お姉ちゃんが願ったのは
ロキシーは、ゼータを促してパン工房の中に入った。
みんなで続く。
工房の中は、ここでパンを売ることはあまり……というか全く意識していなそうな作りだった。
作業場、といった雰囲気で、様々な道具が整然と並んでいるが販売するスペースは無い。だから街のパン屋に委託してるのか? なんかそれも違うような気はする。
まあ、どれだけ有名でもこんなところまでパンを買いにくる人はいなだろうなぁと、夏央は思う。
人の訪問さえも考えていないようで、作業台の他には、小さなテーブルと二脚の椅子くらいしかない。
ロキシーはゼータをそのうちの一脚に座らせ、向かいに座った。
「お騒がせしてしまいすみません。久しぶりですね」
「女みたいな格好をしているから最初は分からなかった」
今までのことは何もなかったように、元の雰囲気に戻ったゼータが、抑揚のない声で言う。
「ゼータと言えどもぶっ飛ばしますよ?」
ロキシーは笑顔で答える。
夏央はひっ、と声が漏れた。怖い。
ゼータ、そのネタだけはダメだ!
「人は変われるのだという、俺への当てつけか」
不快感というよりも、むしろ淡々と現状把握した、という響き。
「いいえ、これは私自身が必要に迫られてのことです。あなたがわからないくらいだから、変化があるようで嬉しいですね。いえ、そんなことは今はどうでもいいのです。スープラ、リップ」
ロキシーが手招きをする。
「あなたの妹のスープラと、エリアルの妹のリップです。十七歳になりました」
スープラがおずおずと挨拶する。
「お久しぶりです、お兄ちゃん」
「……そうか。大きくなったな」
戸惑いを隠さないまま、リップが言う。
「私はお姉ちゃんじゃないから」
ゼータが微かに顔を歪める。
「……さっきのはなんだ?」
「あ、あれは……お姉ちゃんなら、そう言うかと思って! そ、そうだよ、あんたのそんな姿を見たらお姉ちゃんならきっと言うから!」
確かにあれは残念だったと夏央も思う。
でも、本当にそうなのか。まるで別人のようだった。
「デュパープの仕込みです」
ロキシーが補足する。
「……あいつか。悪趣味なことを」
ゼータが呟く。
「……何をしに来た? パンの納入なら予定通り済ませたはずだ。増量なら断ったはずだ」
「ええ。今回は別件です」
「興味無いな」
「まあ、そう言わずに。先日、ファランクスと一戦交えました」
ロキシーはゼータの反応を伺う。
夏央から見ると、だから何だ、としか言いようのない感じだ。
「そうですか、少しは興味があるようですね」
え? そういう反応してるの? 夏央は二人を見比べる。
「魔王マキナを復活させて、十年前の戦いをやり直すのだと言っていました。そしてもう一人魔王が現れました。スープラが召喚した魔王です」
ゼータは無言。ただ、ロキシーを見ている。
「そこの彼が新たな魔王ですよ?」
ゼータが夏央を見る。初めて目が合った。
こちらを見透かすような、それでいて心ここに在らず、といった不思議な眼差しだった。
同じ顔のはずなのに、ブラウドラッハが見せてくれた映像とはだいぶ印象が違う。あのとき見た、いかにも人を率いそうな、上に立つことを宿命付けられたような、纏っていた覇気が、今は感じられない。
むしろ儚さというか、何か危うげな雰囲気がある。
リップが言っていた、女の子がほっておかない、ということがわかる気がした。
久しぶりに会ったはずなのに、まるで見てきたように話すリップは何か色々おかしかったけれど。
しかし改めて見るとものすごい美形イケメンだな。いるんだな、こんなのが。乙女ゲーかよ!
夏央は心の中で突っ込んだ。
「興味無いな」
ゼータはふっと目を逸らす。
「少しは驚いて欲しかったのですが。レバック王と一悶着ありましたが、夏央はとりあえず今は私達に協力してくれています。
ファランクスが何をしようとしているのか、本当に魔王マキナが復活するのか、分からないことだらけです。何かが起きるのは間違いありません。
しかし、私では役不足です。ファランクスは相打ちにも出来ませんでしたし、夏央にマキナのような変化が起きても、力を失った私では止められません」
また夏央が暴走するような事があれば、誰かが止めないといけない。前回はファランクスが止めた。ブラウドラッハがいるとはいえ、絶対ではないだろう。夏央は申し訳ない気持ちになる。
「力があるから、立場があるから、そういう理由で戦わされるのはうんざりだ。誰が生きようが死のうが俺にはもう関係ない。手の届かない世界の話だ」
夏央は、ゼータに共感する。
あの時の、エリアルを抱いた後ろ姿を見たら、自分には、もう一度剣を取ってくれとは言えない。
共に戦ったロキシーだからこそ、ギリギリ許される問いかけなのだろう。
「じゃあなんで魔物の駆除とかしてんの?」
リップが尋ねる。
「……パンを焼くのに邪魔だからな」
「そのパンを食べてくれる人達のことはどうでもいいの?」
「……俺はエリアルのパンが焼きたいだけだ」
「お姉ちゃんが願ったのはパンを焼くことだけ? 焼いたパンを食べてくれる人はいらないの? こんな山の中に閉じこもってさ?」
「っ……その顔で言うな」
リップの言葉はゼータに何らかの感情を呼び起こしたように見えた。
だから売り場がないのか?
ゼータはリップから目を逸らす。
「……帰れ」
そんな兄の姿を、スープラは言葉もなく見つめている。
ロキシーも難しい顔をしている。
「ハッ! イケメン王子の悲しい末路じゃの」
微妙な空気をぶち壊すような一言が放たれた。腰に手を当て、ふんぞり返ったブラウドラッハだ。
「……誰だ、お前は? ロキシーの娘か?」
あー、見た目の年齢的にはおかしくないのか。似てないけど。
「わっ、私の子供?! い、いつの間にそんな事に?!」
なんで動揺するんだロキシー。
「夏央がいけないんですよ! 私にこんな格好をさせるから! 子供までできちゃったじゃないですか!」
ロキシーは真っ赤になってプンスコしている。
夏央がさせた訳では無いし、今はそこまで言うほどの服装でもない。
なんとなく喜んでいるようにもみえるのは気のせいだろうか。
うーん、なんか収拾つかなくなってきたけど、これはどうしたものかと夏央が困っていると、ドアが控えめにノックされた。




