032話 罰金反対同盟ここに成立
安芸の国 芸州 広島城 本丸御殿大広間
元禄15年2月15日(1702年3月)、岡山藩主 池田綱政、鳥取藩主 池田吉明、明石藩主 松平直常の三名とそれぞれの供侍数名が大広間でイワレヒコと謁見した。
本来ならば明石村のイワレヒコ神社を予定していたが、江戸城での事件があったため面会を秘匿する必要が無くなった。
岡山藩主 池田綱政は高齢のため江戸に在府で有ったが、前年11月の江戸脱出作戦で家臣達と供に岡山戻っていた。よって正月の江戸城内での事件には立ち会っていなかった。
「まずは先年11月の御礼を申し上げます。池田家は貴方様のお力添えを頂き誠に有り難うございました。女子供、年寄に至るまでの格別なご配慮に感謝しております」
と池田綱政は深く頭を下げる
「ああ、皆が大事ないなら礼はいいぜ、それより鳥取池田家と松平家はどうすっかなぁ。なにしろ親藩だからなぁ、幕府が干渉してくるかも...まあ、同じ手でいくか」
「イワレヒコ様、某はもう徳川の親藩などと思ってはおりません。此度のあまりにも酷い処罰は腹に据えかねます」
と明石藩主 松平直常が直答する。直常はこの処罰に納得していないのだろう。
「私ももう徳川の親藩などとは思っていません。松平の姓を名乗ることを許されていますが、あんな男が将軍とは情けないのです。徳川に義理立てしてこの池田家を滅ぼす訳には参りません」
と若干19歳の池田吉明が決意を述べた
「まあ、そうだろうな。オレも他人事だか『今回の罰金、払えるのか?』と思ったよ。お家の財政が傾くよな?」
赤穂討伐失敗において幕府の処罰は以下のとおりである
岡山藩 31万石 池田綱政 領地半減の上転封
津山藩 18.7万石 森 衆利 領地半減の上転封
姫路藩 15万石 本多忠孝 領地半減の上転封
鳥取藩 32万石 池田吉明 罰金32,000両
明石藩 10万石 松平直常 罰金10,000両
池田家、32万石に対して罰金32,000両。松平家、10万石に対して罰金10,000両である。
払えなくもないが財政的に厳しく領地経営に支障が出る。泥を啜って生きていけとでも言うのか。
イワレヒコは最初から両家はこちら側に寝返ると思っていた。また孔明の演算もこれを証明していた。
「よろしい、では鳥取池田家、明石松平家に新たな称号を授けよう。<罰金反対同盟>だ、両家に相応しい称号だろうが。去年結成した<転封反対同盟>と連合を組んでもらう」
安芸の国、野貝原山麓 明石村 イワレヒコ神社にて
元禄15年2月20日(1702年3月)、今日は春分の日である。
去年切腹した大石内蔵助とその配下45人の修復と調整が完了した。討入り、その後切腹してからちょうど二か月後である。
イワレヒコ神社でイワレヒコとの謁見に臨んでいた。今回の謁見は大石内蔵助ただ一人である。
まずは内蔵助と面会して事情を説明しようと思ったのである。...と言うのは建前で実は驚かせて揶揄おうとしたのが目的であった。
いつもの社殿の奥にある控えの間での謁見である。
「ご苦労である。面を上げよ、大石内蔵助」
「ははーっ、ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。イワレヒコ様には......」
と内蔵助は平伏姿勢で答弁するが
「そんなバカ丁寧な挨拶はいいぞ、それより顔を上げて見ろ」
内蔵助は徐々に顔を上げイワレヒコに視点が合うと凍結した
「まさか...殿が...生きて...おられる...うっうっうっ...うわあぁぁぁぁぁ」
内蔵助の顔は驚愕と感激で、涙でぐしゃぐしゃになってしまった
「お前も死んだのに生きているではないか。ならオレが生き返っても何ら不思議はないだろうに」
「言われてみれば確かに......」
「もっともオレは元の浅野内匠頭ではないがな、いわば依り代だ。お前も元の大石内蔵助ではなかろう、新しい体のホムンクルスだ。言っとくが歳は取るが老化はしない素晴らしい体に調整してやったぞ、励めよ」
「ははあー、有り難き幸せに御座います。殿のために一層励みます」
「あ、それとな、他の45人にはこのことは暫く内緒に頼む」
「それは残念で御座います、皆この事を知れば如何に喜ぶことか......はて? 殿の敵討ちとはいったい何だったのか......」
大石内蔵助の言い分はもっともである。生きている者の仇討ちとは意味不明である、実際に死んでいるのだから考え過ぎると頭が混乱するため、これにて終了。
安芸の国 芸州 三次藩 藩庁三次陣屋にて
元禄15年2月21日(1702年3月)、大石内蔵助がイワレヒコに謁見した翌日のことである。
広島藩・支藩の前当主(実際は隠居)、浅野長照が広島城から戻って来た。2月15日のイワレヒコと<罰金反対同盟>の謁見に立ち合い、その後しばらく広島に逗留していたのである。帰宅するなり阿久利を呼び出した。
「阿久利、朗報である。浅野内匠頭殿は御無事である。あれっ? この場合生きていたと言ってもよいのか? ともかく内匠頭殿らしき御仁を見たぞ」
「父上、誠でございますか?」
「ともかく内匠頭殿ら・し・き 御仁には間違いあるまい」
「らしき御仁とはいったいどういう意味でございましょう?」
「わしが知るかっ! 内匠頭殿と瓜二つの御仁が生きて振舞っておる、何でも我ら浅野一族の盟主とか。本家の綱長様はイワレヒコ様と呼んでおったがな」
「父上、もし再び長矩様にお会い出来るならたとえ偽物でも構いません。またお声を聞きとうございます」
「そうか、ならばイワレヒコ様との謁見を願い出てみるか」
三次藩は広島藩の支藩である。藩庁として三次に三次陣屋が置かれ、知行高は5万石。
赤穂藩主・浅野長矩の正室・阿久里は、長照の養父・長治の娘であり、かつ長照の養女である。(長矩は長照の娘婿にあたる)
そのため赤穂事件に連座して隠居の長照にも江戸城登城禁止処分が下された。
この時浅野長照は49歳であった。




