第5話 擬態
私たちは森の中を歩いていた。
前を行く背中は、ほとんど揺れない。
濃い茶色の革鎧。
腰には剣がある。
グレッグさん。
一時間ほど前に出会った男だった。
森で出会った、知らない大人。
気づけば私たちは、その背中を追って歩いていた。
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最初に前へ出たのは藤堂だった。
私は、その半歩後ろに立っていた。
男は一定の速さで近づいてきた。
そして、数メートル手前で止まった。
近すぎない。
遠すぎない。
互いに警戒したまま、会話ができる距離だった。
男の表情が、少しだけゆるんだ。
「驚かせてしまいましたね」
声は低かった。
落ち着いていた。
「改めまして。私はグレッグと申します。転移民税関管理局の職員です。あなた方を保護しに来ました」
藤堂は動かなかった。
視線だけが、男の腰へ落ちる。
剣があった。
森の中で、武器を持った知らない男が近づいてくる。
警戒しないほうがおかしかった。
それに気づいたのか、グレッグさんは身体を少し横に向けた。
「これですか」
腰の剣を、指先で軽く叩いた。
「支給品なんですよ。森では何が出るか分かりませんから」
それから、わずかに肩をすくめた。
「もっとも、腕はからっきしなんですけどね」
その言い方に、空気が少し緩んだ。
私も、気づかないうちに息を吐いていた。
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森を歩きながら、私たちは質問をした。
最初に聞いたのは久我だった。
「ここって……どこなんですか」
グレッグさんは歩く速度を変えなかった。
「どう答えるのが正確でしょうね」
少し考えるような間があった。
「あなた方の世界とは、別の場所です」
それから、前を向いたまま続けた。
「今いるのは、西の森と呼ばれています」
「……こういうことって、よくあるんですか」
西園寺が聞いた。
「よく、と言うほどではありません」
グレッグさんは、わずかに目を伏せた。
「ただ、私のような職員が必要になる程度には起きています」
佐伯は、さっきから一言も話していなかった。
前を歩くグレッグさんの背中を、じっと見ている。
私はその視線に気づいたが、何も言わなかった。
質問が出る。
答えが返る。
返答は早かった。
言葉に詰まることもなかった。
分からないことに、名前がついていく。
それだけで、少し楽になった。
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「言葉、なんで通じるんですか」
藤堂が尋ねた。
「転移者の方は皆、通訳に近い力を持った状態で来られます」
グレッグさんは答えた。
「最初から発動しているようですね」
少し間を置いた。
「それとは別に」
声の調子は変わらなかった。
「この世界から授けられる力があります」
藤堂の眉が、わずかに動いた。
「あなた方も、こちらへ来た時に得たはずです」
「ギフト……のことですよね」
久我が言った。
グレッグさんは頷いた。
「ええ。この世界の人間は、何かしら持っています」
「ちなみに、グレッグさんのは?」
久我が軽く聞いた。
一瞬だけ、間があった。
「あまり大したものではありません」
グレッグさんは、少し困ったように笑った。
「森を歩くのが得意になる程度です」
久我が小さく吹き出した。
「天職じゃないですか」
誰かが笑った。
小さな笑いだった。
グレッグさんは穏やかな顔のまま続けた。
「安心してください。あなた方のギフトを聞き出そうとは思っていません」
その言葉を聞いて、私は少しだけ肩の力を抜いていた。
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グレッグさんの足取りは乱れなかった。
いつの間にか、歩く速度は少し落ちていた。
佐伯に合わせているのだと気づいた。
佐伯は、ここに来てからずっと辛そうだった。
呼吸は浅く、顔色も悪い。
それでも、遅れないように歩いていた。
足場が悪くなる。
木の根が張り出し、苔が浮いている。
靴の裏が滑りやすかった。
グレッグさんが、自然に手を差し出した。
「ミスズさん、足元に気をつけてください」
私は一瞬だけ躊躇った。
けれど、その手を取った。
強くは握られなかった。
支えられたのは、一瞬だけだった。
すぐに手は離れた。
張りつめていたものが、また少し緩んだ。
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その時、すぐ後ろで西園寺が言った。
「元の世界には……帰れますか」
声は小さかった。
グレッグさんは、すぐには答えなかった。
その沈黙で、私は答えが分かった気がした。
「残念ですが」
グレッグさんは静かに言った。
「私は、帰還できた例を聞いたことがありません」
誰も、すぐには言葉を出さなかった。
久我が地面を見た。
西園寺の肩が、小さく揺れた。
藤堂は前を向いたままだった。
佐伯は、まだグレッグさんを見ていた。
私は息を吐いた。
胸の奥が重かった。
帰れない。
家。
学校。
いつもの道。
昨日までの生活。
それらが、一度に遠くなった。
顔を上げる。
ここで崩れたら終わりだ。
そう思った。
そう思わなければ、立っていられなかった。
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しばらくして、藤堂が口を開いた。
「……もう一つ、聞いていいですか」
グレッグさんが振り返った。
「なんでしょう」
「俺たちだけじゃない可能性があります」
藤堂は、少し言葉を選んでいた。
「同じクラスの連中が、他にもいるかもしれない」
グレッグさんは黙って聞いていた。
「クラスは二十九人です」
藤堂は続けた。
「担任もいたので……三十人かもしれません」
グレッグさんの足が、一瞬だけ止まった。
「……三十人」
小さく繰り返した。
その声には、はじめて別のものが混じったように聞こえた。
驚きだったのか。
警戒だったのか。
私には分からなかった。
けれど、それはすぐに消えた。
グレッグさんは、いつもの穏やかな表情に戻った。
「必ず対応します」
そして、私たちを見た。
「安心してください」
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また歩き出す。
歩幅は崩れなかった。
森を抜ければ街がある。
そこから、さらに大きな街へ移動する。
簡単な質疑応答がある。
形式的なものだと、グレッグさんは言った。
森は静かだった。
さっきまで見ていた歪みが、もう遠いもののように感じられた。
私は前を歩く背中を見ていた。
安定した歩幅。
迷いのない進み方。
この人がいれば。
この人についていけば、森は抜けられる。




