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056話 武庫川の戦い


 摂津国の国 第二次討伐軍 尼崎城にて


 元禄15年7月4日、尼崎城下町 袋のネズミ13日目


 再び黄忠と忠勝が使者として訪れる日が来た。兵糧が尽きて3日後のことである、そう言えば去年も今頃だったかと回想していた。

黄忠と井伊 直(なお)興(おき)をはじめ戦評定衆との交渉が始まった。さすが身分の高い者達で飢えても一般兵よりも気丈に振舞っていた。まず黄忠から発言する


「ほう~ 兵糧が尽きて暫く経ったはずじゃ、意外に達者のようじゃのう。それで貴殿らの結論は出たのか」


「まず、降伏の条件を伺いたい。返答によっては結果が変わる」  


と井伊直興が発言する


「では我が主(あるじ)から降伏後の開放の条件である」


  1、武器、防具はすべて没収 ただし護身のため小刀は認める

  2、三日分の食料、水は与える

  3、こちらに寝返りたい者は認める


「以上である、何か尋ねたい事はないか? 降伏の条件は第一次討伐軍と同じである」


「降伏すれば開放してもらえるのか? しかも三日分の食料つきで」


「貴殿の主とはイワレヒコという御仁のことだろうか?」


「しかり、主は今や 11か国と15大名家を傘下に従えておる」


「なんと! 15もの諸侯が上様以外の誰かに従っているというのか」


この場にいる10数人の評定(ひょうじょう)衆(しゅう)がざわつく


「最後に我が主からのお言葉である。『この度はこれで許すが次は無いと思え、二度目は皆殺しにする』ということだ」


 もちろんイワレヒコはこんな事は言ってはいない、黄忠の脅しであった。しかし逆らう者は皆殺しにする気満々であった。『張飛はじめ戦闘好きが大喜びするのう』と思いながら、続いて黄忠は評定衆に助言をする事にした


「討伐軍がこのまま敗走すれば幕府からどんな罰を受けるのじゃろうの? 無事では済むまい、ここに至って改易か転封はあるまいが、よく考えてみる事じゃな」


「......」


「徳川より待遇は良いと保証するぞ」


黄忠はちゃっかりと寝返りの交渉(調略)をしておいたのである。




 摂津国の国 尼崎藩 武庫川周辺


 元禄15年7月6日、尼崎城下町 袋のネズミ15日目を迎えた。

黄忠が降伏勧告を勧めに来て2日後、イワレヒコ軍は武庫川の西側、討伐軍は武庫川の東側に陣取っていた。

 イワレヒコ軍の顔ぶれは津山藩 森家、備中松山藩 安藤家、岡山藩 池田家、姫路藩 本多家、明石藩 松平家の陣容であった。イワレヒコからは一万石あたり200人の要請があったのだが、これでは恥ずかしいし言って一万石あたり500人の兵を揃えた。出陣した各大名家は先日あった戦いで津和野藩と岩国藩の情報を仕入れていたのである。

  

  岡山藩 池田家 31万石 15,000

  津山藩 森家  18.7万石 9,000  

  姫路藩 本多家 15万石 7,000

  明石藩 松平家 10万石 5,000

  備中松山藩 安藤家6.5万石 3,000

    合計兵力      34,000


対する第二次討伐軍の顔ぶれは

  桑名藩 松平家 10万石 15,000

  鳥羽藩 松平家  6万石 9,000

  篠山(ささやま)藩 松平家 5万石 7,500

  出石藩 松平家 4.8万石 7,200

    合計兵力      38,700


ほぼ拮抗していた。もうお判りと思うが戦に参加するのはすべて松平家である。彼(か)の藩はいずれも譜代か親藩であり、徳川一門というプライドが降伏を受け入れられなかったのであろう。

尼崎城にいる藩主の命を聞かなかったのだ。腹が減っているのに元気なことだ。




 イワレヒコ軍 VS 松平家連合軍


「イワレヒコ軍の諸君。こちらは作戦指令室、以後戦闘指揮所と呼ぶ。指令の浅野阿久利だ、よろしくお願いする。あらかたの作戦は前もって打ち合わせた通り、ホムンクルス部隊施設隊が浮橋を設置する。またホムンクルス部隊以外は私の指示に従うこと。目まぐるしく戦況が変わると予想する、各隊長はイヤホン通信に注意して欲しい。では突撃隊長の本多忠勝殿、先陣をお願する。同じく突撃隊長の張飛殿・許褚殿は下流の浮橋より侵入して欲しい。池田家、森家、本多家、松平家、安藤家は突撃隊に続け。怪我は構わないが死なないようにしてくれ、例え四肢の欠損でもなんとかする。何か質問は?......なければ作戦開始だ」



 戦端が開かれた。なんと本多忠勝をはじめ本多隊の10名は武庫川を渡って来た、しかも水の上をである。古来より「水走り」と言われる走法で沈む前に次の水面を蹴るのである。物理的に不可能であるが、そこは物語の世界だ。

武庫川を渡り終えた忠勝は正面に陣を張る松平家に襲いかかる。この頃の『新蜻蛉(とんぼ)切り』は十文字槍の形をしており、枝分かれした部分の鎌は下側に湾曲させていた。鎌の部分で薙刀の役割を持たせたのである。つまりは一突きで切ることもできて、胴を突けば上下バラバラになってしまう恐ろしい武器だった


 一方の張飛は武庫川の上を「水走り」で駆けて来た。武庫川を渡り終えた張飛はこれまた正面に陣を張る松平家に襲いかかる。《どこの松平家か筆者は知らない、全て松平家なので何も問題は無い》 張飛が振り回していた武器は「丈八蛇矛(じょうはちだぼう)」で刃の形状がうねる蛇のように見える長柄の矛である。長さ一丈八尺(約4m)の蛇形の矛という形状からこの名がついた。

今の丈八蛇矛は石突部分にも蛇矛を装備し真ん中を起点に振り回せる仕様だ。

 張飛は蛇矛を振り回すわ振り回す、敵兵は2m以内には近づけず、まるで『長坂橋の戦い』の再来だ。かって三国志の時代、曹操の圧倒的な大軍が迫った時、張飛はたった一人で橋の上に立ち塞がり「死にたい者はかかってこい!」と一喝して敵軍を恐れおののかせた。

「かかってこい!」と言われても185cmの閻魔顔をした大男だ、普通なら怖くて怖くてとても近づけるものではない。


「ならば行くぞ!」 と近くの敵兵に踊りかかるが


「わあ~、逃げろ」 と蜘蛛の巣を散らすようにいなくなる。


「よし、今だ。取り掛かれ」


 張飛隊の副隊長である堀部安兵衛が部下に指示を出す。この堀部安兵衛 氏(うじ)は元々は剣の使い手(鹿島神傳直心影流の免許皆伝)であるが、張飛の影響で長柄の蛇矛を得物としていた。もっとも長さは2m(普通の長さ)のミニ蛇矛だ。よく見ると、張飛隊全員がミニ蛇矛で戦っていたのである。

確か堀部安兵衛以外は普通の武士だったはず?? やはり隊長の影響で脳筋になっていくのであろうか?


 張飛隊が蹴散らした跡を岡山藩の武士達が戦場を制圧していく。岡山藩の家中は黄忠隊が施設した浮橋を渡って来たのだ。これを見て敵兵は空腹と恐怖で及び腰になる、もはや戦いと言えるようなものではなく殲滅戦に移行していた。


 一方、許褚隊の方も張飛隊とほとんど変わりなく進んでいった。許褚は指示を出さないので代わりに副隊長の大石主税が仕切っていたのだ。彼は若年ながら文武両道で指揮官にふさわしい活躍だったと言う。後続は津山藩の家中が務めた。


 もう一つの部隊である本多隊は岡野金右衛門以外は姫路藩士だ。こちらは新たに考案された『新蜻蛉切り』で戦う。十文字槍の変形なので岡野金右衛門にも馴染むのは早かった。

後続は当然ながら姫路藩の家中が務めた。



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