2 春雨予想
そういう結論をみちびきだし、ひと思いにひっぱり、しげるはあまりの激痛に鼻水を噴いた。
「ぎゃあ!」
明けがたの悲鳴ほどはた迷惑なものもないだろうが、しげるはその痛みの激しさに思わずふるえる。
リコイルスターターでエンジンをかけたぐらいの動悸がした。
脳天から肛門に電流がつきぬけるような、肛門から脳天まで閃光が駆けあがるような、肛門あたりで灼けた石がぐりんぐりん高速回転するような、とにかく神経を破壊するような痛みだった。たとえが肛門ばかりですまないと思っている。
とにかく、ひっこぬくことは不可能という判断になった。
野性の本能的なもので、それをすると絶命するような気さえした。いや、野性のそれなら試すまえに気づきそうなものだが。
しげるは深呼吸する。すっかり眠気はとんだ。
とりあえず、落ち着いて日付を思いだそう――いまは西暦2022年……9月……10日。
かろうじて脳は正常だった、日付がそれで正しいと仮定して。
この草の芽騒動をだれかにつたえたい衝動に駆られたが、唯一の相手である和泉みゆき(38歳、独身)もさすがに5時では寝ているだろう。
みゆきは土曜も仕事だから、仮に夢のなかでなくとも通信手段をもちいると迷惑にちがいないと常識人として考える。
しげるは顔を洗い、まだ暗いキッチンに向かって、黙々と朝ごはんの支度をした。
ちらりと冷蔵庫のなかを一瞥して、カイワレダイコンもブロッコリースプラウトもないことを確認し、エージェントのような慎重さで味噌汁に入れるのは青ねぎにしておいた。
食後、片づけをし、トイレをすませ、ふたたび洗面所に立ったところで、しげるは斜にかまえエージェントのようなさりげなさで芽を確認してみた。
やはり存在する。非常に愉快な感じで、ぴょろりと二葉がこんにちは。おはようの時間帯だけれど。
しげるは永遠ほどもあるため息をつき、何事もなかったかのように歯磨きをして、洗濯機をまわした。
そして、住まいの定位置であるソファにどっかり坐りこんだところで、ふと――奇病という単語が脳裏に浮かんだ。
ひろいみずうみのど真ん中の小島で、かぎりない静寂につつまれている気分。
40も過ぎれば、無傷ではいられないのは致しかたないところだが……。
しげるはスマホで検索してみるべきか迷い、結局やめた。
事象があまりにファンタジックすぎる。
そもそも現時点で身体的な不調が起きているか――?
不眠ぎみだがそれは二葉よりだいぶまえからだし、食欲もあるし、お通じも色かたち共に異常なし。汚い話ですまないと思っている。
のどもひりひりしないし、咳もでないし、熱もたぶんない。
頭痛もいまのところないし、全身の倦怠感も寝不足のそれを除けばない。鼻炎ぎみだがこれは慢性的にそうだ。
だいたいにおいてそうだが、悩みはじめたときにそうなるように、しげるは眠くなってきて、クーラーのサフゥーとセミのみょーんみょーんがだんだん遠のいていき、また寝た。
2000年後の世界で三人の20代くらいの若者が楽しそうに過ごしている夢をみた。なんだかよくわからなかった。
起きると昼の12時すぎだった。
おそろしいほどの二度寝であり、休日の浪費だったが、しげるは若干気分がよくなっていたので、みゆきにメッセージを送ってみた。
最初はジャブと決めている。「呼んだ――?」
5分の沈黙ののち、「うん……もう行かなきゃ」という返信がきた。
「どこに?」のっかってくれているので、しげるものっかる。
「あしたに――」
みゆきの機嫌はよさそうである。25回に1回、あるかないかの上機嫌だ。
しげるはすかさず本題に入る。
「貴重な昼休みにすまない。どうしてもつたえたいことがあるんだ」
返事をまたずにつづける。
「あたまから葉っぱが生えた」
奇妙な間があった。5秒が50秒に感じられ、赤ん坊だった知人の子がもう中学生というぐらいの。
「わぁ、つまらんジョーク!」
返ってきたのは素直な反応だった。
「今朝から何度も確認しているので、どうやらジョークでも夢でもない。切々ととまどっている」
しげるはまじめに訴える。
ふたたび間があった。
しかし、昼休みだけあって、みゆきが春雨スープをすすっているところが想像できた。
「みせてみ?」
きわめて実務的な展開になった。
しげるは洗面所までいき、右手で髪を慎重に選り分けつつ、左手のスマホで自撮りを試みる。
背すじでどばっと発汗するほどなぜか気恥ずかしくなったが、何度目かにして、まるで余所行きの慣れない固い笑顔を浮かべたしげるおじさんの写真が撮れた。
前頭部には見事に二葉が鎮座している。
躊躇するだけ無駄なので、即座に送信してみた。
アパートの二階の窓からみた白い入道雲が、うさぎから亀に変化するぐらいの間があったあと、みゆきが電話をかけてきた。
「ねぇ、暇すぎない? そんな写真作って、気を惹きたいの?」
どうやら会話ができるところまで移動したらしい。
みゆきは自動車修理工場の事務兼電話番をしている。まわりにいる老若の作業服の男たちから距離をとったのだろう。
「慣れない自撮りまでしたんだから、真実なんだと受けとめてほしい」
しげるは切々と陳情してみた。冷静に考えると、それ以外に方法がない。
「まぁねぇ……わかった。仕方ないから、今度の休みに気を惹かれてやろう」
みゆきはしぶしぶ受け入れた。修理工場の休みというと、水曜日なので四日後である。
まァ、そこそこの釣果だ。
「ありがとうございます。ところで、お昼のメニューは?」
みゆきは心底面倒くさそうに鼻息をもらした。
「……春雨だけど?」
しげるは内心ワーイと満足した。視界にゆれる二葉を気にしつつも。




