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031話 浅野一族の引っ越し

 ここは江戸、徳川幕府の都である


 元禄15年1月5日(1702年2月)、浅野一族が江戸を出立する日が来た。 

『江戸を出立する』と言えば聞こえはいいが、実際は引っ越しで幕府側からすれば出奔である。朝一番に荷車を引いた行列が浅野家江戸藩邸からぞろぞろ出てくる。

なんと今回は『夜陰に紛れてひっそりと』というのは無いらしい。白昼堂々と江戸を出ていくつもりであった。

 将軍家に喧嘩を売った以上、コソコソする必要は無いのである。なにせ大人数である、穏便にひっそりとの移動はとても無理である。

仮に江戸詰めの家臣が50人とするならば、家族・使用人(郎党含む)などで300人くらいにはなるはずだ。現地採用の使用人がいるため実際はもう少し少ないかも知れない。250~350人くらいが妥当な人数である。江戸藩邸は上屋敷・中屋敷・下屋敷とあるのが普通で、これを維持するための江戸勤番50人は多いとは言えないだろう。


 ちなみにこの浅野家御一行の中には、浅野内匠頭長矩の妻、()久利(ぐり)もいたりする。内匠頭の死後に落飾して瑤泉院と名乗っていた。元三次藩主・浅野長治の娘で、赤穂事件後は実家(三次浅野家)へ引き取られていた。

 当然のことながら三次浅野家も本家と一緒に出奔である。今はただの未亡人であるがイワレヒコとの出会いによって人生が大きく変わる事になる。

それはまた別のお話......




 ここは江戸、出入口を管理する門 徳川幕府の役人(御家人を含む)の詰め所


元禄15年1月5日、白昼堂々と江戸の中心から東海道に向かって荷車を引いた行列が続く。ぞろぞろと列の終わりが見えない、行列は三方から一つに合流し止まる気配もない。老若男女あらゆる世代の人が出口に向かって歩いて来る。女は簡単に下府できる筈も無いのに躊躇(ちゅうちょ)なく進む。

出口門を管理する役人が行列を見つけてビビりながら


「そこの行列とまれ、止まらないと只では済まんぞ! 止まれ」


 などと叫ぶ場面であるが、今回は老中より『手出し無用』のお達しがあった。浅野家が江戸から出て行くのを止められる筈もなく、下手に介入して前回のようにコテンパにやられたりすると、『ご公儀の威信にかかわる』と判断された。要するに恥の上塗りは避けたのである。

 今回は更に人数が多く、広島藩浅野家約300人、三次藩浅野家約60人、元赤穂藩の残党20~30人と大人数であった。

 出口門を管理する役人は六尺の警備棒を持って、行列の通行をただ黙って見ているしかないのである。



 この後浅野家一行は東海道を西に下り、浦賀で船に乗り換えて海路広島を目指した。もちろん乗船できたのは女子供、年寄、病人だけである。健常者は徒歩にて東海道を下ってもらう事になる。

荷車や嵩張る荷物は船に積み込んであった、『広島まで引いて行け』と言われ無かっただけでも幸運である。




 江戸城 老中評定の間


 江戸城老中評定の間の出来事である。

老中評定の間でいつものように円座になり、土屋政直、稲葉正通、小笠原長重、秋元喬知らが談話していたところである。そこへ江戸の出入口を管理する門番より報告が上がって来た。

いつものように土屋政直が読み終わった後、隣にいる稲葉正通に手渡す。そして全員が読み終えたのち(つぶや)いた。


「はあ~ 予想通りと言えば予想通りか」

「前もって指示したため、怪我人も出なくて何よりでござる」

「今回で三度目ぞ、次は無いと良いのだが......」

「それにしても500人も無断で出て行かれるとはご公儀の威信も形無しでござる」


老中達の嘆き節であった。


「それはそうと上様のご容態はどうであるかな? どなたか聞き及んでいまいか」

「御典医殿の話ではお腹に擦り傷のような大きな(あざ)が有り、背中には足型のくっきりした痣が残っているとか」

「ああ、例の踏んづけられた時のやつだな」

「さよう、足型の痣とは如何(いか)ほどの力で踏まれると出来るのやら想像もつかん」


 今は綱吉も痛みで寝床だが、全快すると今度は怒りでどんな事になるか想像できるだけに、老中達は憂鬱であった。




 安芸の国 芸州 広島城 本丸御殿大広間


 元禄15年2月15日(1702年3月)、岡山藩主 池田綱政、鳥取藩主 池田吉明、明石藩主 松平直常の三名とそれぞれの供侍数名が大広間に控えていた。

正月の事件より江戸を立って40日かけて、ここ広島城を訪れていた。今日はイワレヒコとの謁見の場に(のぞ)んでいた訳である。

 本来ならば明石村のイワレヒコ神社を予定していたが、江戸城での事件があったため面会を秘匿する必要が無くなった。岡山藩主 池田綱政は高齢のため江戸に在府で有ったが、前年11月の

江戸脱出作戦で家臣達と供に岡山戻っていた。よって正月の江戸城内での事件には立ち会っていなかった。


 三家の当主と重臣あわせて15名がイワレヒコとの謁見に臨んでいた。


「イワレヒコ様の御成り~い!」


 と入室を告げる言葉が響いた。イワレヒコはハッキリ言ってどうでもよかったのだが、こういうのは孔明が厳格でうるさかった。また浅野家側も大賛成であった。

15名はサッと平伏して声がかかるのを待つ。


「よく来た、皆の者。(おもて)を上げよ」


とイワレヒコが偉そうに言う。事実偉いのであるが自覚していないのは本人だけである。


「我がイワレヒコである」 


と浅野綱長の顔で言うと、池田綱政、 池田吉明、松平直常がギョッとした様子で


「えっ??......浅野綱長殿、ご冗談を」 


と最年長の池田綱政が恐れながらと言う


「冗談ではないぞ、しかと己の眼で見よ!」


と言うとその場で1回転した。元に戻ると今度は最年少の池田吉明が


「ぎえ~! 浅野内匠頭...生きていたのか内匠頭殿 ??」


 まるで中国の変面師のように素早く顔を変えたのである。実はイワレヒコにとって偉そうにするより、他人を驚かせて楽しむ方が性に合っている。


「おーい、綱長。もう入ってきてもいいぞー。変面の芸は終わった、客人よ、楽しめたかな?」

「イワレヒコ様もお人が悪い、これでは両池田殿、松平殿も顔が引き()っておられる。某も最初は面食らいましたがのう」



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