第44話 暴力の臨界点
色絹に包まれた刃のような危うさを放つ長耳の存在は、美しい外見に引けを取らないほど冷酷で鋭い。過去に遭遇した冒険者の生き残りの証言は『人によく似た全く異なる存在』と、言い残して冒険者稼業を引退した。
ゴールドランクに到達した冒険者の闘争心をへし折るほどの鮮烈な戦闘痕は、調査に向かった熟練の冒険者たち全員の、表情を青ざめるほどの凄惨さを残していた。
何故なら銃器では説明がつかないほどに、全ての遺体は原型を留めていなかったからだ。
その風聞に一致する者との対峙は、シロウの背筋を薄氷のように冷たくする。立ち向かうか、背を向けるか、その二択を決めなければならない。
無防備な相手を撃つのは初めてではない。お行儀よく挨拶を済ませてから銃を抜く阿保は長生きできないからだ。
視認されていない今なら、虚を衝く一撃は有効打になる可能性は高い。しかし、立ち向かうことは地獄に挑むようなものだ。一度進めば引き返すことはできない。
苦悩を深めるシロウの思考を解いたのは、時間切れを表すかのように吐かれた短く低いため息だった。
「なぜだ? 絶好の機会でも攻めてこないのか?」
外套の下、顔の半分を覗かせた視線は、いつの間にかシロウへと矛先を向けていた。
肝を冷やしたシロウは息が詰まる。しかし、存在が露見された状況で、闇雲に隠れることは愚策でしかない。
最大限の警戒を宿した足取りは鈍く、遮蔽物から姿を現すシロウの眼差しも険しかった。
「……いつから気づいていた?」
「わたしは耳が良いんだ。臆病者を見つけることは造作でもない。貴様ら野犬風情に上流の掟に従った決闘など不要。好きに攻めてくればいい」
「なんだ? 貴族様は礼儀正しく、命を奪い合うのがお好きなのかい?」
戦闘は避けられない。いや、本来は選択肢すらなかったことに、シロウは額に汗を伝わせて苦笑する。
既に自分は死神へと一歩近づいていたことを悟ったからだ。
「その問いは貴様が礼を重んじる価値があるか否か、命で見定めさせてもらうとしよう。──推して参る」
外套に蔽われた長耳は得物を構えることもしなかった。
戦闘態勢も取らず、ただ、落とした荷物を拾い上げるように、銃器を構えるシロウへと軽やかに歩み始める。その足音は不気味なほどにシロウの鼓膜を叩いた。
「……遊びじゃねぇんだぜ!」
火蓋を切るようにシロウは怒声を放つと、M4カービンのセーフティを三点バーストに切り替え、ストックに頬付けをして狙いを定める。
自身の技量や経験から、確実に被弾は免れない距離で相手を捉えた。汗ばむ指先で勢いよくトリガーを絞り切る。
静寂を劈く連鎖的な破裂音が銃口から放たれ、ノズルフラッシュの閃光は乾いた空気を切り裂いた。
しかし、標的には、着弾──しなかった。
それは、まるで弾丸が意思を宿し、軌道を長耳から逸らすように不自然に避けていた。
滑り落ちるように着弾の瞬間、淡い光の波紋を走らせ、全ての弾丸は直進を捻じ曲げられて長耳の後方、散在された資材や荷物などに衝撃音を響かせる。
純白の外套を纏う存在はそよ風を受け流すように、微笑を崩さず歩みを進めていた。
「……どうなってやがるんだ!?」
シロウは混乱する思考を中断して、本能的な直感に従った。硬直する体を無理やりに、遮蔽物から身を飛び出して横へ転がる。
その瞬間、瞼を閉じてしまうほどの烈風が走り抜けた。
シロウが身を隠していた建材は、鋭利な刃物で両断されたように轟音とともに崩れ落ちる。切断面からは熱を帯びた面が露わになっていた。
周囲の細やかな瓦礫や砂埃が、長耳を中心に吸い寄せられるように浮かんでいる。
空気中の風が全て敵に寝返ったような錯覚を起こすほど、シロウは全身の皮膚に突き刺さる殺気を受けていた。
その視えない一撃は、かまいたちの比にならないほどの切れ味だ。
素早く転がり起きながら遮蔽物へと滑り込む。シロウの表情に余裕は生まれなかった。これまでの経験が一切反映されない、常識外な能力に翻弄されていたからだ。
「こんなもん、理不尽すぎるだろ……!」
間近でナナと体験した異能の力を、自身が標的として迫られ──初めて“ギフト”を痛感する。シロウは無慈悲な脅威を噛み締めていた。
「ふむ。これを避けたか。ならばこちらも三連撃といこうではないか」
その言葉を皮切りに続けざまに疾風が巻き起こり、路面に深々と切断面が刻まれていく。
シロウは反射的に寸前で飛び退くと、自身の先程までいた箇所は鉤爪のような痕跡を残して地面は抉り取られていた。空気が逆巻く騒音が鼓膜を震わす。
「こんなの卑怯だろ!?」
命中は期待しないが、一方的な攻撃を凌ぎ続けることはできない。
シロウは荒く構えたM4カービンを、全力で駆けながらフルオートで薙ぎ払い、長耳に弾丸の嵐をお見舞いする。
「ならば貴様も使えばいいだろう?」
暴風のように迫る弾丸の脅威。しかし、それを瞬きもせずに制する長耳は、猛烈な弾丸の密度に対して、自身を淡い光の膜で覆う。
弾丸は軌道を歪められ、標的から逸れると背後の鉄骨に無惨に弾ける。
不敵な笑みを吊り上げ、長耳はそのまま一気に外套を靡かせて跳躍をすると、空中で体をしならせる。
純白の影が宙を舞い、遮蔽物に潜むシロウを捕捉した。
──刹那、両者の視線が交差する。
「もう少しゆっくり歩いて来てもいいんだぞ!」
シロウは舌打ちを吐きながら、無作法に跳ねるように身を躱した。
直後、背後で金属とコンクリートが砕け散るほどの衝撃波が生まれる。大気圧に鋭利な棘を生やしたような、深い戦場痕を幾つも地上に刻む。
シロウは飛び退いた先の荷物に勢いよく衝突する。ぐっと全身で衝撃を堪えると、苦痛で顔を顰めたまま休む暇もなく動き続けた。
シロウは目の前の脅威を避けるので精一杯だった。二手三手を考える余力はない。
それを冷たい乾笑を浮かべて、無様に身を躱すさまを娯楽の一環のように享受する長耳は、優越感を満たした声を投げ掛ける。
「よく走る野良犬だ。なかなか見所はあるが……生憎、わたしには与えられた使命がある。先を急ぐ身だ。斬り捨てられてくれないか?」
「荒野は広いぜ! 先を急ぎたいなら、前を走ってもらって構わない!」
姿勢を低く構え、シロウは銃口を突き出した。一瞬の動作で反撃を喰らわせる。
跳躍後の着地を狙った僅かな隙を見逃さない。長耳の横腹を突く鋭い射撃を、M4カービンから連続で撃ち放つ。
それを長耳は涼し気な視線で受け流し、弾丸も的外れに軌道を撥ね返された。
「駄目だ。相対した者は必ず斬ると決めている。ここまで素早いのも厄介だな。ここから戯れは終わりだ」
長耳の纏う雰囲気が重く冷え込んでいくのを、シロウは否が応でも感じ取れた。まるで今までの死闘がお遊戯だったことに、苛立ちを吐き捨てる。
「そんな物騒な自分ルール捨てちまえっ!」
声を荒げながらも遮蔽物が切断されていく中、シロウは冷静に後退しつつ、反撃の射撃を絶やさなかった。
劣勢に追い込まれていく攻防。それでもなんとか耐え凌ぐシロウを救ったのは、意外にも変異性生物だった。廃倉庫群周辺に点在していた群れが、絶え間ないシロウの発砲音に反応して一か所に寄せ集められていく。
咆哮を上げて襲い掛かる変異性生物を火種に、ならず者たちも次第に主要戦場を移していた。二つの台風の目は、より混沌とした深い規模の台風を巻き起こす。
三つ巴による争いは、いつしか四つ巴にまで膨れ上がり、暴力の上限に際限はない。シロウ、長耳、変異性生物、ならず者、無秩序な混戦は苛烈を極めた。
抉り取るように放たれる斬撃の風が、立ちはだかる変異性生物を容易く真っ二つに両断して駆け抜ける。
ならず者たちは武装した車両に備え付けた火炎放射器で、大気を焦がすように長耳を火炎に包み込む。しかし、球体のような巻き風が外套を包み込み、火炎は広範囲に振り撒かれて辺りを地獄のような光景に変貌させていく。
業火に全身を覆われて苦しむならず者たちを他所に、シロウは長耳の隙を窺いながらも、自身に迫る変異性生物をM4カービンで薙ぎ倒す。
排莢口から弾切れを告げる音が鳴ると、今度は銃器を棍棒のように勢いよく振り上げ、ならず者を背後から昏倒させる。
「……こいつは地獄の舞踏会だな」
銃身のひん曲がったM4カービンを投げ捨て、シロウは呟く。返答する者はいない。雄叫び、血飛沫を飲み干すように争いは濃さを増していた。
ソードオフとグロック19を両の手で構えるシロウもまた、巻き起こる脅威を払い除け、火力を振り撒く存在だった。
12ゲージショットシェルに散りばめられた散弾の粒が、至近距離で拡散してならず者の脳漿を吹き飛ばす。
乱雑に撃ち込むグロック19の銃口からは、火花が散り続けて接近を許さない。
──破壊の多重奏に変化の音色を加える一撃を放ったのは、長耳へと狙いを絞った口径7.62×54mmR弾の狙撃だった。
弾道は対象に命中する刹那、大きく湾曲して逸れると、ならず者の頭部を弾いた。
『シロウ! やっとここまで追いついたわよ! あんたの背中を援護してあげるわ!』
ひび割れたノイズ音を含んだ、親しい声がシロウの胸元から届いた。
『逃げろって言っただろうが!』
シロウは背中を遮蔽物に預けて声を荒げた。
胸元の無線機から伝わるレッドの声音に、安堵感で心臓を強く打ったが、親しい人を地獄へと誘う趣味はない。声が荒ぶ。安堵が喉元でつかえて怒りに変わる。
仲間をこんな場所に引きずり込むことは、絶対に容認できなかった。
『このパーティー会場は人数過多で入場は制限されているんだ! 混雑する前にとっとと引き返せ!』
うそぶく様子でレッドを一喝し、隙を窺うと手早く銃器の再装填を行う。
銃床を捻るようにソードオフのラッチレバーを押し込み、銃身を折り曲げると熱を帯びた空薬莢は勢いよく宙に浮かんで排出される。
甲高い金属音が地面を跳ね、切り刻まれたならず者の死体へと転がり落ちた。
『つれないわね! 随分と楽しんでる様子だけど、相棒も混ぜなさいよ! あとナナちゃんも! あたしたち、仲間でしょ?』
付近の雑居ビル高所の窓辺から、スコープ越しに笑みを浮かべるレッドの柔らかい言葉が、緊迫としたシロウの精神を優しく撫でた。
シロウに迫る外敵に一切の容赦ない徹底した狙撃姿勢に、無意識に口元が自然と緩んでいくのをシロウは気づかない。
指先に挟んだ二発の12ゲージショットシェルを、薬室に滑り込ませるように装填すると、銃身を勢いよく閉じる。
重厚な金属の感触を肩口に預け、シロウの高揚を帯びた口調は先程よりもどこか軽やかに感じ取れた。
『それならここからはデュエットだ。踊りですっ転ぶようなヘマはするんじゃねぇぞ!』
シロウは一度深く息を吸い込んだ。
左右に構える二丁の銃器を握り締め、覚悟を決めて全力疾走で路面を蹴りつけて思い切り駆け抜ける。
そして──再び対峙するように、戦場の中心に佇む長耳へと照準を定めた。




