100.世界へ……
それは暖かく柔らかな光。この数日の間に蓄積した疲れがその優しい光で癒されていく。まるでシャルステナの魔法のようだ。
その優しい光はやがて俺に吸収されるようにして形を作る。
「驚いた。加護を使う技を身に付けてるのね」
肌は少し緑化し、竜化の時のような鱗は生えていない。だが、翼の代わりに羽根はしっかりとあった。
薄緑色の肩から腰にかけて伸びた二つの羽。しかし、羽根は柔らかく、透けるほどに薄い。とても俺の体重を支えて飛べそうなものでなかった。あるいは魔装すれば可能かもしれないが、竜化のような戦闘力向上はあまり期待できそうにない。
俺は変貌した体を一通り見渡すと、目の前の妖精神に確認を取るように呟いた。
「妖精化? って感じかな?」
「ええ、そうよ。私の加護は自然治癒力と方向感覚を強化するから、きっと迷う事なく帰れるわ」
治癒力は疲れが吹き飛んだ事でわかった。だけど、方向感覚とは何だろうか?
ひょっとして、この慣れない感覚の事を言ってるのだろうか?
「方向感覚? ひょっとして、このなんか馴染みのない感覚の事を言ってるんですか?」
「ええ。それは生きとし生けるものの息吹。つまり、生物の位置を感じ取っているの」
生物の息吹……つまりはこの木達が目で見なくてもどこにいるのかわかるのか。だから、パッキーはこの霧の中でも方向を間違えなかったんだ。
妖精はみんなこれを感じ取れるのかな?
確かにこれなら自分がどこに向かってるのかよくわかる。これならパッキーの案内なしに森を抜ける事が出来そうだ。
「ありがとうございました、妖精神様。俺は帰ります」
「ええ。貴方の助けたい子を助けられるといいわね。また来てくれると私は嬉しいわ、レイちゃん」
「必ずまた来ますよ。聞きたい事もあるんで。パッキーもここまで連れてきてくれてありがとうな。これ、少ないけど残りの飴ちゃんもあげるよ」
「飴〜。けど持てない〜。仕方ないから妖精王にもあげるんだな〜」
「ふふっ、ありがと」
俺の掌一掴み程の飴ちゃんはパッキーには多すぎたようで、俺は妖精神に残りの飴を渡した。妖精神は飴を受け取ると嬉しそうに笑う。彼女もまた甘い物が好きなのかもしれない。
そんな飴に心奪われる二人に軽く手を振ってから、勢いよく俺は再び霧の中に飛び込んだ。
相変わらず晴れない視界の中、木々の息吹だけを頼りに森の中を疾走する。
来る時は散々迷ったのに、今は木の位置が俺がどの方向に進んでいるのか教えてくれた。霧の阻害効果も働かなかった。加護を使うスキルは阻害されないようだ。何故かはわからないけど……
霜でぬかるんだ地面に足跡を残しながら、駆け抜けること30分。俺は世界樹の森を抜けた。
開けた視界。振り返れば、真っ白で雄大な世界樹の森が聳え立っている。
これで二つ目。残りは後5つ。
俺は達成感を噛み締め、それもそこそこにすぐにまた走り出す。
あまり感慨に耽っている時間はない。一分一秒でも早くセーラの下へ。
行きと同じく、帰りもまた俺の体はいつもより軽かった。未だ繋がっている心が俺に力を貸してくれていた。
大丈夫。これなら間に合う。セーラの側にはシャルステナがついていてくれてるんだ。
不安に駆られる心を自分自身で奮い立たせながら、俺は一目散に走り続けた。
もう何日も寝ていない。だが、妖精化で体の疲れは取れた。今も疲れた先から癒してくれてる。
俺は来た時よりも速く、そして一心不乱で駆け抜けた。
そして、そのまま走り続ける事2日。妖精化の効果もとうの昔に切れ、街を出て5日目の朝。俺の姿はその町の宿にあった。
「シャル! セーラはまだ生きてるか⁉︎」
「れ、レイ! もう帰ってきたの⁉︎」
たった5日で世界樹から戻ってきた俺に、シャルステナは驚いていた。
「セーラは⁉︎」
「大丈夫。今は落ち着いてるよ」
目を向ければ顔色は悪いが規則正しい寝息を立てるセーラがベッドの上で寝ていた。
間に合った……
俺は心から安堵すると共に、膝から崩れた。そして、そのまま雫の入った瓶をシャルステナに差し出した。
「これ、世界樹の雫」
「手に入れたんだね! これでセーラは助かるよ!」
笑顔で瓶を受け取ったシャルステナの顔が歪んだ。それだけでなく、周りの視界も歪む。
あぁ、もう無理だ。安心したら気が抜けた。眠い……
「悪い、シャル……俺もう限界だ……後はたの……」
俺は前のめり倒れ、この5日分の睡眠を取り戻すように深い眠りに落ちた。
〜〜〜〜
ここは……
覚えのある世界。だが、いつもとは何かが違う。
もう何度もノルドと言葉を交わしたその世界で待っていたのは、ノルドではなくもう一人の俺だった。小さな体。セーラよりは少し大きな体。
それは前世での小学生の頃の俺の姿だった。
だが、『レイジ』はノルドのように言葉を発しようとしない。ただ、悲しげな顔で立っているだけ。
だから、俺の方から尋ねた。
「セーラは救えた。けど、何でお前は泣いてるんだ?」
「…………辛い」
そう俺の顔を見て、『レイジ』は呟いた。
「何が辛い?」
「…………悲しい」
今度は俺の質問に『レイジ』は答えなかった。ただ、それは何かを訴えているように聞こえた。
「どう悲しいんだ?」
「…………何もない」
それは会話ではなかった。俺が尋ね、その答えとは違う『レイジ』の心情が返ってくる。
「…………悲しい」
そして、それを最後に『レイジ』はそこから消えた。同時に繋がっていた心が途切れた。
「……何もない、辛い、悲しい」
それだけが『レイジ』が俺の心へ残していったものだった。
〜〜
眩しい朝日を浴びて、俺は目を覚ました。そこは、宿の部屋。元々俺がとっていた部屋のベッドの上だった。服は世界樹に行った時のまま。もう何日も風呂に入っていない。
さすがに匂う。汗臭いし、心なしか痒い。
俺は体を起こすとシャルステナ達の部屋に行く前に風呂へと入る事にした。宿の人に断ってから、風呂へ入った。
湯船に入る前に汚れた体を洗い流し、樽風呂の中に浸かる。
「ふぅー」
さすがに疲れたみたいだ。だけど、その甲斐もあって間に合わせられた。そう思うとこの疲れも気持ちのいいものに思えてくる。
だけど、同時に俺はセーラに顔を合わす事を躊躇っていた。
俺は彼女の事情を利用しただけ。ギリギリになってその事に気が付き、慌てて雫を手に入れて来ただけだ。
今の俺はセーラの命を助けたと胸を張って言えるような人間ではない。
きっとセーラはそんな俺にでも、ありがとうとお礼を言ってくる。だが、俺がそのお礼を受け取っていいわけがない。
だから、躊躇った。
「……どうすればいい?」
それは答えを求めたものではなく、ただの独り言であった。樽風呂の中から、湯気が水滴となって張り付く天井を見上げながら、俺は独り言の答えを考えた。
俺にとって自由って何だろうか?
俺は1人でいる事を望んでるのか?
俺はどう変わればいい?
そして、『レイジ』を受け入れるにはどうすればいい?
色々と考える事はあった。
だけど、どれも今の俺では簡単に答えにたどり着きそうなものではない。
だけど、考えた意味はあった。
俺にとっての自由の意味を知る事は、俺の望みを知る事でもある。自由を探せば、きっと俺が1人でいたいのかどうかの答えは出る。
これで考える事は3つになった。
俺はさらに思考を重ねた。
俺と『レイジ』は二人して間違えた。どちらも変わらないといけない。だから、これも一つ。
俺が変わる事とレイジを受け入れる事はきっと二つで一つだ。
俺たち2人が変わってお互いに受け入れれば、それはきっとノルドの言った自分を受け入れる事に繋がる。
今の俺たちは互いに相手を受け入れられていないんだ。だから俺たちが変われば、お互いを受け入れられるはず。
これで考える事は二つになった。
俺はまだ考えるのを止めなかった。
俺が変わるには自由の意味を知る事が欠かせない。それを知らなければ変われない。どう変わったらいいのかわからない。
だから、俺の心が求めてる自由が俺は知りたい。でないと、いつかまた間違える。
だから、それを知ろう。
それこそが今俺が考えるべき事。
俺にとっての自由が何か探す事こそが、最重要課題だ。
考えが纏まった。
俺は顔をパシャっとお湯で洗い流し眠気を飛ばすと、樽の中で立ち上がると、パシャパシャとまるで眠気を覚ますかのように顔にお湯をかけてから、
「……決めた」
そう呟いて、風呂を出た。
風呂から上がった後、俺はシャルステナ達の部屋には行かずに、自分の部屋に戻った。
木製の椅子に腰を下ろし、机の上に紙を取り出しペンで文字をしたためる。
それが書き終わる頃にはもうすっかり暗くなっていた。俺は部屋を片付けると、書き留めた手紙とソコソコの大きさの箱を手に部屋を出て、物音を立てないようにシャルステナ達の部屋に入った。
「…………」
シャルステナ達を起こさないよう慎重に動きながら、丸いテーブルの上に手紙と箱を置く。
そして、血色のいいセーラの寝顔を見て、改めて安堵するとハクを一瞥する。
ーー馬鹿な親でごめんな。
そんな風にハクに心の中で謝ってから、最後にベッドで眠るシャルステナへと目を向けた。
「シャル、ごめんな。自分勝手な俺を許してくれ」
静かに静かに、風に掻き消されそうな声量で、愛しい寝顔を見ながら、囁くように言った。
そして、踵を返し扉に手をかけた。今の俺に彼女の近くにいる資格なんてない。だから、黙って消えようと思ったんだ。
「ーーほんとだよ」
「…………」
背後から聞こえた声。それは間違えるはずもなくシャルステナのものだった。ドアノブにかけた手が自然と止まる。俺の心に迷いが生まれた。
このまま黙って答える事なく出て行くか、また彼女の冷たい視線を向けられる事を覚悟して振り返るか、迷った。だけど、それは覚悟していたはずだろと、自分を叱咤し、俺はゆっくりと振り返った。
振り向いた先には、先程までシャルステナが横になっていたベットの上で、腰から下をシーツで隠しながら座るシャルステナの姿があった。
彼女は顔を背ける事なく、真っ直ぐ俺の顔を見て、小さく微笑んだ。その笑みはどこか楽しそうでもある。
「いつも勝手なんだからレイは。だけど、今回は許してあげる」
暖かな笑みを浮かべ、やや嬉しげな表情を覗かせたシャルステナ。しかし、俺がどう答えていいかわからずにいると小さく首を傾けた。
「意外? 私が止めないのが」
「……いや…………どうして……どうしてなんだ? シャルは、俺が最低だって言った。今は、俺もそうだと思う。なのに……何でシャルは俺を見捨てないんだ? 何で俺を嫌わないんだ?」
最近の俺は特に酷かった。何度もシャルステナに止められたのに、止めようとしなかった。終いには、彼女に平手打ちされて、やっと目を覚ます馬鹿な俺だ。だから、愛想を尽かされてもおかしくないと考えていた。いや、尽かされていないわけがないと思っていた。
それなのに、彼女が俺を見る目は以前と何ら変わらない愛に満ちている。俺にはそれがわからなかった。
「私がレイを嫌いになる事なんて絶対ない。たとえレイがどんな酷い人間になろうと、私はずっと愛し続ける。私は……あなたがいないと生きていけないから」
「……わからない」
俺はシャルステナに沢山のものをもらった。この命だって、何度も助けられた。
けど、俺が彼女にしてあげられた事なんて、ほとんどない。いつも振り回していただけだ。
なのに、どうして俺がいないと生きていけないなんて事が言えるのか、俺には彼女の愛がわからなかった。
「うん。そうだと思う。だけどね、私はすごくしつこくて、諦めが悪いの。だから、レイが間違った道に進んでも、手の届かないところへ行っても、私はレイの事を追い続けるよ。絶対に……」
そっと閉じられた瞳の中で、彼女は何を見ているのだろう?
小さな膨らみの上に置かれた手には、何が詰まっているのだろう?
その胸の奥にある彼女の愛は、どれだけ深くまた、大きいのだろう?
この時の俺には、何一つとしてわからなかったんだ。
シャルステナは目を瞑ったまま、『けどね』と続ける。
「……けどね、レイが進むと決めた道を邪魔したいわけじゃない。たとえ、その道に私がいなくても、レイが必要だと思ったのなら、私は止めないよ。間違いに気が付いて、やり直そうとするレイの気持ちを邪魔したくないから」
「……本当は好き勝手やりたいから、離れようとしてるのかもしれないぞ?」
俺自身、俺を信じていなかった。俺が出した結論は、それがしたい為に、自分でも気付かぬうちに捻じ曲げて出してしまった結論かもしれないと、思った。
「間違いに気が付いた人は、そんな選択しないよ。レイは気が付いてないかもしれないけど、それはとっても大切な事なんだよ。人はね、いっぱい間違えて、沢山失敗をして、そうやって大きくなっていくんだよ。だからね、やり直せばいいんだよ。そうやって人はちょっとずつ成長していくの」
やり直せばいいというシャルステナの言葉が、俺の涙腺を刺激した。酷い事をした俺にまだ優しさを向けてくれる彼女の言葉が暖かった。
「レイはそのやり直し方を考えたんだよね。それが何なのか私にはわからないけど、それはレイ自身が答えを見つけなきゃいけない事。だから、レイが私と別れる道を選んだのなら、きっとそれが今のレイにとって必要な事なんだと思うよ」
雲の合間から月の光が差し込んだ。それは青白く部屋を照らし、シャルステナの白い肌が美しく輝く。
だが、それとは対照的にシャルステナの表情は少しだけ曇っていった。
「その結果、レイは私を拒絶するかもしれない。それが少しだけ……怖い。……けどね、私がレイの道に踏み込んだら、きっとレイは私に気を使って、答えを見失ってしまうから。だから、待ってる。私は……レイの事を信じてるから」
月光がシャルステナの目尻に溜まる水滴に反射した。
だけど、それが筋になる事はない。涙は流さないと耐えるシャルステナに俺はゆっくりと近づき、優しく抱き締めた。
「ありがとう、シャル。俺はシャルとは違う道を進むよ。だけど、必ず答えを見つけてシャルを迎えに行く。シャルを拒絶するなんてこと絶対ない。俺はシャルの事が大好きだから。それは道を違えても変わらない」
「……うん」
耳元から発せられた小さくて、泣きそうな声。俺は強く彼女を抱き締めた。回された手は俺の背中の生地を掴み、離したくないとシャルステナの気持ちを代弁するかのようだった。
「シャル、本当にすまなかった。今は自分が思い上がってたって、調子に乗ってたって、わかってる。全部シャルが俺を見ててくれたお陰だ。だから、すまない。また迷惑かける事になる。……だけど、俺は行くよ。俺は、俺自身が納得出来る答えを探しに。今ここで行かなければ、きっと俺はシャルに甘えてしまうから」
甘えているようでは、答えを見つける事は出来ない。だから、俺は決めたんだ。1人で行く事を。
自分1人で世界の荒波に飲まれてみよう。今度は誰も巻き込まず、全ての責を自分に課して、世界に答えを求めよう。
それが俺の出した結論だった。
たとえ、それを信じる事が出来なくても、俺はそれを信じてくれたシャルステナを信じる。
だから、もう迷わない。俺は、この道を歩いていく。
「うん。わかってる。何も心配しないで。私はレイを見守ると決めたから、辛くなんてない。少し……ほんの少し寂しいだけ。だから、レイにとって、大事な答えを見つけて戻ってきて。私はいつまでも王都であなたの事を待ってるから」
ゆっくりとシャルステナを離し、顔が触れそうな位置でお互いの目を見詰め合った。シャルステナの涙で濡れた顔を俺はゆっくり手で拭った。
いつもならキスする場面。だけど、今は違う。それをしてしまったら俺は道を進めない。
「必ず迎えに行く」
「待ってる」
俺は決意を新たに、踏み出した。その道がどこへ繋がってるいるかも定かではない。ひょっとしたら行き止まりかもしれない。
だけど、その道をぶち壊してでも、最後には必ず今いた道に戻ると決意した。
探そう。答えを。何年かかっても。
今いる道はシャルステナが引き戻してくれた道。だから、最後には必ずシャルステナの下へ。
「ーー行くか」
町から一歩踏み出せば、そこはどこまでも続く暗闇。
俺の姿はその闇に飲まれ、消えていく。
だけど、絶対に彼女の下へ答えを持って帰ると、足取りは強く、決して止まる事はなかった。
この時、本当の意味での世界を回る旅が始まったんだ。
たった一人で。そして、探したいと心から思えるものを持って。
俺の新たな旅が始まった。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
本編100話目達成です!ここで章を区切れたらキリが良かったんですが、あと一話あるので、残念ながらキリは良くありません。
次は、エピローグとキャラ紹介、それから次章のプロローグを一気に投稿したいと思います。
章タイトルはただいま考え中です。




