会いたかった
街をあとにして、人気のない山の中をニ時間は歩いただろうか。
何度か魔物にも遭遇したが、大きな問題もなく切り抜けることができた。
途中から木々は消えて、ゴツゴツとした岩肌が現れた。生き物の気配の無い、荒涼とした光景が続く。
視界が開けたところで、唐突に件のパン工房が現れた。
街のパン屋と比べるとだいぶ質素な感じの建物。むしろ山小屋の雰囲気。
小さく「エリアルのパン工房」と書かれているので、ここが目的の場所だとかろうじてわかる程度だ。
スープラとリップは「かわいー!」とか目をキラキラさせている。
そんな二人の姿に苦笑する平常運転のロキシーを見て、確かに何度かここに来たことがあるのだろう、と夏央は検討をつけた。
スープラとリップが少し落ち着くのを待って、ロキシーが動く。
無言で玄関の呼び鈴を鳴らす。
が、誰も出てこない。
ちょっとした旋律を刻みながら、ロキシーは鳴らし続ける。
何かの暗号なのかなと思いつつ、なんだか怖くて夏央は突っ込み損ねた。
誰も声掛けないのかよ! とか、いつまで鳴らすの?! とか言いたかったのだが。
不意に、ロキシーの手が止まった。
ドアが、ガチャリと開いた。
険しい表情を浮かべた、長身の男が現れる。
銀色の長髪を後ろで無造作に束ね、パン屋らしくエプロンを着けている。エプロンや手が白っぽくなっているのは小麦粉か何かだろうか。
立ち姿、佇まいに隙は無い。
夏央が見たよりも幾分年を経た男の顔は、老けたというよりもむしろ深みが出たともいえる雰囲気がある。
まあ、簡単に言うとすごいイケメンの大人だ。
元王子がパン屋なんてまるでイメージできなかったが、目の前にいるのはいたって自然な姿の男だ。
ひどい暮らしをしているということでは無さそうだということは夏央にもわかる。
「何の用だ?」
ロキシーだとわかって開けたのだろうか。ドアの前のロキシーを見ても、ゼータは眉一つ動かさない。
スープラが息を飲んで、ゼータを見つめている。
リップは何とも言い難い、少し苦しそうな顔をしている。
姉のエリアルを思い出しているのか、と夏央は思う。
ゼータは、無表情にこちらを見渡し、リップを見て動きを止めた。
目を見開き、口元がぶるぶると震える。
何かを言おうとしているが、言葉にならない様子だ。
さっきまでとは別人のように、隙だらけの覚束無い足取りでゆっくりとリップの前に進み、立っていられなくなったかのように、その前に跪く。
訳がわからず固まっているリップの手を、そっと両手でとる。
「エリアル、会いたかった」
リップが軽く後ろに仰け反る。
夏央は気付いた。
そうだよ。エリアルだ。金髪ロングになったリップは、昔見たエリアルにそっくりなんだ。
服や化粧も含めて、デュパープがわざとエリアル風のコーディネートにしたんだ。でも、なんで?
「俺はやっと死んだのか」
ゼータは、さっきまでとは別人のように素敵な笑顔で、とても嬉しそうにそう言う。
その頬を一筋の涙が伝う。
夏央、驚愕。
ものすごいイケメンの王子様だけに、とてつもなく絵になっている。
でも言ってることおかしいよね? 何言ってんだこの王子?
リップは混乱している。えー?! って感じだ。
スープラも目を見開いて固まっている。
ロキシーは、うん、こうなるのわかってたな。やっぱりそうなりますか、と顔に書いてある。
リュリーは「わー!」とかなんか喜んでる。
ブラウドラッハは痛ましそうな視線を向けている。
かさねは……まあどこかにいるんだろう。
ゼータはよろめきながら立ち上がり、混乱したままのリップをそれはもう愛おしそうに抱きしめる。
マジかー? それ妹の方だぞ? ぶっ飛ばされるぞ?!
夏央は動揺しているが、意外にも、リップは拒絶するどころか、その抱擁をむしろ受け入れているように見える。
え? 大丈夫なの? あれ? 止めなくていいの?
夏央はスープラに小声で尋ねるが、スープラもなんか固まってて声が届いてない感じ。
◇◇◇
リップは困惑している。
何が起きたのか分からない。
パンを買いに来たら義理の兄になる予定だった人に手を握られている。
しかもその人は、自分ではなく、姉のエアリアルの名前を呼んだ。
失礼だな! と思うよりも先に、デュパープの発言を思い出した。
『行けばわかるわ』
わけわかんないけど、あれはきっとこのことを指していたんだ。
そう気づいたら、クラリとした。
立ちくらみをしたように、目の前が暗転する。
どこか薄暗い場所。
地面から立ち上がったかのような、巨大な氷のようなものが、かすかに発光して、闇の中に浮かび上がっている。
その中には少女の姿が見える。
白い肌。
輝くブロンドの長い髪。
華やかな、深い青色のドレス。
ありえない状態なのに、綺麗な白い肌は瑞々しく、淡いピンク色に色づいている。
見覚えがあると言うにはいささか知りすぎているその整った面差し。
リップの心臓と同期するように、彼女の心臓がドクン、と脈打った気がした。
えっ? 今の何??
唐突なその感覚にリップはさらに混乱する。
そしてその混乱は、懐かしい声によって遮られる。
「……リップ。待っていたわ、あなたが来てくれることを」
「……エアリアルお姉ちゃん?」
十年ぶりでも、聞き間違えることは無い。
憧れ、どうにか同じ高みに行きたいとその背中を追いかけてきた姉の声だ。
「ほんの少しでいい、あなたの体を貸して。私の魂は未だこの世界を彷徨っているの。同じ波長をもつあなたの体であれば降りることができる」
魂がさまよっている? どういうこと?
「いろいろあってね。とりあえず、今リップに抱きついているそいつにガツンと言ってやらないと」
抱きついている??
リップが自分に意識を戻すと、誰かに抱きしめられていた。
どうやらゼータのようだ。
がっしりした腕の感触。服越しでも伝わる厚い胸板。人肌の温かさ。
なーー?! どういうことーー?!
大混乱のリップの意識は真っ白になった。
◇◇◇
「久しぶりね、ゼータ」
一人でオロオロしている夏央の前で、リップが顔を上げ、ゼータを見る。
ゼータが嬉しそうにその視線を受け止める。
「エリアル。会いたかった」
「でもね。この体、私じゃなくて妹のリップなんだけど? どういうつもりなのかしら?」
「リップだと…? エリアルは面白いな。リップはまだほんの子供じゃないか」
「あなたに最後に会ってから、もう十年も経つのよ。当時七歳のリップはもう十七。あの頃の私と同い歳ね」
「そうか。ずっとお前に会いたかった」
「ちゃんと話を聞いているのかしら? ええ、私もよ、と言いたいところだけれど」
リップはゼータの腕をすり抜けるようにして後ろに下がる。
「ゼータ。あなたは何をしているの? こんなところで?」
「前にエリアルが話しただろう? もし貴族じゃなかったらパン屋になりたかったと。パン屋がどれほど素晴らしいものなのか、たくさん話してくれた。何度も焼いてくれたパンは本当に美味しかった。俺がこうして実現すれば、もう一度エリアルに会えるんじゃないかと思ったんだ」
ゼータはリップを見つめ、噛みしめるように言う。
「ええ、そうよね。私は確かにそう言った。よく覚えててくれたわね。……あなたがパンを作り始めた時には本当に驚いたわ。あなたが頑張っている姿、ずっと見ていたわ。……いえ、それはそうなんだけど、そうじゃなくて」
リップは微笑んで、それからこめかみを押さえた。
「……この十年間、あなたが苦しんでいるのをずっと見続けてきた。私のせいで、本当にごめんなさい」
リップは悲しげに目を伏せる。
リップがおかしい。夏央はいぶかしむ。
口調も言ってることもおかしいし、その儚げな雰囲気。苦悶を湛えた表情。リップには見えないくらいだ。
ゼータもエリアルだと思っているようにしか見えないし。
「いや、いいんだ。エリアルがこうして迎えに来てくれた。それだけで俺は満足だ」
リップは首を横に振る。
「迎えになんてきてないわ」
ゼータが僅かに首を傾げる。
「あなたには、新しい幸せを見つけて欲しかった。それなのに……なんでこんな孤独に生きてるのよ……。『元王子、山中で看取るものもなく孤独死』なんてことになったら本当に笑えない」
リップは険しい顔で再びこめかみに指を当てた。
はぁ、とため息をついてから、ゼータの顔をビシッと指差す。
儚げな雰囲気は霧散。
「あなたはモテるのよ! 王子様じゃなくなってもあなたの魅力は全然変わらない。むしろその世捨て人のような俗世と切り離された雰囲気が昔よりもさらに女の子をほっておかないのよ!
まったく。一体今まで何人の女の子の好意を無にしてきたの? そろそろ三桁に届くわよ? こないだのあの子だってそう。可哀想に。あなたのために何かをしたいという一心でここまでやってきたというのに」
なんかすごい早口。ゼータは戸惑っているようだ。
「エリアル? 何を言ってるんだ?」
エリアルはふぅとため息をついて肩を竦めた。
「私は死んだ。そしてこの体はリップ。あなたはまだ生きている」
「??」
「あなたに会いに来たロキシーがリップを連れてきた。私はその体をちょっと借りただけ。たまたまよ。奇跡」
「そんな馬鹿な……。俺はエリアルに会える日を信じて……」
ぱしっ。
リップがゼータの頬を張った。
「お願いだから目を覚まして。死んでも私に会えるわけじゃないの。まずはロキシーの話を聞いてあげて。あなたを今必要としている人たちがいるわ。そして、ちゃんと生きて。あなたのそんな姿はもう見ていたくないの」
リップはたった今自分が張ったゼータの頬にもう一度、今度は詫びるように優しく触れる。
「あー、ようやく言えた。すっきりした!」
リップはロキシーを見る。
「ロキシー、久しぶりね。面倒ごとを押し付けて申し訳ないけど、あとはよろしくね」
ロキシーは笑っているとも泣いているとも思えるような表情を浮かべて頷く。
「ええ、あなたの無茶振りは昔からでしたから」
「そうね、いつもありがとうって思ってはいたよ。リップ、ありがとう。もう返すね」
リップは申し訳なさそうに笑い、その体ががくりと前に傾く。
ゼータが慌てて受け止める。
「はっ?! お姉ちゃん? 何? えっ? ちょっ?!」
リップは受け止めてくれたゼータを突き飛ばした。
突き飛ばされたゼータは体勢をくずして地面に座り込む。
呆然としか言いようのない表情で、声もなくリップを見上げている。
今のリップは何だったんだ?
まるで別人のようだった。話し方、物腰、雰囲気。
混乱してわけのわからない状態のリップをスープラが受け止め、ロキシーはゼータに手を差し伸べた。
「ゼータ、お久しぶりです。少し、私の話を聞いていただけますか?」




