99.自由
頰に伝わるツーンとした痛み。ガツンと来る痛みでも、キリキリと胃を締め付けてくる痛みでもない。
だけど、今まで生きてきた中でその張り手は一番痛かった。
痛みは深部まで届いた。
胸の奥で膨れ上がった熱が、初めて目にする彼女の冷たく軽蔑する視線に冷まされて、口や体が自然に動きを止めた。
「最低だよレイ」
普段の彼女の優しく温かい言葉ではない、怒りと悲しさが篭った言葉。
言葉の意味よりも先に、そこに込められた彼女の感情が俺の心を乱す。
「自分の考えが甘かったから、セーラに邪神の加護を与えるの?」
その問いかけに対し、俺は言葉を詰まらせる。
「……確かにそれでセーラは助かるかもしれない。けど、危険な事だとわかっていて、セーラが魔物のようになるとわかっていて、レイはそれをするの?」
考えていなかったと言えば嘘になる。確かに、そうなるかもしれないと頭の隅にはあった。だが、それがどうしたというのだ。
今、死にさえしなければ、後でどうにでもなる。俺がどうにかできる。
そう、具体性を欠く思考を持っていたのは、事実だった。
「 ……最低だね。レイの甘さを彼女にだけ押し付けて。初めから彼女を助けるつもりなんてなかったんでしょ?」
「ち、違う! 俺はセーラを救うつもりで……」
「違わないよ。自分なら出来る。出来ないことはないって、その責任も何も背負わず、ただ思ったままに行動しただけ。今のレイは最低だよ」
シャルステナの言葉を俺の考えを見透かすように深く痛い所を突き刺した。
「やっとわかったよ。レイは他人を見下してたんだね。自分以外どうなっても構わないんだね」
ただ淡々と俺を責め立てる彼女の言葉は、重く俺の肩にのしかかる。
「……すごく自分勝手。さすがに呆れちゃったよ」
「見下してなんか……」
「見下してるよ。武闘大会で優勝したから? クラーケン討伐でチヤホヤされたから? S級相手に怪我一つ負わなかったから? それで自分が何をしてもいいとでも勘違いした?」
……勘違いなんかじゃない。全部俺が特別だから出来た事だ。
そう心の中で反論するだけで、それが言葉となって口から出る事はなかった。まるで、糸が切れ支えをなくした操り人形のように、口が動かなかった。
「おかしいよ、レイ」
あぁ、おかしい。どうしてシャルステナが俺を責めるんだ。シャルステナは俺の……
「武闘大会で優勝したのは凄い事だよ。クラーケン討伐で活躍したのも、S級相手に怪我しなかったのも凄いよ」
そうだよ。俺は凄いんだ。他とは違う。だからーー
「だけどね、それが全部レイ1人の力ってわけじゃないんだよ?」
「……っ!」
何をしてもいい。そう俺の心から発せられた言葉が口から出る前に逆流した。
何かが胸の奥で崩れ去った。逆流と共に流れ込んできた彼女の言葉が、俺の心の奥にある何もかも一人でやってきたという自信の山を土台諸共吹き飛ばした。
胸に穴が空いたような感覚だった。大きな大きな風穴に言葉の風が吹き、肉を抉り取られるような痛みが胸を走った。
「レイのお父様やお母様、王立学院の先生や友達、他にもレイが関わった人達みんなのおかけでもあるんだよ」
シャルステナの言葉は欠けたものを補うように俺の中へと入ってきた。
俺は、この時、自分の思い上がりに初めて気が付いたんだ。
彼女の言葉全てを受け入れたわけじゃない。だけど、俺の力は自分だけの力じゃない。それだけは、その通りだと思った。
そんな当たり前の事を彼女に指摘されなければ、気が付かない馬鹿で、自分勝手で、横暴な俺自身に何を口に出せばいいのか、わからなかった。
俺は…………
自分一人でなんでも出来ると思っていた。だって俺は特別なんだから。
だけど、気が付くべきだった。
それは与えられたもので自分で手にしたものではない事に。
ノルドに与えられた二度目の生、そして恵まれた環境のお陰だとも思わず、自分1人の力だと思って他人を顧みなくなった。邪魔する奴は全て敵。それを全て払いのけた先に自由があると勝手に思い込んだ。
俺は馬鹿で、傲慢だ。
ちょっとうまくいったからと、調子に乗って思い上がってた。
セーラの事もそう。俺ならセーラを救えると本気で思っていた。
たとえ武闘大会に出て、それで時間がなくなっても、元気に笑っていたセーラを見て、まだ大丈夫だと勝手に判断し、思うままに行動した。それがやせ我慢であるとも気付かず、彼女に無理をさせた。
……何も変わってない。
以前、シャルステナ達に言われた時から。前はその責を王都に住む人々に押し付けて。
結局俺はまた自分1人の力で解決しようとして、その重荷は全てセーラに背負わせた。
何て自分勝手で、傲慢で、横暴なんだろう。
所詮は自分の何でも出来るというプライドの為に、彼女を利用し、いざとなったら、その欲の為に彼女を犠牲にする。
最低だ。クズのやる事だ。
『俺』が彼女を助けたいと思ったのは、所詮俺の中の『あいつ』が望むからだった。
『俺』自身の考えは、セーラを見捨てる事が正しいと思っていた。それでも、俺が彼女を助けようと行動したのは、この無責任なプライドがあったからだろう。
それはセーラや周りの事を頭の中から追い出し、邪神の結晶を使えばまだ助かるなどという身勝手な考えをもたらした。
これまで己の力を過信し、周りの事も考えず、自分のやりたいように振舞ってきた。
そうする事が、自由だと思っていた。
自由を履き違えていたんだ俺は……
他人を顧みず、己の事だけを考え生きる事。それが自由だと思っていたんだ。
自由と自分勝手は紙一重だ。俺にはこの違いがわからなかった。
……いや、今もわからない。
その結果がこれだ。
邪魔者を排除して、思った通りに行動して得た結果は、セーラの病状の悪化とシャルステナからの侮蔑の視線。
これが俺の望んだ自由なのか?
……違うだろ。いや、違っていて欲しい。
けど、だからと言って、俺は何を望んだというのだろうか……?
俺はそれに答える事は出来ない。答えを持っていない。
ただ、今より明日、もっと自由な人間にと何も考えず傍若無人に生きてきた俺にとって、『自由』はただ求めるもので、それが何か考える必要も、考えようとした事もなかった。
俺にとっての自由ってなんだろうか……
今の俺の自由は周りを考えていない。周りを考えて行動すれば、自由な行動は出来なくなる。
本当に自由を求めるなら、俺は……
一人でいるべきなのかもしれない。
一人で、自分勝手に、横暴に生きていけばいい。
余りの馬鹿さ、情けなさに、俺はそんな自暴自棄的な考えを持ち出していた。
しかし、自分自身を見捨てようとしていた俺をシャルステナは見捨ててはくれなかった。
「レイ、今日は今言った事部屋に戻って一人で考えてみて。セーラには私がついてるから」
俺にはシャルステナのその優しさが痛かった。いっそ『もう顔も見たくない』と見捨ててくれた方が、楽だった。自暴自棄に陥って、何もかも捨てて、一人で生きる方が俺にとっては楽だった。
だけど、シャルステナは変わらず優しげな表情を最低な俺に向けてくれた。
ーーわからない。
どうして俺にそんな優しくしてくれるんだ。
いつも俺みたいなクズの後始末ばかりさせていたのに。
何で見捨てて、放り出してくれないんだ。
俺はシャルステナに言われた通り部屋に戻った。部屋に入ってすぐ扉にもたれかかるようにして泣いた。
心の底から後悔した。自分自身の行いに。
俺はクズだ。ちょっと力を持ったからと、無闇にやたらに振る舞い、いざとなったら責任を放棄するただの大馬鹿クズ野郎だ。
迷惑ばっかりかけて、彼女の言葉を聞こうともしなかった。
だけど、そんな俺にもまだシャルステナは優しさを向けてくれた。それが暖かくもあり、痛くもあった。
……変わらなきゃいけない。
何がなんでも。
俺みたいなクズを案じてくれるシャルステナにこれ以上呆れられない為にも、俺を慕ってくれるみんなの為にも、何より自分自身のために。
〜〜
次の日、シャルステナと二人でセーラの事を話し合った。いや、話し合いにはなっていなかった。
シャルステナが言った言葉は、俺の頭を素通りして出て行った。
「……イ…………レ……イ、レイ、レイ、聞いてる?」
「うん? ああ」
素通りどころではなかった。次第にシャルステナの言葉が耳に入らなくなっていた。
昨晩から頭の中でずっと昨日の事を考えていた。そんな俺を見てシャルステナは反省したらどうすればいいか話し合おうよ、と話し合いの場を設けてくれたが、俺は意識ここにあらずであった。
「…………今日はもう休も?」
「あ、うん、そうだな」
シャルステナは俺を気遣ってくれたのか、そう言って部屋に戻って行った。
その後も俺はずっと考え続けた。
セーラを助ける為にはどうすればいいか。
自由とはなんなのか。
俺は一人でいるべきなのか。
そして、変わるにはどうすればいいかを。
そんな事をずっと同時に考えて、俺の頭の中はグチャグチャになっていた。纏まらない考えが幾つも点在し、別々の考えであるはずのものが混ざり合い、答えが出ないものと化していた。
そんな状態になっても考えをやめなかった俺は、いつの間にかベットの上で眠りについていた。
そして、丸一日眠りにつき目が覚めると、頭がスッキリして、グチャグチャになってしまっていた考えが、きっかり4っつに分かれていた。
そして、まず自分が考えなければならない事をしっかりと理解できた。
「世界樹の雫を手に入れる」
俺は言葉に出して自分の取るべき行動を確認した。
次は、それをするにはどうするべきか考えた。そして、シャルステナが先日話し合いをしようと言っていた事を思い出す。
思い立ったが吉日。俺はすぐにシャルステナ達の部屋に赴き、扉を手で軽く叩く。
「シャル、入っていいか?」
中にいるシャルステナに向かって声をかけた。しばらくして扉が内から開く。
そして、中から顔を見せたシャルステナに俺はすぐに頭を下げた。
「悪かった。俺が間違ってた」
「……うん。落ち着いたんだね。だけど、今はセーラの事を考えよう?」
安堵の表情を見せたシャルステナは、俺を中に招き入れようとした。だけど、セーラの寝ている部屋に入るのを俺は躊躇い、中に入らずそのままシャルステナに自分の考えを話した。
「あれから色々と考えた。だけど、結局一つしか思いつかなかった」
初めからこれ以外に方法なんてなかったのだ。
「俺が世界樹に行ってくる」
時間を沢山無駄にした。けど、もう無駄にはしない。無駄になんて出来ない。
「必ず間に合わせてみせる。だから、セーラの事を頼む」
「そう……うん、それしかないね。わかった。セーラの事は任せて。だから、レイも気を付けてね。死んだら許さないよ?」
「……ああ」
まだそんな事を俺に言ってくれるのかとシャルステナに感謝した。
だけど、同時に……俺は彼女の側にいていいのかわからなくなった。
その優しさを俺がもらっていいのか……わからなかった。
「……行くか、最速で」
俺は全力で走った。この時になって俺は焦りを初めて覚えたのだ。……遅すぎる。
だが、今後悔する事は時間の浪費でしかない。今はまず自分に出来る事から始めよう。
世界樹へはあと少しだ。全力で走り抜ければ往復で10日とかからないはず。
だが、もう猶予はあまり無い。
七大秘境と呼ばれる場所の一つなのだ。簡単にいくと思っていた俺がどうかしていた。
今は一刻も早く世界樹へ。セーラを救う為に。
そう強く心の中で思った時、突然、俺の足が劇的に速くなった。それは、思いが力に変わったというよりは、俺の思いに内にある何かが応えてくれたような感覚だった。
ーー今ならあいつの気持ちもわかる気がする。
ただ助けたかったんだあいつは。
だけど、助けられなかった。あいつもまたそれを後悔していたんだ。
その思いを晴らすためにあいつもまたセーラを利用した。
俺は、俺たち二人は揃いも揃って馬鹿野郎だ。
命を弄んでる。
俺とお前は、変わらないといけない。この旅が終わったら二人で探しに行こう。その答えを。
それは俺がもう一人の自分の心を受け入れ始めた瞬間だった。
そして、それはあいつも同じ。
この時初めて俺とあいつの心が繋がった。それは現実に証拠として現れていた。
いつもより軽い体。そして、遥かに速い足。
何が起こっているのかはわからない。わかるのはたった2日で世界樹へと辿り着けたという事実だけであった。
「ここが世界樹の森……」
俺の眼前には樹齢500年は超えていそうな巨木の森があった。
「凄い霧だな」
森に一歩で踏み入ればどこにいるのかもわからなくなりそうな程の深い霧。モクモクと立ち込める霧は森を彷徨い、その森から離れようとしない。不気味にも見える霧は人を飲み込んで離さないような雰囲気を醸し出していた。事実、この森に入って出てこれなかった者は数え切れない。
「ここで怖気付く暇はないからな」
俺は息を整えた後、躊躇わず足を踏み出し、その霧の中に呑まれた。
〜〜
深い霧は太陽の光も通さない。
クスクス
まるで洞窟の中のような薄暗い森。
クスクス
立ち込める湿気が肌の上で凝結して汗のように流れる。
クスクス
それは徐々に俺の体温を奪い取っていく。
クスクス
そして森に入ってから何度も聞こえる不気味な笑い声。
「秘境と言うだけはあるか」
開けない視界。狂わされる方向感覚。そして、何故か阻害されるスキルと魔法。特に空間系スキルの阻害度は比較にならない。全く発動しない。
空間だけが頼りと言っても過言ではなかったのに、それを補う千里眼も透視も、視界がボヤけるだけであった。
「この霧が怪しいな。魔力っぽいものを感じるし……」
原因はこれ以外考えられない。だが、それがわかったところで、今何か出来るわけでもない。
普段なら風魔法で吹き飛ばすところだが、全力で上級魔法を唱えてもそよ風程度にしかならないのだ。
クスクス
「いや、もう一つ怪しいのがあったな」
俺は耳を澄ませた。
クスクス
クスクスクスクス
クスクスクスクスクスクスクスクス
「そこだ!」
俺は馬鹿にするな笑い声の聞こえた方向に手を伸ばした。しかし、何かを掴む事はなく、ガツンとした感触だけが伝わってきた。手の当たったところを見てみると、それは木だった。
「逃したか……」
『いたいだろぉ〜。オレっちは笑っただけだろ〜。いじめだぁ〜。オレっち人間にいじめられたァ〜』
「ッ! どこだ⁉︎」
俺は四方八方に目を走らすも、深い霧が邪魔して声の主を捉えられない。
おかしいな? かなり近くから聞こえた気がしたんだが……
『いつまでオレっちに触ってるんだぁ〜。セクハラだぁ〜。オレっち人間にセクハラされてる〜』
触ってる?
俺は自分の手に目を向けた。その手はガッシリ巨木へ当てられていた。
俺はその手を辿るように巨木を見上げた。
「いやいやいやいや、木が喋るわけないよな。霧で頭がイカれたのかな。幻聴が聞こえる」
『オレっち見詰められてる〜。告白だぁ〜。オレっち人間に告白される〜』
「やっぱこの木か⁉︎ 木が喋ってる⁉︎」
どうなってるんだこの森は! 木がしゃ、喋ったぞ⁉︎
『オレっち木じゃないぞ〜。誤解だぁ〜。オレっち人間に誤解されてる〜』
「じゃあなんだよ⁉︎ 俺は喋る木なんか聞いた事ないぞ⁉︎」
『オレっちは木の妖精〜。優しい〜。人間に教えてあげるオレっちって優しい〜』
妖精⁉︎
「イメージが違うんだけど……こうなんか、ちっちゃい人間みたいになれないのか?」
『オレっち妖精〜。なれるなれる〜。オレっち人間みたいになれるなれる〜』
ポッと木が光を帯びた。そして、光子が集まるようにして、羽根の生えた小人が現れた。
「おおっ!」
「オレっちエンターテイナ〜。ドッキリ〜。人間にドッキリ仕掛けたよ〜」
妖精は小さな帽子をはためかせながら、俺の周りを蝶のように飛び回る。
これが妖精か。イメージ通りといえばイメージ通りだが、どこかゴルドっぽい。あいつは実は妖精の血を引いてるのかもしれない。
「なぁ、世界樹に案内してくれないか?」
「オレっち暇じゃない〜。忙しい〜。忙しい時には甘い物が食べたいぞ〜」
案内料は甘い物って事か?
「飴ちゃんならあるけど、案内してくれないか?」
「飴ちゃん〜? オレっち甘い物大好き〜。いいぞ〜。飴ちゃんくれたら、案内してやるぞ〜」
交渉成立と。
俺はカバンから飴を取り出すと妖精に封を開けてから上げる。小さな飴玉を妖精は両手で抱えてペロリ。
「甘い〜。美味しい〜。飴をくれたから、案内してやるぞ〜。ついてくるんだな〜」
妖精は飴玉を抱えたままフラフラと霧を突き進む。まるでどこに世界樹があるのかわかっているかのように、迷いなく進む妖精の後を、俺は見失わないようにと気を付けながらついていく。
「この森に住んでる妖精はお前だけなのか?」
「お前じゃない〜。オレっちパッキ〜。この森に住んでる妖精〜。オレっちだけじゃない〜。この森全ての木が妖精〜」
「全部? この木々全部が妖精なのか?」
いったい何百いや、何千人いるんだ?
これも世界樹の加護とやらなのだろうか?
この森にだけ密集し過ぎだろ。
「そうだ〜。また驚いた〜。オレっち人間驚かすの好き〜」
「なるほど、だからクスクス笑ってたのか」
「それは人間が同じ場所クルクル回ってたからだな〜」
…………全然見えないんだから仕方ないだろ。
「パッキー、この霧はお前達のイタズラか?」
「世界樹〜。妖精王の宿る木〜。妖精王の神力、世界に伝える。霧は漏れ出た〜。力が漏れた〜」
妖精王が待ってるのか。それに神力って言うぐらいなんだから、当然相手は神か。
どんな神が待ってるんだろうか……
そんな風に緊張を高めていると、パッキーは歌うように知らせてきた。
「力晴れる〜。ご到着〜。世界樹の守り女、妖精王のおなーり〜」
パッキーの言葉が言い終わった瞬間、パッと霧が晴れた。驚いて後ろを振り向けばそこにはまだ深い霧がある。だが、俺たちが出たそこには、世界樹を囲むように広がる一帯は霧が晴れていた。
そこに聳え立つのは世界樹。見上げても頂上が見えない程に高く天へと伸びた世界樹の前には妖精と言うよりは人に近い女性が立っていた。一つ人と違うのは、その背に美しく透明な羽根が生えている事か。
「パッキー、そんな登場の仕方は嫌だわ。もっと普通にしてくれない?」
「オレっちエンターテイナ〜。普通の登場はない〜」
「自分は普通に登場した癖に……」
妖精王はパッキーに小さく愚痴を言いながらも、視線を俺に移した。
「ようこそ、世界樹へ。私は世界樹に宿る妖精、又の名を妖精神フェルアラート」
そう言ってペコリと小さくお辞儀する妖精神。
「初めまして。俺はレイです。早速ですが、妖精神様お願いがあります。世界樹の雫を俺にください。助けたい子がいるんです」
俺は深く頭を下げた。ここで何か失敗しては全てが水の泡になる。妖精神の機嫌を損ねるような事は言ってはならないと緊張しながら言った。
「構いませんよ。ただし、世界樹の雫を渡すには一つだけ条件があります」
条件?
俺は顔を上げ、妖精神の言葉を待った。
「……死神をご存知ですか?」
「えっ? あ、はい。聞いた事はありますよ」
何故、突然死神の名が出てくるのだろうか?
まさか……死んだら死神に魂を渡すのが条件とか言うじゃないよな……?
俺はゴクリと息を飲み、
「条件とは死神に会ったらここに来るように伝える事です」
すぐ吐いた。
神の出す条件だからと無駄に深く考え過ぎたようだ。
「わかりました。死神にそれを伝えればいいんですね? それで死神にはどこへ行けば会えるんですか? 死の都とか?」
「死の都? いえ、そこは神でも簡単に行けない場所です。死神はそこにはいないでしょうね。彼の目的にそこに行く理由はないから。彼はこの世界を彷徨い歩いています。この世界のどこにいるのかもわかりません。だから、偶然会えた時でいいので、それを伝えてください」
妖精神が伝えたかったのは死神は世界のどこにいるのかわからないという事だろう。だが、俺は別のところに反応していた。
ーー死の都はやっぱりあるんだ。
存在が疑わしかった死の都。しかし、妖精神は神でも簡単には行けない場所だと言った。ひょっとしたら妖精神は行き方も知っているのかもしれない。
だが今は……
「わかりました。必ず伝えると約束します」
「ふふっ、ありがとう。だけど、もう何千年も待ってるから会えなくても気にしないでね」
妖精神は笑いながら言ったが、俺はとても悲しく感じた。俺はこの人と同じ表情を見た事がある気がする。
その時彼女は泣いてた。酷く悲痛な叫びだった。
何千年も待ってる。簡単に言うが、それはどれだけ辛い事なんだろう。
必ず伝えよう。伝えてあげたい。
そう感じた。
「では、世界樹の雫を差し上げましょう」
妖精神はゆっくりと手を前に。それに伴い木のツタが俺に差し出された。そこには雫の入った瓶がぶら下がっていた。
これが世界樹の雫。見たのは二度目。前は断崖山の浄化に使ったっけか。あの時のお礼も言っておかないと。
「ありがとうございます。それと、2年前も断崖山の浄化に協力してもらってありがとうございます」
「浄化? あぁ、ひょっとしてレディクに渡した雫の事? そう、上手くいったのね」
やはり親父の事を知っていた。
「ええまぁ。魔物大進行が起きたりと色々ありましたけど、ギリギリで親父が間に合ったお陰でなんとか」
「そう。それは良かった。私としても恩恵が届かないのは困るから…………今なんて? えっ? 親父? あなたあの馬鹿の息子なの?」
妖精神はサラッと流そうとして、出来なかった。純粋に驚いている妖精神を見て、イタズラ好きの妖精はニヤリと笑う。
お前が笑うんかい!
「ええ。あの馬鹿の息子です」
「ええぇぇ⁉︎ じゃあ、ひょっとしてミュラちゃんの…」
「息子ですね」
妖精神は俺が二人の息子である事を知ったとたんおばぁちゃんの様に優しい目になった。
「あの二人の子供なんだぁ。いいなぁ。そっか、あの二人がね……懐かしいわ。彼らがここで居座ってた頃が」
そんな風に昔を思い出し、凄く気になる事を口走る妖精神。親父達ここで何したんだろ?
聞きたい。凄く聞きたい。けど、今は我慢だ。
早く帰らないと行けないんだ。
「妖精神様、この雫を早く届けないといけない子がいるので、そろそろ失礼します。今度来た時にその時の話聞かせてください」
「そう、だったわね。だけど、少し待って。加護をあげる」
やっぱり神に会ったら加護が貰えるんだな。妖精神の加護は何だろうか?
また羽根が生えたりするのだろうか?
「世界樹の恩恵を貴方に」
手を合わせ祈る様に言った妖精神。そして、世界樹から俺の中へ加護が流れ込む。
これが妖精神の加護。
感じる。強くて優しい、世界を見守る力の存在を。
この力は……
俺は目を閉じた。
深く深く、より深部へと。
今感じた力を探し求め、そして自身の中でそれを見つけた。
妖精神の加護を。
俺はそっとそれに手を伸ばしーー
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
今週は、土日のどっちかにもう一話いけそうです。……たぶん。