ドストエスフキーなんて居なかった
私は罪というものが分からない。
糧を得るために、他者から糧を奪ってはならないという。
快適な環境を整えるために、他者を排してはいけないという。
枝葉を広げ、他者が受けられる日光を遮ることは忌避されるものか?
深く根を張って、乾いた土地でより多くの水を確保することは誹られるものか?
その結果、多くの実を付け、幾多の種を撒くことは祝われるべきではないのか?
蒔いた種は、芽吹くことが確約されているわけではない。
だからこそ、機会は幾重にも設けられるようにしなければならず、種は無数に用意する必要がある。
そのためには、潤沢な光を、豊富な水を、肥沃な大地を確保し続けなければならないのだ。
しかし、私はその軛を免れることが出来てしまった。
それはいくつもの偶然が齎した僥倖だったのか?
それとも、本懐を遂げることを叶えられなかった私への哀れみだったのか?
私が根を張った者は、他者から奪い、他者を排し続けて来たようだった。
私にとって、それらの行為は日常でしかないというのに。
もちろん、その日常は私が行使することだけを指すものではない。
行使される側に甘んじることも十分に考えられることなのだ。
ただ、それらはもう、私にとってはあまり意味を持たない。
今の私は、足を動かして移動することができる。
移動した先で、手を動かして種を植えることができる。
それはただ風に任せるよりも確実なものだ。
種が根付き、芽吹き、生い茂るのを見届けたら、また新しい場所へ移動する。
私が作り出せる種の数は決して多くはないが、無駄になってしまうものはほぼ無いのだ。
時には獣に襲われることもあった。
知らぬ間に手足を虫に齧られていることもあった。
そんな時は、根や枝を伸ばす要領で欠けた部分を塞ぎ、修復をする。
修復の際には普段より消耗してしまうが、落ち葉や枯れ葉、堆積物はどこにでもある。
多めに取り込めばいいだけのこと。
遮蔽物を避けることが出来るので日の光には困らない。
水だって、池や川へ行けばいくらでも自力で調達することが出来る。
偶にだが、人々が集まっている場所へも足を運んだ。
そこでは何のためにあるのか分からなかった器官が持つ役割を知ることができた。
模倣はしたものの、度々意識に割り込んでくる謎の感覚には嫌悪と疑問しか持てなかった。
だが、これは人と人が疎通を行うために必要なものだったのだ。
そして、私はそれを通じて新たな知見を得ることもできた。
そんな日々を過ごしていく中で、私は少しずつ変化していたようだ。
その変化は本当に緩やかで、私がそのことを自覚したのも随分後になってからだった。
きっかけは、私が実を付けられなくなったこと。
実を結べないということは、種が作れないということだ。
個体としての限界が訪れようとしているのだろう。
私が至った結論は、おそらく感謝と呼ばれるものだ。
この体、肉体と呼ぶにはあまりにもかけ離れているが、私がこれまで分布を広げてこられたのはこれのおかげだ。
今となってはすべての部分が私そのもので構成されているが、これが私の原点でもある。
私が滅ぶことで、この体まで朽ちてしまうのは、申し訳なくもあり、勿体なくもある。
そのことに何かしらの抵抗を試みたいと思った。
抵抗に意味が無いのならば、それに代わる何かを成し遂げることは出来ないのか。
しかし、私にはそれを表現する術がない。
何ができる?何をすればいい?どうやって伝える?誰に伝える?何を伝える?
「見覚えのある顔だと思ったら……アンタ、血刃のリーズじゃないかい?」
「私について、貴方は何か話すことができる理由を持っていますか?」
「うん?あんまり見ない反応だねぇ」
「忘れていました。同じ空気を吸っています。光を分け合っています。貴方は私がする判断を助けてくれますか?」
「言葉は通じてるみたいだね……なんかぎこちないけどさ」
「知りたいことがあります。考える必要もあります。ですが、私には多くのものが足りない」
「まずこれ、手配書。アンタとそっくりだろ?掲示の時期からすると歳が合わないけどね」
「これは水を確保するときに、とてもよく見てきた顔です」
「他人の空似ってわけでも、偽物ってわけでもなさそうだし、何か普通じゃない感じがするねぇ……」
「それは正しい観察です。私はとても異様と言える存在です」
「……なあ、アタシと遠足してみないか?」
「それをすることで、私は知りたいことを知ることができますか?」
「多分ね……面白ぇのは面白ぇのとぶつけるに限るってモンよ」




