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【第二部】 第49話 砂丘に還らぬ傷

 砂丘が崩れゆき、波打つ音がざわりと響いた。


 乾き切った大地を潤す雫は濁り、血か水か、もはや区別がつかない。欲望にまみれた人々の叫びで硝煙と炎が揺らぎ、闘争に終わりが訪れない世界は燃え滓のように灰で満ちている。けれど──軽微だが、暖かな風が吹いていた。


 部屋の片隅で、白波のきめ細かい泡立ちを思わせる柔いレースが揺れていた。それはふわりとカーテンのように広がって瞼をくすぐり、膨らんでしぼんでいく。


 シロウは頬を優しく撫でつける布地の感覚に目を覚ました。

 全身を打ち砕かれたと錯覚するほどの激痛は、生死を賭けた激戦から三か月が過ぎてもなお続いていた。


 ベッドに横たわるシロウは視線を見上げる。

 すると縫い合わさった刺繍が見事な、白銀のローブを着込んだ少女が座っていた。体は僅かに揺れて小さな寝息を立てている。


 袖のレースが華奢な掌に合わさるように、頬に触れて温かみを感じさせた。

 体の至る所を包帯で覆われた重体のシロウは、回想するように少女の整った小顔を見つめる。


 少女の銀髪はまるで初めて出会った夜と同じ煌めきだ。窓辺から差し込む日光の気持ちのいい光に反射して輪郭を際立たせている。


 シロウは少女の靡いた長髪に触れようと掌を伸ばした瞬間、折れて傷跡が残った右腕が疼いた。鮮明に焼き付いた短くも切迫した死闘の記憶を振り返る。


 暗い森で鎖に繋がれた少女との偶然の出会い。荒野を越えて街へ向かう道中、変異性生物と遭遇した夜。


 記憶を失った少女──ナナとの巡り会いは冒険者として生きてきたシロウにとっても、短いながら濃密な日々だった。


 掌で転がされるように次々と迫り来る脅威に命懸けで対峙し、レッドホルン街での包囲戦や砂漠の追走劇、長耳という怪物の脅威に圧倒された死線は、自力では到底足元にも及ばない実力差だった。


 仲間たちとの連携によって掴み取った辛勝は、一同の死力を尽くした行動と奇跡のような幸運がもたらした結果であり、その果ての生死を彷徨う負傷と体中を軋ませる激痛は、生者の特権としてシロウを納得させた。


 命懸けの闘争の契機はナナとの出会いだが、自身もナナに救われ、互いに覚悟の上で徒党を組んでいる。

 三人だけの小さな徒党『ラッキーセブン』の旅路は、満身創痍な一同、特にシロウの治療と、破損した銃器や物資の補填などで、三か月ほど宿屋に滞在を余儀なくされた。


 そしてようやく次へと進む準備を整えつつある。


 高額な医療費、長期滞在した宿屋への支払い、食費など余分な硬貨などは一切ない。今日は久々の外出と支払いのための“当て”に向かう予定であった。


「ナナ、おはよう。もう看病は十分だ。これ以上世話されたらベッドと背中に根っこが生えそうだ。いろいろと助かった」


 シロウはナナの頭を一撫ですると、ゆっくりと上体をベッドから起き上がらせた。

 ナナは気持ちよさそうにうたた寝から目覚めると、瞼に隠された双眸の左右異なる赤と青の澄んだ輝きがシロウを見つめて、にこりと笑みを浮かべた。


「シロウさん、おはようございます。まだ完治はしていないんですよ? あまり無茶はしないでくださいね」


「無茶をするつもりはないが、あんまりのんびりしすぎると感覚が鈍っちまう。それにレッドばかりに出稼ぎで生活費を賄ってもらうのは居心地が悪いんだ。多少の無理は許容範囲ってことで、今日から冒険者家業を再開していくぜ」


「そのレッドさんに、シロウさんが無茶して外出することがないように、監視も含めて看病を任されているんですよ」


 ナナは呆れ顔で微笑んだ。


 冒険者組合が直営する宿屋『レーヴタール』の借り部屋、室内の隅に設置されたベッドで横になるシロウは、口調自体は調子がいいものの、死闘から生還して街に無事に辿り着いた頃には満身創痍の死に体で、いつ倒れてもおかしくない状態だった。


 『レーヴタール』のマスターの迅速な行動のおかげで、すぐさまに冒険者組合と提携している治療院に運ばれ、シロウは重症患者として高額な手術、抗生物質などの高品質な薬品の投与などで一命を取り留めた。


 しかし、混沌たる暴力が支配する世界で、街の秩序を維持するためには暴力と同等に価値ある医療は街の宝であり、都市レベルの戦略的な資源でもあった。


 旧文明の医学的知識を継承している者は極端に少なく、変異性生物の毒や腐敗、感染症に対応できる専門知識が必須。


 診療には滅びた文明の機器や薬品の再利用、それに代わる新たな薬品を調合するだけの見識がある者は、当然だが価値は必然的に高く、医師を狙う人攫いは少なくない。


 医師の生存は街の生存と等しく、その希少な医療技術の恩恵を受けれる一部の冒険者は、街への貢献度や実績から考慮された者達だけだ。


 最低でも冒険者ランクがシルバーまで上り詰めた者が、ようやく高額な金貨を幾枚も叩いて治療を受けられる。そして、それは冒険者の死亡率の高さを明暗させるように際立たせていた。


 当然だが、全員が高額な医療費を支払えるだけの稼ぎができるわけではない。そこで街の陰に潜むように裏医療従事者たちが存在する。非公認の医師たちの出自は謎に包まれ、失脚した医師、怪しげな研究者、独自の医療体制の者などが街で活躍している。


 しかし、その医療技術は信頼性が乏しく、変異性生物の血液と薬草を調合した粉末や、副作用の危険性が高すぎる薬を提供する者も過去には存在した。けれども僅かな金銭しか持たない低ランクの冒険者や旅人は利用せざるを得ない。裏医師は必要悪だった。


「体は見た目以上に調子がいい。闇市のヤブ医者どもより遥かに良い治療を受けたからな」


 シロウは上体を軽く伸ばして反らすと、ベッドから起き上がった。

 屈伸運動をすると鈍い筋肉が張り付いているような、多少の違和感が残っている。しかし動きの阻害にはならない。構わずに準備運動を継続した。


 ナナはそんなシロウを窺うと、止めるのを諦めたように上着とトレンチコート、装備類と護身用のグロック19【ラピットファイア】をシロウの手元に用意した。


「本当に、絶対に無茶はしないでくださいね」


 ナナは念を押すようにシロウを見つめた。


「あぁ、俺も死にたくはねぇからな。約束するよ。ところでレッドはどこにいるんだ?」


「レッドさんは冒険者組合に用事があるみたいで、早朝には出て行きましたよ」


「なんだ。起こして皆で行けばいいのにな」


 シロウはナナの横で上着を着こむと、漆黒のトレンチコートに袖を通した。重厚感ある厚皮を鞣して製作されたコートは、戦闘を前提とした傭兵や冒険者用の装備だ。


 外見よりも実際は軽やかさと伸縮性、防御性能は折り紙付き。しかし、激戦を潜り抜けた爪痕は装備や衣類に刻まれていた。トレンチコートの至る箇所には、鋭利な傷跡や引き裂かれた裾は過酷な戦闘痕を示している。


「ナナ、俺はこれから武器職人のガンドの店に寄ろうと思っている。やっぱり得物が揃わねぇと冒険者稼業は始まらねぇからな。お前はどうする? 一緒に来るか」


「そうですね。わたしも一緒に行きます。武器や装備の勉強、それにシロウさんの監視をレッドさんに任されてますからね!」


 ナナは意地悪そうに笑う。冗談口調で話す表情は柔らかく、初めて出会った頃よりもよく笑うようになった。そんな少女にシロウは口角を上げて、不器用に頭を力強く撫でた。

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