023話 転封反対同盟からの絶縁状
江戸城 老中評定の間
元禄14年11月4日(1701年12月)、老中評定の間の出来事である。
いつもの如く4人が円座になって討議していると、取次ぎの者からこえを掛けられる。
「失礼致します、ただいま書状が届いております」
筆頭格の土屋政直が受け取り目を通す。続いて座席順に稲葉正通、小笠原長重、秋元喬知と廻し読みをする。文面の最後には池田綱政、森 衆利、本多忠国の名があった。土屋政直がまず口を開く
「各々方どう思われるか? 転封反対同盟とは何だ? 戯言にもほどがあろう、公儀を馬鹿にしておるのか!」
「転封に反対して何とする、謀反を起こす気か?」
「それどころか領地、城の引き渡しは拒否すると書いてあったな」
「これで「改易は決まったな...さて上様へのご報告だが頭の痛いことよ」
...と4人の老中達の嘆き節はいつもの事である。
江戸城 本丸御殿 5代将軍綱吉公 謁見の間
転封反対同盟からの書状の内容は以下の通りであった
一. 岡山藩 池田綱政、津山藩 森衆利、姫路藩 本多忠国 の三名は
イワレヒコ様に臣従する
二. よって徳川幕府の命令は拒否するものなり
三. 現在の領地はこのまま三家が統治する
四. 西国街道(山陽道)は封鎖する
五. 幕府軍が侵攻すればこれを迎え撃つ
転封反対同盟 池田綱政、 森衆利、 本多忠国
老中達の報告を聞いて将軍綱吉は怒り狂った。まあ短気な綱吉でなくてもこれは怒るわな、怒らせる様に孔明が書いたものだ。署名の花押も3人の同意を得て孔明が偽造したものだ。
人を怒らせるように仕向けるのは彼の右に出る者はいない、三国志の時代から......
怒り狂ったあげく元討伐軍への討伐を出すという変な事になったのである。さらに綱吉は軍勢を50万集めろと厳命した。
老中達は必死なってこれを止める、今度失敗すれば徳川の屋台骨は音を立てて瓦解してしまうからである。50万の軍勢を揃えても絶対に勝てるという保証はないのである。
赤穂城明け渡しは問題なく完了するはずであった。討伐軍10万も絶対勝てるはずだった。
にも係わらず50万もの兵を出しても何故か勝てる気がしなかったのである。さすが老中になれただけの事はある、勘が鋭い。
しかし、綱吉は承知しなかったのである......この時点では。
江戸城 老中評定の間 再び
謁見を終えた老中達は再び老中評定の間に戻って来た。
「やれやれでござるな。一時はどうなる事かと思ったわい」
「上様の勘気が収まって良かったでござる、まずは『転封反対同盟』とやらの調査ですな」
「転封反対同盟の盟主イワレヒコなる者とはいったい何者なのか、全く聞いた事が有り申さぬ」
「盟主という事は池田綱政、森 衆利、本多忠国よりも上位にあるという事だ」
密偵を派遣したいがまた拘束されて、少なくなった手駒がさらに減るのを避けたいのである。
おそらく帰って来る者はいないと考えられるが、探索しないという訳にもいかない。
さてどうしたものかと思案する老中達であった。誰にも名案がなく
「三か所に最低限の人数を出す」
という事で決着がついた。
江戸、鳥取藩池田吉明の江戸屋敷にて
元禄14年11月5日(1701年12月)、老中評定の間での一連の出来事があった翌日である。
討伐軍を指揮していた池田吉明は討伐失敗の報告ため江戸に戻っていたが、そのまま江戸屋敷に滞在していた。
そこへ江戸家老はじめ江戸勤めの重臣が入ってきた。
「殿、大変でござる。ただいま江戸城で情報収集していた者達が戻って参りました。その者によると討伐に参加した岡山藩、津山藩、姫路藩の三藩がご公儀に反旗を翻したようです。『転封反対同盟』と称して幕府支配下からの離脱を宣言しました」
「なにっ それは誠か? 可能性につていは無くはなかったが、実際離反となると驚きだ」
「殿、今後我が藩はいかがなさいますか?」
「うむ それだがな、国元の城代家老は如何ほど金子が工面できたといっている?」
「それが...今のところ1万両が精いっぱいと......」
家臣達がみんな俯く
「やはり無理か... 金策できたのは三分の一以下ではないか... では尋ねるが、皆はどうするのが最善か意見を述べてみよ。例え過激論であっても罰することはしない」
「ではまず江戸家老の某から、明石藩の様子を探ってみては如何でしょう? 我が藩と同様にとても罰金が払えるだけの金子を工面できるとは思えません」
「さすがご家老、某もそのように考えます」
「明石藩の石高は我が藩の三分の一以下です。罰金は確か10,000両のはず、せいぜい3,000両くらいしか払えないのではないでしょうか」
「あのぅ......不埒なけしからん意見ですが、我が藩もあちら側へ降ってはどうでしょうか?」
「おおその手があったか、二藩しか無いが『みんなで降ればなんとやら...』それも有りでござるよ」
家臣達の意見が出揃ったところで池田吉明は言う
「では取り敢えず明石藩の様子を探って見るとしよう。あちらの出方によっては双方で協力する事も想定しておこう」
江戸、明石藩松平直常の江戸屋敷にて
元禄14年11月5日(1701年12月)、老中評定の間での一連の出来事があった翌日である。
討伐に参加指揮していた松平直常は討伐失敗の報告ため池田吉明とともに江戸に戻っていたが、そのまま江戸屋敷に滞在していた。
そこへ江戸家老はじめ江戸勤めの重臣が入ってきた。
「殿、大変でござる。ただいま江戸城で情報収集していた者達が戻って参りました。その者によると討伐に参加した岡山藩、津山藩、姫路藩の三藩がご公儀に反旗を翻したようです。『転封反対同盟』と称して幕府支配下からの離脱を宣言しました」
「なにっ それは誠か? 離反となると驚きだ」
「殿、今後我が藩はいかがなさいますか?」
と池田家と全く同様の反応である、よって結論も同じで池田家の様子をうかがう。
場合によっては協力も有り得ると結論を出していた。
罰金の金額は違えども考えていることは全く同じであった...
いよいよ<○○反対同盟>の誕生も近い




