052話 尼崎藩 青山家の苦悩
江戸城 老中評定の間
元禄15年6月4日(1702年7月)、浜田藩主と松江藩主江戸に到着した。明石村でイワレヒコと謁見の後、開放されて江戸屋敷に戻るまで25日かかった。国元の家臣・一族郎党が領地より追放されて江戸まで来るのには30日以上経過した。
松江藩主 松平網近は江戸藩邸に入ると早速、江戸城の老中に使いを出す、事の顛末を報告するためだ。浜田藩主 松平康官も同様な行動をとった。
元禄15年6月同日、江戸城老中評定の間の出来事である。
老中評定の間でいつものように四角座になり、土屋政直、稲葉正通、小笠原長重、秋元喬知らが談話していたところである。そこに取次ぎ役が声をかける。
「申し上げます。只今、松江藩と浜田藩の江戸家老が『ご老中に報告がある』と登城しています。いかが取り計りましょうか?」
「なにっ、松江と浜田とな。こちらも聞きたいことがある、よし通せ」
筆頭老中の土屋政直が返答するとすぐに松江藩と浜田藩の江戸家老が入室する。
「ご老中様に申し上げます。我が松江藩は城と領地を失いましてございます」
「浜田藩も同様にございます」
二人は平伏した格好のままで報告した。
「先ほど我が主君松平網近が這う這うの体で江戸屋敷に辿り着きまして領地を失ったと...」
「浜田藩も同様で藩主 松平康官も領地を失ったと...」
「イワレヒコ様軍にやられたのか?」
と稲葉正通が聞く
「左様でございます。趙雲と名乗る化け物みたいに強い武将に負けたそうです」
「浜田も同じく、許褚と名乗る武将に手も足も出なかったと」
「それだけか?」
今度は小笠原長重が聞く
「いや、鳥取藩にも攻められたようです」
「浜田は津和野藩と岩国藩にも攻められました」
「ふう~ やっぱりそうか。でどれくらい持ち堪えた?」
と最後は秋元喬知が確認のために聞いた
「松江城は半日で落城したそうです」
「浜田城も半日ももたなかったと聞きました」
「なんとあの堅牢な松江城がたったの半日とな...あれは対毛利に備えたものだぞ、あり得ん!」
続いて筆頭老中の土屋政直が石見銀山について問うた。
「お主ら、石見銀山について何か聞いてはおらんか?」
「何も聞いてはおりませんが、我が殿松平網近の見立てでは、もう既にイワレヒコ軍の支配下になっているだろうとの事です」
「そうか、それは幕府の財政的には痛手であるな」
老中の4人は綱吉への報告という『苦行』が始まったな、やれやれと思っていたのである。
摂津国の国 尼崎藩 青山家 尼崎城にて
元禄15年6月5日(1702年7月)、黄忠は尼崎城大手門の前に立っていた。
尼崎城は「西の守り」として破格の規模-現在の甲子園球場の約3.5倍-を誇った。
また尼崎班は摂津国川辺郡・武庫郡・菟原郡・八部郡(現在の兵庫県尼崎市・宝塚市・西宮市・芦屋市・神戸市南部・伊丹市の一部・川西市・猪名川町)を領有した。赤穂藩に隣接する飛び地もあった。
黄忠は大柄な老人で、とても60代とは感じさせない男である。老いて眼光鋭く、身に纏った服の上からもその鍛えられた体つきがくる威圧感が半端ない。
「たのもう。」
黄忠はいつものように案内を乞う。二人の門番のうち一人が内心びびりながら
「何用であるか」
と問う。すると老人はニヤリとした顔で見下ろしながら答える、尊大な態度である。
「いいかよく聞け、ワシは西国を支配するイワレヒコ様の使いである」
「なにっ イワレヒコだと?」
「とにかくご家老に伝えてくれ、判らねば青山家は破滅するだけじゃ、では良しなに」
どこかで聞いたことのあるセリフである。門番の一人は大急ぎで城内に走った、城代家老に報告するためである。
門番からの伝達により尼崎城の家老の執務部屋に案内された黄忠は、早速と城代家老との会談を始める。
「お初にお目にかかる、イワレヒコ様の配下の黄忠と申す」
「イワレヒコ様とは今世間を騒がしているお方ですかな」
「そうですな我々の主様じゃ、配下には11か国と15大名家にもなりましたぞ」
「なんと、11か国もか? 」
「左様 ワシの予想では次回の第二次討伐後はさらに拡大するじゃろうよ」
「その根拠はいかに?」
「そんな事は貴殿が一番ご存じじゃろう。これまで我がイワレヒコ軍は連戦連勝、死者は一人も出ておらん」
「ぐぬぬぬ、そんな馬鹿な。戦で死者なしとはとても信じられん」
暫く間をおいて黄忠が発言する
「ご家老殿、青山家はどちらにつく? 我々の勢力に囲まれたくないであろう?」
「成る程。当然であるが今、殿は在府である。本日6月5日もって寺社奉行を退任なされる。そういう訳で尼崎藩としては今後の方針を決めかねるのだ」
「そうか、まあよいじゃろう。そちらの都合だ、勝手にするがいい」
「いや 某の考えは決まっているのだがしばし待ってはくれまいか?」
黄忠との会談が終わった後、城代家老は江戸藩邸に向けて早馬を出した。まさに尼崎藩青山家の存亡の危機と判断したからだ、どちらにつくにせよ方針の決断は一刻を争うと思っていたのである。
中国の勢力と畿内の勢力がぶつかり遭うまさにど真ん中であった、そんな場所に尼崎藩は位置していたのである。時代の荒波に翻弄されて揺れ動く尼崎藩青山家であった。




