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028話 新年の大名参賀

 江戸、広島藩 浅野綱長の江戸屋敷にて


 元禄15年1月1日(1702年2月)、年が明けて今日は元旦である、おめでたい人もいればおめでたくない人もいるはずだ。その御目出度くない人の一人が屋敷の主、浅野綱長であった。


「はあ~ 明日の事を考えると胃が痛い...いったいイワレヒコ様は江戸城でどんな行動に出られるか見当がついているだけに怖いわい」

「殿 何をそんなに心配されておられる?」


 江戸家老を兼任する筆頭家老の浅野忠義(三原浅野家)が同情する。忠義は昨年5月に明石村でイワレヒコに謁見していて、割りに気楽なものだ。


「忠義よそうは言うがな、あの時はイワレヒコ様の顔は内匠頭の顔で、此度(こたび)はワシの顔じゃぞ。殿中で何が起こりそうかお主にも見当がつくであろう?」

「むむむ...確かに、一波乱ありそうですな」

「一波乱どころか二波乱も大波乱も有り得るぞ。ワシに化けて殿中に乗り込むと言われるのは、上様を揶揄(からか)いに行くのが目的に違いない。つまりイワレヒコ様にとっては『上様は揶揄って遊ぶ対象』じゃ。はぁ~気が思いわい」


 江戸詰めのもう一人の家老は東城浅野家当主の浅野高尚である。かれこれ22年余り江戸家老を勤めており、浅野高方に家督を譲り今年隠居するつもりであった。その高尚が


「殿、そのイワレヒコ様とはそんなに奇抜なお方ですか」

「奇抜なんて言うものではない、あの御方は何というか...忠義、あとは頼んだ」

「あとは頼んだと言われましても...某より殿の方がよくご存じでは?」

「その謎の御方が明日上様とひと悶着起こすという事だ、ああ~考えるだけで恐ろしい......」




 江戸城大手門前 下馬所


 元禄15年1月2日(1702年2月)、年が明けて今日は1月2日である。

江戸城における将軍への挨拶は、厳格な階級社会に基づいた儀式だった。大名や旗本は大手門広場と呼ばれる内堀手前にある下馬札付近で馬や駕籠を降り徒歩で入城した。ただし大名本人は駕籠を許された。

江戸時代には、この場所に「下馬所」があり、大名が馬や駕籠から降りて徒歩で登城する決まりであった。そのため「大下馬」とも呼ばれていた。

 連れてきた多くの家臣(お供)のほとんどはここで待機させられた。主人の帰りを待つ家臣達が、手持ち無沙汰に他家の噂話や幕府の評判を語り合ったことから、無責任な評判を「下馬評」と呼ぶようになったのである。いわゆる「下馬評」の語源である



 さて浅野綱長に変装したイワレヒコはこの大手門広場から大手門橋を渡り、歩いて入城した。

お付きの者を含めて護衛は6人までと決まっている。大手門を潜ると本丸まで約500mだ。

大手門を潜ると石垣で四角く囲まれた広場がある、これが枡形(ますがた)という防御機構である。

正門にふさわしい巨大な石垣は、訪れる者に徳川家の圧倒的な力を誇示する役割があった。

 枡形で身体検査を受けた後、渡り(やぐら)を潜り左に曲がると次は三御門(さんのごもん)(下乗門ともいう)と呼ばれる場所でまた身体検査である。ここで護衛の侍が6人→4人に減らされる。また門の名前のとおり乗って来た駕籠から降りなければならない。


 左手に「百人番所」と呼ばれる細長い建物がある。言葉のとおり100人の同心が24時間交代で詰めていた所である。

江戸城最大の検問所(警護詰所)で、鉄砲百人組と呼ばれる根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組の4組が警備し、同心100人が常時詰めていたことから名付けられた。


 続いて右手に折れると中之門があり、ここで護衛の侍が4人→3人に減らされる。ここを過ぎると本丸まで100mである。

本丸は東京ドーム3個分の広さがある広大な敷地である。本丸御殿には将軍が拝謁に使用する大広間、松之大廊下、中奥、大奥、天守などがあった。


 イワレヒコはもううんざりしていた、ここまで身体検査が何度あったか考えるたけでブチ切れそうである。逆に言えばこれに耐えてきた浅野綱長を始め、大名達の忍耐力は凄いなと感心したものである。


「さあいよいよ本丸御殿に乗り込むとしますかね。関羽、張飛、趙雲、付き添いご苦労だった。謁見の大広間にはオレ一人しか入れないので、呼んだらすぐに来てくれ。面白いものは皆で体験しよう。張飛は手加減しっかり頼むぞ」


 当たり前のことだが、三人は常人の背丈になっている。大男だとここまでの道のりで大騒ぎになるからだ。本来の体格だと何事も無く番所を通過できるはずもなかった...




 江戸城本丸御殿 謁見の大昼間


 さあいよいよお待ちかねの将軍綱吉とご対面だ。例年は新年の挨拶は大名は個人的にするらしいが今年は特別だ。例の赤穂事件の関係で在府する諸侯は出席が義務付けられた。特に浅野綱長は内匠頭の本家筋のため出府の命が下った。いわゆる申し開きといういじめである。イワレヒコはそんな事はちっとも気にしてないが浅野綱長にとっては脂汗(あぶらあせ)ものである。

そんな事情もあって綱長はイワレヒコが身代わりになる件に反対しなかった......たぶん



 大名一同が並んで鎮座しているところへ「上様の御成りー」というまるで時代劇のような声か響いた。一同は一斉に平伏する。

いや時代劇ではななくて現実劇なのか? 将軍綱吉とお連れの小姓(露払いと太刀持ち)が入って来た。一同は平伏したまま綱吉の声がかりを待っている。


「皆の者ご苦労である、(おもて)を上げい。新年おめでとう」

「明けましておめでとう御座いまする」


と老中の土屋政直が音頭をとると一同は 「おめでとう御座いまする」 と唱和(しょうわ)する


 徳川綱吉この年、当年とって56歳。釣り目で狐顔、肖像画ではいかにもずる(がしこ)そうに見える。


「去年は例の浅野内匠頭の刃傷事件もあって大変だった。ことしは良い年であるように願っている。しかしだこの赤穂事件はまだ終わってはおらぬ。皆も存じておるように赤穂城はまだ接収できておらぬ上に、討伐は失敗した。浅野安芸守綱長、何か申し開きはあるか?」


といきなり浅野綱長に話を振ってくる


「ははぁー 申し開きと言われましても、縁戚と言えども別家で御座いまする。当家に何の責任がありましょうか」


イワレヒコはノリノリである、劇を演じていた (これぞ時代劇)。


「そんな訳は無かろう仮にも本家であろう。どう責任を取るつもりだ?」


 どうしても浅野家に責任を(なす)り付けたいのか綱吉はさらに追求するが、冷静になって考えれば無理難題である。

本家とて一々分家を監督しているはずもなく、同じ先祖から出ただけで世代が下れば最早、『同じ家名』を持つ他人である。

綱長ことイワレヒコは平伏したままで釈明し始めるが


「責任と言われましても..........取れる訳ないじゃん、このバカタレ!! くっくっくっ...ふぁっふぁっはははは」


 顔をゆっくり持ち上げて大笑いをするイワレヒコである。この言葉を聞いて周りの大名達の顔色がサッと変わる。青ざめる者、怒りで赤味を帯びる者とさまざまだ。青ざめる者は外様大名で、怒りで赤味を帯びる者は親藩か譜代大名と立場によって異なる。

イワレヒコは黄色い奴がいればまるで『信号機』だなと面白がっていたりする。赤色の代表格は文句なしに徳川綱吉であった。



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