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006話 赤穂城の戦い

 時は少し遡る。ここは芸州安芸の国、厳島である。


 現在の廿日市市宮島の町家通りと呼ばれているところだ。厳島神社に向かう道に面したその中ほどに数軒の遊郭があった。このあたりは昔から厳島神社の参拝客で栄えていた。船着き場から神社に向かうちょうど中間あたりになる。

 観光客が買い物をする現在のメインストリート「表参道商店街」の大部分は、江戸時代後期に埋め立てられたのでこの時代にはまだ無い。


 その一軒の遊郭から様々(さまざま)な様子の4人が出てきた。一人は上機嫌で、二人は無表情で、残りの一人は非常に不機嫌であった。苦虫を嚙み潰したような顔で文句を言ったのは張飛である。


「なんでじじいばっかりモテるんだ! オレは面白くないぞ」

「ほっほっほっ なんでモテるかと言われても、人徳という他ないのう」

「黙れじじい、三人も女を侍らしやがって...オレのところには一人も寄らぬ」

「いやもうちょいと女心というものを学んだらどうじゃ、お主はがさつなんじゃよ。あれでは遊女と言えども怖がって近寄ってこんよ」

「くそっ 関羽の兄貴と許褚(きょちょ)の野郎はどうなんだ? ただ黙って座っていただけじゃねえか。それでも常に一人は侍っていたぞ」 

「ああ それか、こういう商売をしている遊女には、口数の少ない男に惹かれる者もいるもんじゃ。お主は見ていても欲望丸出しではないか」


 この男張飛は「身の丈6尺2寸」(約185cm)、「豹の頭にどんぐりまなこ、燕の顎に虎髭」、「酒好きの乱暴者」、というのが創作作品においての定番である。

一方許褚の方は、身長6尺1寸(約184cm)で腰周りが(およそ120cm)もあり、容貌が雄々しく毅然としており、武勇と力量も人並み外れていた。


 4人は暫く東の方角に向かって歩き、船着き場から本土へ渡った。

対岸の(さわら)(はま)という場所へ上陸した。そのむかし鰆という魚がよく獲れたためについた地名である。

ちなみに現在ではおあがり場とも言う。明治天皇が厳島への行幸の後、この場所から上陸されたので「お上がり場」という名称になっている。


 陸に上がると彼らは走り出した、ここから山の拠点まで直線距離で約10kmである。彼らの身体能力からすれば軽めの散歩に等しい。ただしまともな道はこの当時まだ整備されていなかった。野を越え山を越え駆けるということだ。北へ3kmほど行くと津和野街道へ出る、ここから普通の道で人目があるため歩くことにしている。間もなく帰還だ...




 ここは安芸の国、野貝原山 地中の拠点である。


 関羽達20人を赤穂へ派遣する前日、イワレヒコは遊郭から帰ってくる黄忠ら4人を待っていた。


「張飛、遊郭はどうだった? 女と楽しく過ごせたか」

「ちぇっ 楽しく過ごせたのは黄忠のじじいだけですよ、オレはちっとも楽しくなかったですぜ。あと関羽の兄貴と許褚はそれなりに楽しめたようですぜ、文句を言わないので」

「はーん オレは約束を果たすが女にモテるかどうかは本人次第と思っている。遊女とは言え無理やりというわけにはいくまい。まあ、精進することだな」


 張飛は仕方なく諦めたようである。そこでイワレヒコは次の依頼を出すことにした、依頼と言っても実質命令である。命令ではあるが彼らの希望でもある。


「いろいろあって待たせたが、かねてより約束の戦いをしてもらいたい。詳しくは黄忠に聞いてくれ、この件は最初から黄忠が関わっている。今回の指揮は関羽に任せる、皆も関羽の指示に従うように。明日出発だ、4月16日までに赤穂に入ってくれ」

「大将!」

「なんだ張飛、まだ聞きたい事があったのか」

「いやそういう訳ではないんだが、以前から気になる事があって...あの言いにくいんだけど、玄徳の兄貴はこちらへ呼んでもらえないんですか?」

「ああ奴か、あいつは無能だ。人がいいだけのやつはここには必要ない。戦闘は苦手で統治だけの者はここでは使えん。その点、戦闘に特化したお前の方をオレは評価しているぞ」




 播磨(はりま)(のくに) 赤穂城


 元禄14年4月18日、史実で城開け渡し(明け渡し)が行われる前日の事である。

赤穂城受城使に3万5000石役(3500人の兵を出す役)として播磨国龍野藩 脇坂淡路守

1万5000石役(1500人の兵を出す役)として備中国足守藩 木下肥後守

受城目付に御使番荒木十左衛門および榊原釆女(うねめ)が任命された

これは幕府からの命令で拒否も兵員削減もできない、従わないと自分たちが取り潰される。

当然家臣は足ないので武士ではなく農民を変装させて動員していた。 馬も足りないため他藩より借り受けていた。


龍野藩(脇坂軍) 兵4500人、人口は推定4万5000人、家臣約600人

足守藩(木下軍) 兵1500人。人口は推定1万7000人、家臣約300人

が忠臣蔵当時(1701年)の事情だったらしい。



 元禄14年4月19日、史実で城開け渡し(明け渡し)が行われる日が来た。


 子の刻(午前1時)、脇坂淡路守は大手門に至る。大手門・清水門・二の丸門・本丸門・厩口門・刎橋門に別れて待機した。

 丑の刻(午前4時)、木下肥後守は赤穂城下の塩屋口門前に到着し、塩屋口門・干潟門・西ノ門・透シ門・水手門・仕切門に別れて待機した。

脇坂淡路守・木下肥後守の兵は合わせて4545人に膨れ上がった。


 卯の中刻(午前6時)、受取の時刻に目付荒木十左衛門が大手門に、榊原采女が塩屋口門に出向き、受城を開始する。

午前7時過ぎ、目付は受城使と共に城内に入り、三の丸、二の丸、本丸の門において...

ここまでは史実のとおりである。


 大石内蔵助ら居残りの赤穂家臣に引き渡しを求めるが......拒絶された。


 いきなりドォーン、ドォーン、ドォーン、という轟音とともに大手門を含む3カ所の橋が落とされた。結果として脇坂軍3500人余りが三の丸、二の丸の中に閉じ込められる事になる。

そう関羽の部下4人が三の丸に入るための橋を打ち壊したのだ、例の強化棒で。彼らはこの時リミッターを解除していた。もう橋は木っ端微塵である、人ではなく物体なので手加減無用というわけである。

 城受け取り軍の中で袋のネズミになったことに気づいた者達は動揺した。これ以後流血の無い大虐殺が始まることになる。


城受城使の脇坂淡路守は


「くそっ (はか)られたか、大石内蔵助め。無血開城のはずでは無かったのか」

「殿ここは危のうございます、奥の方へお進み下さい」 


と家臣が進言する。脇坂は入ってきた大手門のあたりに目をやった


 それもそのはず、外堀の方から悲惨な悲鳴が聞こえてきた。

人が飛ぶ、3人まとめて、何回も何回も。こちらから兵の背中が見えているところでは、将棋倒しの如く人が倒れていく。

 三か所の門から棒を振り回しながら、4人の大男が内側に向かって攻めてきていた。一振りで前列にいる兵が3~4人飛ばされる、次の列の兵は飛ばされ始めた兵にぶつかり倒される。3列目は倒れた兵に押し潰される。

飛ばされた兵は恐らく撲殺されている、2列目は良くても骨折である。3列目は全身打撲で戦闘不能になった。

関羽の部下の兵士型タイプは棒一振りで10人程、戦闘不能に仕留めていた。これでリミッター上限1%である。フルパワーなら戦にならぬただの虐殺であろう。


 一振り10殺、20回振れば200人殺。戦闘に参加する者18人で3,600殺。

簡単なお仕事です、もちろん関羽と黄忠は参加ご遠慮組だ。今回は張飛と許褚と兵士型16名のための特別慰安企画であった......


実際に3,600人死んだわけではない、前列で棒に殴られた者約1,200人程が討ち死に、もとい打ち死にした。


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