あたしだって女の子なんだからね
この日は宿に泊まった。
その晩、夏央は眠れなかった。
自分の手に残った、肉と骨を切断する確かな手応え。飛び散った鮮血。息絶えたフレイムタイガー。辺りにたちこめた獣と血の臭い。
昼間の戦闘が、頭の中で、生々しく何度も何度も繰り返されていた。
その度に夏央は剣を振るい、周囲にフレイムタイガーの死骸の山を築いていった。
腹のあたりが重く冷たい。手足の力が抜けるような頼りなさを感じる。
自分は命を奪ってしまった。消えてしまう魔物だから、と納得することも出来ない。
しかしそんな想いとは裏腹に、いたって冷静な自分が同時に存在している。わざわざ反芻して怖がる必要は無い。まあそんなものだ、と言う自分がいる。
自分がとても危険な存在になってしまったような気がしてならなかった。
夏央は眠れないまま、何度も寝返りをうっていた。それでも、とうとう我慢できなくなって、月明かりの中、部屋を出た。
夜風にでも当たれば少しは気が紛れるだろうと思ったのだ。
夏央は五階建ての宿の屋上に向かう。宿の屋上は人が上がれるようになっていると聞いていた。
階段を上り、そっとドアを開ける。
「誰?」
不意に人の声がした。
自分でも驚くほどびくっとした。人がいるなんて思わなかった。
月明かりの中、離れたところに人影が見える。
誰の声かはすぐわかった。夏央は歩み寄り、精いっぱい明るく声をかける。
「なにしてんの、こんな夜中に?」
リップが、屋上に置かれたベンチで、膝を抱いてぽつんと座っていた。
「それはこっちのセリフ。ずいぶん怖い顔してるじゃない」
雲ひとつない空に明るく輝く月が、思い詰めた夏央の表情をくっきりと浮かび上がらせていた。
夏央はリップに指摘されてようやく強張った自分の表情に気付く。
そんな表情をリップに見られたことに困惑しながらも、人に会えたことで何故かほっとした自分がいる。つい素直な言葉が漏れる。
「うん、昼間の戦闘を思い出してさ。眠れなかった」
「あとびくっとしたね? 離れててもわかるくらい動いた」
「う……やっぱり気づいた?」
狼狽えつつリップの様子をうかがうと、目のはしにに光るものが見えた。
「え……」
夏央の戸惑う様子がおかしかったのか、リップはオーバー気味の動作で手を横に振る。
「いいよいいよ、気にしなくて。あたしも似たようなもんだから。あっ、そうだ」
「?」
「昼間は助けてくれてありがと」
リップは上目遣いで夏央を見上げつつ、照れたように言う。
「助かったよ」
夏央はいつもと違うリップの姿にますます戸惑う。
普段のリップなら『助けたからっていい気になんないでよね、あんなの自分で倒せたし』ぐらい言いそうなのだが。素直だと別人のようだ。実は別人? いや、それを言ったら怒る。絶対怒る。夏央は浮かんだ言葉を飲み込む。
「いや、オレもわけがわかんないままの戦闘だったからね。それに……」
「それに?」
「体が勝手に動いて、気付いたらフレイムタイガーが倒れてた感じなんだよ」
「そうなの? 実戦未経験の異世界人とは思えないほど凄かったけど。攻撃通ったし」
リップの声に驚きの響きが混じる。
夏央はリップに促されて隣りに座る。
「リップはさ、初めて魔物を倒した時ってどんな気分だった?」
躊躇いつつ、夏央は聞いた。
リップはまじまじと夏央を見る。
「……そうか、夏央は初めてだったのか」
「こんな事言ったら、リップには笑われるかもしれないけど、あの感触がどうしても手から放れなくって。でも実際にそれをしてしまう自分がいるのも事実で……」
「どっちも怖いんだ?」
「……すごく」
夏央は正直に答えたが、リップは笑わなかった。
「あたしにもそれはあるよ。今でも怖くないっていったら嘘になる」
「え……そうなの?」
「私と夏央、知識と技術では話になんないぐらい、そうだな、子猫とフレイムタイガーぐらいはレベルの違いがあるけど、経験値はそこまで劇的には違わないよ。実際に魔物との戦闘は授業を通して何度も経験はしてるけど、私だってこれが初めてのミッションなんだし」
「それもそうか」
二人は顔を見合わせて少し笑った。
「……それでも、違う世界から来た夏央には辛いか」
リップは正確に夏央の気持ちを読んだ。その鋭さに夏央は内心驚く。
「でも、武器を使う技術は磨いてた訳だよね?」
「それはそうなんだけど」
リップは少し考えてから言う。
「……殺す、ことに抵抗があるんだ?」
「……うん」
夏央の声のトーンが低くなる。
「オレがいた世界は命のやりとりをする世界じゃなかったからね」
リップはふーっとため息をつく。
「甘っちょろい世界ねぇ。ちょっとうらやましい気もするけど。仕方がない、じゃだめか。うーん」
リップは腕組みをして唸った。それからふと思い出したように続ける。
「力を持つ者の覚悟」
「何……それ?」
「これは私たちが小さいころから、それぞれの武器や法術を学ぶ中で繰り返し教えられる言葉なんだよ」
リップは遠くを見ている。
「自分たちの力は、魔物を倒すことはもちろん、人にだって使える危険な力なんだ。だから、自分のこの力が相手の命を奪い、その命を糧にして生きているんだ、という事を覚悟していないといけない。
そして必要のない命を奪うような濫用は絶対にしてはいけない。それを、力を使う度に、必ず思い出すように教えられるんだよ」
剣が命を奪う力を持つものということは夏央にもよく分かっていたはずだった。
「覚悟か……確かに足りなかった……」
素直に自分の言葉を受け入れてしまう夏央に危うさを感じたのか、リップは慌てるようにして言葉を繋ぐ。
「いや、あたしだってまだまだだよ。だから夏央ができてなくても別に仕方ない」
「え……リップでもそうなの?」
「そうだよ。そうでなきゃ、今日みたいなミスしたりしないよ。今日なんて覚悟ってレベルじゃない。
このあたりに出る魔物は大体分かってたつもりだったから、あいつを見て一瞬パニックになった。まあ、油断してたのも大きいけどさ。まったく、敵がどんな魔物なのか確認もせずに術式を唱えちゃダメってのは初歩も初歩。どんだけ動揺してんだよ、あたしって感じ。
正直、死んじゃうかと思ったよ」
「そうなんだ……」
夏央はリップの涙を思い出した。リップも怖かったのだとようやく気付く。
「あたしだって女の子なんですからねーだ」
思わぬ発言に夏央は噴き出す。
「わかってるよ」
「ふーん、どーだか。スープラばっかり見てるくせに」
リップは口を尖らせた。
「え……そうかな?」
そんなに見てるかな俺? という言葉を夏央はかろうじて飲み込む。
いやもちろん嫌いじゃないけど……無意識に見てるのか? しかもバレバレ? うわーどうしたらいいんだ……。
話を逸らそうと話題を探す。
「あれ? ちょっと待って。『必要のない命を奪うような濫用は絶対にしてはいけない』って言ったよね?」
「そうだよ。大切なことなの」
「デュパープのところで俺に攻撃仕掛けなかった?」
リップはスッと目を逸らした。むしろ顔まで背けた。
「あれはさ、それはそのなんというか」
「なに?」
「スープラをって守らなきゃって」
「ふーん」
夏央は背けたリップの顔の方に移動する。リップはこれ以上ひねれない!
リップはそろそろとベンチから降り、きれいな土下座を見せた。
「ごめんなさい。もうしません」
ぺたーっとしたリップの姿に夏央は思わず笑ってしまった。黙ってれば美少女なのに台無しだ。
夏央はリップの手を引いて立たせると、二人でベンチに座った。リップは気まずそうに笑っている。
そこまで怒ってはいないんだけどな、と夏央は思う。むしろデュパープにふっ飛ばされたリップのほうが大変そうだったなと思い出す。
話を変えようと、昼間気になっていたことを口に出した。
「あ! 聞きたいことがあったんだ。フレイムタイガーの左上になんかステータスウィンドウみたいの見えたんだけどあれって何?」
「は? ステータスウィンドウ?」
「なんか白い四角に数値が出てたんだけど、あれはリップとかにも見えてるもんなの?」
「んん? 何それ?」
リップには見えないらしい。
「いや、待って。それはもしかしたら術式かも。でも、何で使えるの?」
「え? 何もしてないよ?」
「そんなわけないじゃん。いや、だから攻撃も通ったのかな?」
「剣が光ったのは気のせいじゃ無かったのか」
「そうだよ。忘れてた。なんか発動してたじゃん。あれ武技というか剣技だと思うんだけどあれも何してないっての?」
「……わからん。あ、剣技ってのもウィンドウから選ぶとか?」
「はあ?」
違うらしい。
リップによると、武技とは、己の体を含めた攻撃手段に、術式を載せた攻撃らしい。剣技とは、その名の通り剣に術式を載せた攻撃で、ある程度スキルを磨かないと使うことができない高度なものなのだそうだ。そもそも物理攻撃に術式の付加をしないと魔物には攻撃が通じないらしい。
あれ? ロキシーはわかっていた? 何か試されたのか?
「あんた一体何者なの?」
「……全然わからん。これがあの有名な異世界チート能力というやつなのかな?」
「はあ?」
「いや、俺の世界では、異世界に行くと何か一つぐらい完全に規格外のとんでもない力が手に入る、って言い伝えがあるんだよ」
「何その異世界ファンタジー?」
「いや、俺にとってはまさに今この瞬間が異世界ファンタジーだからな?」
リップはきょとんとして、それから笑い出した。
「あはははは。夏央の世界にも異世界ファンタジーがあるってこと? 本当に変な世界だな! もっと話してよ! スープラの話の続きもあるし、あとこの流れで夏央の初恋の話とかしようぜー!」
リップは夏央の背中をばんばんたたいた。夏央はリップのこんな自然な笑顔を初めて見た気がする。
「おー!」
最後になんか変なのが混じってた気もするけど、夏央も勢いで同意した。
あれ、リップって笑うと可愛いなと、夏央は心のどこかで思ったが、リップのしつこい質問攻勢が始まったのですぐに忘れてしまった。
しばらく話した後、夏央はリップの止まらない質問攻勢から逃れるべく自室に戻ったが、追撃してきたリップが法術でドアを破壊。
酔っ払いの狂犬怖い。
実は眠れなかったリップは、あの時点でひとりで一杯やっていたらしい。
酔っ払って話にならないので、リップはロキシーの法術で強制的にアルコールを分解され、夏央も同罪だと一緒に廊下に正座させられ、宿の主人とロキシーから懇々と説教された。
結局二人して廊下で寝落ちして、その日は終わった。




