた。
「…………帰るか」
やる事を終わらせて、みんなに会いに行こう。このままじゃ心配で、他に手がいかなそうだ。
〜〜〜〜
先日行われた勇者選別試験の結果、シルビアが時期勇者に決定した。まぁ、妥当なところだろう。俺は、アルクが勝ち抜くかと思っていたが、一つ前の準決勝戦で、カノンとの互角の戦いで、体力を削られた分、シルビアに軍配が上がった形か。
ちなみに、場を掻き回すだけ搔き回したハクとセシルは、満足すると二人とも試合を棄権した。初めから出なきゃいいのに。
一方、予選で負けてしまったグールだが、まだ諦めてはいない。次の勇者選別試験に向けて、特訓中だ。最後までその特訓に付き合ってやりたいが、俺は王国へ戻る事を決めたため、それには付き合いきれそうにない。
一応、付いてくるか意思確認はしたのだが、来年の選別試験までに戻って来れるか不明なため、グールは帝国に残りたいと言った。
だが、身寄りのない子供一人、ほっぽり出すわけにもいかないので、今誰かあいつの面倒を見てくれないか、知り合いに当たっているところだ。今はその返答待ち。
さて、これで帝国内のゴタゴタは大方片付いてきた。
魔人騒動に始まり、殺人鬼、新たな勇者と、俺の手が出せる範囲の事は、一先ず片付いたと見ていいだろう。
残すはあと勇者送還に関してのみである。
勇者送還計画は順調に進んでいる。送還に関わる魔法使いが、コロシアムを共に作った学者達だったおかげで説得も比較的スムーズに済んだ。新たな勇者が決まったお陰で、皇帝の協力も得られた。
後は段階的に、春樹が残る事を納得させるだけだ。
それに際し、忙しい皇帝に代わり、マーレシアさんから勇者へ送還の話が持ち出された。
「新たな勇者も決まり、2日後、皆さんを元の世界に戻せる準備が整いました」
そんな風に突然呼び出され、地球に帰れると告げられた勇者達の顔は唖然としてたが、マーレシアさんは一呼吸置いて、それを飲み込ませると深く頭を下げた。
「我々帝国の身勝手に皆さんを巻き込んでしまい、誠に申し訳ありませんでした」
深く深く頭を下げるマーレシアさん。その彼女に怒りを吹き出したのは、先生だ。
「申し訳、ありませんでしたで……済む話ですかっ!」
フツフツと堪えていた気持ちを爆発させるように、先生は顔を滾らせて、マーレシアさんを怒鳴りつけた。
「あなた達は私達を呼び付けて、帰してそれで満足かもしれません。けど、海堂くんは……! この世界で死んでしまった海堂くんは、どうなるって言うんですか! あの子には元の世界で未来があり、それを願う家族だっているんですっ! その人達に、あなたは申し訳ありませんでしたで、全部済ますおつもりですか!」
先生は涙を散らしながら、マーレシアさんを怒鳴りつける。
……理不尽な話だ。
彼らはノルドと帝国の陰謀に巻き込まれたに過ぎない。これで全員が無事なら、旅行気分で帰る事が出来たかもしれない。
けれど、現実はそう甘くない。
この世界で散った海堂の命が戻ることはないし、帝国側が用意したお詫びの品とやらが、その代わりとなるわけでもない。
先生の怒りは真っ当で、それでいてこちら側の胸を抉るものだった。けれど、それをマーレシアさん一人に受けさせるのは間違っている。
彼女が帝国の代表として頭を下げているのなら、俺には間に合わなかったことを詫びる責任がある。
「悪かった」
俺はマーレシアさんの横で床に頭を付けた。涙を流しながら、マーレシアさんを責め立てていた先生の言葉が止まる。
「海堂が死んだのは、殺人鬼の正体に気付くのが遅れた俺の責任だ。彼が死んだことを責めるのなら……俺を責めてくれ」
俺という存在から導き出される転生という可能性。それに気が付かず、狂人の前に獲物を野に放り投げた俺の思慮不足が、海堂の死という最悪の結果を招いた。
それを言い訳などするつもりはない。俺は、あいつの正体に気が付けたはずだ。現に、気が付いた。
あれは、俺が焦って事を早めた結果だ。俺の過ちだ。
だから、どんな言葉でも受け止めるつもりだった。
けど、誰も俺を責めようとはしない。誰も罵しろうとしない。それは、たぶん彼らにとって命の恩人に当たる俺に、酷い罵りを口にすることを、躊躇ったからだろう。
俺はそれをわかっていたけど、謝らずにはいられなかった。
それはたぶん、彼らが勇者召喚されてしまった本当の理由を知っていたという理由もあっただろう。
俺は、先生の口から『……もういいです』と言われるまでずっと頭を下げ続けた。
〜〜〜〜
──翌日。
勇者送還が明日に迫り、帝国から様々な催しを受けた勇者達が、久しぶりの日本に思いを馳せているだろう夜。
俺と春樹は共に如月の部屋を訪ねていた。
「あら、どうかした、二人とも?」
質素な寝巻きに身を包む如月。
二人揃って訪れた俺たちに少し首を傾けた。
「いや、明日のことでちょっと話があってよ」
「明日? まぁ、私も寝れなかったから、別に構わないが……」
俺と春樹の顔に、少し疑わしいげな視線を向けた如月は、俺たち二人を中へ招き入れた。
……もう少し男に警戒心持った方がいいんじゃないのか?
そんな事を思いながらも信用されているのだとプラスに考え、中へと入った。
「それで、話って何かしら?」
椅子に如月と向かい合う形で俺たちは座ると、早速本題に入られた。
「あー、なんつうか、その、悪いっ!」
春樹はポリポリ頭を掻きながら、言葉を探し、結局出たのが謝罪の言葉だった。しかし、いきなり謝られても何の事だかわからない如月は、怪訝な顔をした。
「何が?」
すでに若干怒っているような声音で、如月は春樹を睨む。すぐに春樹は助けを求めるような顔で俺を見てきたが……俺は何も考えていなかったのか、と嘆息しながら、話し手を代わった。
「如月、いきなりだが、春樹はここに残る」
「春樹が? 何故そんな話になるの? もう私達がここに残る意味は……」
「──ない。だが、誰か一人は、送還魔法を発動させるために残らないとしたら?」
如月の言葉に被せ、俺は淡々と説明を始めた。
こういう時、変に誤魔化そうとすれば、相手に疑問を抱かせる。今回の場合、春樹が残る理由は、送還のために誰か一人残らなければならないという理由で、理に適った説明が出来るのだから、わざわざ言葉を濁し、疑問を抱かせる必要はないのだ。
「私達の中で一番強い春樹が残るという事?」
「まぁ、隠さず言えばそうなる。けど、安心してくれ。春樹は必ず俺がそちらに送り返す。実は昔、異世界から転生したとか抜かす頭のおかしい奴と会った事があってな。ついこないだまで嘘だと思ってんだが、偶々こないだ会う機会があって、その時に勇者と同じ世界から来たと聞いて、これを貰ったんだ」
俺は用意していた紙をペラっと一枚如月に手渡した。
『はじめまして。日本の高校生達。私は日本で女子大生をやっていた木村沙希という者です。実は向こうでトラックにグシャッと潰されて、この世界で新たに命を授かった転生者です。こちらではアーシェと名乗っていますが、冒険者を生業にしているため、あなた達と出会う機会はないかもしれません。ですが、この世界での友人が貴方達と会う機会があると聞いたため、このような手紙を差し上げました。突然、異世界に連れて来られて、混乱しているかもしれませんが、どうか希望は捨てないで。日本よりもずっと厳しい世界ですが、楽しい事もいっぱいあります。だから、懸命に生きてください。いつか帰れる日は必ず来ます。陰ながらあなた達の無事を祈っています。by木村沙希』
と、その用紙には書かれている。もちろん俺が偽装したものだ。あの頭が暖かい中身おっさん女子大生がこんな風に異世界転移してきた者を心配するわけがない。
『キタァーー‼︎』とか叫ぶに決まってる。
しかし、そんなアーシュの性格など知らない如月は、それを読み驚愕を顔に貼り付けた。
「……とまぁ、俺にはさっぱりだが、春樹が言うにはその紋様はお前達の世界のものなんだろう?」
「え、えぇ」
「なら、アーシュを見つければ春樹を帰す事が出来るってわけだ」
細かい説明は省いたが、驚きで通常運転ではない如月は、すんなりとその言葉に頷いた。
けど、幾ら冷静でないにしても、気が付くところには気が付く。
「それならば全員で帰ればいいのではないのか? その女性を見つけ出せば、私達は帰れるのでしょう?」
当然の疑問だ。春樹がアーシュを見つける事で帰還出来るのなら、初めからそうすればいいのだ。
だが、それは時間と周囲を考慮しない考えで、簡単に打破出来る。
「それは、帝国にお前らがいるのが危険だからだ。言っとくが、アークティアの人間が学者気質で、世情に興味のない奴らばかりだから、お前達に対する扱いが酷くないんだ。他に行けばどこも酷いもんだぞ」
もちろん嘘だ。しかし、相手が知らない事は事実となるのだ。
だが、如月はそれとは別のところで引っかかったようだ。
「なら、春樹にとっても危険ということではないのか?」
「そう……だから春樹が残るんだ。それに、一人だけならまだ何とか隠し通せる可能性はある。付け加えると、春樹は俺とアーシュを探す事になった。だから、春樹の事は俺が責任を持って守り抜く」
俺はハッキリと強い口調で、如月に言った。横で役立たずの春樹が、緊張した面持ちで如月の言葉を待っている。
如月は少し俯き、手を握り締めると……
「私では……弱すぎるのだな」
そう、悔やむように言った。ポツポツと顔から水滴が手の甲に落ちる。
「結衣、泣くなって。今生の別れでもねぇんだから」
「ばっ……! 泣いてなどいない!」
ムキになって如月は、春樹の言葉を否定した。だが……
「今生の別れになるかもしれないだろう……?」
すぐに俯く如月に、春樹も俺もどう慰めたらいいかわからなかった。
〜〜〜〜
しばらくして如月の部屋を出た後、俺たちは第2の関門となる先生の部屋を訪れた。部屋の扉を開けた先生は、俺の顔を見るなり何とも気まずそうな顔をしたが、それは俺も同じで、今度は俺の代わりに春樹が、先生の説得を行った。
如月と違ったのは、先生が春樹が残る事に納得してくれなかった事だ。それは、曲がりなりにも春樹の次点の実力があり、加えて先生としての責任を持ち出されれば、俺たちの説得も厳しくなる。
俺は正直、先生の立場を持ち出された瞬間、お手上げだった。どう考えてもそれを覆せる言葉を俺は見つけられなかった。
しかし、春樹は違った。
「先生!俺は、獣人の女の子と結婚したいんですっ!」
「へっ?」
「先生は俺の将来を潰す気なんですか!」
「あ、いえ、私は……」
「お願いします! 俺に夢を叶えるチャンスを下さい!」
どんな説得だ。
俺はそう内心呆れていたが、意外と効果は抜群。教え子に将来を潰す気ですかと言われて、先生は目に見えてオロオロし始めた。
そこに畳み掛けるように、春樹は自分の熱きパトスを熱弁。途中から顔を真っ赤にした初々しい先生に『も、もういいですから! わかりましたから!』と白旗を上げさせた。
俺は、終始無言だった。
まぁ、そうして無事に二人の説得を終え、勇者送還に対しての問題はオールクリア。後は明日の本番を迎えるだけである。
だが、その前に俺も最後の説得を試みてみよう。
俺は、共に自室へと戻る途中、立ち止まり春樹に聞いた。
「春樹、お前如月と別れていいのか? 幼馴染なんだろ? 俺と同じ」
「……っだぁ、それをお前が言うかよ」
大袈裟に肩を落としてため息を吐いた春樹。春樹は頭を掻き毟りながら、俺の方を向くと。
「あいつはな、いつも気張って、ああやって強い女みたいに構えてるが、中身はそうでもねぇんだよ」
「まぁ、あの腰の引け具合から何となくわかってたが……」
「何も言わない方がいいのさ。お前はどうせあいつの気持ちに応える気も、正体を明かす気もねぇんだから」
そう苦言した。それは俺を責めるものではなかったが、口は出すなと言われているような気がした。
「それに、お前が死んでから俯いてばかりだった奴が、せっかく前向き始めてんだ。あとは平和な世界で、俺が居なくてもやってけるさ」
「……そうか」
春樹の意思は変わらないようだ。俺にとっても春樹を説得する最後のチャンスだったが、こいつの意思が変わらないのなら明日、強制的に帰すだけだ。
だが、その前に──
俺は春樹に聞いておかないといけない事があった。
「なぁ、春樹」
「ん?」
「俺の親はどうして死んだんだ?」
あの日、自分の中の異常に気が付いた時から、ずっと知りたかった事。もう以前の親に対して、俺が覚えている事など、本当に両手で数えられる事だけだが、それでも親であった彼らが、僅かな記憶の中で向けてくれた無常の愛。それに、返すものを俺が今の俺が持てなくても、彼らの死の真相を知る事は、俺の義務だと思った。
俺の質問を聞いた春樹の目に怒りの色が浮かぶ。目に血線が走り、細められる。
「……お前、それ本気で言ってんのか? お前、自分の親が何で死んだのかも忘れちまってたのか?」
「……ああ」
春樹は俺が頷くなり、襟を掴み上げ、拳を振り上げた。殴られるかと思った。
「っ……!」
……だが、その拳が振り下ろされることはなく、ゆっくりと下された。その時の春樹の顔は、俺の記憶の中にある初めて見た春樹の顔と同じだった。
「……聞かねぇ方がいいと思うぜ」
「だとしても、聞かせてくれ。俺にはそれを聞く義務がある」
絞り出すように言った春樹は、俺の顔を見ようとしなかった。その手が未だプルプルと震えている。
「……事故だよ、事故。お前の親はお前と三人でキャンプに出掛けて、帰るときにトラックとぶつかって……後部座席にいたお前だけが助かった」
「俺だけが、か」
そういう事か……
あの時、俺がベットに蹲り泣いていたのは、親を目の前で失ったからか。あるいは、悲しみだけが残り嘆いていたのか。
今となっては、何が真実かはわからない。俺に残っていたのは、親の死に涙を流したという記憶の断片だけ。
今まで、何故死んだのかも、その時どんな気持ちだったかもわからず、ただ親が死んだという事だけを俺は知っていた。
真実を知った今も、それが断片に加わっただけ。
悲しむ思い出がない俺にとって、胸がチクリと痛むのが精一杯の感情だった。
本当に……なんて親不孝な人間なのだろうか、俺は。
「気分悪いから、俺先戻るわ」
「……ああ」
俺と春樹は最後にそれだけ交わして、別れた。
その後俺は、セルナの墓の前で、かつての両親に詫びた。
そこ以外、言葉が届きそうなところはなかったから。
〜〜〜〜
魔法学校の講堂。
そこの床に勇者送還の術式が描かれていた。丸い円状に広がった幾何学模様の術式は、俺では読む事が出来ない。何が書かれているのかさっぱりだが、これを書いた学者達は何重ものチェックの末に今日を迎えている。そこは信頼するしかないところだ。
勇者の見送りには、多数の人々が押し寄せた。帝国の中で関わりがあった人は殆ど全員集まっていると思う。
術式の上には勇者達がズラリと並び、中央には帝国からお詫びにと渡された財宝などが積まれている。
殆どの者は、帰れるという喜びから、晴れ晴れとした顔をしているが、春樹が残る事を知っている如月と先生は浮かない顔をしている。
「最終準備が完了しました。皆さん、最後の別れをお済ませ下さい」
送還の指揮はマーレシアさんが取っているが、今日は流石に皇帝の姿もあり、先程先生と二人で話していた。たぶん詫びを入れていたのだろう。
俺もまた、如月や、僅かだが関わったかつてのクラスメイト達と話し、別れを惜しんだ。
「ヒナタ君には、初めから、最後まで本当に迷惑ばかり掛けてしまったな」
「もう気にしてないよ。それに、迷惑な事ばかりじゃなかったさ。色々と、俺も勉強になった」
濁した言い方で誤魔化す俺に、如月は俯き掛けに口にする。
「……やはり、君はどこか嶺自に似ているな。これで最後だから白状するが……私はずっとヒナタ君に彼の面影を感じていた。そんな風に思われるのは、ヒナタ君にしてみれば、あまり気持ちのいい事ではないと思うが……言わせて欲しい。春樹をよろしく頼む。嶺自に似ている君になら、春樹を任せられる」
「ああ、約束する。俺が、無事あいつをそちらに送り返そう」
「……ありがとう、本当に」
俺たちは、強く握手を交わす。最後となるであろうそれに、俺は寂しさを感じながらも、過去の俺との決別に動き出す。
刻一刻と迫る別れの時。
俺は春樹の顔を見た。
春樹は俺の視線に気がつくと頷き、注目と大きく声をあげて、全員に向けて残る事を知らせた。
すぐに反対意見が上がるが、それは如月の時と同じような説明をして、一先ず納得させた。
それからは、春樹はクラスメイトに囲まれて、一人一人別れの言葉を交わしていた。意識しての事かどうかはわからないが、春樹は終始笑顔で対応していた。
人気者だな。
誰も彼もが、春樹の身を案じ、時には涙する奴もいた。だが、それで春樹の中の意思が変わる事はなく、時には笑い、励まし、熱弁しながら、別れを済ませていった。
「それでは、勇者送還に入ります。勇者の方々は、術式の中から決して出られぬよう気を付けて下さい」
そして、勇者送還の時間が来た。
春樹と別れを済ませた者達が、中央に集まる中、如月だけはギリギリのところで立ち尽くしていた。
そんな如月の肩をポンと叩き、春樹は自分の所定位置の近くまで、ゆっくり歩きながら、如月と何かを話していた。
「結衣、向こうに帰ったらこれを、親父達に渡してくれ」
「……ああ、わかった。必ず渡す」
「それと、これはお前にだ。きっと寂しがり屋の結衣は、俺が居なくて泣いちまうからな。そんな時は、これ。春樹様特製オリジナルレターを読みな。きっと元気ハツラツになるぜ」
「……ええ、必ず読むわ」
「お、おぉ、冗談だったんだが……」
いつもの調子で話す春樹と、不安げで俯く如月がゆっくりと移動するのを黙って見守りながら、俺は春樹の後方につく。
続々と凄腕の魔法使い達が、術式の周りに集まってくる。総勢10人の集団が、グルッと周りを取り囲み、杖を前に掲げた。
いつでもいけるという合図だ。
俺は、それを見て、気配を殺し、ゆっくりと春樹達に向かって歩き出した。
「結衣、そんな顔すんなって。いつか絶対戻るから」
「ああ……」
如月は春樹の励ましを受けても、どこか虚ろで元気がない。それは、俺に春樹の事を頼んできた彼女の言葉からわかることで、ただ春樹の身を案じているだけの事だった。
「無事に……無事に帰ってきてくれ……春樹までいなくなってしまったから、私は……」
「……ああ、ぜってぇ帰る。けど、今はお別れだ」
「ああ……地球で待っている」
円を描く術式の外周を境に、別れを告げ合う二人。春樹は笑顔だが、如月は今にも泣き出しそうだ。
「まぁ、そん時は獣人の嫁を連れて帰るぜ」
「馬鹿ね……本当に」
和かに笑う春樹。それにつられて如月も少しだけ顔を晴らす。
俺はそんな二人に後ろから音も立てず近寄ると、春樹の足に足枷をはめた。
「えっ、何だ?」
春樹が一瞬にして足枷をはめられた事に気が付いた時、俺の手はすでに春樹の右手を手枷にはめ終わっていた。
「ヒナタ、お前何を……」
呆然と俺の顔をみた春樹に、俺は一言添えつつ、力任せにもう一方の手も手枷の穴にはめた。
「嘘ついて悪かった」
トンッ──
軽い音とは正反対に、春樹は床から足を離し、吹き飛んだ。それを目の前で見ていた如月は『えっ? えっ?』と困惑し、俺と春樹を交互に見た。
一方で、吹き飛ばされた春樹は、背中から落ちた痛みに一瞬顔を引き攣らせたが、ガッと顔を起こすと、俺の顔を睨みつけ叫んだ。
「どういうことだよ、ヒナタ! 俺がいないと……!」
「必要ない。お前達は自分の世界に帰れ」
「ま、待って、ヒナタくん。春樹が一緒に帰れるのなら、昨日の話は……」
「全部嘘さ」
俺は冷たく言い放つと、如月を本気で威圧して一歩後ずらせる。そして、春樹へと向き直り、別れの笑顔を作った。
「嬉しかった。お前らとまた会えて」
「待て……ッ!やめろ!」
春樹は枷をどうにか破ろうと、必死にもがく。だが、俺はそれに取り合わず、枷の鍵を状況が飲み込めていない如月に投げ渡すと、一度春樹と如月、それぞれの顔をしっかり見てから、口を開いた。
「今度は、ちゃんと言えるな」
「待てって……! 待てって、言ってんだろぉがぁッ!」
だけど、春樹は俺の言葉に耳をかそうとせず、ただただ叫ぶ。唾を床に撒き散らしながら、俺が一瞬でも躊躇してくれる事を願うように。
その名を口にした。
「嶺自いぃッ!」
その名の意味を、瞬時に理解出来た者は俺と春樹以外にはいないだろう。だが、理解していたからと言って、俺はもうやめる気などない。
これが俺の出した答えだからだ。
「えっ……?」
俺のすぐ目の前にいた如月は口を小さく開けて固まった。その顔は、真っ直ぐと俺に向けられ、俺の答えを待っているかのようだった。
だけど、俺はそれに答えるような事はせず。
「さよなら、春樹、如月。俺はこの世界で生きていく」
別れの言葉を口にした。
「やめろぉぉぉッ!嶺自ッ!」
「まっ、待って! ど、どういうことなの⁉︎」
二人の叫び声が聞こえた。けれど、目を閉じ、あの世界の光景を思い浮かべ始めた俺は、それに一切反応する事なく、瞬時にイメージを構築し、世界を超える術式の引き金に手を掛けた。
じゃあな、二人とも。
「──勇者送還術式発動!」
俺の言葉で魔法使い達が一斉に魔力を流し込み、俺もまた魔力を解き放つ。眩い光が、床に描かれた文字に伝い、火が吹き出すかの如く、一瞬にして立ち上がる。
目を開けた時、もうそこには光以外何もなかった。天井を突き抜けるかの如く立ち上がった光の壁。轟音ではないが、とても大きな術式の作動音が、俺の言葉も、勇者達の叫びも飲み込んで、消し去っていく。文字どおり、この世界から。
ふと、俺は空間の歪みを感じた。いや、これはそんな生易しいものじゃない。
空間が破れた。そして、まるでそれを補うように周りから中へと吸引力が生まれる。それに俺たちが巻き込まれるのを、術式が防いでいる。
つまり、この術式の輝きが空間の破れにより生まれた引力を打ち消し、術者が送還に巻き込まれるのを防いでいるのだ。
だから、その光が消えるという事は、空間の破れが塞がり、送還が完了したという事に他ならない。
空気中に漂う魔力の残り香が、まるでその光が散ったかのように、キラキラと舞い落ちる。
俺は空を見上げるかのように、顔を上げると……
「じゃあな」
そう静かにつ──
「──ふっざけんじゃねぇッ!」
怒鳴り声と共に、頬が強い衝撃に叩かれた。
「っ……」
頬がズキズキと痛む。俺が体を起こし、顔を上げるとそこには──春樹の姿が。
しかも、その隣には如月の姿もある。
「お前どうやって……それに如月まで……」
体の自由は奪ったはずだ。如月には終始威圧を掛け続けた。
それで、十分こいつらを送り返せた筈なのだ。
なのに……何故まだこいつらはいるんだ。あの光の壁に何故拒まれず出て来れたんだ。
そんな疑問に二人は答える事はなく、春樹はずかずかと音を立てて俺の前まで来て、胸ぐらを掴み、体を持ち上げた。
「放っとけねぇんだよ!」
問いの答えはそれだった。
初めて見る春樹の涙。悔しげに、そして、怒りに歪められた顔。
俺はそれを見て、言葉を失った。
そして、春樹は何も言えなくなっている俺の顔の前で、大声で叫んだ。
「人の事ポンポン忘れるし、話し掛けても愛想ねぇし、終いには死にやがって……っ! こっちに来てからも、ぼろぼろになって3日も目さまさねぇしよ……!俺はな、放っとけねぇんだよ! 目離したらお前、また居なくなっちまうんだろうがっ! そんな奴放って帰るれるかよッ! 帰れねぇよ!」
春樹は泣きながら、叫ぶのだ。初めてみた春樹の泣き顔は、ただただ必死だった。必死になって、情けないとか、無様だとかそんなものは無視して、自分の心をそのまま言葉にしている。
俺は、そんなありのままの言葉に胸を打たれた。
これ程まで、俺を思ってくれる友に、涙すら浮かべて。
パッと手を離されて地面に落ちた俺の前で、如月が膝を折る。
「嶺自……なのね?」
疑いを持たない澄んだ瞳。それが真っ直ぐに俺を射抜く。
「……俺にはお前らと過ごした記憶は殆ど残ってないんだ。それでも、お前は嶺自だと思うか?」
目元を拭い、今度は如月に俺は春樹にも聞いたような事を口にした。それは、春樹からは答えがあった質問だ。
だが、俺にとってはそれは、日向嶺自との境界線なのだ。その境界線こそが、俺をこの二人とを隔つ壁なのだ。
如月は過去を思い出すように目を閉じて、ゆっくりと口にした。
「……春樹が丁度一年くらい前に私に言ったわ」
如月は涙を拭う春樹へと視線を送る。
「一からやり直さないかって。私はそれに賛成した。だから──残りはあなただけよ」
そして、今度は俺に顔を向けて、手を伸ばす。
「やり直す……か」
「ええ、初めから。失くしてしまった思い出も、壊れてしまった関係も、全部初めから。だから、あなたの記憶なんて関係ない。大事なのは……これからの私達。それだけよ」
「……直るかと思うか?」
俺は伸ばされたその手をすぐには取らず、そう問いかける。だが、如月は即答で言い切った。
「直るわよ。三人なら。だって、それを作ったのは私達なんだから」
如月の迷いのない答えを聞き、俺は背中から大の字に倒れた。
「参った……俺の完敗だ」
ここまで念入りに足元固めて、色々と悪知恵働かせて負けたのは、初めてだ。
春樹の本気の叫びを聞いて、如月の迷いのない提案を聞いて、俺は思ってしまった。
もう一回やり直したい、と。俺が失ってしまったものを、3人で取り戻したい、と。
そう思ってしまった俺には、もうこいつらを送り帰せない。
完敗だ。
「じゃあ、手を取って」
胸辺りまで伸ばされた細くて白い手。俺はそれをチラリと見て。
「勝手に取ればいいだろ?」
そう言って両手を上げ、降参のポーズを取る。
「そうする」
「ったく……」
右手と左手に、二人の手が繋がれ、如月と春樹の手も繋がれる。
「もう隠し事はなしだから」
「勝手にいなくなるのもな」
二人は、笑って俺の手を引きながら、俺を引き上げる。二人と同じ高さまで。
「……わかったよ、結衣、春樹」
二人の笑った顔を交互に見て、俺はもう忘れないとその顔を心と記憶に深く刻み付けた。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
さて、色々と積み込み過ぎたせいで、長くなってしまったこの章も、エピローグ的なものを一話残しようやく終わりです。予告していたディクルドの番外編の後半をやった後、次章に入っていきたいと思います。実は、このディクルドの番外編は、かなり本編にも関わってくるので、番外編はいいやという方にも読む事をオススメしたいです。
ちなみに、次は短いので明日投稿予定。




