3 メロウなとんぼ
とりあえず、謎の発芽という問題を四日後のデートにもちこんだので、しげるの気分はだいぶ復調した。
洗濯物を干したのち、掃除機をかけ、ごみをまとめてから、休日のルーティンであるところの買い物にでかけることにした。
やや着古したTシャツにチノパン、CCのロゴ入りキャップという40後半とは思えないいでたちだったが、しげるのアパートからデパートまで四キロほどを車(しかも軽トラ)で移動するだけなので気にしない。むしろ、お似合いですね。
しげるの住まいは日本有数のF山とA山を線で結んだちょうど真ん中あたりのМ山のふもとにあり、1キロの山道、残りの3キロの市道をひた走ることになる。全裸で運転していても、気づかれないかもしれないぐらい通行人はまばらである。
なんでそんな閑散としたところに住んでいるかといえば、みずから応募したからだ。過疎化に悩む地方に移住すれば、仕事と住居が斡旋してもらえるというよくある役場の企画にのっかって、М山までたどりつき、研磨工の会社で働いている。
都会の西のはずれで、就職難民になり顔で笑って心で泣く20代をコンビニと飲み屋のバイトで過ごし、30を過ぎた頃に人生とは歩みを進めるものではなく、怒涛の波のなかで押し流されないように立っているだけなんだと気づき、40をまえに膂力が衰えてきたことを実感した結果の決断だった。
しがらみがさほどないため、運のあるなしとか、後悔のあるなしとか、そういうのもだんだんどうでもよくなってきている。
ちなみに、みゆきもおなじ企画の移住民であり、都会の東のはずれからきたらしいが、それ以上のことはあまり聞いていない。
年齢からしていろいろあるのだろうと察するものはある。表向きの陽気な性格を思えば、縁のひとつやふたつやみっつやよっつはあったにちがいない。
じっさい、自動車修理工場の老若の男たちの人気者らしい。この田舎町でおしゃれなカフェを経営する野望を胸に秘めているそうだ。
移住仲間としてつるみはじめ、何度か関係をもったこともあるが、結婚とかそういう収束をみせる気配はまるでない。
経済的な諸事情と、しげるのなかでその手の感情が死滅しつつあることに起因しているのだが、みゆきのほうも積極的に触手をのばしてくることもない。
以前、日帰りで県内の大きなみずうみに向かい、湖畔で並んでいた夕暮れ、ふと横をみると、みゆきが大量の涙を流しながら、絶命間近のオッコトヌシのようにえづいていた。
そのとき、しげるにできたことは目を背けて気づかないふりをしつつ、まわりの観光客に「ああ、泣かしてら」とか憐みを受けないといいなともじもじしたことぐらいだった。
肩を抱き寄せるとか、いっしょに泣くとか、そんなロマンティックは見当たらないよ?
しげるが軽トラを総合デパートの二階駐車場にとめ、食料のまえに家電やら日用品をながめてまわっていると「あれ、偶然じゃん?」と聞きなれたハスキーヴォイスがして、みればこの残暑きびしいなかぴちぴちのライダースジャケットを着こんだ松木がいた。ズボンもぱつぱつだ。
松木は地元民であり、都会でバンドマンやら芸能関係やらを務めたのち、もどってきて「Mellow」なる美容院をしている年齢不詳である。
おそらく歳上だが、先輩というふうでもない。枠組みがちがうといえば、そんな感じ。それでも同じ市内のとなり町なので、しげるもご用達だった。
しかし、あたまに二葉が生えた日に美容師に遭遇するという珍事に、しげるはドキドキがとまらない。
「そろそろ切り時じゃない?」
松木は右手をチョキにする。
「あれ、見慣れないキャップ?」
「ああ、まぁ、そうね」
しげるはキャップのつばにふれ、深めに角度をなおす。表情さえもみられたくないエージェントのさりげなさ。
「予約いれちゃう?」
松木はチョキをチョキチョキさせる。グーで凌げぬものか。
「あれ……お店のほうはどうしたの? 土曜は営業日でしょ?」
「そうそう、それね」
松木は口をへの字にする。
「店は予約のみに切り替えたんだ。このご時世、なかなかどうして、飛びこみがこなくなっちゃってさ。ついでに本日は夕方まで予約なしの閑古鳥」
「ああ、お察しします。急に自粛っていわれてもね……」
しげるはうなずく。まァ、ただでさえ辺鄙なところだから、流行病などあるとたまったものではないのはみんなおなじ。
しかも同様の迷惑ではないけれど、しげるはしげるで迷惑を抱えている。
「ああ、ここだけの話……しばらくは行かないかもしれない」
しげるは困ったふりをする。じっさい、困ってはいるけれど。
「ここだけの話? なにをどうやっても、ここだけの話じゃね?」
松木はギャハハと笑ったのち、スンとする。
「なに、どうしたの?」
急に年齢相応っぽいトーンになった。意外とまじめなのかもしれない。
「いや、その、頭髪がこの夏を超えられなかったというか……」
しげるはハハハと渇いた水田のように笑う。
「最近ちょっと、ほら、うすくなってきちゃったというか」
松木は片目を大きくし、どうやらそのぶんだけ疑いをもったようだったが、そこは商売人しばらく繁々としげるのあやしげなキャップを観察したのち、「へぇ……」と納得したように相槌をうつ。
「しげるさんはそういう系じゃない気もしたけどな――年齢相応ってことかね。まァ、もちろん無理強いはしないよ」
松木はぴちぴちぱつぱつの革をきゅうきゅういわせて身をよじった。
「そういう系……?」
しげるのつぶやきはスルーされた。
「でも、それならそれで、それなりの対処ってのもあるから」
「それなりの……」
「テクニックというやつね」
松木は目を細めて、チョキチョキする。
「まァ、気が向いたら予約ぶちこんでよ。アディオス、アミーゴ!」
そして、松木はふたたびチョキの右手で去っていった。もしかしたら、最後のはピースサインだったのかもしれない。ちっとも平和じゃない。
しげるはそのうしろすがたがエスカレーターのさきに消えるまで待ってから、未曾有のため息をついた。
生物的な勘として、この謎の芽については、だれかれかまわず話していいという気がしない。
噂がひろまって、しかるべき筋の耳に入り、あやしいエージェントのような連中につかまって、あやしい研究者たちにこねくりまわされるかもしれないからとか、そんなふうに危惧しているわけではもちろんない。
単純に、あたまに二葉がぴろんが恥ずかしいからである。
ついでに奇病であるのだとしたら、それが噂になるのは避けたい、せまい世間ですし、というのもある。
そう思うと、わりと生活が不自由になるのではないか――しげるはようやくそれを悟り、なんとなく買い物も億劫になって、だれかにつけられているエージェントの気分でとんぼ返りして、とりあえず寝た。
一難去って、また一難という日曜日になるとは思いもせずに。




