第28話 夕暮れの追跡
夕暮れ時、シロウは走っていた。
口元を大きく開いて息を吐き出し、振り絞るように全力で駆ける。
またこの夢か。シロウは無意識にそう吐き捨てるように、幻影の世界は動いていく。
体は小さく、丁度ナナくらいの年齢と体格だ。骨の線が浮き彫りになるような貧相な体は栄養が足りず、過酷なスラムで日々を辛うじて生存した結果であった。
街同士の紛争で、既に吸収されて滅んだ掃き溜めのような小さな街。大人は少なく、食料も全くなかった。
人攫いから逃れるために気配の消し方、瞬発的な駆け方は生き残るために磨かれ続けていく。
子供達は街に立ち寄る旅人から文字通り、命懸けで金銭や物品を盗み、質屋でその日過ごすには物足りない食料と交換していた。
シロウも痩せ細った体と、縮んで中身の詰まっていない胃袋を満たすため、追手から逃れる最中であった。黄昏の空はうっとおしいくらいに眩く、荒れ果てた街の光景を照らしている。
普段から使用している逃走経路に合流すると、シロウは安堵で口元を緩ませた。小柄な体を利用して狭い路地に入り込む。
追手の吐き捨てるような罵詈雑言を背に受け、細々とした狭い路地の奥へと逃げる。
汗だらけの長く乱れた髪の毛を、傷だらけの手で粗暴に整えると、息を落ち着かせながら自分だけの隠れ家に向かう。
陰で隠れ、薄汚れた布切れで覆った先には薄暗い路地の終点。シロウの住処があった。屋根はなく、簡易的なシートで雨の日はじっと耐えるしかない。
錆びた切れ味のないナイフと、最低限の荷物には微量の食料。今日命懸けで手に入れた物資を置くと、背中を壁に預けるように地面へとゆっくり座る。
窮屈そうに胃袋が鳴き、ため息が薄暗い路地にこぼれる。明日はもう少し羽振りが良い旅人を狙ってみようか、そう幼きシロウが思案していた時だった。
カモフラージュのために掛けていた薄汚れた布切れが風に揺れ、何かが近づいて来る気配がした。
シロウはゆっくりと気配を押し殺して立ち上がると、荷物を装備する。役に立たない錆びたナイフを構え、非常時の逃げ道、錆びた梯子を壁に立て掛ける。
「こんにちは。もうすぐ、こんばんはかな?」
その声は、スラムの子供にかけるには妙に優しすぎた。
ボロボロの布切れの先に重く伸びる影が佇んでいる。微かに布切れからは穴が開いており、視線だけが布を突き抜けて、シロウの皮膚を撫でているような妙な感覚だった。
その声の主は気配を消したはずの、怯えたシロウに構わずに話を続ける。
「何日も前から君を見ていたよ。君は足が速いね。その体でよくやるよ」
穴の開いた布切れから窺える人物に、シロウは背筋を冷たくした。
「あぁ、怖いかい? 大丈夫。今は僕はこの汚れた布切れから先には進まないよ。自主性を大事にしているんだ」
「……」
シロウは言葉が出なかった。何もわからず、数日前から自分が覗かれていることにすら気づいていなかった。
影が伸びた暗がりで、ボロボロの布切れを境に、恐怖が言葉を続けていく。
「僕と一緒に暮らそう。君みたいな子供を集めているんだ。大丈夫、皆仲良くしている。勇気を出して君からこの布切れを捲ることを期待しているよ」
「……」
「……そうか。じゃあゲームをしよう。君の得意な駆けっこだ。僕は追いかけるよ。自慢じゃないけど、僕も足は速い方なんだ。じゃあ、この布切れを捲るよ。それが合図だ」
氷のように冷淡な声音が、狭い路地に小さく響いた。その後、この暗がりの路地を住処にする者はいなかった。
あの時、もしあいつの言葉通りにこちらから向かえば、何かは変わっていたのだろうか? 必死に駆け、全力で逃げても掴まれる。あいつに捕まったシロウには、その答えがわからなかった。




