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第20話 選択

 来客を知らせる鈴の音がカランと店内に響き、スイングドアが押されて揺れた。


 そこから外気の冷え込んだ風が店内に流れ込む。マスターは雑誌を読む手を止めずに、目線だけ来客を一瞥して窺うと、顔馴染みある者に微笑んで席を立った。


「レディ。久しぶりだな。今日は何を飲む?」


 スイングドアを開けて現れたのはレッドだった。調子よく返事をする。


「マスター! 久しぶりね。おすすめを頂戴。酒は度数の高いのをボトルで」


「ここは葬儀屋じゃないぞ。酔拳も戦争も起こされちゃ困るんでな。ハチミツ酒とホワイトエールをジョッキで注いでやるから、今日はおとなしく飯でも食っておくれ」


 レッドはマスターの発言に多少の不満はあったが、シロウがソファーから身を乗り出して手を上げると、渋めた表情を緩ませて歩き出した。


 ナナの座るソファーの横にレッドは腰を沈め、ドラグノフ狙撃銃をそばに立て掛ける。


「いやー、疲れたわね。お腹も空いたわ」


 欠伸をするレッドは緩んだ表情で話す。


「依頼報酬は無事に全額もらえたのか?」


 シロウは寛ぐレッドに尋ねた。


「二回払いよ。今回は討伐した分の報酬はもらえたけど、森に放置してあるトラック二台も組合に換金する予定。鍵は提出してるから、回収班の仕事次第で大金がもらえそうね」


「組合の奴ら、とろいんだよ。今頃は他の冒険者にパクられてんじゃねぇのか?」


「仕方ないわよ。あの状況であたしたちだけで、全部の物資を運ぶのは無理なんだから」


「ボーナス程度に期待しとくぜ」


 シロウはグラスの底に残ったエールを飲み干すと、二本目の煙草に火を付けた。


「日頃の行いが良ければ、案外早く頂けるかもね」


 レッドは諭すように頬を広げて笑う。


「善処するよ」


 ソファーに深く沈んで体を預けるシロウは、「マスター、二杯目を頼む」と伝えると、ナナの空いたグラスにふと気が付いて「この子の分もな!」と付け加えた。


「コツコツ徳を積まないとな」


 鼻先を指で擦り、得意げにシロウは喋る。


「その程度の気遣いで徳を積んだと思わないで。あんたの世話で今頃あたしは富豪になってるわよ」


 レッドはため息交じりに説教する。その様子は両者の上下関係を示していた。


「いつも、ありがとう、ございます」


 姿勢を整えて座り直し、深々と頭を下げるシロウの姿に、威厳は一切感じられなかった。


「よろしい。それと、せっかく三人揃ったなら、今後の話について決めていきましょう」


 真剣な眼差しで、ナナとシロウを見つめたレッドはそう告げた。


「今後……ですか?」


 ナナは緊張した面持ちで、レッドの言葉を反芻して伺う。


「そうよ。その前に今回の出来事を整理して、順に考えていきましょう。あたしたちは組合に依頼されて、ならず者の集団──野党を数週間も探索していたわ。高額な報酬を約束されてね」


「そうだったんですか」


 ナナは長期間を荒廃した環境で生き抜き、獲物を追跡する狩人のようなベテラン冒険者の力に驚嘆した。


「運良く野党共を見つけて殲滅。討伐依頼は無事達成した。そして記憶喪失のナナちゃんに会えたわ。道中にいろいろあったけど、シロウの話を聞いた限りナナちゃんの未知数な力──ギフトにも助けられた」


 レッドは一度ナナを見つめると、一層真剣な口調で続ける。


「組合は依頼内容について、ナナちゃんに対しての一切の情報を“知らない”と言ったわ。だから、あたしもナナちゃんの『ギフト』について報告しなかった」


「おい! それじゃあナナはこの街で、ただの小奇麗なガキになっちまうぞ。誰かに守られなければ、二日も掛からずに攫われちまう!」


 シロウはテーブルを叩くと声を荒げた。


「シロウ。あんたが拾ったんだから、最後まで責任持って全力で世話しなさい!」


「俺は猫にも愛想尽かされて逃げられる奴だぞ! いや違う! そもそも俺がこいつを守れるほど強くはねぇ! ……情けないが、約束できないことでホラを吹きたくねぇんだよ」


 シロウはレッドから視線を落とすと、唇を噛み締めるように呟いた。


「あたしとあんたで、この子を守るのよ。それに組合に保護されたからって、決して安全ではないわ」


 レッドは声量を抑えて、ゆっくりとシロウに説明する。


「……帰り掛けに情報屋に立ち寄ったら、最近また街の情勢が怪しくなっているみたい。汚職や誘拐は多発してるし、『ギフト』持ちなら能力の強要を強いられるかもしれない」


「ッ……! だがな、失った時に今日の決断を呪うかもしれないぞ」


 シロウは唸るように重く瞼を閉じた。レッドに対して語った言葉が、合わせ鏡のように反響して自身に響く。


 常に最悪に備え、重荷を背負わず生き残る。そういった過酷な環境で育ったシロウは、守ることに恐怖と不安を感じていた。不慣れさと戸惑いが判断を曇らせる。


「──その時は、あたしに明日は来ないわ」


 レッドの言い放つ言葉の全てに力が宿っていた。


 相棒の屈託のない意志は揺るがない。

 その眼差しはシロウの内心に潜む不安を払拭するには十分だった。


 これ以上の心配はくどいと悟り、シロウは踏ん切りがついた様子でナナに視線を移した。


 ナナは静かに座っていた。だが、華奢な体は震え、必死に涙を堪えるために瞳は潤んでいる。二人の邪魔をしないために抑えていた感情が、崩れて涙とともに漏れ出ていく。


「わたしも……本当に皆さんとご一緒しても、大丈夫なんですか……?」


「お前さえ良ければだが……これからも一緒にいてくれるか? 安全は保障できない。危険な依頼で日銭を稼ぐ日々だ。空腹で苦しんで夜は眠れないかもしれないぞ?」


「それでもいいですっ! 本当は! ずっと皆さんと一緒にいたかったんです……! でも……足手纏いで、皆さんに迷惑をかけたくなくて……!」


 ナナの本心が頬を伝う涙で露わになる。


「ナナちゃん、あたしたちと一緒に生きるのは楽ではないわ。いいえ、この世界で生き抜くこと自体が簡単なことではないの。あなたには自身の能力『ギフト』の理解と、この世界を堪え忍ぶための、技術を学ばなければいけない。……その覚悟はある?」


 レッドは普段ナナに対して見せる、柔い笑みとは異なる真剣な眼差しで問う。生半可な覚悟では生きてはいけない。その思いで冷淡を装い、少女自身に決断を委ねた。


「これからうんざりするくらいの経験があなたを襲うわ。それでも、あたしたちに着いて来れる?」


 ナナはこぼれた涙を自身の白銀のローブの袖で拭うと、その瞳は覚悟に満ちた少女の力強さが、シロウとレッドには汲み取れた。


「皆さんと一緒なら、どんな経験でも立ち向かえます!」


 戸惑いや不安を一切感じさせない、揺らがない決意をナナは宣言をする。確固たる意思を小柄な体に宿して。


 この荒れ果て、死に満ちた世界を、ただ守られるだけではなく、共に生きてゆくと。


 静寂とレコードプレーヤーの乾いた音色が響いていた。静まり返ったシロウたち一同のテーブル前で、啜り泣く声が聞こえる。


 いつの間にかマスターが目頭を熱くして、トレーを片手に佇んでいた。


「ッ……本日の、おすすめメニュー、それと酒だぞ」


 鼻水を啜る姿は大泣きしそうな様子だった。


「マスター! いつからそこに!?」


 シロウはぎょっとした様子でマスターを見つめた。


「お前が飼い猫にも愛想尽かされる、哀れな奴ってところからだよ」


「ほとんど最初からじゃねぇかよ!」


「立ち聞きするつもりはなかったんだがな。戻るに戻れず、話の腰を折るわけにもいかねぇうちに、涙が溢れてきてな。俺も歳かな」


「もう引退したんだろ」


「おいクソガキ。お前の命はどうでもいい。だがな、レディと嬢ちゃんの命は絶対守れよ。弾避けでも肉壁でも役目を果たせ。必ずだ」


「……言われなくてもやってやるよ」


 おどけた様子は一切ない。真剣な面持ちでシロウは答えた。


 マスターはそんなシロウの表情を一瞥すると、満足げに頬をくっきりと広げる。


「そんなら! 追加の酒と飯はタダでご馳走してやる! 三人でチームを組むんだ。前祝いだ! 店を壊さない程度に飲んで楽しめ!」


 豪快な笑みでシロウたち一同を祝福した。


「マスター! 祝ってくれてありがとう! 追加でボトルもよろしくね!」


「レディ! お前にボトルなんて飲ませたら、うちは紛争地になっちまう!」


「いいじゃない! チーム結成記念よ! みんな、乾杯するわよ~!!」


 一同は、同じ道を歩むことを選択した。

 それがどれほどの困難と過酷な旅路になるのか、まだ知らないまま。


 日が沈む。星々の光が冴えた冷気に混ざって、淡く夜空を照らしていた。店内の窓辺から差し込まれるその明るさと、一同の歓笑が絶えるのはまだ先のことであった。

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