いまさらですわね
ブラウドラッハがおもむろに、エリアルを包むエーテル結晶の根元に歩み寄り、身を屈めた。
戻ってきて、手に持った小さな何かを夏央に差し出してくる。眼のような黒い宝石が埋め込まれた、繊細な意匠が施された指輪。
「これがシュバルツシュッドクローテの本体じゃな。夏央、お主には必要なものじゃ。持っておくが良かろう」
「必要? ブラウドラッハがいるのに?」
「うむ。魔王の力がより強まってくればいずれ妾だけでは抑えきれぬ可能性がある。誰かを探さねばとは思っておったから手間が省けたわ」
「ブラウドラッハも気づいてたのー?」
「流石に仲間じゃしな。リュリーが起こさねば妾が起こしておったわ」
「いいのかな?」
夏央はシュバルツシュッドクローテを見る。
ブラウドラッハは自ら望んで現れたが、彼女はそうではない。このままここで静かにしていたいのかもしれない。
夏央がそういう懸念を話すと、シュバルツシュッドクローテは首を横に振った。
「いまさらですわね。貴方が望むなら、私も共に。改めまして、私は冥帝のシュバルツシュッドクローテと申します。末永くお側においてくださいませ」
「ありがとう」
「……いずれにしろ、ここには騒乱の気配がありますわ。ならば出会いに流されてみるのも良いかと」
「騒乱の気配?」
「この場所には、来たるべき騒乱と死の匂いが感じられるのですわ」
「死の匂い……。シュバルツシュッドクローテが司るのは、確か死と水、でしたね」
ロキシーが確かめるように言う。
シュバルツシュッドクローテがこくりと頷く。
「時期は分かりませんが、ここの主の帰還とも無関係ではなさそうですわね」
「でしょうね」
ロキシーは少し考え込んでいるようだった。
「ところで」
と、シュバルツシュッドクローテが言う。
「末永く、とは申しましたが、契約云々については、今は考えていただかなくてもかまいせん。そこのブラウドラッハは、契約欲しさに状況を利用してがっついたりしてそうですが、ゆっくりご検討頂いて構いませんわ。それと、私のことはシュシュ、とお呼びください」
ブラウドラッハがプルプルして青ざめている。
「なっ?! 違うのじゃ! マスターに出会える機会など、またいつ来るか分からんかったし……悪気はなかったのじゃ……」
「カマをかけただけなのですが……そんなことだろうと思いましたわ」
「な、夏央……」
助けを求めるようにブラウドラッハがしがみついてくる。
「いや、ブラウドラッハに会えなかったら俺は色々終わってたから。あの時現れてくれて本当によかったよ。契約してたからこそ、ファランクスから取り戻すことも出来たし」
「それでこそマイマスターなのじゃ!」
表情が明るくなる。
というか、振り返ってシュバルツシュッドクローテにドヤ顔するのはどうなのか。子供か。
夏央はなだめるようにブラウドラッハの頭をポンポンしておいた。
「話を戻していいですか?」
ロキシーが、夏央の手を自分の頭の上に乗せながら言う。
ポンポンしろということか? と一応しておく。
あ、いい笑顔。
この人、最近なんかおかしい。
服を変えると気持ちも変わる、って聞いたことがあるから、そういうものなんだろうか、と夏央は納得する。
って何故スープラとリュリーが並んでいるんだろうか。スープラが復活したのはいいけど、一向に話が戻らない。
エリアルが微妙な顔をしている。
「ロキシー、話を戻すんじゃなかったのかしら?」
「え、ええ。そうでしたね」
ロキシーがキリリと表情を引き締める。
「エリアルがこうしてここで会話出来ているのは、シュバルツシュッドクローテ」
「シュシュです。可愛く」
「……シュシュの力をゼータが無意識に使ったから、ということですよね。そして、エリアルがこの状態を維持していられるのは、エーテルに囲まれたこの場所にいる限り、という制限がある。ゼータはシュ…シュシュと契約した訳では無いので声は聞けない」
「おっしゃる通りですわ」
ロキシーは頷く。
「シュシュ、かつて私はブラウドラッハを乱用した結果、エーテル回路に異常を抱えてしまいました。ゼータも何か不調を抱えたのでしょうか?」
シュバルツシュッドクローテは小さく首を傾げた。
「契約した訳では無いので、あの方の状態は私には把握できませんが、ここにはエーテルがあります。私を使うために必要な魔力は足りていますので、何か他の問題を抱えたのではないかと思いますわ」
「なるほど。グランツヴェルトの乱用で生じる問題は、常に同じ訳では無いのですね」
「乱用を前提とした設計ではないでしょうから、生じる問題はその時その時で変わるのでしょう、としか言えませんわ」
「ありがとうございます。それだけでも充分です。それともう一つ」
ロキシーは、言葉を切り、エーテルの中のエリアルを見る。
「状況を鑑みるに、エリアルが今の状態を維持していられる時間は……もうあまり長くはないのですね?」
夏央は息を呑む。
エリアルは消えるのか、とロキシーは聞いたのだ。
「それは、はい、ですわ。今まで維持できていたことのほうが奇跡的だと考えて頂きたいですわね。私を使ったとはいえ、この場所を十年にわたって利用できたことがむしろありえないのですから」
あっさりと肯定される。
沈黙。
わかってはいたことだが、改めて言われるとなかなか辛いものがある。
でも、と夏央は思う。
何か出来ることはないんだろうか?
「エリアルさん。消える前に、何かしたいことある?」
スープラが場にそぐわないほど普通に、気安く尋ねた。
「えっ?」
寂しそうな、でも何だか優しい顔をしていたエリアルが、キョトンとして聞き返してくる。
前にそんな話をしたな、と夏央も思い出す。
以前スープラが提案したことだ。
ゼータの世界を変えること。
自分がスープラと話したことが今のスープラの行動につながっていて、さらに誰かに影響を及ぼそうとしているのだと思うとなんだか不思議な気がした。
俺はスープラの世界を変えられたのかな?
役に立てたのかな?
クスリと笑うロキシーに、夏央は現実に引き戻される。
「エリアル。やりたいこと、ありますよね?」
「で、でも、この身体は私の体じゃないし。これ以上借りている訳にも……あっ? 痛っ?!」
エリアルがビクッとして蹲る。
それから、頭を抑えて立ち上がる。
「ゼータとお姉ちゃんが望むなら、私は一度だけ体を貸すよ。それで二人が満たされるのなら、私は……構わない」
表情が違う。一変した勝気な雰囲気。リップだ。
「でもね……あ、あたしはまだ経験無いから! は、初めてがお姉ちゃんの彼氏っていうのはさすがにこれからいろいろ辛い」
リップが顔を赤らめてもじもじし出す。
「だ、だから、夏央! す、スープラにしたみたいに、あたしにもして! それであたしは吹っ切れるから!」
リップがおかしなことを言い出したので夏央は固まる。
えっ? 何言ってんのリップは? えっ? えっ? エリアルの願いってそういうことなの?
「……いやちょっと待って何言ってんのお前は?」
夏央は動揺しつつもなんとか頑張って突っ込む。
「リップ……」
スープラがなんか「そうかー、わかる」みたいな表情をしている。みんなおかしい。
「お、俺たち何もしてないからな?!」
「う、うるさい! つべこべ言わずにあたしのファーストキス、ありがたく貰っとけ!」
「え? あれ? うん? いやいやちょっと待て」
「夏央。じゃあ私のも貰ってくれる?」
「わたしもあげるー!」
「いやスープラもリュリーも何言ってんの? 意味わかんないからな?」
ブラウドラッハとシュバルツシュッドクローテは流石にその輪には入らず、ちょっと離れて見ている。
「夏央、すごい人気じゃな」
「さすが魔王ですわね」
「私も……いえ、ゴホンゴホン。ちょっとみんな落ち着きましょうか」
ロキシーは何か言いかけたようだが、一応仲裁に入ってくれたことで、ようやく夏央は一息つくことができた。
ロキシーが遠回しにリップの言い方が誤解を招いていたことを説明すると、リップがキレた。
「信じらんない! 夏央もそんなこと考えてたの?!」
「いや待て、あれは誰が聞いても誤解するだろうが?!」
「夏央、私は……いいよ?」
スープラが意味深な笑みを向けてくる。
「え? あれ? ちょっと待って」
リップが慌てたようにかぶせてくる。
「あ、あたしだって! ちちちちょっと心の準備が足りなかったってだけで! 別に嫌なわけじゃない!」
「なになにー? なにするのー?」
何なんだコレは??
「誰か助けて……」
夏央は助けを求めてロキシーを見るが、今度は「そう来ましたか…しかし私まで参戦する訳には…」とか真顔で呟いていて、役に立ちそうにない。
夏央はすがるような気持ちでブラウドラッハとシュバルツシュッドクローテを見る。
ブラウドラッハが、やれやれ、といった表情で割って入る。
「ほれほれ、お主ら、ふざけるのはいい加減にせんか。夏央が困っておるぞ」
シュバルツシュッドクローテがリップの手を握った。
リップがフラリとする。
「私はどちらも望んでないわよ! リップの体を借りてまでするわけないでしょうが!」
エリアルに戻ったようだ。
「もう。あなた達といると……悲しんでいることが馬鹿馬鹿しくなってくるわ」
エリアルが笑う。
「やりたいこと、あるわ。前にスープラが言ってくれたこと。ゼータの世界を変えること。出来るなら、私はそのために残りの時間を使いたい」
エリアルの言葉に、スープラは微笑んで頷いた。




