第3話 執追
木の根元に、踏み跡が残っていた。
軽い。
細い。
歩幅は揃っていない。
若い女。
男は足音を消し、森の奥へ入った。
踏み跡は乱れている。
走ってはいない。
枝が折れている。
落ち葉が裏返っている。
右へ寄り、すぐ左へ戻っている。
迷い、恐怖、混乱が見える。
男は速度を上げた。
少し先で、紺の制服の背中が見えた。
黒髪。
華奢。
片手で鞄の紐を握っている。
こちらには気づいていない。
男は間合いを詰める。
女が振り向いた。
視線が合う。
刺突。
剣先が胸を貫いた。
女の身体が崩れる。
血が落ちる。
男は剣を引いた。
倒れた身体を見る。
動かない。
男は背を向けた。
⸻
数歩。
足が止まる。
血の匂いが足りない。
心臓を穿った量ではない。
振り返る。
血はある。
身体がない。
地面には、倒れたはずの場所が残っている。
落ち葉が乱れている。
血も落ちている。
人間が倒れた跡ではない。
重さがない。
違和感が輪郭を持つ。
奥で、枝が揺れた。
⸻
鈴木紗季は走っていた。
右腕から血が流れている。
胸を刺されたはずだった。
裂けていたのは腕だった。
森に来てから、どれくらい経ったのか分からない。
最初は動けなかった。
教室が消えた。
机も、黒板も、窓も、同級生の声も消えた。
気づいた時には、見知らぬ森の中にいた。
視界の端には、ずっと文字が浮かんでいた。
【ギフト:認識改変】
意味は分からない。
消えもしない。
何かが始まっているのか。
自分の頭がおかしくなったのか。
それすら分からなかった。
ようやく歩き出した。
少し後で、剣を持った男に襲われた。
なぜ自分が襲われているのか。
なぜ胸ではなく腕が裂けているのか。
分からないまま、走っていた。
死にたくない。
それだけだった。
足が絡む。
枝を踏む。
幹に肩をぶつける。
血が落ちる。
足跡が別の場所に現れる。
血の位置がずれる。
枝の折れ方が変わる。
さっき見た木が、違う場所にある。
目印にした岩が、近づいたり遠ざかったりする。
距離が伸びる。
縮む。
ねじれる。
鈴木は走っている。
自分がどこを走っているのか分からない。
⸻
位置がずれる。
痕跡もずれる。
森の形が、記憶と一致しない。
男は止まらない。
血の匂い。
足音。
枝の折れる高さ。
逃げる速度。
この先で右は倒木に塞がる。
左だけが開ける。
逃げる人間の選ぶ場所は大きく変わらない。
広い方へ。
明るい方へ。
開けた方へ。
足元の悪い場所は避ける。
暗い奥へは入らない。
細い隙間には飛び込めない。
恐怖は、道を選ぶ。
痕跡は隠せない。
男は進む。
分岐。
歪みが濃い。
左だ。
揺らぎの中心。
男は踏み込んだ。
速度を上げる。
⸻
距離が消えた。
鈴木が振り向く。
再び目が合う。
男は即座に踏み込んだ。
何を狂わせてくるのか分からない。
立ち位置か。
距離か。
刃の軌道か。
目に映る身体の大きさか。
待てば、次が分からなくなる。
首を狙う。
斬撃。
ずれる。
刃は首を外れ、肩を裂いた。
鈴木が悲鳴を上げる。
足がもつれる。
倒れる。
鈴木は腕で地面を押した。
這って逃げようとする。
男は剣を握り直した。
急所を狙うのをやめる。
狙えないなら、狙わない。
面で薙ぐ。
刃が走る。
鈴木の身体が縮んだように見えた。
小さくなる。
遠ざかる。
次の瞬間、大きくなる。
肩の位置が変わる。
足の向きが変わる。
倒れた身体が、見えている場所から半歩ずれる。
這う速度では、遠くへは行けない。
血の匂いは濃くなっている。
悲鳴も聞こえる。
落ち葉を掻く音もある。
そこにいる。
男は詰める。
薙ぐ。
当たらない。
構わず繰り返す。
当たるまで範囲で潰す。
裂く。
抉る。
断つ。
鈴木の身体が、見えている場所からずれる。
悲鳴が、聞こえた場所からずれる。
肉が裂ける。
悲鳴が濁る。
何度も。
何度も。
やがて、揺らぎが弱くなった。
木々の位置が戻る。
距離が戻る。
鈴木紗季は、落ち葉の上に倒れていた。
男は剣を下ろした。
悲鳴は止んでいた。




