015話 江戸脱出作戦
安芸の国、野貝原山 地中の拠点
『我が君よ、今度の木下家の<江戸脱出大作戦>の件ですが、困ったことに家臣の通行手形が出せません』
「なんでだ? 」
『通常武士の場合は領主が通行手形を発行します。藩主の木下肥後守が謹慎中だから無理です』
「おう、うっかりしてたわ。なら孔明、偽造しろよ得意だろ」
『そりぁもう、大得意でございますよ。本物より本物らしく作ってみせます♡』
「出来上がったら誰かに持たせて江戸までひとっ走り頼む」
『お任せ下さい』
イワレヒコは関所対策として手形を偽造する事にしたのである。もっとも最後は関所破りをすることになる訳だが...そこはそれ活躍したい奴等に任せようと思う。
ここは江戸、徳川幕府の都 足守藩木下肥後守の江戸屋敷にて
元禄14年(1701年7月) 7月10日、木下家の江戸脱出大作戦始まった。いよいよ転封地が決まり下府の時である。
(新しい領地はどこか? そんな事は知りません。これは架空の物語です)
木下家の家臣とその一族郎党は、本物よりも立派な偽造通行手形を持って旅に出た。目立たぬように数日かけて下府したのである。足守藩江戸屋敷は人が減ったためすっかり寂しくなった。
次は木下肥後守の家族の脱出の番だ。深夜に屋敷を出た。
ここでは趙雲班と黄忠班の足の見せ所である、つまり足腰の弱い女・子供は彼らが背負う。
江戸の出入口で門があれば壊し、柵があれば飛び越えるためである。
『入鉄砲に出女』ということわざがある。江戸の治安維持のため、「江戸に持ち込まれる鉄炮(入鉄炮)」と、「江戸屋敷に人質として置かれた大名の妻女が脱出するのを防ぐため江戸を出る女(出女)」を取り締まった。
趙雲班と黄忠班の10人は女・子供を背負い小田原まで走り抜けた。そこで先に下府した家臣団との合流である。
元禄14年(1701年8月) 7月12日、箱根の関所にて
江戸時代は各地に関所や番所が設置され人の移動は制限されていた。
江戸時代の関所の役割は、江戸防衛のため、治安維持の機能があった。人質として諸侯家族の江戸在府を義務づけられた。勝手に下府できないように監視する役目があった。
関所を通過する際には、下府する出女には公儀が発行する女手形の携帯が義務付けられていた。幕府は伊勢神宮参りや温泉湯治などが目的の者には特別な手形を出す例があり、より簡単な手続で済まされる例もあった。
「よし通行を許可する、次の者これへ」
と関所の役人が言う。次の者とは子女を同伴した趙雲達ご一行、約20人である。一行は偽造通行手形を差し出した。役人は手形を検めると一同を見渡し首を捻った
「手形は本物であるがこれは数が多い、こんなに一度に手形が発行されるはずが無い。江戸表に問い合わせねばならない、それまでは止め置く」
「通行出来ないと? 仕方ありませんね、では勝手に通らせてもらいましょう」
と趙雲が言うと木下家と趙雲・黄忠の一行は出口に向かって移動し始めた。検め役の役人は
「待て、待てと言っておる、従わねば関所破りと見なすぞ」
それでも無視して移動する
「関所破りぞ! 各々方出合え、関所破りぞ! 各々方出合え、出合え!」
検め役人が叫ぶと、手に召し取り棒を抱えて16人あまりが湧いて出た。趙雲・黄忠の部下8人の出番である、しかしながらそれぞれ2回づつちょいと強化棒で撫でただけで終了した。中には3回撫でた幸運な部下もいた。
かくして戦闘という言葉も烏滸がましいほど、道の草を払う行為となんら変わりはない。これは関所破りと言ってもいいのか、部下達は拍子抜けした顔をしていた。せっかく期待していたのにと......
続いて家臣達とその家族・郎党が何事も無かったように通り過ぎて行く
箱根関所には、定番人、人見女、足軽など常時20数名の役人が勤務していた。小田原藩から派遣された役人が交代で勤務していたという。
安芸の国、野貝原山 地中の拠点
『我が君よ、今回の木下家の<江戸脱出大作戦>は拍子抜けですっかり期待外れに終わりましたね
(´;ω;`)』
「なんだかなぁ 箱根関所には100人くらいいると思ってた。これじゃあ関所破りと言えんわ」
『平時はほとんど何事もないですしね、大人数だと管理する小田原藩も大変です』
「関所破りという大イベントになる筈が只の棒振り散歩とは...あぁ、つまんねぇ」
元禄14年(1701年8月) 7月14日、江戸城 老中評定の間
木下家の関所破りの報告が江戸表に届いた。老中の土屋政直、稲葉正通、小笠原長重、秋元喬知と大目付・庄田安利の5人が評定に参加する。まず事の経緯を老中筆頭格の土屋相模守が説明する。
「今朝方、箱根関所より急報が届いた。木下肥後守の家中の者が関所破りを働いたようだ。妻子を含め50人程が箱根の関所を突破したとある。おそらく江戸詰めの者が全員であろう」
今回の関所破りは大名案件のため、大目付・庄田安利がこの場に呼ばれている。
「なんと関所破りですと! して江戸屋敷の様子はいかがでしょうか」
と庄田安利が尋ねると老中の土屋政直が答える
「足守藩の江戸屋敷はもぬけの殻になっておる、妻子を含めてな」
「これは処罰が必要でござろう。老中方はどう思われますか?」 と庄田
「うむ上様のご裁可が必要だが、おそらく改易になるであろう」
「では皆で上様にご報告に参ろう」
将軍綱吉の沙汰が下った、結果は改易であった。といったところで木下肥後守は行方知れず、妻子・一族郎党もまた行方不明であった。
処罰される方がいないのなら処罰はできない、処罰なし同様である。
一方、関所破りの木下家妻子ご一行はのんびりと東海道を西へ下っていた。まるで物見遊山である、江戸から出た経験のない妻子達は大はしゃぎであったとか......




