018話 処罰の決定
岡山藩池田家 江戸屋敷
元禄14年7月28日(1701年8月)、討伐軍に参加した藩主代理の者達が江戸に帰還した。
岡山藩主 池田綱政は63歳と高齢のため戦に出陣できず、嫡子もいないため家老を代理として派兵していた。
池田綱政は将軍綱吉に報告後謹慎の沙汰が下った。正式な処罰は公儀で検討中である。
元禄14年8月1日(1701年9月)、岡山藩主 池田綱政はただいま謹慎中であった。
家臣達が今後の事を相談に来た、皆それぞれ不安なのだ。
「殿これから如何なさいますか」 と討伐軍に参加した江戸家老が尋ねる
「むう いかがと聞かれても答えようがない。まずは御公儀の沙汰が下りてからだな」
ここまでは鳥取藩池田家と全く同じである。ただ違うのはこちらは徳川の親藩ではない、処罰もより重いだろうという事だ。
「ワシが参軍しなかったとは言え今回の失態は重いぞ、領地半減の転封くらいは覚悟しておる。最悪の場合は改易もあり得るぞ」
改易と聞いて他の重臣は震え上がった、そして池田綱政は続ける
「もし改易の沙汰が下ってお家が取り潰されるなら、ワシにも覚悟があるぞ! その方らも腹を括れ」
安芸の国、野貝原山 地中の拠点
「おい孔明、頼みがあるんだが」
『我が君よ、どんな事でしょうか』
「今回の討伐軍の事だか、関係者にあいつの子孫がいるだろう。今後は無関係でいられないから、そろそろあいつを起こしてくれ」
『承知しました、○○の覚醒に移行します』
江戸城 本丸御殿 謁見の大広間
元禄14年8月28日(1701年9月)、ようやく討伐軍の処罰が決まった、討伐軍指揮官湯が江戸に帰還して一月後の事である。
処罰にあたって幕閣のあいだで揉めに揉めた、老中だけでなく役職を持つ幕閣全員が評定に参加したためである。それほど幕府にとって大事件であった。
どんな意見が出たか纏めてみよう
「赤穂討伐に参加した家は親藩を除いて改易が妥当である」
「では親藩はどうするのか? 領地半減の上、転封にとどめ置くのか」
「いや親藩の領地替えはまずい、他の三家は転封でよい」
「いやいや、他の三家が転封なら親藩は処罰しないのか?」
「親藩だからといって処罰なしは拙い、不公平であろう」
「前例の無い事だが親藩に限って罰金を課すというのはどうだろうか」
もう纏まりそうにない。結論として将軍綱吉に処罰を預けることになった。
その結果が今日の謁見の大広間に集合となった。綱吉が裁定を発表する。
「余の裁定を発表する」
岡山藩 31万石 池田綱政 領地半減の上転封
津山藩 18.7万石 森 衆利 領地半減の上転封
姫路藩 15万石 本多忠孝 領地半減の上転封
鳥取藩 32万石 池田吉明 罰金32,000両
明石藩 10万石 松平直常 罰金10,000両
「なお新領地が決まり次第通知するものとする。以上」
安芸の国、野貝原山 地中の拠点
イワレヒコはいつものように監視モニターで江戸城 謁見の大広間を眺めていた。
「孔明さんよぉ どう思う? 面白いことになったな」
『さようでございますね、転封はもちろん罰金の額も多すぎますね』
「これじゃあまるで『反乱を起してくれ! 』 と言っているようなもんだ」
『これで親藩の寝返りの確立がすごく高くなりました』
「鳥取池田家は32,000両もの大金、どうやって支払うの?...という問題だな」
『調略が担当の黄忠殿、説得が担当の関羽殿の仕事がやり易くなりましたね』
「綱吉は人間の感情を甘く見すぎだ」
鳥取藩池田家 江戸屋敷
元禄14年8月28日(1701年9月)、討伐軍各家の処罰が決まった。池田吉明が江戸に帰還して一月後の事である。
公儀より処罰伝達の使者が池田家江戸屋敷を訪れた。下された沙汰は以下の通りである。
【赤穂討伐軍敗退の責任として、金32,000両を支払うもの也】
家臣達が今後の事を相談に来た、皆それぞれ不安なのだ。
「殿これから如何なさいますか」
と江戸家老が尋ねる
「むう いかがと聞かれても金は無いぞ。まずはそちらの考えを聞こう」
「我が藩は親藩でござる、重い処罰が下るはずないと思っておりましたが、これは無体な」
と留守居役が答える
「しかしながら今回の処罰は重いぞ、金銭的な面でな」
「もし我が藩が罰金なら、親藩でない諸侯は転封なのではないでしょうか」
と江戸家老が疑問を口にした
現在の価値に換算すると1両は10万円~30万円と言われる。
仮に下限値の1両10万円だとすると32,000枚は32億円になる。今の地方自治体でも罰金として32億円を簡単に支払えるものだろうか。
また一般的な価値としては1両17万円が妥当だと言われている。この場合17万円×32,000枚は54.4億円になる。10年分割であれば無理なく支払うことが出来たかも知れない。




