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嵐は夜に  作者: あおい
05
11/12

05-2

 目を閉じていながら、まぶたの向こうに日差しを感じている。

 車の振動は相変わらずで、でもスピードが減速してゆくのが分かった。


 数秒後、車は止まった。


「水玻璃ちゃん起きて。お家だよ」


 尚巳の声がした。

 ああ、そうか。もう地元に到着したのか。

 水玻璃の家から自宅まで、車でなら三十秒くらいである。もう起きなければ。起きたくはないのだが。


 水玻璃も目覚めたらしく、ふたりは挨拶を交わしている。助手席の扉が開き、閉じられた。

 車は再び発進したが、あっと言う間に自宅に到着してしまった。車が止まる。


 ――あれ? 止まった? ガレージに入れないのか?


 どう考えても公道に停車したとしか思えない。気になって、逆に意識が目覚めてしまった。

 ぱかっ、と目を開ける。車内にも窓の外の景色にも、特に違和感は無かった。いつも通りの、予想通りの景色である。


 運転席のドアが開き、尚巳が外に出た。


「車使う?」


「ああ。……龍壱、寝てるのか」


「ん。昨夜から今朝にかけて、ちょっと頑張ったから」


 ――〈ちょっと〉?


 ちょっと、と言う言葉に不満を覚えた。龍壱は必死で頑張ったのに。


「連れて行っていいかな」


「どこ行くんだよ」


「市長のとこ」


「ふぅん。連れて行くのはいいけどさ」


「ん?」


「とりあえず着替えさせた方がいい。あいつ今パンイチだから」


「……ナンだそれ」


 窓の外にひゅっ、と楓の顔が現れた。薄いフレームのメガネに真っ黒なストレートの髪、髪と同じ色の、切れ長の瞳がこっちを見ている。


「さっさと降りて、着替えて来い」


 彼の口が動いた。龍壱が渋々車から降りると、楓がとても冷たい視線を投げて寄越した。


「ヘンタイだな」


「だろ?」


「納得し合うな。好きでこんな格好してんじゃねぇつーの」


 車の外は寒かった。龍壱は慌てて自宅へと入る。



 今度は楓の運転で道を走る。ずうっと車に乗り続けて、身体が怠かった。


 市長は今、西区の救急病院に居るらしい。競技場に居たのだから、彼も被害者のひとりと言うわけだ。

 アビーは一週間くらいで復活する、と言っていた。今頃楓が行って何か出来るとは思えないけれど。


 ――いや、コイツの事だからビジネス的な付き合いがあるかも知れない。なら、単なる見舞いかぁ。


 それならそれで、龍壱を連れて行く理由は何だろう。


「お前のクラスメートもあちこちの病院に収容されてるんだろうなぁ。今から行く病院にも居るかもな?」


「まさか友達の見舞いしろとか、言わないよなぁ? 楓がさ」


「言わないねぇ。言うわけないねぇ」


「なら、何なんだよ。オレを連れて行く理由」


「一応、ナニかあった時のためのアシスト役。別に誰でもよかったけど、尚巳は徹夜したし長距離運転したし、疲れてるだろ」


 ――オレだって疲れてるつーの。


「弥生は引きこもりだしさー」


 ――で、残ったのはオレってか。なるほど。


 特に会話も弾まないまま、車は病院の駐車場に近づいていた。


「ん? あそこのパーキング込んでるか?」


 楓の言う通り、車が数台駐車場待ちをしている。


「昨日の今日だから、見舞い客も押し寄せて来てんだろ」


 理由を知らなければ異常な事態での入院なのだから、友人知人親戚が心配して押し寄せる事は、充分考えられた。


 車はパーキングではなくロータリーに入り、龍壱だけが降ろされた。


「じゃ俺、近くのパーキング回ってみるから。どこか分かりやすい所で待ってろ」


「へーい」と返事をし、龍壱は車を見送った。とは言え、どれくらい時間がかかるか分からない。


 ――大人しく順番待ちした方が早かったりしてな。まぁいいや。


 寒いので龍壱は、さっさと建物へ入る事にした。



 アルコールの臭い、と言うのだろうか。独特の臭いが強くて思わず鼻を摘む。

 これが病院と言う奴か。病院と言うのは人が生まれたり、亡くなったりする場所らしい。だから「あまり近づかない方がいい」と言われていた。

 確かに、人の霊がウロウロしていそうな場所に好き好んで行く事もない。


 けれど何だろうか、この雑然とした感じは。見舞いの人間なのだろうけど、人がムダに多い。

 昨日の影響なのだろうけれど、高校生みたいなグループがあちこちでたむろしてるし、とっしょりと話している大人は、走り回るアホガキを放置だ。


 ――これじゃその辺の大型スーパーと同じじゃねーか。俗だわぁ。


 ベンチがズラリと並ぶ場所を通り過ぎ、何となく奥へと進む。


「エレベーターあっちみたい」と言う誰かの声が聞こえた。

 ある程度、人の流れがある。龍壱はその流れから数歩横に離れて、それでも何となく流れには乗った。

 自分達だってとりあえず見舞いが目的なのだから、エレベーターホールがどこにあるのか確認しておこう。と思って。


 ――でも市長って、一般人と同じフロアだったりするのか? 個室ではあるんだろうけど。


 案内板、とか言う物は無いのだろうか。視線を壁に走らせる。

 少し先の、地図のような物が書かれているプレートが目に入った。あれかな? と思ってそっちに足を進めた時、である。


 女の子の悲鳴が聞こえた。

 悲鳴と言うか、絶叫だった。


 龍壱はギョッとして声がした方へ顔を向けた。少し先の、左奥の方から聞こえた気がする。


 他の奴らも驚いただろう、と思って龍壱は振り返った。

 けれど誰も、気にしている様子はない。


 聞こえなかったのか? いやまさか、あんなにハッキリ聞こえたのに。

 喉が引きつったような、腹筋と気持ちが爆発したかのような鋭い悲鳴だった。


 その時、傍を技師だか看護師だかの、白い制服を着た男が通りかかった。龍壱はその男の腕を捕まえる。


「うわっ! な、何ですかっ」


 二十代後半くらいの男は、目を見開いてこっちを見た。


「お前っ、今の悲鳴聞こえたろ!」


「は? ひ……悲鳴?」


「女の子のさ!」


「あ~、あの子? お兄ちゃんとケンカでもしてるんじゃないですか」


 苦笑いを浮かべる男の視線を追うと、幼稚園くらいの子が少し年上の少年と走り回っているのが見えた。


 ――ち、違……コイツ分かってねぇ! マジかっ。


 龍壱は男の腕を乱暴に放し、奥に向かって走る。


 他の人には聞こえていないのだ。と言う事は、異常なのである。

 悲鳴だけでも異常なのに、更にそれが他の人間が認知出来ないと言うのは、間違いなく完全なる〈異常〉なのだ。それ意外のナニモノでも無いと言う事だ。

 と、龍壱は考える。


 だから悠長に、ここで楓を待とうと言う気持ちにはなれなかった。あんな悲鳴を出すと言う事は切迫しているのだろうし、いつ来るか分からない楓など待ってはいられない。


 それほど長くない距離を走っている途中、龍壱はかくんっ、と膝が震えて力が抜けたのが分かった。

 あれっ? と思うと同時に走るのを止める。


 頭がボンヤリしそうになる。あれっ? あれっ? と、自分の進むべき方向を疑った。

 天井から空気のシャワーが降り注いで、それを浴びれば浴びるほど意識が混乱してしまいそうな感覚と言うか。


 結界、と言う言葉が脳裏を過る。


 龍壱は数歩後退して、左手を壁に当てた。この壁を真っすぐに行くのだ。それだけ考えていよう。


 幸い、向かう先から人が来る気配はない。

 エレベーターホールはもう通り過ぎていた。奥はシンとしていて、照明も何だか薄暗い。


 よし。と思って両目を閉じる。左手だけを頼りに、とにかく真っすぐ進むのだ。何も考えずに走るのだ。


 ――行くぞ。


 龍壱は走った。

 意識は左手に集中させて。

 トトトトトトトト、と自分の足音がリズミカルに聞こえて来る。


 ある時、左手がピクッと反応した。

 あっ、と思うのも束の間。

 左手は指先からスルッと伸びて、腕も伸びきった。


 目を開ける。

 真っすぐに続いていた壁が左に曲がったのだ。

 左腕を伸ばしている自分が、正面のガラスに映っている。

 ガラスの向こうは中庭のようだった。紫外線カットのガラスなのだろうか、うっすらと色が入っていて、どこか寂しい景色である。


 直進はここで行き止まりだ。

 廊下を曲がって更に歩く。


 さっきまでの、意識が飛びそうな感覚はもう無かった。意識が散りそうになる区域は、抜けられたのだ。邪魔者が入って来ないようにする〈結界〉だったのだろうと思う。


 改めて意識を奥へ向けると、ツンと鼻を突いて来る臭いがあった。アルコールではない、これは。


 ――血?


 病院なのだから血の臭いくらい、不思議ではないはず。

 だけど臭いの中に湿り気と体温を感じる。今現在、誰かが血を流している真っ最中、なのではないか?


「おい、誰か居るのか」


 問いかけてみるが、数秒待っても返事は無い。

 さっきまで聞こえていた、大勢の人の気配も全く聞こえなくなっていた。


 ――返事が出来ない、のか?


 血を流しているのなら気力も流れ出ているだろうし、だとしたらさっきの悲鳴も頷ける。

 龍壱は臭いを追った。スニーカーと床の摩擦音だけが、不快に響き渡る。



 階段を上ると臭いが強くなった。この階か? いや、まだ上だと鼻が教えてくれる。

 三階へ上がってすぐ見えた人影に、龍壱は驚いた。


 スーツを着た男が三人居るのだが、止まっている。身動きしないし、声も出さない。

 近づいて、目の前で手を振ってみた。無反応である。会話をしている瞬間を切り取った映像のようだった。


 鼻がくん、と臭いを感じ取る。

 龍壱は視線を動かした。病室の入り口が開いている。その中から強い血の臭いが流れ出していた。


 慎重に、部屋へ踏み込む。

 正面――ベッドの足元に黒い影が浮かんでいた。赤と黒のふたつの目玉らしきものが見える。

 それがこちらをギロリ、と見た。


 ――焦げ臭い。


 影の向こうにある窓が割れ、カーテンもズタズタになっていた。ガラスは床に飛び散っており、こちら側に向かって割られたものだと分かる。


『お……まえ、からも』


 ――えっ?


『あの娘の……が』


 よく分からないが〈気迫に押される〉と言うのだろうか?

 龍壱の足が一歩動き、スニーカーの下にガラスを感じた。体重を乗せるとそれはパリン、と砕けた。


 ふと右横を見ると、床に女の子が座り込んでいた。背中を壁に預けて、顔は俯いている。

 彼女のミニスカートから伸びる素足や両腕、そして胴体の前面にガラスが散りばめられている。

 ガラスは鋭い角度で身体に突き刺さり、多くがその肌にめり込んでいるようだ。そして血が流れていた。


 龍壱が嗅いでいたのは、この臭いだったようだ。


『お前からもぉ!』


 熱を帯びた風が吹き付けて来る。


 龍壱は視界の中で、こちらに向かって飛んで来る物体を捉えた。

 ベッドにぶつかった後、その反動で回転をしながらぶっ飛んで来る物体。


 龍壱は身を屈めて女の子を庇った。

 影の方に背中を向け、両腕を壁に押し当てる。


 肩に固い物が強くぶつかった。じーん、と筋肉が痺れる。

 かなり痛かったけれど、それでも覚悟したほどではなかった。


 大きな音を出して床に衝突したそれは、パイプイスだった。


「てっめぇ!」


 振り向いて思わず怒鳴ると、今度は黒いパネルがこちらを目がけて飛んで来る途中だった。

 うわっ、と思い壁の方に向き直り、頭を下げる。


 背中を衝撃が襲った。床にぶつかり部品が散らばる。それはテレビのモニターだった。

 ごほっ、と咳き込む。数秒、呼吸器が引きつった。


 ぎゅり……と、今度は床を摩擦する音が聞こえた。

 ぎくり、としてチラリと振り向くと、ベッドが動くのが分かった。ベッドは一旦、窓際まで引いてから、改めて。

 こっちへと向かって来た。スピードを上げて。


 傷ついた女の子が居る、逃げられない!

 抱き上げて廊下にその子を避難させられるのなら、まだよかった。

 彼女に刺さっているガラスは鋭角で、数が多くて、触れたり動かしたりすればそれを更に押し込む事になりそうで怖い。


 ――なのに、ベッド? ざけんじゃねーぞ!


 改めて彼女の前にしゃがみ込む。

 龍壱はベッドの方に背を向け、歯を噛み締め、腹に力を込めた。


 ガッツン! と一度ぶつかって来たかと思うと、ベッドはギュリギュリと音を立てながら引いて、再び龍壱の身体を襲って来た。


 ガッツン! ガッツン! ガッツン! ガッツン!


 背中の全体が痛く、熱くなって来た。

 口の中に鉄の味が広がる。歯を食いしばり過ぎたのか、口の中を切ったのかは、分からない。


 頭の中はぐるぐると、どうすればこの状況を変えられるのかと考える。

 けれどどう考えてもこの子が居る限り、動けないのだ。


 彼女の傷が深くなるのを分かった上で、廊下に連れ出していいだろうか。

 その際、偶然押し込んでしまった細かい欠片が、血管を通って細胞を傷つけてしまわないだろうか。

 その心臓まで到達し、突き刺さってしまったりしないだろうか。


 よくない事が次々と浮かんで来る。


 ガッツン! ガッツン! ガッツン! ガッツン!


 筋肉は更に熱を帯び、龍壱はイライラして来た。

 なぜ自分がこんな事を我慢しなければならないのだ。悪いのはどいつだ。


 あいつだ。あの、黒い影。

 低い声の小さな笑い声だって、最初から聞こえていた。今だって聞こえている。


「性格悪いんだよ、テメェ!」


 龍壱は上半身を捻り、影を睨みつけてやった。


「どこの誰だか分かんねーけど、病院に巣食う悪霊てヤツか? オレらは蜘蛛の巣に掛かった虫けらってか!」


 立ち上がり、こっちに向かって来るベッドを脚で受け止め「うらあぁぁ!」と叫びながら蹴り返した。


 脚、腹筋、肩、両腕。全身の筋肉を使って押し戻してやった。

 ベッドは半円を描き、結構なスピードで奥の壁にぶつかった。


 その時、ベッドに寝ている人の身体が跳ねたのが見えた。

 大人の男のようである。若くはない。中年、の半ばくらいだろうか。


 ベッドがぶつかった衝撃で白い壁には小さなヒビが入り、五センチほどの、厚くはない欠片が剥がれ落ちた。パラパラと、周囲の欠片も同時に落ちて床で音をたてる。


 龍壱は腕を回し、背中の筋肉を確かめた。

 熱くて炎症にはなっているかも知れないが、筋が痛い様子は無いみたいだ。肩も、背中も、腰も。よし。


『あいつの匂いがする限りぃ~、許さない!』


 天井で音がしたと同時に照明が破裂し、それがシャワーのように降って来た。

 鋭利な角度に割れているのが、スローモーションのように見えた。


 上着を脱いで、彼女の上に広げる。

 龍壱の背中に肩に腕にサクサクサクッ! と、熱い破片が突き刺さるのが分かった。


『痛いか? 痛いかよぉ?』


 ――口が裂けてもんな事、認めるか!


『あんのクソ小娘がぁ、おれの人生を滅茶滅茶にしたぁ――!』


 ごぼっ! と低い音が頭上で響いた。

 まさか、と思った。

 思ったが確認する間も無く、龍壱は防御に専念する他、なかった。


 頭上からのあんな音なんて、天井パネルが外れて落ちる音に決まっている。

 自分が楯にならなければ、気絶している普通の女の子が、受け止めて平気な物ではない。

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