怖くても逃げないって、それだけで十分すごいと思う
翌朝、冒険者ギルドの会議室には、いつもの四人に加えてティオが座っていた。
机の上には、昨日回収した二本の黒い杭と、杭を設置する場所が記された地図が置かれている。
三本はすでに停止。
残り二本も回収した。
これで少なくとも、ティオが任された五本については《夜棘》を広げる役目を果たせなくなったはずだ。
問題は、その先だった。
「今日の夕方、東の古い橋で依頼人と会うんだな?」
俺が確認すると、ティオは硬い表情のまま頷いた。
「ああ。五本全部置いたって報告して、残りの金を受け取る約束だった」
「向こうは、杭を止めたことを知らない?」
「たぶん……」
言いながらも自信はなさそうだった。
無理もない。
杭を隠していた小屋では、一本だけ別物へすり替えられていた。
偶然とは考えにくい。
「依頼人が昨日のうちに小屋へ来た可能性はあります」
リリアが静かに言う。
「そうだよな」
「つまり、今日の待ち合わせ自体が罠になっている可能性もありますね」
ノアの言葉に、ティオの指がわずかに震えた。
俺はそれを見たが、すぐには声をかけなかった。
怖くないはずがない。
昨日まではただの仕事だった。
今日からは、自分が関わった相手が何者なのかも分からないまま、その本人に会いに行くことになる。
「ティオ」
「……何だ?」
「嫌なら行かなくてもいい」
ティオが顔を上げた。
「え?」
「依頼人を捕まえるために、お前を餌みたいに使うつもりはない。場所も時間も分かってるんだから、別の方法を考えることもできる」
「でも、俺が行かなかったら怪しまれるだろ」
「それでもだよ」
俺は机の上の地図を見る。
「杭を置いた責任はある。でも、だからって命まで差し出せって話じゃない」
ティオはしばらく黙っていた。
会議室には外から聞こえる冒険者達の声だけが響いている。
「……行く」
やがてティオが言った。
声は震えていた。
「本当に?」
「ああ」
「怖くないのか?」
「怖いに決まってるだろ」
即答だった。
「昨日からずっと逃げたい。ギルドに来た時も、本当はこのまま町を出ようかって何度も考えた」
拳を握りしめる。
「でも、俺が置いた杭で魔物が追い出されたんだろ」
「全部がティオの杭のせいとは、まだ決まってない」
「分かってる。でも、関係ないとも言えない」
俺は何も返せなかった。
「だったら、せめて最後くらい逃げたくない」
いつの間にか、リリアがティオをまっすぐ見ていた。
「怖くないことが勇気なのではありません」
ティオが彼女を見る。
「怖いと分かった上で、それでも必要なことを選べるのなら、それは十分に勇気のある行動だと思います」
「……聖騎士にそう言われると、逃げづらくなるな」
「逃げても責めません」
リリアは淡々と答えた。
「ですが、残るのであれば守ります」
その言葉に、ティオは一瞬だけ目を伏せたあと、深く息を吐いた。
「頼む」
「任せてください」
俺は二人を見ながら、少しだけ胸が熱くなった。
いつも道には迷うくせに、こういう時のリリアは本当に格好いい。
「それじゃ、俺達も準備しよう」
俺が地図を広げる。
「ティオは約束通り橋へ行く。俺は少し離れたところで会話を聞く」
「ユウトも前へ出るつもりですか?」
ノアがこちらを見る。
「交渉になったら俺が行く」
「相手が攻撃してきたら?」
「その時はリリアを頼る」
迷わず答える。
「正しい判断です」
リリアが頷いた。
「俺も成長しただろ」
「以前なら、先に出ていた可能性がありますから」
「否定はできないな」
そこで会話は終わった。
今はいつもの軽口を叩く必要もない。
「ミミナは?」
「橋の周りの魔力を見る。昨日みたいな杭とか、変な仕掛けがあったら先に見つけたい」
「頼む」
ミミナも真剣に頷いた。
「ノアは後方?」
「はい。負傷者が出ないのが一番ですが、必要になればすぐ動ける位置にいます」
役割は決まった。
あとは、相手が来るかどうかだ。
◇
夕方。
東の古い橋は、想像していたより寂しい場所だった。
幅の狭い川に石造りの橋が架かっており、周囲には人家も店もない。
街道として使われていた時期もあったらしいが、今はもっと便利な道が別にできたため、ほとんど人が通らない。
ティオは一人で橋の中央に立っている。
俺達は少し離れた林の中だ。
「誰もいないね」
ミミナが小声で言う。
「予定より少し早い」
俺は木の隙間から橋を見る。
ティオは落ち着かない様子で何度も周囲を確認していた。
リリアはその少し前方。
姿は隠しているが、何か起きれば数秒で橋へ出られる位置にいる。
「魔力反応は?」
「今のところ変なのはないよ」
「《夜棘》もありません」
ノアも周囲を確認する。
夕日が少しずつ山へ沈んでいく。
十分。
二十分。
誰も来ない。
「……気づかれたのか?」
俺が呟いた、その時だった。
リリアがわずかに手を上げる。
来た。
街道の東側から、一人の男が歩いてくる。
灰色の上着。
茶色いズボン。
武器らしいものは見えない。
どこにでもいそうな旅商人にしか見えなかった。
男はティオから数歩離れたところで足を止める。
「遅かったな」
「悪い」
ティオの声が少し硬い。
「五本、終わったか?」
「ああ」
「問題は?」
「特にない」
男はしばらくティオを見る。
「そうか」
それだけだった。
荷物袋から小さな革袋を取り出す。
「残りだ」
ティオへ差し出した。
俺の心臓が速くなる。
このまま金を受け取れば、相手が帰る可能性がある。
もっと聞きたい。
だが焦れば警戒される。
ティオが革袋へ手を伸ばしかける。
「次の仕事は?」
ナイスだ。
俺は心の中で呟いた。
男の手が止まる。
「まだやる気があるのか?」
「金になるなら」
「家族か?」
ティオの肩がわずかに動いた。
「何で知ってる?」
「仕事を頼む相手のことくらい調べる」
背中が冷たくなった。
ティオの家族まで知られている。
「次は何をすればいい?」
ティオが聞く。
男は答えず、少しだけ笑った。
「その必要はない」
「え?」
「お前の仕事は終わりだ」
次の瞬間だった。
「ティオ、下がれ!」
俺が叫ぶ。
男の袖から何かが落ちた。
小さな黒い石。
地面へ当たった瞬間、激しい煙が噴き出す。
「リリア!」
「はい!」
煙の中へ銀色の影が飛び込む。
俺には何も見えない。
激しい足音だけが聞こえた。
「走った!」
ミミナが叫ぶ。
「橋の東側!」
煙が少し薄くなる。
男は橋を渡りきり、森へ向かって走っていた。
リリアが追う。
その時、男が何かを投げた。
橋の欄干へ当たる。
小さな金属音。
「何だ?」
「伏せて!」
ミミナの声だった。
直後、橋の下から轟音が響いた。
石造りの橋が大きく揺れる。
「ティオ!」
俺が叫ぶ。
橋の中央にいたティオの足元が崩れた。
石材が川へ落ちていく。
ティオの体も一緒に沈む。
「うわっ――!」
間に合わない。
そう思った瞬間、リリアが進行方向を変えた。
逃げる男ではなく、落ちるティオへ向かって走る。
崩れた橋の縁から身を投げ出し、ティオの腕をつかんだ。
「リリア!」
「大丈夫です!」
片手で橋につかまり、もう片方でティオを支えている。
男は逃げていく。
今追えば、まだ間に合うかもしれない。
でも。
「追わなくていい!」
俺は叫んだ。
「ティオを上げる!」
リリアは迷わなかった。
ミミナと俺が駆け寄り、ティオの腕をつかむ。
三人で必死に引き上げる。
数秒後、ティオの体が橋の上へ戻った。
俺達全員が地面へ座り込む。
「……生きてる?」
俺が聞くと、ティオは荒い息を吐きながら頷いた。
「ああ……」
ノアもすぐに駆け寄り、怪我を確認する。
「腕に擦り傷がありますが、大きな怪我はありません」
安心した。
男はもう見えない。
逃がした。
それでも後悔はなかった。
「ごめん……」
ティオが呟く。
「何で謝るんだよ」
「俺がもっと早く気づいてたら……」
「今はいい」
俺は崩れた橋を見る。
相手はティオを消そうとした。
家族のことまで調べている。
そして、俺達が杭を止めたことにも、おそらく気づいていた。
「仕事が終わったから消す、か」
胸の奥に冷たい怒りが広がる。
この相手とは、今までの魔物とは違う。
話し合える可能性を捨てるつもりはない。
でも。
少なくとも、こちらを殺してでも秘密を守る相手だということだけは分かった。
「ユウト」
ミミナが壊れた橋の端を見ている。
「これ、落ちてた」
彼女が拾い上げたのは、小さな紙片だった。
さっき男が落とした革袋から飛び出したらしい。
紙には、短い数字と文字が書かれている。
そして最後の一行。
『北門外・二十七日』
俺達は顔を見合わせた。
今日の日付は二十五日。
二日後に何があるんだ…
――第二十五話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
依頼人との待ち合わせへ向かったティオ達。
怖くても、自分が関わったことから逃げずに向き合おうとするティオと、それを守るリリア達を描きました。
しかし依頼人は、ティオを口封じしようとして橋を破壊。
ユウト達は依頼人を追うことより、ティオを救うことを選びます。
そして残された紙には、
『北門外・二十七日』
という文字。
二日後、何かが起きようとしています。
次回、第26話へ続きます。
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