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046話 出雲の要塞 松江城攻防戦


 出雲の国 松江藩 松江城にて


 元禄15年5月3日(1702年6月)、午前10時頃であろうか松江城攻防戦が始まる。

東の鳥取池田軍が松江城大手門前に陣取る、西は浅野軍が亀田橋前に陣取った。

松江城の外堀の内側は三の丸であるが、ここには防衛施設は無い。武家屋敷が立ち並び藩士の生活の場であった。正確には三の丸(三之曲輪)と呼ばれている所は現在の島根県庁のある場所だ。


「イワレヒコ軍の諸君。こちらは作戦指令室、以後戦闘指揮所と呼ぶ。指令の浅野阿久利だ、よろしくお願いする。あらかたの作戦は前もって打ち合わせた通り。城の防衛施設からは伏兵が襲ってくると予想する。ホムンクルス部隊以外の攻め方(人)は私の指示に従うこと、予(あらかじ)め敵兵の位置を知らせるので各隊長はイヤホン通信に注意して欲しい。では突撃隊長の趙雲殿、大手門の破壊をお願する。関羽隊のホムンクルス部隊は西の亀田橋より侵攻し西門を破壊せよ。また木下分隊は三の丸に架かる千鳥橋を落とすこと。浅野軍より500は北に廻り稲荷橋を封鎖、池田軍より300は北惣門橋を封鎖せよ。何か質問は?......なければ作戦開始だ」


 まずは入り口だが敷地に入るとすぐ大きな長方形の広場(枡形)になっている。ここは馬溜(うまだまり)と呼ばれている場所だ。

ここに入ってまず目を引くのは、正面の巨大な石垣である。威圧感が漂っているな。高さは13メートルで、松江城で一番高い城壁になっておる。この石垣をよじ登るのは困難を極めるだろう。加えて上に建つ塀の狭間から馬溜りに向けて銃撃されればひとたまりも無い。

 少し進むと左右に大きな石垣がある、ここに巨大な大手門があったという。明治になると取り壊わされて左右に残る石垣も復元らしい。大手門の大きさは間口八間、奥行三間、二階建てで鯱が屋根を飾る立派な門だったらしい。


 趙雲とその部下(元赤穂浪士)9名は大手より馬留を経て大手門に至る。趙雲が門の前に進み出て愛槍を構える、今回は強化棒を亮銀槍に変化させた。亮銀槍(りょうぎんそう)とは趙雲の代名詞とも言える長槍で柄が銀色に輝き、鋭い穂先で敵を打ち破る中国4大銘槍の一つである。

その亮銀槍を水平に構え、門の閂(かんぬき)があると思われる所を「えいっ!」と気合を込めて一突きする。

内側の閂が両断され、その勢いで大手門がゆっくりと内側に開き始める。ここら辺りが脳筋の張飛や許褚と異なる。やはり知性派であった、後々の事も考えていたのである。

 考えてみれば2日前の浜田城攻防戦では総大将を務めはしたが、活躍の主役は許褚であった。いいところは全部許褚がさらっていった。そこで今回は戦闘に参加してもらおうという訳である。


 大手門を突破すると左に曲がり、本坂という石階段がある。これを登り切ると右手より火点といって鉄砲隊に銃撃される地点に出る。趙雲以下ホムンクルス部隊は銃弾を無視して、鉄砲隊のいる方に向かって石(いし)礫(つぶて)を投擲する。行きがけの駄賃という奴だ、後続の池田軍のために少しでも敵兵を減らしておくという親切心からだ。

 趙雲は三の門前に立つと、先程と同じく気を練り発勁(はっけい)の要領で亮銀槍を突き出す。銀色の閃光と供に閂が破壊される。趙雲が三の門の前で気を練っている合間に部下達は鉄砲隊へ礫を投擲していた。

三の門を潜り左に折れるとそこは二の丸だ、ここで浅野軍と合流予定である。ここは通称「二の丸上の段」。築城当時には「二の丸御殿」が建てられ、藩主の住まいであった。また藩政の中心でもあった。今は跡地で建物はほとんど残っていない。

趙雲はじめ突撃隊はそのまま二の門を目指す事になる、合流するのはあくまで浅野軍と池田軍である。


 趙雲の前に立ちはだかるのは、実戦を想定して築かれた漆黒の巨大要塞である。「牛ごぼう積み」と呼ばれる頑強な石垣の上には、黒い雨戸で覆われた下見板張りの天守が見える。趙雲は黒漆の鎧をまとった巨人のようにそびえ立った天守を見上げている。天守閣の最上階である「望楼」からは守備兵の鋭い視線が注がれていたが、偶然に目が合ったのである。かなりの遠方だ。二の丸から天守の「望楼」にいる見張り役の守備兵と目が遇うなんてとんでもない視力である。


「ほう...なかなかいい目つきをしている。いかに堅牢な城であれ我が武に適(かな)う者なし、待っていろよ。この亮銀槍を阻むことはできぬ」



 一方、浅野綱長と池田吉明は腕時計型通信機のホログラムを起動させて、突撃隊の戦闘をリアルタイムで見ていた。もちろん指令室経由である。大手門を開け、火点の鉄砲隊に礫を投げ、続いて三の門をこじ開け二の丸に至るところまでであった。

そこで阿久利の声が聞こえてきた。


「こちら戦闘指揮所。趙雲隊の趙-1と趙-2の二人は二の丸東に移動せよ。そこで大手門前の桝形(馬留)を狙う『狭間(さま)』に待機する敵兵を処理すること、敵兵の後ろはがら空きだ。池田軍は指示があり次第馬留に突入せよ、以上」


 狭間からは無数の矢や鉄砲を雨あられ容赦なく降り注ぐためのものだ。壁に開いた小穴より敵を撃つ、自分は安全で敵は無防備となる不公平な防衛設備である。

趙-1と趙-2の二人は後ろから忍び寄り鉄砲隊10人を無力化した。これを確認次第、阿久利は池田軍に突入の指示を出す。



 一方、西側の亀田橋から二の丸に侵攻した浅野軍は西門を目指す。突き当りを右に折れ、しばらく進むと分岐点がある。木下分隊はそのまま直進し三の丸を目指した。関羽配下の突撃隊は左に折れ続いて右左右と曲がりくねるとやっと西門に到着する。

 関羽隊の指揮官は淡路流槍術の達人・木下㒶(きん)定(さだ)だ、木下分隊とは別れて本体を指揮していた。

木下は西門前に立つと、趙雲と同じように気を練り発勁(はっけい)の要領で槍を突き出す。閃光と供に閂がある辺りが破壊されると門が開く。


「よし、突入せよ! 」


 木下の合図とともに元赤穂浪士8名が西門に取り掛かった、門の内側にいた松江藩士数20人余りをあっと言う間に無力化する。

関羽隊はそのまま直進し、左に折れると一の門が見える。


「こちら戦闘指揮所。この場所で趙雲隊と合流せよ。趙雲隊は二の門を突破すれば関羽隊と合流できる、間もなくだ」



 趙雲子龍と趙雲隊は二の門の前まで来ていた。三度目の門破りをしようとしたところ、門が開いていく。何のことはない、先に二の門内側に到達した関羽隊が門を開けたのである。


 関羽隊と趙雲隊がここで合流し緩やかな坂を駆け上がると40m程で南多門櫓に突き当たる。さらに左に折れ15mの先に一の門があった。ここは本丸に至る最終難関だ。

松江城の南(みなみ)多門(たもん)櫓(やぐら)は、本丸の正門である一ノ門の東側に接続している長屋状の櫓である。ここでは本丸に攻め込もうとする敵を、南多門櫓から鉄砲や弓矢で狙い撃ちにするための狭間が設けられている。鉄砲用の「鉄砲狭間」、弓矢用の「矢狭間」などがある。

 ホムンクルス部隊が南多門櫓に向かってくると、壁に開いた狭間からは無数の矢や鉄砲の雨が容赦なく降り注ぐ、鉄砲8・弓矢7に射掛けられた。南多門櫓の狭間は鉄砲狭間と矢狭間が交互に設置してあった。

攻め手のホムンクルス部隊は元赤穂浪士の18名だ。彼らは鎧・籠手・具足と合戦用の格好をしていたため、松江藩士達は油断していた。鉄砲玉にはひとたまりも無いだろうと....


「組頭、鉄砲玉は当たっているようですが誰も倒れません」


鉄砲隊の者が鉄砲隊組頭に言うと、弓隊の者も上役に告げる


「組頭、矢は打ち払われるか、すべて避けられます」


「うむむむむ...構わん、このまま続けろ!」


もう一人の鉄砲隊組頭は呟いた


「鉄砲玉が当たっているのに何故倒れない、なんで死なないのか、奴等は人間か?」


趙雲、木下と元赤穂浪士の18人は鉄砲玉、弓矢を無視して多門櫓の下を左に曲がり、一気に一の門まで到達する。さあここらで趙雲に活躍してもらうとしよう。



 一の門を前にして趙雲の瞳が鋭く輝いていた。


「我が一撃、受けてみよ『白竜昇天波』」


 趙雲が愛用の亮銀槍を大きく突き出すと、槍先から目も眩むような白い闘気が放たれた。それはまるで一条の白竜のごとく、風を切り裂きながら門戸に叩きつけられる。今度は門を破壊してしまった、本丸の守備兵を怖気(おじけ)着かせるためである。一の門を潜れば二の丸を突破したことなる、ついに城の中枢である「本丸広場」へと突入した。

視界が開けた瞬間、敵の精鋭たちが一斉に襲いかかる。しかし趙雲の槍さばきは凄まじい。まるで過っての長坂の戦いを彷彿とさせるかのようだ。

 槍を風車のごとく旋回させる必殺の連撃により、襲い来る矢の嵐をすべて叩き落とし、本丸を守る敵兵を瞬く間に圧倒していく。

地響きを立てる激闘の中、趙雲は黒々とした千鳥破風の屋根が空を突き刺す天守閣を見上げた。


「我が槍の前に、落とせぬ城は無し」


と言えば格好いいのであるが、真面目で誠実な趙雲にはハードルが高すぎた。

副隊長の礒貝十郎左衛門はどこか生暖かい目で、隊長である趙雲を見つめていたのだった。


『まだ、天守の制圧が残ってますよ』 と思いながら......




 現在の松江城の南多門櫓は昭和35(1960)年に一ノ門とともに木造で再建されたが、江戸時代の姿を完全に忠実に再現した復元ではなく、当時の資料が不足していたため外観などを推測して建てられた「復興建築」に分類される。

本来の多門櫓は長屋造で、本丸の周囲を囲む防御壁であると同時に、内部が細長い部屋になっており、武器や武具を保管する倉庫として機能していた。

再建された現在の南多門櫓は短く、写真で見る限り鉄砲狭間3ヶ所、弓矢用の矢狭間は2ヶ所しかない貧弱なものである。

 かつては一ノ門から東側にある「武具櫓(たつみ櫓)」まで長く繋がっていたが、現在の再建建物は途中の部分までしか存在していない。

江戸時代当初、松江城の本丸には6棟の二重櫓があり、それらの間をこの多門櫓が繋いで強固な防御線を築いていた。武者走り機能を備えていたのである。


 本丸は天守と小さな御殿以外は空き地となっていた。これは江戸幕府にとって警戒すべき存在であった毛利家を攻める時にに山陰の拠点とするつもりだったのであろう。幕府の援軍が来るまで持ちこたえるために、籠城戦に備えたものになっている。



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