第43話 風を纏う死
シロウは声を潜めながらも、胸元の無線機を操作する。
『チャンネル7。聴こえるか? もし聴こえるなら二人とも、俺が囮になる。今のうちに街に避難するんだ』
乱れた機械音が鳴ると、シロウは最低限の別れの挨拶をする。そしてホルスターに収められた二丁のピストルの残弾数を確認しながらマガジン交換をしていく。
敵情視察を想定した郊外への調査は既にその意味を成さなかった。釣り糸に引っかかった獲物はシロウたちを狙い、集う敵襲の質自体は現状は低い。
しかし、想定を上回るほどの多勢になりつつある。数が極まれば、いずれは押し潰されてしまう。
指示書や街での襲撃、撃退も計画の一部だった。黒幕の掌で踊らされている現状に、シロウの内心は苛立ちよりも先に、責任感が押し寄せていた。
何としても“安息地にナナとレッドだけ”でも辿り着かせないといけない。その一心だけがシロウを戦火で駆け回らせた。
死ななければ負けではない。足掻き続ける人生には慣れている。だが、踏み躙られ、奪われることを許容するほどに、腰抜けとして長寿する気は毛頭ない。
シロウの覚悟は揺るがなかった。
返答は胸元の無線機から叩きつけるようなノイズとともに、レッドの怒りと焦燥を含ませた音声だった。
『シロウ! あんた、また無茶してるでしょ!』
『……俺のことは放っておけ。ナナと逃げるんだ。想定以上の戦力だ。乱戦がいつまでも続くわけじゃない……まぁ、適当に相手したら、頃合いを見つけて逃げるさ』
『そんな馬鹿なことできるわけないでしょ! それに逃げるのはあんたの方よ!! 向こうから“気味の悪い気配”が近づいてくる……胸騒ぎがするわ』
『逃げたいのは山々だが、もう囲まれている。すぐに居場所も割れるだろうな。だからこそ派手に暴れてやるさ』
『絶対見捨てないわよ! 煙草を返す約束を忘れたの!?』
『あぁ、そうだったな。借りた金もまだ沢山あるんだった──』
その瞬間、シロウの無線機からノイズが激しく乱れ、通信は遮断される。
訝しげにシロウは辺りを警戒した瞬間、複数の足音がひび割れたアスファルトを蹴りつけるように響いた。
悪臭が酷い。おおよそ変異性生物だろう。そして自身を嗅覚で追跡しているのだと、そう考えて、シロウの表情に険しさが増していく。
背中を預けた荷物からゆっくりと姿勢を正すと、M4カービンのグリップを握る掌に緊張が走る。気配は次第に近付いて来ていた。
短い時間で発見されることに、シロウの眉間にしわが刻まれる。
古びた建材や積み上げられた荷物を境に、荒々しい呼吸音が鼓膜に届くほどの距離まで迫ってきていた。
シロウは冷静に遮蔽物に潜むと、反撃のタイミングを窺う。
──しかし、その機会は訪れなかった。
突如、辺りから弾かれたような発狂にも近い断末魔が上がる。それに反応した大量の変異性生物たちは、瞬く間に音の方向へ引き寄せられてその場を後にした。
暫くの沈黙を空け、緊張の糸が切れたようにため息を吐き出すシロウは、不幸にも再び体が硬直することになる。
周辺を立ち去った変異性生物たちの絶叫と、血肉を斬り刻む剣圧を聴覚に捉えたからだ。
緊迫を孕んだシロウの背後からは、何者かが争う騒音が鳴り続き、風を巻き付けるような斬撃音と、切断された瞬間に弾ける血飛沫の濃厚な刺激臭。直感は逃げろと告げていた。
「レッド……気味の悪い気配ってのに追いつかれちまったぜ……」
シロウは愚痴を吐くように独り言を囁いた。
銃声を掻い潜る突風のような薙ぎ払いが倉庫隅にでも響いて揺れている。背後では鋭い爪と鋼鉄が弾ける衝撃音が、割れた不協和音を打ち鳴らす。
戦闘の終わりを告げるように気味の悪い静寂が訪れ、騒音が止んだことを確認する。
シロウは警戒しながらも様子を窺ってみる。そのあまりの光景は、想像を遥かに超えていた。
シロウが身を潜めていた錆びついたヤード辺りは、地獄絵図として熾烈な戦闘痕を刻み、血の一色に塗り潰されていたからだ。
ならず者、変異性生物、分け隔てなく“細切れに斬り刻まれて”原型を失うほどの殺戮が散っている。
視界に映る人物が本当に人間なのか、シロウは疑問だった。
喉元を締め付けられるような錯覚を覚える畏怖感に、指先は無意識に震えている。修羅の如き行いを体現した存在は、不自然にも一滴の返り血も浴びてはいなかった。
純白に飾られた外套で全身を蔽うその存在は静かに佇み、外套を目深く被る視線の先は、何者かの跡を追うように不気味さを漂わせている。
風を纏うように端然としたその姿は、決して薄汚いならず者などではなかった。しかし、タチの悪さという意味では、禍々しいほどの危険を宿している。
外套が廃倉庫群を擦り抜ける隙間風に吹かれ、夕焼けに反射する明暗が彫刻画のように輪郭を映していく。
そして存在を浮き彫りにして、覗かせた端正な顔立ちを際立たせた。
シロウはその容姿を凝視せずにはいられなかった。息を呑んで見据えたその視線の先に、体の芯から凍えるほどに強張る理由があった。
それは切り揃えられた美しい前髪ではない。埃一つ被らない白く冷たい肌でもない。その鋭利に飛び出すように生えた──長い耳に恐怖した。
冒険者たちから畏怖される死の君臨者。“長耳”と恐れられ、危険視された存在に、遭遇してしまったことに戦慄を覚えたからだ。




