024話 鳥取藩と明石藩の調略
安芸の国、野貝原山 地中の拠点
「孔明さんよ~ ちょっと出て来てくれないかなー」
『はいはーい 呼ばれて飛び出て...』
「おっと その先はストップな! いま黄忠は手が取れそうか?」
『大丈夫でございますよ、我が君の為ならいつでも、どこでも働いてもらいます』
「そうか、では黄忠班に江戸までひとっ走りしてもらおう。例の親藩の奴らの<○○反対同盟>結成の後押しをしてもらおうか」
『後押しと言う名の「脅し」でございますね。了解しました、伝えておきます』
「こちらの傘下に入るに当たっての条件を書いた書状を2通作成しておいてくれ」
江戸、鳥取藩池田吉明の江戸屋敷にて
元禄14年11月8日(1701年12月)、鳥取藩江戸屋敷に黄忠出向いた。
転封反対同盟の結成を幕府に通知してから僅か4日後のことである。名目上、討伐軍の総大将
になっていた池田吉明とは久し振りの再会であった。
「黄忠殿 降伏勧告以来、久方ぶりの再会であるな。ご健勝であろうか?」
「吉明殿、ワシは老いて益々元気じゃよ。貴殿は若人なので聞く必要はないがの」
「本日お越しいただいた要件は何事でござろうか?」
「なにいつもの調略じゃよ、そちらもいささか困っていると聞いておってな」
「困っているとは?...はて何のことやら」
「我が軍師殿の情報では、鳥取藩は罰金が払えなくて困っているとか? 明石藩も同様に困っているようじゃよ」
「まあ 困っているのは確かですが、黄忠殿が態々(わざわざ)来られる理由とは思えません」
「それそこが調略じゃよ。今日は我が主からの文を持って来た」
と黄忠は言いつつイワレヒコからの書状を差し出す。読み終わったのち池田吉明は暫く黙って思慮していた。
「分かり申した、今しばらく時を頂けまいか。家臣とよく相談してみたいので」
吉明の決意はもう決まっていたが、そこはそれ家臣達の面目を立ててやるという手順を踏んだのである。
江戸、明石藩松平直常の江戸屋敷にて
池田吉明の江戸屋敷に続いて同じ日に、黄忠は明石藩松平直常の江戸屋敷を訪ねた。討伐に参加した松平直常とは久し振りの再会であった。
「黄忠殿 降伏勧告以来、久方ぶりの再会であるな。本日お越しいただいた要件は何事でござろうか?」
「直常殿、なにいつもの調略じゃよ、そちらもいささか困っていると聞いておってな」
「困っているとは?...はて何のことやら」
と池田家と同じようにとぼける
「我が軍師殿の情報では、明石藩も罰金が払えなくて困っているとか? 鳥取藩も同様に困っているようじゃよ」
「まあ 困っているのは確かですが、黄忠殿が態々(わざわざ)来られる理由とは思えません」
「それそこが調略じゃよ。今日は我が主からの文を持って来た」
と黄忠は言いつつイワレヒコからの書状を差し出す。読み終わったのち松平直常は暫く黙って思慮していた。
「分かり申した、しばらく時間を頂けまいか。家臣達とよく相談してみましょう」
池田吉明と同じく松平直常の決意は決まっていたが、家臣達の顔を立ててやろうと思っていたのである。
ここは江戸、徳川幕府の都である
元禄14年11月16日(1701年12月)、転封反対同盟の江戸屋敷 妻子脱出作戦が始まった。
救出作戦と脱出作戦がどう違うのかというと前者は夜陰に紛れてこっそりと江戸を抜け出した。今回の脱出作戦は人数が多い事もあって、堂々と大手を振って江戸を出ていくのである。
これはイワレヒコが「もう面倒くせえ、あとは適当に頼む」などと言ったからである。
江戸の出入口を取り締まる役人? そんなもんは知りません、抵抗されたらぶっ飛ばす方針だった。その為に荒事の大好きな御仁を動員している、言わずもがな張飛と許褚とその部下達である。もちろんのこと黄忠班も動員済みである。
ホムンクルス部隊15人、これだけいりゃ大丈夫のはず。赤穂ではこのメンバーで3,500人を打ちのめしたんだから。さあいよいよ江戸脱出大行列が始まろうとしていた。
なんと言っても大名家、三家分の妻子、江戸詰めの家臣団、一族郎党とかなりの人数になるだろう。
ここは江戸、出入口を管理する門 徳川幕府の役人(御家人を含む)の詰め所
元禄14年11月16日、夜も更ける頃江戸の中心から東海道に向かって行列が続く。ぞろぞろと列の終わりが見えない、行列は三方から一つに合流し止まる気配もない。老若男女あらゆる世代の人が出口に向かって歩いて来る。女は簡単に下府できる筈も無いのに躊躇なく進む。
出口門を管理する役人が行列を見つけてビビりながら
「そこの行列とまれ、止まらないと只では済まんぞ! 止まれ、止まれ」
などと叫んでいる。それでも止まる気配が一向にないので
「各々方、出合え! 出合え! 出合え! 門破りぞ。各々方、出合え! 出合え! 出合え! 門破りぞ。」
と大声を上げ続けた
役所の中からわらわらっと20人余りの六尺棒(180cm)を持った役人が湧き出る。時代劇のように湧いて出るのだが行列は何百人もいる、とても20人程度では制圧はできない。
もし仮に抜刀すれば張飛達に袋叩きに遭う、とても命があるとは思えなかった。
六尺棒で殴り掛かった役人達は軽く張飛らに叩きのめされる。もう既に半分以上の役人が気絶していて、残った役人は手も出せず行列が江戸の外へ出ていくのを眺めているだけだった。
増援の人手を求めて数人が江戸中心に向かって駆けていったが、すぐに援助が来るとは思えない。
そうこうする内に行列の半分は江戸から出て行ったのである。
増援の役人が100人以上加わったが行列は止まらない。
しびれを切らした役人の一部は抜刀して行列に切りかかったが、喜悦の表情をした張飛に殴り飛ばされる。張飛の強化棒で殴り飛ばされた役人は恐らく生きてはいまい。
その数およそ60人、張飛班と許褚班に制圧された人数である。
護衛のホムンクルス達には、『抜刀して切りかかった者には遠慮無用である』と孔明からの指示があったのである。




