第48話 灰の中の灯
一刻が過ぎ去る。黒煙を滲ませた廃倉庫群は、一帯に散在した炎の残滓を漂わせて夜闇に溶けて消えてゆく。
資材や瓦礫の山が崩れる音を鳴らして、空虚な夜空を見上げるシロウ、レッド、ナナの三人は、貴重な心安らぐ時間を謳歌していた。
荷物に寄り掛かるように体を休ませるシロウは包帯だらけの状態だった。手持ちの回復薬と包帯をほとんど使い切り、首元から下は幾重にも巻かれている。
一同は互いの傷だらけの体を笑い合い、特にシロウのまるでミイラのような有り様に腹を抱えて笑った。賑やかな空間で疲れを癒すために焚火を囲って過ごしている。
その暖かな安息地に踏み込む多勢の足音が響いた。
いくつもの人影が暗がりから現れると、焚火の暖かな光に輪郭を映していく。銃器を抱えて規則正しく行進をする集団は、シロウたちの眼前まで近づくと静止する。
重武装の護衛たちの中心には見知った顔立ちの者が、妖艶な笑みを浮かべてシロウたちの前へと姿を現わした。
「あら、また奇遇ね。こんばんは。ご機嫌はいかがかしら?」
その艶やかな顔立ちは笑みとは裏腹に、どこか冷たい眼差しが潜んでいる。
ライホウ商会まとめ役、商会長であるミラは、夜風に長い髪を靡かせて上品な革製の白いコートを羽織っていた。
「奇遇……ねぇ。この出会いは必然じゃないのか?」
シロウは重体の体を傾けて、鋭い視線を飛ばした。
「ふふ……いつから気づいていたの?」
淫靡な吐息を吐き、嬉しそうに唇を歪ませたミラは質問する。
「確信したのはたった今さ……ナナを拾ってから街に着くまで、顔を合わせたのはあんたたちくらいだ。あまりにも情報が広がるのが早すぎる」
焚火がパチリと静かに爆ぜ、シロウの言葉は続く。
「俺たちを襲撃した一連の騒動。低ランクの冒険者や、ならず者をけしかけてきたのは、お前だろ? 商人らしい、命を金で釣る見事な手腕だぜ」
口元を皮肉で吊り上げるシロウと視線が交わるミラは、涼し気な表情を張り付けている。
シロウは懐に手を伸ばすと、レッドから返却された煙草の箱を取り出す。そして中から、錆び付いたオイルライターを路上に転がした。
「返すぜ。もう必要ないだろ?」
そのオイルライターに唾を吐き捨てる。
転がったオイルライターの元へと歩む人影は、口角を不気味に広げて笑っていた。拾い上げるその存在は、暗がりの中で不自然にサングラスを掛けた禿頭の男。ビルだった。
「くく、若造よ。ちょいと人を信用しすぎちゃいねぇか? おかげで探知が楽だったぜ」
「……くそったれめ」
強い嫌悪感を帯びた声音でシロウは睨んだ。
「でも見た目以上に賢いみたいね。あなたの推測は半分くらいは正解、って言っておきましょうか。その子を狙う勢力はわたくしだけではありません。でも、けしかけたのは正解」
「このクソアマ! あんたたち恥ずかしくないの!? こんな小さな子に寄ってたかって!」
レッドが吠えた。怒気を抑えずに声を荒げる。
しかし、焚火周辺を武装して囲む護衛たちは、合図があればいつでも命を刈り取ることができる。
鈍く反射した鋼鉄の輝きが、銃口をシロウたちに向けないのは、ミラの意思一つだ。
「教えてくれ。どうして俺たちに武器と装備を与えた。襲う相手なんかに飴をあげる趣味でもあるのか? それとも、あの化け物が持ってた刀と、ナナが関係してるのか?」
頬を撫でるような冷たい風が、静寂に染まる空間を通り過ぎ、焚火を微かに揺らいだ。
「ふふ。軽口が達者なのね。いいわ。教えてあげる」
ミラはナナを見つめる。怯えながらもシロウの手を決して離さないナナは、震える双眸で懸命にミラに対して視線を返した。
「その子を守るあなたたちの生死については、正直どちらでもよかったの。コインに刻まれた裏表の結果に興味があるんじゃない。大事なのは、その先の勝負に賭ける、掛け金のタイミング」
ミラは静かに答える。そしてゆっくりと歩き出すと、立ち尽くす長耳の遺体の元へと足を運ぶ。その足元には一刀の鍔が砕けた片刃が、美しい夜空の反射を映している。
ミラは質の良い白いコートの懐から、掌に収まるほどの小型のピストルを引き抜くと、遺体に向かって何度も発砲した。
9mm弾が遺体の複数箇所を抉り、衝撃で勢いよく地面に押し倒していく。シロウたち一同はその光景を、息を呑んで見据えていた。
無残にも地面に転がる遺体に発砲を続け、長耳の端整な顔立ちは原型のないくらいに損傷すると、体は着弾の衝撃で弾んで赤黒く染まっている。
「ふぅ。慣れないことはしないものね。手首が痛いわ」
不敵にほくそ笑むミラの声音は高揚していた。表情は初めて表面に浮かび上がったかのように、実に愉快そうだった。
「わたくしが賭けたのは、この刀を回収するためよ。そこの死体に奪われてから、全ての動向を細かく調べていたわ。彼が、その子を探していることもね。──だから“掛け金”が必要だった」
「ナナを金貨みたいに言うんじゃねぇよ。その賭けで、もし俺たちがくたばっていたらどうしたんだ?」
「その時は依頼を受けた裏稼業の者たちから、その子を回収して、彼と取引していたわ。けど……あなたたちには本当に感謝しているわ。一番望んだ光景をわたくしに見せてくれたのだから」
「ご要望に応えれて涙がこぼれるぜ」
シロウは苦笑で痛む体を無理やりに、上体だけしっかりと起き上がらせる。
「……それで、俺たちを殺す気か?」
ミラの瞳孔を、シロウは鋭い眼差しで覗いた。
辺りに漂う緊迫とした静寂が永遠のように感じる。廃倉庫群を抜ける風がナナの頬を掠め、肌を刺すような緊張が走る沈黙を破ったのは、突然のミラの笑い声だった。
「あはは! そんなまさか! あなたたちは賭けの勝者よ。わたくしの依頼を無事達成して、刀を回収することもできた。残念だけど殺人鬼ではないの。商会の長として、約束は絶対。依頼報酬の金貨は色を付けてあげる」
ミラは妖艶な笑みで、シロウに優しく告げた。
目配せで護衛たちを下げさせると、殺伐とした辺りの警戒の温度は冷めていく。
「ぜひ、街に立ち寄った際には万屋にお越しください。報酬をご用意しておきます。あと、新しい依頼も。ふふ」
そうお辞儀をしたミラは、護衛たちと共に黒々と染まる荒野へと歩み出した。その背中に着いていくように、刀を回収したビルが愉快そうな笑みを浮かべる。
「若造。精々頑張るんだな。何事も経験だ! 生きてる、限りはな」
そう別れの挨拶を告げて、去っていく。
「行っちゃいましたね……」
ナナが安堵の声を漏らした。へなへなと腰が抜けるように脱力していく。
「あんのクソアマッ! 最後まで腹が立つ女だったわ!」
レッドは表情を引き攣らせて起き上がると、路上に転がる石ころを遠い彼方まで蹴り上げた。落下音はしばらく響かない。
「まぁ……これで当分の医療費と宿泊費は稼げるんだ。そう苛立つなよ」
シロウは荒ぶるレッドを宥めるように声を掛ける。その光景に、ナナの表情がくしゃりと笑みを浮かべた。一同は再び頷き合うように、暖かくも賑やかな空気で溢れた。
荒涼とした世界で、果てしない殺戮がどこかできっと行われている。しかし、背中を預けられる仲間もいる。シロウはレッドとナナを見つめた。幼少期の薄暗く、狭い壁を囲んだ路地に戻るつもりはない。
これからどれほどの脅威が迫ろうと、この暖かみを必ず守り抜く。そう強く、胸の内で確かな覚悟を決めた。
「まぁ、良しとするわ。シロウ、あんた忘れてないわよね? あたしの夢を叶えるために、街一番の料理屋を開業するの! これからも沢山たんまりと、大金を稼ぐわよ!」
「……おいおい、しばらく休ませてくれよ」
「とっととその右腕も、怪我も治して! 冒険者稼業で荒稼ぎするわよ! もちろんナナちゃんも手伝ってね!」
「もちろんです! 頑張ります!」
両手に握りこぶしを固めるナナはどこか楽しそうだ。
「そうこなくっちゃ! シロウ! 働けないなら客引きで、バニーガールやらせるわよ?」
「勘弁してくれ! たくっ……ゆっくり休んでる暇もないぜ」
「あたしたちの徒党ラッキーセブン! まずは安全に帰路につくのが、最初の課題ね」
「皆さんと一緒なら、どこにでも行けます! ゆっくり進んでいきましょう」
「あぁ、ビビらず行こう。それと最後に、煙草を一服させてもらうぜ」
灰骨に似た砂漠の果て。荒涼とした大地に広がる略奪や暴力。
旧文明が崩壊した無秩序な世界を駆け抜けるアメリカンバイクは、今日もどこかで、重低音が鳴り響くエンジンを轟かせ、巻き上げた暖かな風を吹かせる。
END
——『忘却の少女』第一部 完
賭けは終わり、旅は続く。
次なる舞台は——砂の都市。
第二部『砂の都市、龍の息吹』へ。




