理解が追いつきませんわ
《ふははは! 不完全な状態とはいえ、魔王の種とコミュニケーションをとり、かつ相互認識を獲得するとは! 面白い》
咆哮のような笑い声と豪雨のような強い思念が降ってきた。
「あなたの感情も美味ね。これは……芳醇、というのかしら?」
無表情ながらもどこか満足げなエルゼ。
《我の感情まで喰らうとは。人との対話も愉快であった。魔王の種についての認識を改めねばならぬ。さて、時間を引き伸ばすのはもう良かろう。お主たちが何を成すのか成さぬのか。我が見届けてやろう》
「強者らしい身勝手というか何というか……まあ、助けてもらったのは確かだよな」
気づけば魂を繋いだときの疲労感はもう無い。
夏央はエルゼとブラウドラッハを見る。
「エルゼ。ブラーシェ。エリアルとシャルロットを助ける。手伝ってもらえる?」
「いいわよ」
エルゼが答える。
「無論じゃ。食い尽くされぬように存分に支援しよう」
ブラウドラッハが不敵に笑う。
「夏央、二人のこと、お願い」
スープラは胸の前で手を組み、祈るように呟いた。
この笑顔を曇らせたくはないな。
「その感情も良いわね。甘酸っぱいわ」
エルゼの独り言にコキュートスドラゴンが大笑いする。
その笑い声に反応したように、白い世界は音もなく割れた。
◆
白い世界の先にあったのは元の世界ではなかった。
果てしなく続く地平線。夕暮れのような、夜明けのような、紫色の空。空の色を反射しながら地平線まで続いている足元の水面。
スープラはいない。先に元の世界に戻されたのだろう。
夏央の前に現れたのは、エーテルの中にいたときのようにふわりと浮かぶエリアル。
そしてその手を捧げるようにして跪いたシャルロット。
エリアルの表情は眠っているみたいに穏やかだ。シャルロットは対極的に疲労困憊。苦悶の表情を浮かべている。
天に帰ってしまおうとしているエリアルをシャルロットが必死に繋ぎ止めているようにも見える。
僅かに目を開いたシャルロットが夏央を見る。
意識がないと思っていたが違った。夏央に驚き、そして表情が悲しそうに歪む。
「助けて。エリアルが死んでしまう」
懇願する掠れた声。
シャルロットの傍らにはシュシュがいた。
現れた夏央たちを見て、シュシュは僅かにホッとしたように見えた。
「エリアルの消極的同意とともにシャルロットの願いは発動しました。対価はありますが方法が確立していません。このままでは二人とも死んでしまいますわ」
「まだ間に合うよね?」
「ええ。ご主人様の力次第ですが。ただ、先程よりも強い力の行使が必要です。おそらくは種の成長と共に魔王化が進行してしまうかと」
「壊れるかどうかはお兄ちゃん次第」
エルゼがやや不満そうに呟く。
「そちらの方は?」
首を傾げたシュシュにブラウドラッハが答える。
「こやつは魔王の種じゃ。コキュートスドラゴンが
実体化させ、スープラがエルゼと名付けた」
「理解が追いつきませんわ」
唖然とするシュシュ。なかなか見れない表情に夏央は笑ってしまう。
いい感じに緊張が解れた。
「詳しいことはまた後で。シュシュも手伝って。二人を助けよう」
夏央はシャルロットに握られたエリアルの手に、自分の手を重ねて目を閉じた。
◆
エルゼから夏央に向かって途方もない力が勢いよく流れ込んでくるのがわかる。
溺れそうなほどの強烈な多幸感に包まれて何も考えられなくなる。虹色の渦巻きが輝きながらぐるぐると回っている。ふわふわゆらゆらと温かい液体の中で自分が揺蕩っている感じがする。思考が溶けていく。
……これ……やばい……バカになりゅ……
僅かに残った思考が危機感を感じ、意識が途切れかけた後、緩やかに思考が回復してきた。
ブラウドラッハとシュシュの支援だろう。
ブラウドラッハたちの力を借りるときに流れ込んでくる快楽はこうして調整された結果なのかもしれない。
やばかった。本当にギリギリまで行った気がする。
目を開く。
ブラウドラッハに力によるウインドウ。シュシュの力によるウインドウ。
その向こうに、エリアルとシャルロットの時間の流れが可視化されていた。
二人の記憶が見える。
エリアルの過去。
ゼータとの喧嘩。淑女教育。妹の誕生。母の死。妹への愛情。ゼータとの関係の変化。信頼。愛情。十年前の戦争。マキナの涙。果てしなく続く絶望と後悔の時間。幽かな希望。感謝と悲しみ。
シャルロットの過去。
母の死。孤独。飢え。冷たい父の目。たくさんの女を侍らす父。孤独。悲しみ。憧れ。希望。努力。忍耐。試練。挫折。悲しみ。自分を守ろうとした騎士団長の背中。諦念。変わり果てたゼータの姿に対する怒り。謝罪。エリアルの願い。感謝と悲しみ。
幼いシャルロットの不遇や、憧れの騎士になったのに父親の道具として扱われた姿に、夏央は強い怒りと悲しみを感じた。
……何なんだよ。なんであんな目に合わなきゃいけないんだよ。
今まで見てきたシャルロットの姿が全く違う形で見えてくる。こんなものを背負わされていたなんて。……許せない。
シャルロットに怒りを感じていた自分にさえ苛立つ。
……だめだ。違う。過去に目を向けちゃいけないんだ。
夏央だっていい加減学んでいる。
壊したいという感情をなんとか抑え込む。
シャルロットの悲しい時間を抜き取る。
このままエリアルに移せばエリアルの記憶と時間がおかしくなるのだとわかる。
記憶の浄化を意識しながら一度自分の中に取り込む。
シャルロットの記憶と感情が雪崩込んでくる。
(夏央、やめるのじゃ。その方法ではお主がおかしくなるぞ!)
寂しい。涙が滲んでくる。誰か助けて。
(いけません、それはやりすぎですわ!)
無力感。もっと力があれば。私のせいで。
胸が締め付けられるように苦しい。息ができない。
人の記憶と感情がこんなに重いとは。
手を止めて喘ぐ夏央の肩に誰かの手が触れた。
「手伝って、って言ったのに。あとは私がいただくわ」
エルゼの声を拒否する暇もなく、抱えきれなくなっていた感情が溶けて消えていくのを感じた。
「お兄ちゃんの感情も混ざっているからなんだか不思議な味。いつもよりましだわ」
ぎょっとする。
悪い感情をエルゼに与えてはいけない気がしていた。だから自分の中に移していたのに。
「大丈夫ですわ。感情の種類ではなく、ご主人様の精神の問題なのだと思いますわ。貴方が壊れなければエルゼは何もしないかと」
シュシュが窘めるように言う。
エルゼが同意した。
「私は何もしない。それと少し思い出した。みんな受け止めて、抱えて、溜め込んで、最後は耐えられなくなって壊れていく」
かつての魔王達。確かに自分も似ているのかもしれないと夏央は思う。
感情は受け止めすぎてはいけない。抱えてもいけないんだ。スープラに言われたように、外に出すことで軽くしないといけないんだ。何か大事なことに気づいた気がした。
エルゼに手伝って貰いながら、時間を移し替えていく。
感情を受け取らないことでだいぶ楽になった。
◆
どれほどの時間が経っただろうか。
ふと、これで良さそうだ、という感覚があった。
一息ついてエリアルとシャルロットを確認する。
エリアルの足が水面に沈んでいる。もう浮いていない。
シャルロットの表情が穏やかになっている。
ブラウドラッハを見ると頷いてくれた。
もう本当に限界だ。意識が薄れていくのを感じる。
「良くやった。頑張ったな、夏央」
「お疲れ様でした。ご主人様。感謝いたしますわ」
ブラウドラッハとシュシュが夏央を優しく抱きしめてくれた。
「うん、こっちのほうが美味。次も期待してる」
エルゼの声を最後に、夏央の意識は途切れた。




