全てを話しているとも思えない
◇◇◇
【夏央視点】
夏央は人の気配を感じて覚醒した。
カーテンから差し込む光で部屋の中は薄っすらと明るい。早朝だろうか。
寝たときの記憶が曖昧だけど、確かここはパン屋のおっちゃんの持ち家だったはず。
そろそろと目を動かすと、部屋の入り口のドアが開かれ、ゼータが立っていた。
想定していなかった訪問者に息を呑む。
夏央の反応でブラウドラッハも目を覚ました。
「……なんじゃ、朝も早くから不躾に」
「すまない。どうしても聞きたいことがあってきた」
ゼータは低い声で詫びて静かにドアを閉めた。
「聞きたいこと?」
そういやあ、この人とちゃんと話したことはなかったなと夏央は思う。
まあ話しかけるなオーラも凄いしな。
「お前達は本当に魔王とグランツヴェルトなのか?」
そう尋ねるゼータは、訝しむというよりはむしろ困惑しているように見えた。
ブラウドラッハが夏央を見る。
(どうしたんじゃ。この王子は?)
わからん。
「うん。覚醒はしてないけど一応そうらしいよ。ゴッテスフルスの王様にもはっきり言われた。で、隣にいるのがグランツヴェルトのブラウドラッハ。魔王化を止めてくれてる」
「うむ、妾が蒼帝のブラウドラッハじゃ。久しぶりじゃの、といいたいところじゃが、ロキシーと同じでわかる訳がないか。見た目が幼いからと侮るなよ?」
「ああ、少年は普通の人間にしか見えんが、そっちは確かに纏っている気配が違うな……」
「で、何用じゃ? 女狐にでも唆されたか?」
「女狐? ああ、ラファエラか。確かに得体が知れない女だな」
ゼータは頷き、少し顔を強張らせてから口を開いた。
「お前達ならばエリアルを蘇生できると言われた」
「ふむ、そう来たか」
ブラウドラッハは目を細めた。
「お主も知っているかと思うが、覚醒した魔王は物理法則を無視した様々な事象を現実とする。同じように、妾を強制的に利用して生物の融合というおぞましい実験を成したものもおった」
思い出したのだろう、ゼータの表情が僅かに曇る。
「しかし、死んだ者を生き返らせることは」
「エリアルはまだ生きている」
ゼータはブラウドラッハの言葉を否定するように遮った。
ブラウドラッハは、淡々と続けた。
「過去それを試した者もおった。しかし叶わぬ。無理矢理術式を組み上げてみても、出来上がったのは、心を持たぬ生きた骸であったわ。死者の蘇生は魔王とて叶わなかった。肉体と魂の繋がりは一度失われれば修復は出来ぬ」
悼むように目を伏せたブラウドラッハは何を見てきたのだろう。
見た者だけが語れる言葉の重さがあるようだった。
ゼータは険しい表情で立ち尽くしている。
その剣呑な目つきは、おそらくはブラウドラッハの言葉を信じていないことの現れだ。
沈黙が重い。
この場の沈黙に耐えきれなくなり、夏央は口を開く。
少し声が上擦る。
「ラ、ラファエラさんはどうしてできるって言ったんだろう?」
「…あいつはゲシュペンシュタットで両親を失い、それから医者として活動しながら戦争のきっかけとなったグランツヴェルトを研究していたそうだ。その成果らしい」
ラファエラは見た目からは予想できない苦労人だったらしい。
ゼータはブラウドラッハを見る。
「お前の話は理にかなっている。しかし、全てを話しているとも思えない」
冷めた目をしたブラウドラッハは無言。
話しても無駄だ、という顔をしている。
それは悪魔の証明だ。
話していないことなど無いと証明することは出来ないのに。
「あ、あのさ」
夏央は話の方向性を変えたかった。
これは明らかに良くない流れに感じられた。
ブラウドラッハとゼータの対立をこのまま続けさせてはいけない。
「前に話してたよね。『二人で願った未来は何一つ叶わなかった』って。それってどんなことだったの? そのためにエリアルさんを蘇生したいの?」
我ながら唐突すぎるとは思った。
でもどうしたらいいかわからなくて、頭に浮かんだことをそのまま口走ってしまった。
でも、それはずっと気になっていたことだった。
そこまで誰かを想えることはすごいことだと思う。
でも、自分に当てはめた時に、同じことができるか? と考えてもわからなかったのだ。
ヒロコに対する想いが叶っていたら自分も理解できたのだろうか?
いずれにしろその機会はだいぶ前に失われてしまったけれど。
夏央の質問はゼータにとっても想定外だったようだ。
毒気の抜かれたような顔をして夏央をまじまじと見た。
「……何故蘇生するのかなど考えたこともなかった。俺はただエリアルを失いたくなかった」
失いたくない。その気持ちならわかる。
むしろ失った後にこそわかる気持ちだと思う。
ゼータの気持ちがわかるわけではないが、少なくとも理解はできた。
失う前に戻れたらどれほど嬉しいだろうか。
あの選択を後悔しているかと聞かれると辛い。良かったのか悪かったのかはわからない。でもヒロコにとっては良かったのだろうか。
何だか泣きそうになった。
「何故お前が泣く?」
ゼータは夏央を見て驚いている。
堪えたつもりだったけど涙が溢れていた。
そうか。俺は泣くほど辛かったのか。
でも、ヒロコはちゃんと生きている。
あの頃には戻れないけど、ヒロコの未来は続いていく。
エリアルは……。
「……確かに俺は言ったな。『二人で願った未来は何一つ叶わなかった』と。あれは深く考えた言葉ではなかった。特別な何かということでは無かったんだ」
ゼータは意外にも穏やかな口調でそう言って、考え込むように暫し黙り込んだ。
「ああ……そうか。俺は考えないようにしていたのか……」
ポツリとつぶやいた言葉が夏央の耳に届いた。
考えないようにしていた?
(おそらくは)
ブラウドラッハの声が響く。
(願った未来について考えてしまえば、今の現実を認めたことになる)
今の現実を認める?
(エリアルが生きていない現実を、じゃ。願った未来が叶わなかった、ゼータの現実。考えないようにしてはいたが、心のどこかでは認めていたのかも知れぬ)
俺が聞いたせいで……気づいた?
俺もヒロコの事を考えないようにしていたのかな?
だからゼータの言葉がずっと引っかかっていたんだ。
ああもう。泣きそう。
(ふふ。また泣いておるではないか。もう泣くのはよせ。ゼータも混乱しておるぞ)
ブラウドラッハの声が思いの外優しくて、ちょっと恥ずかしくなった。
……がんばる。
夏央は鼻を啜り涙を拭ってゼータを見る。
「ごめん」
「……なぜ謝る?」
「興味本位で聞いていいことじゃなかった」
ゼータはしばらく黙ったまま夏央を見ていた。
何か言いかけたが、結局何もいわないまま、深くため息をついた。
「わかった。お前たちが俺を騙す意図は無かったと認めよう。特に少年。お前は俺と同じであまり器用ではないようだしな」
それはきっと最初に言おうとしたこととは違うのだろう。
でも何を言おうとしたのかは夏央には分からなかった。
ゼータはそれ以上の追求は諦めたようだった。
「邪魔したな」
ゼータはドアに手をかけて、考え込むように少し立ち尽くしたが振り返ることなく出ていった。




