消し炭にしてやる
石畳の道は森へと入って行く。
木々のすきまから日の光が溢れ、和らいだ陽射しが道に落ちている。日陰の分、わずかに涼しくなる。
今はスープラとリップが前を歩いている。夏央はロキシーと並んで歩く。
「ここまでは順調ですね。疲れましたか、夏央?」
「まだそうでもないかな。大丈夫」
夏央の言葉を遮るように、前の方の茂みがガサガサと音をたてた。
警戒したスープラとリップが立ち止まり、音がした茂みのあたりに注意を払う。
人の流れが途切れたようで周りには人はいない。
夏央とロキシーも立ち止まり、周囲を警戒する。
茂みの中から小さな白い塊がぽわんと飛び出してきた。
「ウサギだ!」
「えー、かわいいねー」
二人の声に驚いたのか、ウサギはびくっとしてこちらを向いたまま固まっている。
ウサギがいるんだ、と夏央は妙に感心した。リュリーは例外として、この世界で出会う初めての人間以外の生き物だ。
リップがウサギに近づいて腰を屈め、手を伸ばす。
「おいでー」
「リップ、不用意に」
ロキシーが何か言いかけたが、ガサッという大きな音にかき消された。
ほとんど同時にリップの前を大きな赤い塊が横切り、ウサギが消える。
「きゃあッ!!」
リップは悲鳴をあげて後ずさったが、足がもつれて転んだ。
ロキシーが何事かをつぶやいてすばやく手をかざす。
その瞬間、夏央、リップ、スープラ、それぞれの周囲がかすかに白く輝く。なにか支援系の法術を使ったのかもしれない。さっきスープラに言われたように、体が軽く、視界が広くなったような感じがする。
何か大きな生き物がウサギを口にくわえ、リップの前に立ち塞がって唸り声を上げている。
リップか自分の獲物を横取りしようとしたと思っているのかもしれない。見せつけるように、口にくわえていたウサギを上を向いてひと呑みにする。
「でたー! なおー! 魔物がでたよー!」
リュリーが夏央の肩で派手に騒ぎ出す。
「うるさい! 耳元で怒鳴るなよ」
夏央は騒ぐリュリーを置き去りにして、飛び出そうとしたスープラを腕で遮り、反射的にリップの元へと駆け寄った。無意識に背後に庇う体制になる。
「これが魔物?!」
初めて見る魔物が目の前にいた。
長い二本の牙を持った、猫科っぽい生き物。動物園で見る虎くらいある。
サーベルタイガー?!
その体毛は血に濡れたように赤い。
不思議と恐怖は感じない。こんなわけのわからない生き物を目の前にしているのに。すくむこともなく体が動く。
冷静に、夏央は魔物を観察する。突き出した長い牙。短い体毛に覆われ、無駄なく締まった筋肉質のボクサーのような体躯。
そこまではいい。ああ、異世界で魔物との戦闘なんですね、だ。
おかしなことに、なんか左上当たりに白い四角のウィンドウみたいな枠に囲まれた文字が見えるんですが。
白く浮かび上がる、複数の数値。
ステータスが出ているような気がするんだが…。いやいや、ゲームじゃないんだから。
…この世界ではコレが普通なのか?
しかし、夏央の動揺はさておき、今この場のこの緊迫感。とても誰かに確認できる状況ではない。
魔物は威嚇するように低いうなり声を上げながら、数歩後ずさり、赤く光る獰猛そうな目でこちらを睨み付ける。獣臭さがあたりに立ち込めてくる。
「なぜこんなところに……」
ロキシーのわずかに動揺した声が聞こえる。
「恥かかせてくれたな! 消し炭にしてやる……!」
リップが立ち上がって杖を振りかざし、術式の詠唱らしきものを開始する。
初めての戦闘、という感慨を抱く間もない。戦いはもう始まっている。
「いけません、リップ! その術式では!」
ロキシーが叫ぶ。
ほぼ同時に詠唱を終え、怒りとともに術式を炸裂させるリップ。
「炎よ爆ぜて焼き尽くせ! ブレンナー・フラム
!」
目もくらむようなすさまじい炎が目の前にいきなり現れて、魔物が勢いよく燃え上がる。
熱い。
火の粉を散らしながら悶える魔物。
夏央は心臓がドクンと脈打ち、体が熱くなるのを感じる。
興奮と驚きが毛穴から噴出しそうなほどにぐるぐると体の中をかけめぐる。
これが術式。
湧き上がる炎。毛と肉の焼ける嫌な臭い。今も目の前で燃え盛る炎は、思わずあとずさってしまうほど熱い。
術式が成功したリップがふっと気を抜いたことに夏央は気づく。
まずい、直感的にそう感じる。
左上の数値は減っていない。緑色? 増えた?
夏央はスラリと刀を抜いた。リップと魔物の間に割って入る。
魔物は炎に包まれたまましばらく身もだえていたが、足を伸ばしてしっかりと地面に踏ん張ると轟くように吼えた。
「!!!」
咆哮の音圧で空気がビリビリと震える。
夏央は全身が総毛だつ。首筋がヒリヒリする。何かやばいやばいと心が叫ぶ。
燃え盛っていた炎が突然消えた。
燃える炭に急に水をかけたように、煙がその場にもうもうと立ち込める。
晴れていく煙の向こうで魔物が三体に分裂した。大きさはそのまま。足音も立てずに夏央の前面に散開。攻撃の態勢を整えているのは明白。
魔物の低い唸りが共鳴する。威圧感が数倍に膨れ上がる。
来る!
視界の端、右下に別のウィンドウのようなものがちらりと見えた。一瞬目で追うが目の前の魔物が気になって読み切れなかった。
赤い口を大きく開き、力強く地を蹴り。
魔物は立ちふさがる夏央を無視するように、三方向からリップに飛びかかろうと跳躍する。
スープラが声にならない悲鳴を上げる。
夏央は飛びかかってくる三体を迎え撃った。
夏央の持つ刀が、ゆらりと幻のような青白い光を放つ。流れるような動きで魔物の間を舞う。
一閃、二閃。
魔物は臓腑と血をまき散らしながら続けざまに地べたに転がった。
三体目は、夏央の刀が届く前に、何か見えない重いものに押しつぶされたように頭部がひしゃげた。
「……やはり彼はそういう立場の方なのでしょうね。しかし剣技を発動させ、私より速いとは」
ロキシーの呟きがかすかに聞こえてきた。
立ち込める血の匂いの中、夏央は改めて自分の動きを振り返ってみた。
青白く光った刀につられるようにして体が勝手に動いた。
そして、魔物が倒れていた。
刹那の出来事だった。
自分がどのように動いたかは覚えている。しかし、考えての動きではなかった。もう一度やれといわれても出来ないだろう。
夏央自身、返り血一つ浴びていない。
あのウィンドウで何かを選んだのか? いや。それよりも。
「大丈夫?」
夏央は腰が抜けたようにずるずると座り込んでしまったリップに手を差し伸べる。
リップはすがるように一瞬素直に手を差し出したが、ふと夢から覚めたような表情を浮かべる。
「だ、大丈夫! 自分で立てるから!」
顔を赤らめ、夏央の手を振り払い、リップはよろよろと立ち上がる。
立ち直ったスープラがリップに駆け寄る。
「大丈夫?」
「うん、平気。びっくりしただけだから。スープラこそ大丈夫?」
「私は大丈夫だよ」
ロキシーが何かつぶやくと三人を包んでいた微かな光は消えた。これも何かの法術のようだ。
「私が思っていたよりはるかに夏央は強いようですね。まさかこれほどとは」
ロキシーがリップの体に怪我がないことを確認しながら言った。
「いや、違うんだ。考えるよりも先に体がというか、刀が動いた、って感じで……」
思わぬロキシーの言葉に夏央は戸惑う。
今更言うまでもなく、夏央が真剣を『遣った』のはこれが初めてだったのだから。
夏央は魔物の血に濡れた刃を拭い、刀を鞘に収める。僅かにその手が震えていたことには誰も気付かなかった。
「ロキシー。なんなのこれー?」
さすがに心配そうにリップとスープラに触れながら、リュリーが訊く。
ロキシーはしゃがみ込み、魔物の残骸を調べながら答えた。
「……これはサーベルタイガーの亜種、火属性のフレイムタイガーです。だから火炎により増幅、分裂したんですが、そもそもこんなところをうろうろしているような魔物ではないんです」
「どういうこと?」
「普通は高位の術者などが自分の護衛用として用意しているものなんですよ。何もない森に現れるものではない」
「強いの?」
「それはもう見ての通りです。作られた目的が目的ですからね。許可なくテリトリーに立ち入ったものは生かして帰しません。今のリップやスープラでは手に余ります」
魔物の残骸が薄く煙を吐きながら虚ろに揺らめきはじめる。
「え?」
思わず声を上げた夏央にロキシーが説明する。
「魔物は位相が異なるので、倒せば基本的には消えるのですよ。素材の回収は早めに行う必要があるのですが、今回は不要ですね」
「何でそんなのがいきなり出てくるのよ!」
リップが忌々しそうに言う。
ロキシーは一瞬表情を曇らせた。
「ちょっと待って下さい」
持った杖を左手に構えて目を閉じる。
空気がしん……と沈まる。右手の人差し指が淡く光り、空中に文字のようなものを書いていく。
リュリーもおとなしく成り行きを見守っている。
風もないのにロキシーの服の裾がふわりふわりと揺れている。ロキシーの前の何もない空間に、微かな光がちらちらと動くのが見える。
しばしの後、薄く目を開いたロキシーは言った。
「このあたりには何もいません。このフレイムタイガーはかなりのイレギュラーです。先日の戦闘の生き残りの可能性もありますが断定できる理由もないですね。まあ、けがもなかったことですし、先を急ぎましょう」
「……は? それだけ? こんな目にあったのに?」
リップの声が呆れと怒りを含んでいる。
「ええ、今わかるのは残念ながらそれだけです。当分こんなのは出ません」
ロキシーは何事もなかったかのようにそう言った。
フレイムタイガーがうっすらと消えていき、後に残った何かは灰になり、風に散っていった。
この日、再び魔物が現れることはなく、夏央たちは夕方まで歩いて小さな街にたどり着いた。




