混ぜるな起源
偉大なるパランチの教えを多くの人に説き、崇め奉るよう入信者を募るのが私の使命だ。
いつからだろうか?使命だと思っていたことを仕事だと感じるようになったのは……
偉大なるパランチの教えを多くの人に説き、崇め奉るよう改宗を促すのが私の仕事だ。
それでも、やりがいのある仕事だと自らを奮い立たせられるなら問題はないのかもしれない。
偉大なるパランチの教えを多くの人に説き、崇め奉るよう誘導するのは私の受け持つ作業だ。
それをただの作業と感じるようになると、最早苦行と変わらない。
私は人の顔色や息遣い、視線などから、その内心を推し量れるよう訓練を受けた。
獣人や鱗人が相手では、求められる技能が異なるらしい。
そちらはそちらで専用の訓練があるようだが、詳しいことは分からない。
しかし、知る必要も無い。私が彼らに接することは無いからだ。
彼らには彼ら用の訓練を受けた者が対応することになっている。
ならば、パランチの教えとは一体何なのだ?
万人を相手取るものでなく、相手によって対応を変えなければならないほど小賢しいものなのか?
また、寄進によって資金を集め、荘厳な宮殿を建立し、立派な神像を納め、豪華な経典を刷る。
そうしなければ、パランチが低く見積もられてしまう……つまりはその程度の存在と証明しているようなものではないのか?
……だが私には何もない。
自分自身を誇れるものが何もない。
ならばせめて、正しく偉大である神を奉じ続けるのだ。
奉じている神が、正しく偉大であることが、私の誇りであり、価値でもあるからだ。
そんなものは虚飾に過ぎないと、自分でも気が付いている。
しかし、今更そんなことを認めるわけにはいかないのだ。
――そう思っていた……先刻までは。
我、真の師を得たり。
師曰く、現世の遍く諸々には神が宿っているのだという。
そして、神々は我々に何一つ課すことは無いという。
ただ我々の行いを見守ってくださるのだと……人々はその神々に顔向けできぬことを避け、胸を張って対峙できるよう心掛けるというのだ。
そのことを指して神を見出すと諭していただいたが、神には特定の姿も名前も無いという。
ならば、何に神を見出すかは己の内に委ねられている。
つまり、これは自らの内に神を作り出すということだ。
何より素晴らしいのは、他者の信じているものを否定してはならないという点にある。
これは相手の考えを尊重する限り、自分の考えもまた侵されることがないという誓約のようなものだ。
腰まで靡く暁色の御髪、鼻筋の通った吊り目がちの顔で、右の目に泣き黒子を持つ太陽の女神……エイレスィル。
幼さの残る顔立ちの右側を、闇夜の如き黒髪で遮り、微笑むような糸目に長いまつ毛を蓄えた月の女神……ウィレーセ。
これが私の考――いや、見出した神。
彼女たちが私のことを見守ってくれているのだ。
道義に悖る行いをすれば、とても彼女たちに顔向けなどできないだろう。
同時に、私の行い一つで、彼女たちの表情は輝きも曇りもすることになる。
言うまでもないことだが、彼女たちは私だけの神だ。
その御姿を他の者に伝える必要は無いし、他の者からの差し出口も無い。
それに比べ、経典や姿絵を買わされ、これがお前の信じる神だと押し付けられることの哀れさたるや……
しかし、それを否定してはならない。
パランチに縋り、救いを得た人もまた、確かに存在するはずなのだ。
一切の迷いを断ち切るというのは、人の身にはあまりにも重く、困難なことなのだから……
私はただ、それとは異なる道を知ったというだけのこと。
私がすべきことは、パランチ教を否定することではない。
信仰に、そして教義に、何かしらの疑問を持つ人々に、「このような考え方もある」と伝えるだけ。
そして、良いものは取り入れ、更に良いものに変えていく……これも師の教えの一つ。
ならば、大清掃の儀や迎雨の合餐など、信徒以外にも広く開放できるものから始めるのが良いだろう。
パランチ教の祭祀として執り行うのではなく、有志が集い、自発的に催される行楽に落とし込めば、誰しもが参加できるはずだ。
師よ、そして神々よ、どうかお見守りください。
私は今日より、あなた方の同志です。




