第21話 ラッキーセブン
早朝の肌寒さと、床下の木製フロアタイルの硬さにシロウは目覚めた。
自身の寝相の悪さを恨むと、ゆっくりと体を起こして昨晩の出来事を思い出す。
あれから結局レッドの乾杯は何度も続いた。シロウは飲み過ぎを阻止するために奪った酒を自身が最終的に浴びる程飲み干したあたりから、記憶が朧気で確かではない。
組合支部が直営する宿屋『レーヴタール』二階にある借り部屋は、酒の残り香と薄い埃っぽさで汚れていた。
隅に放り出された粗いブーツや、乱雑に脱ぎ捨てられたコートが昨晩の混乱を物語っている。口の中は砂漠のように乾燥して、鈍い痛みが頭に響いていた。
「ぐぅ……うぅ」
壁際に設置されたベッドには、レッドがナナに覆い被さるようにいまだ眠り続けている。
一見は仲睦まじい様子だが、実際はリスがヘビに巻き付かれ、締め上げられるようにレッドの豊満な胸に強引に沈められている。
顔面を圧迫されたナナの息苦しそうな声が部屋に広がっていた。窓の外から差し込む朝明けが普段よりも眩しく感じられる。まるでからかうように室内を照らしていた。
「水。いや、それよりも先に煙草だな」
シロウは窓辺に立つと、換気のために上下スライド窓を開く。朝焼けの太陽が昇る光に、瞼を細めながら煙草に火を燈した。
澄んだ冷気に混ざっては、頭上に消えていく煙草の煙を静かに見つめる。満足した様子で散らばった衣類を掴み取ると、身支度を整えた。
「おはようっ……ございます」
ナナが寝惚け面を残した表情で、助けを求めるように手をシロウへと向けた。その華奢な掌を掴むと、シロウはずるずると絡まった糸を解くように、レッドの拘束から解放していく。
レッドは温もりを求めて、彷徨う変異性生物のような奇妙なうめき声改め、寝惚け声を漏らすと、瞼を擦りながら「お腹空いたぁ」と口元を開いた。
「おはよう。なんか食うか」
シロウは煙草を味わいながら返事をすると、窓辺の壁に寄り掛かって外の景色を眺めた。朝焼けとともに旅立つ者や、支度を済ます商人たちがまばらに市場へと流れていく。
後ろではレッドとナナが装いを整えて、体を伸ばしていた。
「市場でヌードルでも食べましょ。今日は肌寒いから絶対おいしいわよ」
レッドはドア付近に立て掛けていたドラグノフ狙撃銃のスリングベルトを掴むと、早手回しに簡略な動作で銃身を構え、弾倉の確認とスコープを覗く。
「あっ! ……ブレて見える。二日酔いかも」
そして照れ隠しのように舌を出して苦笑いした。
一同は宿屋の一階に降りると、広々としたダイニングホールはガランと閑散に静まり返っていた。同業者の冒険者は居らず、テーブルには昨晩の空き瓶が残っている。
「昨日は楽しかったわね」
レッドは思い出すように口元を緩めた。
「俺はいつお前が狙撃銃で暴れだすか、肝を冷やしたよ」
シロウはため息を吐くと「酒が完全に抜けるまでは荒事を起こすなよ。街も安全じゃねぇぞ」とレッドを睨んだ。
宿屋のスイングドア扉を押し開けると、きしむ音とともに外気が流れ込む。宿の廊下よりも冷え込んだ空気には、人々の活気ある声が混ざっている。
ナナは両手を擦ると、息を吸い込むたびに肺がひんやりと冷たさを感じた。
「ヌードルの屋台はあっちよ。寒いから早く行きましょ」
レッドは小刻みに震えた体で指差すと、そそくさと歩き出した。
口元から浮かび上がる吐息は白い。淡く冷たい空気に溶け込むと、ふわりと消えていく。
市場は真昼間程の人混みはないにしろ、賑わいと人々の熱気を感じた。
道端には既に屋台の店主たちが手早く食材の準備を進めては、壺に漬け込んだ熟成の肉を鉄板の上で刻む。
ぐつぐつと食材が煮込まれたスープをおたまでかき混ぜる香りが、蒸気とともに立ち昇り、空腹で縮んだ胃袋を刺激する。
赤錆の目立つ看板に描かれたヌードルを見つけると、レッドはシロウとナナを促して早歩きをする。人混みをすり抜けながら奥に進むと、目当ての屋台が姿を現した。
熱が籠りやすいようにビニールシートが掛けられた屋台は、底から熱気とともに白い湯気が漏れ出ている。
「おっちゃん! 大盛り! 三人前!」
レッドは勢いよくビニールシートを捲ると、店内で沸騰する鍋をかき混ぜる老齢な店主に向かって大声で注文をした。
「おう。レディか。丁度良い。下ごしらえが済んだ所だ」
ビニールで覆われた店内は食欲がそそるスパイスの香りで広がっている。一同は小さな横一列のカウンター下の丸椅子に腰を下ろした。
注文を受けた店主は手際がよかった。
麺を湯の中に投げ込むと湯気が立ち昇る中、長年の経験で培った無駄のない動作で、どんぶり鉢にタイミングを見計らった麺を乗せる。
刻んだ野菜類と細切れの唐辛子を上に被せ、艶と脂身が浮かび上がったスープが注がれる音を一同は心地よく感じていた。
そして今度は小型のバーナーで壺に漬け込まれた分厚く切り揃えられた猪肉を、網の上に乗せて炙り始める。
「お、美味しそうです」
半開きになった唇から涎が漏れるのを手の平で隠すナナは、店主の卓越した手さばきと、網目の跡が残る炙られた猪肉の香ばしさで胃袋が鳴いた。
程なくして運ばれてきた湯気が立ち昇るどんぶりを前に、一同は息を呑みこむと箸を手に取った。
たっぷりと具材が乗った熱々のヌードルは、冷えた空腹の胃袋を温めて満たしてくれる。厚切りの猪肉を味わうと、口元からこぼれ落ちそうなほどの肉汁とスープの出汁の旨みが、絶妙に絡み合って食欲を掻き立てる。
太麺のコシのある噛み応えに満足すると、レンゲでスープのコクを味わう。
空腹で研ぎ澄まされた食欲を満たされた一同は、満面の笑みで「ごちそうさまでした!」と店主に感謝を告げると、レッドはカウンターに銀貨を一枚置いた。
「こんなにいつも悪いねぇ」
店主が銀貨を大事そうに受け取ると頭を下げる。
「この屋台だけは絶対潰させないわ」
グッドサインを掲げるレッドは笑いながら説明する。
「ここはあたしのお気に入りの屋台なの。おっちゃんとも古い付き合いよ。ナナちゃんは、あたしが普通の人とは少し違うってことは、前にシロウから話を聞いた?」
「はい。この世界の話を伺った時に、長耳と人間の混血種だと教えて頂きました」
「そうね。実はナナちゃんに特別な力があるように、あたしにも『ギフト』があるの」
「そうなんですか!?」
ナナは思わず瞳を見開いた。
「そんな大層な力じゃないんだけどね。あたしはギフトの力で『風が視える』のよ」
「風が視えるってどんな感じなんですか?」
レッドの黄緑色の瞳を覗き込むように、まじまじと顔を近づけたナナに、照れたようにレッドは笑った。
「あはは。ナナちゃん近づいたって、あたしと同じもんは視えないよ。そうねぇ、風の向きや強弱、どう流れるのか。風を読めるのは便利ね。あとは色が薄っすら見えるかな」
「……色ですか?」
ナナは興味深そうに尋ねた。
「そう、色よ。人の思念が強い時に風と一緒に流れてくるの。血生臭い所は濃厚に遠くからでも視えるわ。だからあたしと、この万年ボンクラ金欠男と一緒にいれば、他の徒党を組んだ冒険者達と比べても安全よ」
レッドの説明にナナは興味津々だった。
「凄く強い『ギフト』ですね! わたしも皆さんと一緒に戦えるようになりたいです」
「気持ちは嬉しいわ。ただね、強すぎる力は目立ってしまうの」
レッドは優しくナナの頭を撫でると諭すように語る。
「噂だと高レベルの変異性生物や長耳との戦いに備えた旧文明復興軍『イザリヤ』が、大規模な軍隊を組織してるみたい。最近は半強制的な徴兵もしているらしいわ。だからこそ余計ないざこざに巻き込まれないように、力は秘密にしないといけない」
「わかりました。他の方にバレない様に気を付けます」
ナナはレッドの忠告に素直に頷く。
「ところで、話は変わるんだけど……」
唐突に、レッドは何やら照れくさそうに呟いた。
「なんだ。急にどうした?」
シロウはレッドの微妙な変化の間に首を傾げた。
「……徒党も結成したので、ここで将来の夢について語りたいと、思いますっ!」
突然、弾かれたように、レッドは頬を染めながら声高らかに宣言した。
「本当どうした! マジで話が変わったな」
シロウは驚愕した様子でレッドを凝視した。
「あたしは将来ね。料理屋を開いて、皆で街一番の料理屋を営みたいの!」
「夢を語るなんて縁起でもねぇ」
シロウは一蹴すると、カウンターに肘を置いた。腰を落ち着けるように胡坐をかきながら言葉を続ける。
「相手を始末する時に、いろんなこと考えちまったらお前が殺されるぞ? シンプルな思考の奴が一番、手早く引き金を引けるんだ」
ナナを一瞥したシロウは頭を掻きながら苦笑する。
「それで日銭を稼いだって、いつかは腕は衰えるわ。人には生きるために夢が必要よ」
「それが料理屋か? 俺に客引きでもさせるってか」
呆れたようにシロウは軽口をたたく。
「いいわねぇ。バニーガールのコスチュームでも、着させようかしら?」
「勘弁してくれ」
名案を閃いた面持ちのレッドを、押し退けるように即答にシロウは却下する。
「これから組合支部で、あたしたち三人の徒党を申請するのに名前が必要でしょ? だから冒険者として名を上げて、最終的には料理屋を開業するわよ!」
「……ちなみに名前の候補はあんのか?」
シロウは呆れた様子でレッドに質問した。
「天下一品」
「そのまんま料理屋の名前じゃねぇか! もっと冒険者として成り上がる名前はないのか」
「そういうあんたが一案出しなさいよ」
レッドはレンゲを握ると、シロウに矛先を向けた。
「……いきなりじゃ浮かばねぇよ」
唐突にレンゲを突き出されたシロウに一案は閃かない。
「ナナちゃん。何か良い名前ある?」
次の矛先は、スープまで完食したナナだった。
「えっと、わたしは皆さんのおかげで、運良く助けてもらえたから。ラッキーセブンとかどうですか?」
ナナは突然の振りにたじろぎ、言葉を探しながらなんとか案を絞り出した。
「悪くはねぇな……ゲン担ぎになるかもしれない」
ナナの一案にシロウが乗った。
「ナナちゃんの案を採用! これから組合で申請しに行くわよ! 善は急げってね」
レッドは勢いよく木製の丸椅子から立ち上がると、満面の笑みでビニールシートを捲る。
「おっちゃん。また寄るわよ! ごちそうさま!」
「こっちこそだよ。またおいで。皆さんもね」
挨拶を交わした一同は屋台を出る。すると、レッドは無言で懐からシロウへ小袋を渡した。指先にずしりとした重みを残す小袋を、シロウはしげしげと観察しながら握り締めた。
「……どうした? ご褒美を頂くほどには、まだ徳は積んじゃいねぇぞ」
「そのお金で武器を新調なさい。これからは、あたしの背中を守るだけじゃ足りないわ。いつまでもあり合わせの刃物や、使い込んでガタついた銃じゃ乗り越えれないでしょ?」
シロウは小袋の縛られ口を緩めて中身を覗き込む。すると、鈍く輝く金貨と銀貨が幾枚も詰まっていた。
レッドホルン街で金貨一枚は銀貨三十枚分の価値があり、一カ月は暮らせる。
「金貨なんて久しぶりに拝んだぜ。ここまでの大金を武器にぶっこむって、さすがにやりすぎだろ?」
レッドの懐から差し出された大金の使い道に、シロウは思わず焦った。
「先行投資よ。あんたが馬鹿みたいに毎度バイクの改造に有り金突っ込むから、こっちは趣味が貯金になっちゃったわ」
呆れた様子でレッドは話す。
「……すまん」
シロウは頭を下げながらナナに視線を落とした。
守る対象は増えたが覚悟の上だ。視線を交わしたナナは心持ちか、不安を感じさせない眼差しで応えてくれている。
「あんたは自分の役割をしっかり果たせばいいのよ。心配ばっかりしたってしょうがないでしょ」
シロウの額を人差し指で小突くレッドは「あたしとナナちゃんは組合で徒党の手続きに行くから、あんたはここに向かいなさい」と一枚の手書きのメモ用紙を渡した。
「ここは? 武器屋なら組合支部の大通り沿いに、デカい店が一軒あるじゃないか」
「あそこは駄目。値が張るだけで大した武器はないわ。メモに書かれた場所に向かって、そこなら非合法だけど……“まともな店じゃない分”腕は確かよ。合言葉を伝えれば、良い銃をきっと譲ってくれるわ」
「合言葉? どいつも好きだな。……“脚立は足りてるか”なんだこれ?」
「行けばわかるわ。案外気が合うかもね。用事が済んだら宿屋で落ち合いましょう」
レッドはそう告げると、ナナと共に組合支部へと向かった。
シロウは小袋の縛られ口をきつく結び直すと、煙草を吹かしながらメモ用紙片手に、記された目的地に向かって歩き出した。




