南へ向かう魔物を追ったら、島まで一緒に動いていました
北の湿原では、川が一本増えているらしい。
そう聞いた時、俺はネリの冗談だと思った。昨日まであった水路がなくなるという話だけでも十分に驚いたのに、今度は新しい川ができたと言われても、すぐには信じられなかったのだ。
「正確には、今まで水が流れていなかった場所に、新しい流れができているんだよ」
ネリはそう説明しながら、船の舳先に立って、長い棒を水中へ差し込んだ。
俺達が水上集落を出発したのは、朝日が水面を照らし始めた頃だった。
昨日オルダから聞いた北側の水位変化を確かめるため、今日はネリに頼んで、普段の交易路から少し離れた場所まで案内してもらうことになっている。
船には俺達五人のほか、ネリともう一人の船員が乗っていた。荷物は必要最低限に減らしてあり、船内には余裕がある。
「でも、川ってそんな簡単に増えるものなんですか?」
尋ねると、ネリは肩をすくめた。
「普通の川なら、そう簡単には変わらないだろうね。でも、この湿原じゃ事情が違う。浮き島が動けば水の通り道も変わるし、葦の根が絡まって流れを塞ぐこともあるんだよ」
「昨日聞いた話と同じですね」
「ああ。ただ、今回は変化が少し大きい気がしてね。だから、私も実際に見ておきたいんだ」
彼女はそう言って、前方に広がる葦原へ目を向けた。
水面は朝の光を受けて輝き、両岸には背の高い葦がどこまでも続いている。ところどころに小さな白い花が浮かび、その間を細長い魚が泳いでいた。
景色だけを見ていれば、ずいぶん穏やかな場所だ。
けれど、ここでは昨日まで通れた道が、今日も通れるとは限らない。そんなことを考えると、船旅に慣れていない俺としては、どうしても足元が気になってしまう。
「ユウト、そんなに下ばっかり見てたら、せっかくの景色がもったいないよ」
隣に座っていたミミナが笑った。
「いや、分かってるけどさ。船って、地面と違って逃げ場がないだろ?」
「だからネリさんが案内してくれてるんじゃん」
「それはそうなんだけど」
言い返そうとしたところで、船が小さく揺れた。
慌てて座席の縁を掴むと、ミミナが肩を震わせる。
「ほら、また怖がってる!」
「急に揺れたら誰だって驚くだろ!」
「二人とも、船の上ではあまり騒がないでくださいね」
向かい側からノアに注意され、俺達は揃って口を閉じた。
こういう時だけ息が合うのも、何だか情けない。
少し離れた席では、リリアが周囲を確認していた。ロアンはネリから借りた地図に目を落としている。二人とも落ち着いているように見えるが、初めての湿原であることに変わりはない。
俺ももう少し余裕を持ちたいところだ。けれど、船の揺れに慣れるには、まだ時間がかかりそうだった。
◇
しばらく進むと、ネリが船の速度を落とした。
「先に、寄っておきたい場所があるんだ」
「どこですか?」
「あそこに見える家だよ。昨日、あんた達を追い抜いていっただろう?」
指さされた先には、大きな筏の上に建てられた一軒の家があった。
昨日は二隻の船に引かれて水路を進んでいたが、今はミオラの北側にある広い水面へ移動し、太い縄で杭につながれている。
屋根の形と、窓辺に吊るされた青い布には見覚えがあった。
「あっ! あの家ですか!」
「そうそう。あそこの家族とは昔から顔なじみでね。北の水路のことなら、何か知っていると思うよ」
ネリは家の近くへ船を寄せ、大きな声で呼びかけた。
「おーい! ちょっと話を聞かせておくれ!」
ほどなくして、家の扉が開いた。
中から現れたのは、少し日に焼けた顔の女性だった。水鱗族らしい細かな鱗が首筋に見え、腕には小さな布袋を抱えている。
「あら、ネリじゃない。こんな朝からどうしたの?」
「北の水路を調べに行くところなんだ。この人達が魔物の移動について調べていてね」
ネリが俺達を紹介すると、女性は少し驚いた顔をした。
「魔物の移動? そんなことまで調べてるの?」
「はい。高原の方でも、普段とは違う場所へ移動する魔物が増えているんです」
そう答えると、女性は頷いた。
「そういえば、こっちでも最近は変わったことが多いわね。うちも予定より早く引っ越すことになったし」
「やっぱり、そうだったんですね」
ネリが言うと、女性は苦笑した。
「ええ。北の家をつないでいた水路が、どんどん浅くなってしまって。子供が学校へ通う船まで通りにくくなったのよ」
「学校?」
聞き返した。
「ええ。少し離れた浮き島に学校があるの。子供達は小舟で通っているんだけど、水路が浅くなると、いつもの船着き場が使えなくなるでしょう?」
「なるほど……」
昨日、家が丸ごと移動しているのを見た時には、ただ面白いと思った。けれど、そこにはちゃんとした理由があったのだ。
「家は動かせても、学校まで動かすわけにはいかないからね。しばらくはこっちで暮らすことにしたの」
女性はそう言って、少し困ったように笑った。
水の上に浮かぶ家を見上げる。
人間が暮らしやすいように工夫した家でも、水の流れが変われば移動しなければならないことがある。自由に動けるというのは便利だが、それだけで解決できる問題ばかりではないのだろう。
「お母さん、誰か来たの?」
その時、家の中から小さな声が聞こえた。
扉の隙間から顔を覗かせたのは、七、八歳くらいの女の子だった。
柔らかそうな青灰色の髪を二つに結び、手には木の板を抱えている。
「昨日の船の人達よ」
母親が答えると、女の子は俺達を見回した。
そして、突然目を輝かせた。
「あっ! 昨日、手を振ってくれたお兄ちゃん!」
「えっ、俺?」
「うん! 船からいっぱい手を振ってた!」
……覚えられていたらしい。
少し照れながら手を振ると、女の子は嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃん達、どこに行くの?」
「北の水路を見に行くんだよ。最近、水の流れが変わってるって聞いたから」
「じゃあ、赤いお花の島も見る?」
「……赤い花?」
聞き返すと、女の子は手に持っていた木の板を差し出した。
そこには、青い線で描かれた水路と、緑色の丸い島がいくつか並んでいる。その中の一つだけに、赤い花の絵が描かれていた。
「これ、私が描いたんだよ」
「へえ。上手だな」
「本当?」
「ああ。どこに何があるのか、ちゃんと分かるし」
そう言うと、女の子は嬉しそうに笑った。
だが、すぐに少し寂しそうな顔になった。
「でもね、この島、いなくなっちゃったの」
「いなくなった?」
「うん。おうちの近くにあったのに、ある朝見たら、ずっと向こうに行ってた」
木の板を見つめた。
小さな赤い花が描かれた島。浮き島のことらしい。
「その島って、いつも同じ場所にあったの?」
「うん。大きな木が一本あってね、途中で枝が二つに分かれてるの。赤いお花が咲くと、とっても綺麗なんだよ」
女の子は身振りを交えながら説明した。
その様子を見ていたネリが、驚いた顔をする。
「……ああ、あの島かい」
「知ってるんですか?」
「北の水路に、二股の木が生えた浮き島があったんだよ。長い間ほとんど同じ場所にあったから、船乗り達も目印にしていたんだけどね」
ネリは北の方へ目を向けた。
「そうか。あれまで動いたのか……」
もう一度、女の子の描いた地図を見る。
そこには、大人達が使う地図とは違う情報が残っていた。水路の深さも、船の通り道も書いていない。けれど、毎日その場所を見ていた子供だからこそ、覚えている景色があるのだろう。
「……ねえ、その島がどこに行ったか分かる?」
女の子は首を横に振った。
「分かんない。でも、お母さんは南に流れていったって言ってた」
ネリを見る。
彼女も少し考え込んでいた。
「……ちょうど、私達が調べたい方向だね」
「そうですね」
女の子へ向き直った。
「教えてくれてありがとう。もし見つけたら、どこにあったか覚えておくよ」
「本当?」
「ああ。約束する」
女の子は嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見ていると、少しだけ責任を感じてしまう。魔物の調査に来たはずなのに、いつの間にか浮き島探しまで引き受けてしまった。
もっとも、同じ方向へ向かうのだから、何か手がかりになるかもしれない。
俺達は女性と女の子に礼を言い、再び北の水路へ向けて出発した。
◇
家々が見えなくなった頃から、周囲の景色は少しずつ変わり始めた。
水路の両側には背の高い葦が密集し、その根元には黒っぽい泥が広がっている。ところどころに浅い水溜まりが残り、そこを小さな生き物が素早く横切っていた。
ネリは長い棒で水の深さを確かめながら、慎重に船を進めている。
「……やっぱり浅くなってるね」
彼女が小さく呟いた。
「分かるんですか?」
「ああ。前に通った時よりも、棒が早く底に当たる。もちろん、場所によって差はあるけどね」
水面を見る。
昨日まで広い水路だと思っていた場所も、今は底の泥が見えている部分があった。水の流れが変われば、船にとっては道が狭くなるのと同じなのだろう。
「少し先に、水の高さを測る杭があるはずだよ」
ネリは葦の向こうを指さした。
ほどなくして、一本の太い木杭が姿を現した。
杭の側面には横線が何本も刻まれ、その一部には赤い色が塗られている。
「これが水位の目印ですか?」
「ああ。オルダが記録に使っている杭の一つだよ」
ネリは船を安全な場所へ寄せ、動かないように固定してから、杭を確認した。
俺達も船の上から、その様子を見守る。
「……やっぱり、ずいぶん下がってる」
彼女は杭の印を指さした。
「ここが少し前に測った時の水面だよ。今はそれより下にある」
二つの位置を見比べる。
正確な高さは分からないが、少なくとも水位が変わったことは見て取れた。
「じゃあ、オルダさんの記録は間違ってなかったんですね」
「ああ。ただ、これだけで湿原全体の水が減ったとは言えないよ」
ネリは周囲を見回した。
「別の場所へ流れ込んでいる可能性もある。だから、もう少し先まで見てみよう」
彼女は船を動かし、再び北へ向かった。
その背中を見ながら、少し考えた。
水が減ったという話を聞くと、単純に雨が少なかったのかと思ってしまう。けれど、この湿原では、浮き島が動くだけでも流れが変わる。なら、水が少ないことにも、別の理由があるのかもしれない。
「ユウト、あっちを見てください」
リリアが静かに声をかけた。
彼女の視線を追うと、葦の間に細い水の流れが見える。
最初はただの水溜まりかと思った。だが、よく見ると、水草が同じ方向へ動いている。
「……水が流れてる?」
「そのようですね」
もう少し身を乗り出しかけて、船の縁から離れた位置に座り直した。
さすがに、昨日教わった注意を忘れたわけではない。
「ネリさん、あそこって前から水路だったんですか?」
尋ねると、ネリは顔を上げた。
そして、しばらく水面を眺めたあと、眉を寄せた。
「……いや」
少し考え込んでから続ける。
「あそこは前まで葦が続いていたはずだよ」
「じゃあ、今は……」
「ああ。新しく水が流れ込んでいるのかもしれないね」
ネリは船の向きを少し変え、離れた位置から細い流れを確かめた。
水草は緩やかに動き、葦の間を抜けて南側へ向かっている。
「……なるほど」
彼女はようやく納得したように頷いた。
「これなら、北側の水路が浅くなった理由の一つかもしれない」
「水がこっちに流れてるからですか?」
「そういうこと。ただし、いつから流れているのか、どれくらいの水が移ったのかまでは分からないよ」
頷いた。
今まで使っていた水路から、別の場所へ水が流れるようになった。その結果、北側の水路が浅くなっているのだとしたら、話はつながる。
ただ、どうして新しい流れができたのかは、まだ分からない。
「……ネリさん」
「何だい?」
「こっちの流れって、どこまで続いてるんですか?」
「それを今から確かめるんだよ」
ネリは少し楽しそうに笑った。
彼女も、新しい水路を見つけて興味が湧いてきたらしい。
俺達は安全に進める範囲で船を南側へ回し、新しくできた水の流れを、離れたところから追ってみることにした。
◇
新しい流れは、思っていた以上に広い場所へ続いていた。
葦の間を抜けると、小さな池のような水面が広がっている。周囲にはいくつもの浮き島が集まり、風を受けてゆっくり揺れていた。
その中の一つを見た瞬間、声が出た。
「……あれ?」
少し離れた場所に、赤い花の咲いた浮き島が見える。
それだけなら、珍しくないのかもしれない。けれど、その島には一本の小さな木が生えていて、途中で枝が二つに分かれていた。
「……ロアン、あれ」
「ああ。俺も気になってた」
ロアンが耳を動かしながら頷く。
「さっきの子供が話していた島に似ているな」
「ですよね」
ネリへ声をかけた。
「ネリさん、あれって……」
彼女は島を見つめ、少し驚いた顔をした。
「……ああ。間違いないと思うよ」
「本当ですか?」
「あの二股の木は見覚えがある。赤い花の咲く草も、あの島ではよく見かけたからね」
もう一度、島を見る。
女の子が描いた絵と、目の前の浮き島が重なった。ずっと家の近くにあったという島が、今はこんな場所まで動いてきている。
「……本当に島が引っ越してるんだな」
呟いた、その時だった。
ミミナが突然、島の端を指さした。
「ユウト、あそこ! 何か動いてる!」
「えっ?」
目を凝らす。
赤い花の咲く草の間に、小さな影がいくつも見える。最初は葉が揺れているのかと思った。だが、よく見ると、細長い体に短い脚を持つ生き物だった。
背中には薄い膜が何枚も伸び、風を受けるたびに柔らかく揺れている。
「……風膜獣?」
ロアンが小さく呟いた。
俺も頷く。昨日《渡りの泉》で見た魔物と、よく似た姿をしていた。
数は六、七匹ほどだろうか。中には体の小さな個体も混じっていて、大きな一匹のそばへ集まるようにして動いている。
「……あいつら、島に乗ってるのか?」
尋ねると、ネリがゆっくり頷いた。
「そうみたいだね」
その時、風が吹いた。
浮き島がわずかに向きを変え、周囲の水草が同じ方向へ流れ始める。風膜獣達は背中の膜を揺らしながら、島の中央へ移動した。
そして、島はゆっくりと南へ流れていった。
「……ちょっと待て」
呟いた。
「これって、あいつらが南へ移動してるんじゃなくて……」
ネリが言葉を引き継ぐ。
「島と一緒に運ばれているのかもしれないね」
目を見開いた。
これまで、南へ向かう風膜獣の話を何度も聞いてきた。だから、あいつらが何かを求めて南へ移動しているのだと思っていた。
けれど、今目の前にいる風膜獣達は、自分の脚で南へ歩いているわけではない。浮き島の上に留まったまま、水の流れに乗って移動している。
「……そんなこともあるのか」
「浮き島には色々な生き物が暮らしているからね。島が動けば、一緒に移動するものもいるだろうさ」
「じゃあ、最近南へ来てる風膜獣も……」
「全部がそうだとは限らないよ」
ネリはすぐに答えた。
「自分で移動している群れもいるかもしれないし、もともと南側にいたものを、誰かが見間違えた可能性だってある。今分かったのは、少なくとも、こうして運ばれる風膜獣もいるってことさ」
その言葉に、頷いた。
確かに、目の前で起きていることと、湿原全体で起きていることを、同じだと考えるのは早すぎる。それでも、これまでとは違う見方ができるようになった。
魔物達が移動している。そう聞くと、つい魔物自身がどこかへ向かおうとしているのだと思ってしまう。けれど、そうとは限らないのだ。
「……ロアン」
「何だ?」
「俺達、魔物がどこへ向かってるかばかり考えてたけど、どうやって移動してるかも調べた方がよさそうだな」
ロアンは少し考えてから頷いた。
「ああ。少なくとも湿原では、地形の変化も無視できないみたいだ」
もう一度、流れていく島を見る。
赤い花が風に揺れ、その間を風膜獣達が歩いている。彼らがこの島に自分から乗ったのか、もともと暮らしていた島が動き始めたのかは分からない。
ただ、今は島から離れず、流れに身を任せているように見えた。
「……あの島、大丈夫なんですかね」
尋ねると、ネリは水面の様子を確かめた。
「今のところは安定しているように見えるよ。岸へ近づける場所があるかどうかは分からないけど、無理にこちらから近づく方が危ないかもしれないね」
「……そうですね」
頷いた。
何かを助けたいと思っても、相手が困っているかどうか分からない時もある。少なくとも今は、無理に手を出さず、様子を見守る方がよさそうだった。
赤い花の島は、ゆっくりと葦の向こうへ進んでいく。
やがて、その姿は背の高い草に隠れて見えなくなった。
◇
島が見えなくなったあと、俺達はしばらくその場に留まり、水の流れを確かめた。
ネリは地図に新しい流れの位置を書き込み、ロアンも周囲の地形を見比べている。ミミナは水面を流れる草の動きを観察し、リリアは安全な距離を保ちながら、ほかの魔物が近づいていないか確認していた。
俺は船の上に座り、さっき見た光景を思い返していた。
南へ向かう風膜獣。動き始めた浮き島。浅くなっている北側の水路。そして、新しくできた水の流れ。
全部がつながっているとは限らない。けれど、少なくとも、この辺りでは水の通り道が変わり、浮き島が動いていることを確かめられた。
「……ユウト」
隣にいたノアが、静かに声をかけた。
「どうしました?」
「いや、ちょっと考えてた」
「魔物の移動についてですか?」
「ああ。でも、まだ分からないことだらけだな」
苦笑すると、ノアは穏やかに頷いた。
「それでも、昨日よりは分かったことが増えたのではありませんか?」
「……そうだな」
水面へ目を向ける。
何も分からなかった場所で、新しい水路を見つけた。そこを動く浮き島があり、その上で暮らす魔物達もいた。それだけでも、ここまで来た意味はあったと思う。
「それに、あの女の子にも島が見つかったって伝えられるしな」
そう言うと、ノアは小さく微笑んだ。
「そうですね。きっと喜ぶと思います」
つられて笑った。
大きな事件を解決したわけじゃない。ただ、小さな約束を一つ守れそうになっただけだ。
それでも、こういうことを大切にしたいと思う。誰かと話をして、知らなかったことを教えてもらう。その情報が、別の誰かの役に立つこともある。
俺にできるのは、きっとそういうことなのだろう。
そんなことを考えていると、ネリが声をかけてきた。
「そろそろ戻ろうか。今日は十分に調べられたし、これ以上奥へ行くなら別の準備が必要だね」
「そうですね。ありがとうございました」
頭を下げると、ネリは笑った。
「礼はまだ早いよ。帰るまでが船旅だからね」
「……確かに」
慌てて座り直した。
行きより船に慣れたとはいえ、油断して水へ落ちたくはない。
ネリは船の向きを変え、ゆっくりとミオラへ向けて進み始めた。
◇
帰り道、俺達は再び、昨日の家族が暮らす水上の家へ立ち寄った。
女の子は俺達の船を見るなり、嬉しそうに手を振ってくれた。
「お兄ちゃん! 島、見つかった?」
「見つかったよ!」
そう答えると、女の子は目を輝かせた。
「本当!?」
「ああ。赤い花が咲いてて、途中で枝が二つに分かれた木があった。南の方へ流れていったよ」
女の子は一瞬驚いた顔をしたあと、満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり! あの島、南に行ってたんだ!」
「しかも、島の上には魔物もいたんだ」
「魔物?」
「うん。背中に薄い膜がある、小さな魔物達が何匹か乗ってた」
女の子は少し考え込んだ。
それから、何かを思い出したように顔を上げる。
「……あっ!」
「どうした?」
「あの子達、前からあの島にいたよ!」
目を見開いた。
「前から?」
「うん! 赤いお花のところに、よくいたんだ。風が吹くと背中がきらきらするの!」
ロアンと顔を見合わせる。
あの浮き島には、以前から風膜獣が暮らしていた可能性があるらしい。もちろん、今見た個体と同じかどうかは分からない。ただ、女の子の話が本当なら、島が動いたことで一緒に南へ運ばれた魔物がいるという考えは、さらに確かなものになりそうだった。
「……教えてくれてありがとう」
礼を言うと、女の子は嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃん達、また見に行くの?」
「どうだろう。でも、ほかにも調べたいことがあるから、また湿原へ行くと思うよ」
「じゃあ、今度はもっと大きな島も見つけてね!」
「……大きな島?」
聞き返すと、女の子は頷いた。
「うん。もっと北の方にはね、木がいっぱい生えた大きな島があるんだって」
その言葉を聞いて、ネリが顔を上げた。
「……ああ、北の大浮島のことかい?」
女の子は元気よく頷く。
「そう! お父さんが、昔見たことあるって!」
ネリを見た。
「そんな島もあるんですか?」
「ああ。ただ、あの辺りは水路が複雑だし、大きな浮き島は簡単には動かないからね。私も最近は近づいていないよ」
「へえ……」
少し考え込んだ。
小さな浮き島でも、そこに暮らす魔物達を一緒に運ぶことがある。なら、もっと大きな浮き島には、どんな生き物が暮らしているのだろう。そして、もしそんな島まで動き始めていたとしたら。
「……ネリさん」
「何だい?」
「その大浮島って、最近も同じ場所にあるんですか?」
ネリは少し考えた。
「……さあね。少なくとも、今の私は確かめていないよ」
その言葉に、北の空を見上げた。
遠くには薄い雲が流れ、その下には広い湿原が続いている。
今日、俺達は新しくできた水の流れを見つけ、島と一緒に移動する魔物達を目撃した。けれど、湿原の奥には、まだ誰も確認していない場所がある。そこでは、今も何かが少しずつ変わっているのかもしれない。
「……ロアン」
「何だ?」
「この湿原、思ってたよりずっと奥が深いな」
ロアンは笑った。
「そうだな。でも、お前は楽しそうだ」
「そりゃそうだろ」
俺は笑い返した。
「だって、まだ知らないことが山ほどあるんだから」
ロアンは呆れたように肩をすくめたが、その表情はどこか楽しそうだった。
俺達は女の子達に別れを告げ、再びミオラへ向かって船を進めた。
水面には夕方の光が差し込み、葦の間を柔らかな風が吹き抜けている。その向こうには、まだ見たことのない島がある。
もっとも、次に向かう場所が水の上だというのなら、泳ぐ練習だけはしておいた方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は再びネリの船に揺られていた。




