甘味処【虹】
「ごきげんよう。ベリュレイ子爵令嬢」
「ごきげんよう。ニリング伯爵令嬢」
「貴女はもう、いただきまして?」
「――と、おっしゃいますと?」
「街で噂の、シャコラという甘味のことですわ」
「ええ、それはもちろん、ですが?」
「実はわたくし、まだ機会に恵まれておりませんの」
「それは……お気の毒と言わざるを得ませんね……」
「伯爵令嬢という身の上を、こんなにも疎ましく思ったのは、生まれて初めてよ」
「雨上がりの日にしか開店いたしませんもの。お忙しいニリング伯爵令嬢におかれましては――」
「やめて頂戴な。今はわたくし達だけ、畏まった物言いは不要です」
「では……仰せのままに」
「それで、一体どのようなものなのかしら?」
「そうですね……幸せの味、神秘の味、罪の味、芳醇な香りと甘さが互いに引き立て合う、新しい体験」
「素晴らしいということは分かるのですが……それでは想像だにできません」
「それはそうです。あの衝撃を他のお菓子や果物に例える術を、私は持ちません」
「似たようなものが存在しない、ということね」
「そうなります」
「使用人が言っていたわ。雨の日は憂鬱だったけれど、シャコラの報せだと思えば心が躍る。と」
「その気持ちは、分かってしまいますわね」
「ああ、口惜しいですわ。お父様にお願いしても駄目でしたのよ」
「侯爵家ですら、あの店の虜。なればこそ横紙破りな振る舞いは、家を滅ぼし兼ねません」
「ままならないものだわ」
「我が家の料理番に試食させ、再現を試みたこともあったのですが、素材の判別すら叶いませんでした」
「そうね、似たようなものが作れるのなら、名家がこぞってあの店に固執してはいないわね」
「徹底した秘密主義で、厨房には店員ですら立ち入れないのだとか」
「ああ、それは聞いたことがありますわ。業を煮やしたとある商家が、レシピを盗むために密偵を送り込んだ話も……ね?」
「ええ、神聖な厨房は無粋を拒み、秘密を暴こうとした密偵は、錯乱して自傷を繰り返す廃人同然の姿で発見されたとか……」
「あくまで噂でしかないけれど、恐ろしい話ね」
「でも、どうして毎日営業しないのかしら?そうすれば大儲けできるし、わたくしも口にすることが……」
「オーナーが、ちょっと変わり者だそうですよ」
「変わり者?」
「お金は店舗の維持に必要な分だけ、美味しいという客の感想が何よりなんだとか」
「そうだわ、使用人の給金でも足繫く通えるということは……そこまで高額ではないのよね?」
「毎日通い詰めるならわかりませんが、何せ雨上がりの日限定ですし……」
「はぁ、どうにかできないものかしら……いっそ、お稽古を抜け出して――」
「ニリング伯爵令嬢、貴方はわたくしの懺悔を共有し、秘密を守り通すと誓えますか?」
「どうしたの?いきなり改まって」
「どうかお願いです。一言、誓うと仰ってください」
「わかったわ――いえ、分かりましたわ。ここに誓います」
「実はわたくし、シャコラを持っております」
「!」
「貴女?どうして!」
「淑女にあるまじき行いですが、わざと食べ残し、服の中に忍ばせて持ち出しました」
「まさか、わたくしのために?」
「わたくし如きの食べ残しなどを差し上げるのは、甚だ無礼なことと存じてはおりますが……」
「そんなこと、咎められるわけがないじゃない!」
「日持ちしないもののようですし、ここで消却なさってください」
「ああ……これが幸せの味、奇跡の味、罪の味なのね……確かに、例えるものが思い当たらないわ」
「お気に召されたなら、よかったです」
「貴女は何物にも代えられない献身を示したわ。わたくしは全力でそれに応えます」
「いえ、そんな大袈裟なことではないのです。ただ、喜んでいただきたくて」
「貴女、うちの弟と婚約なさい」
「ええ?こ、困りますぅ」




