045話 浅野軍と鳥取池田軍
元禄15年5月3日(1702年6月)、イワレヒコ軍(浅野家、鳥取池田家の連合軍)は松江へ侵攻した。天領である備中の国・笠岡代官所を占領したのと同じ日である。
5月1日浜田城攻め、5月2日石見銀山占領、5月2日備後の国・上下代官所を占領した。
要するに広範囲で電撃作戦を展開した。幕府に対策を立てさせないためである。
これまでの戦闘では浜田城攻防戦を除けば戦闘らしきものは無かった。さて東中国最後の砦、松江攻防戦を楽しむとしょう......
連合軍の総大将は浅野綱長、副将に池田吉明、参謀に関羽雲長、参謀兼突撃隊長は趙雲子龍の幹部達だ。浅野軍は中国山地を越えて宍道湖を東進し、鳥取池田軍は中海に沿って東から松江を目指した。
今回の出陣に当たって浅野綱長と池田吉明には腕時計型通信機を持たせてある、もちろん報酬の一部として。同時に両軍の隊長クラスにはイヤホン型通信機を配備した。
関羽や趙雲、ホムンクルス部隊には体内通信機があるので外付けは必要なかった。
「こちら総大将の浅野綱長だ。池田殿、池田吉明殿、聞こえるか? どうぞ」
「はい、こちら池田吉明です。感度良好、どうぞ」
最初の通信を確認するとお互いにホログラムを起動し、姿を見ながら通信する
「こちらは現在、宍道湖を東へ進んでいる、池田軍は今どのあたりか?」
「我が軍は中海の沿岸にいます。松江まで半日の距離です」
「了解した、松江城を挟んで待機しよう。城門破りはかねてより打ち合わせの通り、突撃役の趙雲殿とその部下が行う。以上」
若干19歳の若き藩主池田吉明は、この腕時計型通信機を渡された時の説明を思い出していた。
なんでも人工衛星という『からくり仕掛け』を空の彼方に飛ばして、どんなに離れていてもこの日ノ本の中なら話しが出来るらしい。
そんな事が可能なら戦の戦略が変わってしまうではないか? 待ち伏せはできないどころか逆に伏兵は炙り出される。それどころか必要な場所に必要な戦力を投入できてしまう、全く無駄が無いのである。
やはり『イワレヒコ様に臣従したのは正解だったな』とほくそ笑むのだった。あの1年前の赤穂城下で兵糧攻めに遭った経験から、『からくり仕掛け』を空の彼方に飛ばすという説明も、イワレヒコ様なら出来て当たり前という思考がインプットされていたのである。
阿久利の養父の浅野長照は彼女の『顔を見ながら話ができる』と喜んでいたが、若き藩主池田吉明は腕時計型通信機の戦略的価値に気付いた。最も浅野長照も石見銀山坑道戦でその価値に気付いてはいたが、やっぱり親バカだった。
後の家臣達の証言によると、坑道内で暗かったため顔は確認できなかったが、阿久利と話す声がなぜか『嬉しそう』だったという......
出雲の国 松江藩 松平家 松江城にて
元禄15年5月3日(1702年6月)、イワレヒコ軍(浅野家、鳥取池田家の連合軍)は松江へ侵攻した。
城下町の入口で一旦待機状態に入る。ここからの戦闘は本拠地の阿久利からの指令に従うことになる。
この軍勢を見て松江城の物見が慌てて上役に報告に走った、更に家老に伝わり藩主の耳に入る。
「殿、一大事に御座いまする。只今、大天守の物見役からの報告によりますと、東と西から正体不明の軍勢に囲まれました。数は3,000は下るまいかと」
「なにっ、それは誠か? どこの軍勢か確かめよ」
「はっ、直ちに確認に向かわせます」
松江藩第3代藩主の松平網近(別名綱道)はこの年43歳であった、まさに働き盛りである。
最近の中国の情勢は知っていたが、親藩である松平家が浅野方に下る訳にもいかず、ジレンマを抱えていた。まさかこんなに早く出雲の国に侵攻があるとは思わなかった。
結局のところ二日前に浜田城が落城し、石見銀山も占領され、上下代官所・笠岡代官所とあっという間に平定された。この時代、電撃作戦という概念は無い。占領地は封鎖されているため知らせの早馬や飛脚も来れない、陸の孤島になってしまった。
松平網近は普段は二の丸の御殿と呼ばれる区画で生活や執務を行っていた。
網近は家臣に指示を出すと、本丸の有事の際に藩主が立てこもる「詰めの丸」と言われる御殿に移った。そして城外にいる藩士達にも武装して登城する合図を出す。つまり籠城戦に備えるためである。
ドオーン、ドオーンと緊急登城の大太鼓の合図が鳴り響く。松江城本丸に徐々にではあるが藩士たちが登城してきた。藩士たちは何事かと近くに座った者たちと話始めていた。いよいよ我が松江藩が攻められるかという心当たりはあったのである。
松平網近は大広間に入ると早速、集まった藩士達に声を掛けた。
「皆の者、急の登城ご苦労である。先ほど天守の物見役から報告が上がった。この松江城・松江城下は正体不明の軍勢に囲まれた。どこの軍勢が調査中である」
藩士達は網近の話を聞くと騒めいた。そして国詰めの城下にいる者達があらかた登城したと思われる頃、敵軍を偵察に行った斥候が帰城した。松平網近は早速斥候の話を聞く事にする。
「申し上げます。東側は鳥取池田家の軍勢で数は1,200に御座います」
「なにっ、鳥取池田家とな? 池田家は我らと同じ徳川の親藩ぞ! そんなはずは無い」
暫くして松江城の西を偵察に行った斥候が帰ってきた。
「申し上げます。西の軍勢の数はおよそ1,800に御座います。旗印は、白い布に3本の横線を引いた『三つ引両』です。おそらく浅野家かと思われます」
そうこうするうちに別の藩士が駆け込んで来た。この者は大手門を警備を担当する責任者だ
「殿、『イワレヒコ軍』と名乗る軍が降伏を求めて開城を要求しています、降伏すれば命は助けると言っております。いかが返答しましょうか?」
「うーむ、この堅牢な松江城が簡単に落ちるとは思えん。かと言って親藩である我が松平家が降伏する訳にもいくまい。、ここは徹底抗戦しかあるまいよ、誰か名案があれば出してくれ。身分は問わぬぞ」
元禄15年2月18日(1702年3月)に池田吉明、松平直常の<罰金反対同盟>なるものの宣言文が江戸城に届いたのは、江戸詰めの家臣からの報告で知っていた。しかしこの松江藩がこんなにも早く攻められるとは思ってもいなかったのである。
幕府から『イワレヒコなる者』の討伐令が出ていたので攻めるのはこちら側と考えていた、まさかの先制パンチであった。
しかも西国街道と山陰道が封鎖されたためそれ以降の情報は届いていない。情報の面で陸の孤島になってしまった。江戸からは海路で西へ向かい、関門海峡を通過し日本海を東進するしか連絡手段は無いのである。
もう藩士達の喧騒が止むことはない、籠城戦である。今後の生活を心配する者、徹底抗戦を主張する者、もう収拾がつかなくなってしまった。
籠城戦とは援軍が来ることを前提とした戦術だ、援軍無き戦いは滅亡を意味する。果たして松江藩は滅ぼされて根切りにされる覚悟はあるのだろうか? 一族族滅である。
最もイワレヒコは松江を占領して領主一族を追放すれば良かったのであるが、当事者である松江藩側はそんな甘い結果を想定していなかった。こうした理由で松江城攻防戦が始まるのである。
この戦の総大将は浅野綱長であるが、実際の指揮は本拠地の作戦司令室に陣取る阿久利である。もみじのサポートを受けつつ、虫型偵察機を駆使して現地指揮官に指令を出す仕組みが確立されようとしていた。
そのための浅野綱長と池田吉明に腕時計型通信機が下賜され、隊長クラスにはイヤホン型通信機が配備されていた。
浅野綱長と池田吉明は阿久利から来る指示を確認するだけの簡単なお仕事だ。各隊長が直接指令を受けて部下に指示するのを聞いているだけとも言う。
作戦の進行具合を松江城下でのんびりと確認するのが役目であった。以後、イワレヒコ軍ではこの戦い方がスタンダードとなる。




