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猟犬と転移者  作者: タンナファクルー
第一章 捕食者は手順を示す
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第5話 擬態

私たちは森の中を歩いていた。


前を行く背中は、ほとんど揺れない。


濃い茶色の革鎧。

腰には剣がある。


グレッグさん。


一時間ほど前に出会った男だった。


森で出会った、知らない大人。


気づけば私たちは、その背中を追って歩いていた。



最初に前へ出たのは藤堂だった。


私は、その半歩後ろに立っていた。


男は一定の速さで近づいてきた。

そして、数メートル手前で止まった。


近すぎない。

遠すぎない。


互いに警戒したまま、会話ができる距離だった。


男の表情が、少しだけゆるんだ。


「驚かせてしまいましたね」


声は低かった。

落ち着いていた。


「改めまして。私はグレッグと申します。転移民税関管理局の職員です。あなた方を保護しに来ました」


藤堂は動かなかった。


視線だけが、男の腰へ落ちる。


剣があった。


森の中で、武器を持った知らない男が近づいてくる。

警戒しないほうがおかしかった。


それに気づいたのか、グレッグさんは身体を少し横に向けた。


「これですか」


腰の剣を、指先で軽く叩いた。


「支給品なんですよ。森では何が出るか分かりませんから」


それから、わずかに肩をすくめた。


「もっとも、腕はからっきしなんですけどね」


その言い方に、空気が少し緩んだ。


私も、気づかないうちに息を吐いていた。



森を歩きながら、私たちは質問をした。


最初に聞いたのは久我だった。


「ここって……どこなんですか」


グレッグさんは歩く速度を変えなかった。


「どう答えるのが正確でしょうね」


少し考えるような間があった。


「あなた方の世界とは、別の場所です」


それから、前を向いたまま続けた。


「今いるのは、西の森と呼ばれています」


「……こういうことって、よくあるんですか」


西園寺が聞いた。


「よく、と言うほどではありません」


グレッグさんは、わずかに目を伏せた。


「ただ、私のような職員が必要になる程度には起きています」


佐伯は、さっきから一言も話していなかった。


前を歩くグレッグさんの背中を、じっと見ている。


私はその視線に気づいたが、何も言わなかった。


質問が出る。

答えが返る。


返答は早かった。

言葉に詰まることもなかった。


分からないことに、名前がついていく。


それだけで、少し楽になった。



「言葉、なんで通じるんですか」


藤堂が尋ねた。


「転移者の方は皆、通訳に近い力を持った状態で来られます」


グレッグさんは答えた。


「最初から発動しているようですね」


少し間を置いた。


「それとは別に」


声の調子は変わらなかった。


「この世界から授けられる力があります」


藤堂の眉が、わずかに動いた。


「あなた方も、こちらへ来た時に得たはずです」


「ギフト……のことですよね」


久我が言った。


グレッグさんは頷いた。


「ええ。この世界の人間は、何かしら持っています」


「ちなみに、グレッグさんのは?」


久我が軽く聞いた。


一瞬だけ、間があった。


「あまり大したものではありません」


グレッグさんは、少し困ったように笑った。


「森を歩くのが得意になる程度です」


久我が小さく吹き出した。


「天職じゃないですか」


誰かが笑った。


小さな笑いだった。


グレッグさんは穏やかな顔のまま続けた。


「安心してください。あなた方のギフトを聞き出そうとは思っていません」


その言葉を聞いて、私は少しだけ肩の力を抜いていた。



グレッグさんの足取りは乱れなかった。


いつの間にか、歩く速度は少し落ちていた。


佐伯に合わせているのだと気づいた。


佐伯は、ここに来てからずっと辛そうだった。


呼吸は浅く、顔色も悪い。


それでも、遅れないように歩いていた。


足場が悪くなる。


木の根が張り出し、苔が浮いている。

靴の裏が滑りやすかった。


グレッグさんが、自然に手を差し出した。


「ミスズさん、足元に気をつけてください」


私は一瞬だけ躊躇った。


けれど、その手を取った。


強くは握られなかった。


支えられたのは、一瞬だけだった。


すぐに手は離れた。


張りつめていたものが、また少し緩んだ。



その時、すぐ後ろで西園寺が言った。


「元の世界には……帰れますか」


声は小さかった。


グレッグさんは、すぐには答えなかった。


その沈黙で、私は答えが分かった気がした。


「残念ですが」


グレッグさんは静かに言った。


「私は、帰還できた例を聞いたことがありません」


誰も、すぐには言葉を出さなかった。


久我が地面を見た。


西園寺の肩が、小さく揺れた。


藤堂は前を向いたままだった。


佐伯は、まだグレッグさんを見ていた。


私は息を吐いた。


胸の奥が重かった。


帰れない。


家。

学校。

いつもの道。

昨日までの生活。


それらが、一度に遠くなった。


顔を上げる。


ここで崩れたら終わりだ。


そう思った。


そう思わなければ、立っていられなかった。



しばらくして、藤堂が口を開いた。


「……もう一つ、聞いていいですか」


グレッグさんが振り返った。


「なんでしょう」


「俺たちだけじゃない可能性があります」


藤堂は、少し言葉を選んでいた。


「同じクラスの連中が、他にもいるかもしれない」


グレッグさんは黙って聞いていた。


「クラスは二十九人です」


藤堂は続けた。


「担任もいたので……三十人かもしれません」


グレッグさんの足が、一瞬だけ止まった。


「……三十人」


小さく繰り返した。


その声には、はじめて別のものが混じったように聞こえた。


驚きだったのか。

警戒だったのか。


私には分からなかった。


けれど、それはすぐに消えた。


グレッグさんは、いつもの穏やかな表情に戻った。


「必ず対応します」


そして、私たちを見た。


「安心してください」



また歩き出す。


歩幅は崩れなかった。


森を抜ければ街がある。


そこから、さらに大きな街へ移動する。


簡単な質疑応答がある。

形式的なものだと、グレッグさんは言った。


森は静かだった。


さっきまで見ていた歪みが、もう遠いもののように感じられた。


私は前を歩く背中を見ていた。


安定した歩幅。

迷いのない進み方。


この人がいれば。


この人についていけば、森は抜けられる。

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